第12話 天女と淳之介
第二の人生の始まりとなる、夏樹の第一声はインパクトの最大値を指したが、拓海は臆することなく一目散に夏樹に近寄り、ひざまづくとギュッと抱き締めた。
「良かった、本当に良かった……」
頭からずぶ濡れの夏樹は、子どもらしい甲高い声で泣きながら叫んだ。
「どうして、私はここにいるの! 死んだはずなんだけど!」
拓海は返答に困り果て、クニヌシの方を見遣った。
あんぐりと声を無くしていたクニヌシだったが、気を取りなすために咳払いを一つ。夏樹は頬をふくらませ、いかにも不満そうに濡れた髪や服をいじっている。
「拓海の事は覚えているか? お前がこの世を去ってから十年。目の前の幼馴染だった小学生は、もうすぐ十九歳になる」
夏樹は何かを言いたそうだが、記憶の混乱が見られる。上手く言葉にできないことにイライラしていた。
拓海は夏樹に近づくと、涙がいっぱいになった夏樹の瞳と目線を合わせるように、その場にしゃがむと、ワンピースの裾をぎゅっと握る夏樹の手を取った。
「濡れて気持ち悪いよな。風呂に入ってさっぱりしようか? 話は後からしよう。もう泣くなよ。ね? 」
「……うん」
兄と小さな妹のように仲睦まじく手をつなぎ、風呂場へ向かう二人の後ろ姿をクニヌシとモノカミが見送る。モノカミは珍しく声を荒げた。
「なんかムカつく、あいつら……」
「あの二人は余裕がないのだ」
「じゃあー、僕も後で風呂に入れてくださいよ、クニヌシ様が!」
「そうそうご褒美はやらんぞ」
モノカミはやれやれというポーズをすると、クニヌシの背中にもたれる様にして姿を消した。
「クニヌシー、タオルー、持ってきてー」
風呂場から拓海の声が響いた。
クニヌシは苦笑いしながら、はいはい、とタンスから大きなバスタオルを取り出し、お母さん気取りで風呂場へ。
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新緑が眩しく初夏の日差しが所々、地面を差している白鳥神社。小さな森を抜け、細い山道を上りきると、古びているが存在感のある大きな鳥居の先にある。
すぐ近くには一族が暮らす母屋があり、ちょうど双子が里帰りしたように家の中でくつろいでいた。
「淳之介ぇ? 何かお手伝いすることはないのかしら?」
「ありませんよ。それよりも何故、働きたいのですか、ユリア様」
淳之介の部屋にある姿見で己に見惚れながら、ユリアは念入りにブラシで髪をといている。
浅葱色の袴を穿き正座をして、ユリアとウララをもてなす茶を湯呑に注ぐ、高校三年生の淳之介。昨夜、この双子の出現を予知したらしく、出迎えるために高校は病欠中である。
部屋を物色していたウララが立ち止まり、姉のユリアの代わりに答えた。
「ヌシ様のために、どうしてもお金を稼がなくてはいけないの」
ーー何があったんだ。
茶を淹れ終わった淳之介は、湯呑を置いた茶托をすっと二人の前に出した。
「桜の塩漬けを入れておきました。どうぞ」
神社に借りた巫女装束を纏ったユリアは、ヘアブラシを鏡台にそっと置くと、淳之介の側にやってきた。そして、小さな子供をあやすように、淳之介の頭を優しく抱きかかえた。
淳之介は慣れている。
顔色も変えず、悟った顔でされるがまま。
「まあ、私が桜茶が好きなことを覚えていてくれたのね。前回、クニヌシ様にお暇を頂いた時には、まだ淳之介はこんなに小さくって」
ーー去年、来てたじゃないですか。
同じく巫女服姿の妹ウララは、書棚に並んでいるライトノベルに何かを感じたようだ。その中から適当に一冊抜くと、本を片手に淳之介に寄ってきた。
「そうそう。私の膝にお行儀よく座っていたのに。大きくなったわね」
ーー小さくない僕を無理やり座らせただけでは……って、あ!
