03 外の世界
さらに2年と2ヶ月の月日が流れた。
僕、エール・ハレヴィは3歳になっていた。
産毛しか生えていなかった頭にも濃い髪の毛が生えてきて、どんどん人らしくなっていく。
父親譲りの黒髪だが、前髪の一房だけは綺麗な金色に染まっている……親の髪色を両方そのまま引き継いだ感じかな。はっきり言って、変な髪色だ。病院にいた頃はこんな髪色の人を見たことがなかったのもあって、少し気にしている。
「おっ、エール、お前も鍛冶に興味あるのか?」
「ちょっと、みて、みたい。いい?」
3歳になった僕は片言ながら親と会話できるようになっていた。それも今にも途切れそうな細い声でない。はっきりとした元気な声で、だ。初めて親と子で会話が成立した時は大変だった。母さんは飛び跳ねながら喜び、父さんは近所の人をありったけ集めて大きなパーティを開く始末だ。あの時は恥ずかしかったけど、それ以上に嬉しさが勝っていたっけ。
「もちろん。いっぱい見ていけよ」
嬉しそうに硬そうな物質を手に取る父さん。あれは"鋼"だ。目で見るだけでなく、手で鉄の冷たさを感じる事によって、あくまで僕の推測の範囲内にすぎなかったものが確信に変わった。前世の僕は、その物質が何か頭ではわかっていても実際に確かめる方法がなかったから。
そして、3歳になって感じた、前世の自分と決定的な違い。そう、
――歩くことができるのだ。
一般的な幼児に比べればとても遅く、まだまだぎこちない動きだが、この足で地面を蹴り歩くことができる。それが、3歳になって1番変わったことだ。僕の夢であり、目標である外の世界を旅するということも、近いうちに叶うかもしれない。
歩く事によって行動範囲が格段に広がった僕は、父親の仕事を見学していた。僕の父親であるオルガはそこそこ知名度のある鍛冶師らしい。
「父さんが作った武器はな。王国の偉い騎士さんが使うんだぞ」
「ほえー……とーさん、すごい?」
「もちろん!」
父さんには常連の客がついているそうで、この家にも定期的に依頼をしにお客さんがやって来る。
母さんには全く理解されていないが、無機質な金属から、切れ味鋭く美しい剣を作り出すのが楽しくて仕方がないそうだ。
しかし、今さら剣を使って戦う国なんていないんじゃないだろうか。今の時代は銃が主流だと前の母さんに聞いたことがある。何かの式典用の剣なのかな? それとも、よほど文明の発達していない国なのか……どっちなんだろう。
「うーん。そこにいると危ないし、もうちょい下がってような。お前がこんな事で怪我したら俺が母さんに殺されちまう」
そう言うと、父さんは鋼を素早く炉の中に入れ、僕を鍛冶場から遠ざけた。もう少し近くで見たいけど、危ないし仕方ないか。
「……そろそろかなっ、と」
頃合いを見計らい、父さんか炉に入れた鋼を取り出すと、渋い色合いをしていた鋼が綺麗なオレンジ色に染まっていた。
僕はその光景が不思議で仕方がなかった。どうしてあの鈍く光っていた鋼がこうも綺麗なオレンジ色に変貌するのか。
「とーさん、あー……どうして、いろ、かわるの?」
自分なりに工夫して口から出せる言葉を選ぶ。思っていることをそのまま口に出せないというのは、とてももどかしい。
「ん? ああ、金属っていうのはな、熱すると色が変わって柔らかくなるんだ」
金属は、熱すると柔らかくなる……僕の知らなかった情報だ。てっきり、剣というものは、鉄にもの凄い力を上から加える事によって無理やり平たくするものだとばかり思っていた。これまた新しい発見だ。新たな知識を基に様々な妄想を膨らましていたのだが、それは突然の大きな音によって一つ残らず吹き飛ばされることになる。妄想から抜け我に帰ると、熱したことによって柔らかくなった鉄を、すかさずハンマーで打ちつける父さんの姿が目に映った。叩いた瞬間、綺麗な火花を散らして鉄の形が変化する。
「とうさん、すごい!」
「はっはっはー! だろ⁉︎」
父さんは一通り先ほどの作業を繰り返し、納得のいくまで叩いている。そんな父さんを僕は興味深く見つめていた。僕もああやって、前世の分も誰かの役に立てるような仕事がしたい。
5歳になった。
言葉も片言ではなく普通に話せるようになった。歩行に関しても、他の子たちに比べてもなんら変わらない程にまで成長していた。が、未だに走る時、腕と脚をどの順番に動かせばいいのかわからず、たまにこけてしまう。もうこけたくらいで泣く事もないのだが、その時は母親が凄まじいスピードでこちらにダッシュしてくるのだ。そういったように、親からの愛情は尽きることがなく、ここまで幸せな暮らしをしていると言ってもいいだろう。
ある日の朝、眠りから目覚めると、何やら忙しく支度をしている父さんの姿が目に入った。
「とうさん……なにしてるの?」
