第13話 幼さと切なさと
「おーし、さっぱりしたろ?」
拓海は若いパパがするように、夏樹の体をタオルで拭いてやると、上からスポッと大き目のTシャツを夏樹に着せてやった。
「あの人、誰?」
夏樹はゴシゴシと髪を拭いてもらいながら、寝転んでテレビを見ているクニヌシを指差した。
それに気づいたクニヌシはすぐに体を起こして、大人の余裕ある笑顔を見せて、
「俺はクニヌシ。神の眷属だ。今は人の姿をしているが」
「あっそう。じゃあ、私をこちらに連れてきた人ってことね」
「こら、神の話は最後まで聞かんか」
拓海をちらっと見ると、嬉々として夏樹に世話を焼いているが、二人のやりとりには無関心だ。
躾が必要だと思ったクニヌシは、生意気な女児を手招きしたが。
「あなた嫌い」
髪を拭き終わった拓海は、濡れたタオルを手にして、呆然としているクニヌシに言った。
「おーい、喧嘩はダメだぞ。クニヌシも大人気ないなあ。夏樹、ドライヤー持ってくるから、ちょっと待ってて」
拓海はドライヤーを探しに部屋を出ていってしまった。
夏樹は拓海が出て行ったのを確認すると、妙に大人びた表情でクニヌシをじっと見ている。クニヌシが口を開こうとすると夏樹が先に声を出した。
「どうして、こんなことしたのよ」
クニヌシはそう聞かれることを予測していたかのように静かに答えた。
「拓海が願ったからだ」
夏樹のおぞましい記憶と体験は煉獄の炎が焼き尽くされている。惨殺された事件にまつわる情報一切を、彼女は失っていた。
かつて、何かしらで自分は死んでしまった、ということだけは知識として残っているようだ。幼かった自分と、もっと幼かった拓海との楽しかった日々のことも覚えている。
故に、曖昧な記憶のせいで、夏樹は拓海の前では発する言葉や内容に慎重になっていた。
「戻ってこれたのは嬉しいはずなのに、なんだか悲しいの。分かる? 死んだ人間が生き返るなんてのも、やっぱりダメでしょ? それに、死んだ時は十歳だったはずなのに、今はなんていうか、こう、心だけが大人になっている、そんな感じなの」
「なるほど。拓海に風呂に入れられて恥ずかしかったのだな」
「それもそうなんだけど……いや、そういうことじゃなくて!」
「正直に拓海に話せば良いことだ。不思議な事はこの世にたくさんあるのだから」
夏樹はしゅんとして振り返ると、拓海が屈託なく笑いながら「ドライヤーが壊れてた」と現れた。
「ごめん。夏だからすぐ乾くと思うんだけど。我慢してくれる?」
「ありがとう。私は平気よ」
「お、おう」
目の前の小さな女の子に少しときめきを覚えた。困った時の癖になっている、眼鏡をクイッとあげ、話題を変える。
「……クニヌシ、ちょっと神社に行って……双子の様子でも見に、行こうか?」
どこからか見つけた団扇を仰ぎながら、クニヌシは、やったね、という顔をして賛成の意を表明。
夏樹の姿をちらっと見た途端、あることに気づいてしまった。しまったとばかりにクニヌシに目をやったが、神は出かける気満々である。
ーーパンツも履かせずに、Tシャツだけの女児を外に連れ回すなんて、鬼畜の所業だろ。
「クニヌシ、悪い。今のは忘れてくれ。今のままじゃ夏樹を外に連れ出せないよ」
分かりやすいほどに落胆するクニヌシ。二人のやりとりを見ていた夏樹は、テレビの前に行くと、体育座りしてテレビを見始めた。
「行ってくれば。私はテレビが見たいから、お留守番してる」
「夏樹を一人にはできないよ」
「いいから、拓海。お菓子とジュース持ってきて」
「わ、分かったよ。ちょっと待ってて」
拓海は心臓をバクバクさせながら、そそくさと買いだめしておいた菓子と、冷蔵庫で冷やしているジュースを取りに台所へ行った。
「夏樹、こっちを向きなさい」
クニヌシが説教モードになっている。
「はい、あなた、呼び捨て禁止」
愛想のない夏樹の返答に困りはてたクニヌシは、モノカミを呼び出すことに決めた。もちろん、夏樹のお守りを命じ、自分は拓海と神社に行くためだ。
「またですかー、もう僕に用はないでしょう?」
「モノカミ、何度も呼び出して悪いな。しばらくの間、この娘の相手を頼めないか? 」
「嫌ですよ。こんなクソ生意気な夏樹の」
「だ、か、ら! 夏樹って呼び捨てしないで!」
「おいおい、拓海はお前のことを夏樹、と言っておるではないか。それはいいのか? なあ、モノカミ?」
夏樹の横暴な物言いに、モノカミは冷ややかな顔で夏樹を見下ろしている。
「お前」
「な、何よ……」
モノカミは小生意気な子供に明らさまな敵意を向けられ、冷静を装っているが相当に頭にきているはずである。
「お前……。今日から、なっちゃん、な」
先ほどまで怒り心頭だった夏樹は、モノカミに勝手に命名された呼び名に卒倒しそうになった。それを聞いたクニヌシは名案だとばかりに、モノカミを褒め称えている。
「いい! 呼び合うたびに情が深まりそうではないか! モノカミ!」
モノカミは少し照れ臭そうに「恐れ入ります」
眉間を寄せて、夏樹が二人の男に言う。
「意味わかんない……前より馴れ馴れしい気がするのは、気のせいじゃないよね……」
そこへ空気を読めない男が颯爽と現れた。
モノカミのネーミングセンスに感心し切ったクニヌシとモノカミが、和やかに呆れ顔の夏樹を囲んで談笑しているところへ。
「あれ? 俺が知らないうちに家族っぽくなってない?」
「たっくん、今日から僕たちは、この子を”なっちゃん”、って呼ぶから。以後よろしくー」
「いいな、それ」
夏樹はこの訳が分からない成り行きに戸惑いながら、あまりにバカバカしくて、三人の男たちが自分より、ずっと子供っぽいことがおかしくて仕方なかった。
「ば、馬鹿じゃないの、あんたたち。もういいよ、なっちゃんで」
「お許しが出たことだし、そう呼ばせてもらおうか、モノカミ?」
モノカミはしてやったり、といった様子でクニヌシの言葉に頷いた。
「はっ! 僕の勝ちだな。なっちゃん」
「最後に、なっちゃん、が付くだけで随分、発言の印象が変わるものだな」
拓海は怒ってばかりの夏樹のことを心配していたが、夏樹が笑ったのを見てホッとしている。そこへ、クニヌシは今が好機! と言って、拓海にも出かける準備を急がせた。
「では、モノカミ、仲良く留守番を頼むぞ」
「クニヌシ様、ご心配なくー。良い子にして、お帰りを待ってまーす」
「頼もしいぞ、モノカミ」
拓海は狭い我が家で起こった、この一騒動が心地よく、心にときめきを感じるほど謎の感動に包まれている。
モノカミは二人を見送ると、テレビの前を陣取る夏樹の横に座った。
「あの二人、本当に疲れるよね、なっちゃん」
「わかる」
二人は存外、気があうかもしれない。という一つのエピソード。一転して、クニヌシたちが向かった白鳥神社での騒動に続く。
読んでいただきありがとうございます。
拓海の周辺も賑やかになってまいりました。拓海がいつも挨拶をしているナギが守る白鳥神社へシーンは変わります。