淳之介はウララが手にした本を、速攻で奪い取ることに成功した。
ーーあっぶねえ。
「もうすぐ僕も十八歳になるのですから。当然です。どうぞ、お飲みください」
姉妹は淳之介の成長ぶりを話したそうだったが、勧められたお茶を飲むことに。
二人は湯呑の蓋をつまみ、雫に気をつけながら蓋を茶托の右下に置くと、ゆっくりと左手で茶托に添えながら右手でそっと湯呑を持ち上げた。
「頂戴いたします」
双子は声を揃えてにこやかに言うと、湯呑を左手に乗せ両手で茶を飲んだ。淳之介は双子の優雅な所作を、いつも好ましく思っていた。
ーー所作は雅で美しいんだけど。所作は。
「ウララ、この世は素晴らしいわね。淳之介、ありがとう」
淳之介は軽く会釈すると、妹のウララも美味しいと言い、姉妹はお茶に満足した様子だ。
「ところで淳之介、この書物はなんですの? この」
先ほど取り上げたはずのライトノベルをユリアがいつの間にか手にして、表紙を見たり中をぺらぺらとめくっている。
ーーちょ、いつの間に!
淳之介は慌ててユリアから取り返そうと、手を思いっきり伸ばした。が、ユリアはポイと向かいに座る妹のウララに投げるという素晴らしい連携を見せた。
「か、返してくださいよ! 友達に借りた本なんですから……」
「友達ぃ? これはあなたが書いたのでしょう? 」
表紙には恥ずかしそうに微笑んでいる、双子の巫女が描かれたイラスト。ウララは、あろうことか、ゆっくりとタイトルを読み上げ始めた。
「異世界……から双子の、巫女が、俺んちに、引っ越し、て、来ました? なんて長いお題でしょう。淳之介ぇ? もっと短くならないの?」
ーー終わった……。
「これは、私たちのことかしら?」
ーーお許しください……。
淳之介はウララから小説をもぎ取った。
顔を真っ赤にして。
「お姉様、もしかしてなのですけど」
「ふふ、私も同じことを考えていましたの」
ウララはユリアの横に並んで座りなおすと、ユリアの耳元で、だが聞こえるように囁いた。
「昔から、ご本が好きだった淳之介が、よもや、お姉様と私を……」
「アーーーーーーーーー。もう勘弁してください……お許しくださいませ」
淳之介は畳に両手をつき謝罪した。
観念した瞬間であった。
現行犯逮捕である。
姉妹はお互いに顔を見合わせ、それはそれは楽しげに顔をほころばせた。
「顔をお上げなさい、淳之介」
姉のユリアが優しく告げると、淳之介はバツが悪そうに体を起こした。
「そんな顔しないの。あなたの力になりたいの。ねぇ、ウララ? 」
「はい。淳之介がお姉様とウララのことを、この小さな書物に書き残しているなんて、心が震えますわ! 」
ーーえっ?
「さ、淳之介。今、書いているものはないの? ないのであれば、今から書き上げますわよ」
「初めての三人の共同作業ってやつですわ!」
「あの……少し失礼いたします」
淳之介は一礼すると、真顔ですくっと立ち上がった。目が爛々としている二人を残し、廊下に出ると静かに障子を閉めた。
障子の向こうから、姉妹が構想を立て始めているのが聞こえてくる。
「嫌だわぁーウララ。それでは男の子ばかりになってしまいますわ。素敵ですけどね」
淳之介は部屋から少し離れたところで、中庭に面した縁側に腰掛け頭を抱えた。
ーーもうあのシリーズは……僕の知らない世界観に変わってしまうんだろうか。
頭を上げると、淳之介が大事に育てている白い牡丹の花が、今にも大きく花弁を開こうとしていた。
「ま、いっか……ちょうど行き詰まってたし。話くらい聞いても」
読んでいただきありがとうございます。
次は、夏樹の天敵かもしれないモノカミとのふれあいを描いております。