「あら、起こしちゃったか。ごめんごめん」
寝ぼけ眼を擦りながら、父さんの顔を見上げる。
体を起こした時にめくれたかけ布団を父さんはそっと戻し、寝かしつけるように僕の頭を二、三度撫でた。せっかく気持ちよく寝てたのに、目覚めが悪い。
「そうだ、父さんちょっと用事でお城まで行くんだけど……着いてくるか?」
寝起きだからか、まだ幼いからか、その言葉を理解するのに少し時間を要したが、それを理解する頃には僕の眠気と不機嫌は一瞬で吹っ飛んでいた。
待ちに待ったこの瞬間がやってきた。ついに、外の世界を歩けるのだ。どれほど長い間夢見てきたことだろう。朝も昼も夜も、四六時中窓を眺めて憧れていたその景色に、いよいよ踏み込む事ができる。
「いくー!」
もちろんそんないい話断るはずもなく、僕は即答した。
ここの国では、5歳になるまでは親と一緒でも外を歩かしてはいけないという法律がある。さらわれたり……その、殺されたりすることがあってとても危険らしい。どれだけ治安の悪い国なのだろうか。日本は、世界でも治安のいい方と聞いたことがある。電化製品も見当たらないし……一体ここはどこなんだろうか。
「あなた、大丈夫ですか? うちの子はその、発育も少し遅れているのに……外に出すのはまだ早いんじゃ」
発育の遅さには僕にも自覚はあったが、やはり母さんも心配してるらしく、僕が外に出ることをとても不安がっている様子だった。
「大丈夫だって、俺がついてるんだから。エール、お前も外に行きたいよなー?」
「いく! ぜったいいく!」
母さんが何と言おうとこんなチャンス、逃してたまるものか。
「ほら、な?」
「……エールちゃん、ぜっっったいにパパの側から離れちゃダメよ」
「そうだぞ。絶対に父さんの側を離れるなよ。外の世界には危ないことがいっぱいだからな」
父さんは見るからにいくつもの重そうな武器を木製の荷車に乗せながら僕にそう言った。乗せてる荷物から推察するに、その城とやらに武器を納入しに行くのだろうか。
「うん。だいじょうぶ」
僕は、父さんの岩のようにゴツゴツした手を握った。マメの後だろうか、指の表面がものすごく硬い。
父さんは僕の手をしっかりと握り、片手で荷車を引き始めた。
「はぁ……あなたがついてるなら大丈夫ですよね。うん、そうよね。あなた、エールちゃん。いってらっしゃい」
母さんはニコリと笑い僕を送り出してくれた。相変わらず美人さんだ。一歩、また一歩と、歩くたびに外の世界へ続く扉が近づいてくる。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
そして父さんの大きな声と共についに、その扉が開かれた。扉を開いた瞬間、眩しい日光と共に、僕に向けてブワッと冷たい風が吹き抜けていく。
「とうさん、これがかぜなの?」
「そう、これが風だ! 気持ちいいだろ?」
「うん!」
そして僕は、外の世界への第一歩を踏み出した。
家の中とは違い、地面を踏みしめる度に様々な音が鳴る。
上機嫌なのか、鼻歌を歌いながら結構な……いや、普通なのかもしれないけど、僕から見れば早歩きで進んでいく父さん。僕も頑張って着いていこうとするが、やはり歩き慣れた人とは全然違うのか、顔から地面に倒れてしまった。
「あうっ」
「あ、すまん! ついいつもの調子で……大丈夫か?」
僕はうつ伏せのまま、大の字で地面に張り付いていた。風に揺られ、ざわざわと踊る草木の音。乾いた土の匂い。僕……今、本当に外の世界にいるんだな。
ああ、この感動を前世の僕にも味あわせてやりたかった。青葉 歩の体も無念だっただろうに。
そんな事をしみじみと考えていると、悔しくて涙が溢れてきた。18年も苦しみながら生きた僕の体が夢見ていた事を、この体は僅か5年でそのほとんどをやり終えてしまった。生まれつき病弱でなければ……どれだけの時間を両親と過ごせただろう。
なかなかうつ伏せのまま動かないどころか、泣き始めてしまった僕を見て青ざめた父さんは、オロオロと周りを見回し始めた。近くの人に助けを求めているのだろう。
「い、いや。俺の子だ……俺が泣き止めさせないと」
そう小さく呟いた父さんは、ぼくを持ち上げ変な顔をして僕を笑わせようとした。泣き止まそうと必死な彼の姿を見て何だか、馬鹿らしくなった僕は自然と笑みがこぼれた。これで泣き止むのは幼児くらいだろうに。
「よかった、笑ってくれた」
そうだ、もう過去のことを悔やんでも仕方がないんだ。どれだけ悔やんでもあの頃には戻れない……その分この体でやりたいようにすればいいんだ。それじゃないと、僕を生んでくれたオルガ父さんとティア母さんに申し訳ない。
「にしても、その僕……ってのなんとかならないのか?」
「ならない」
女の子なら私とかの方がいいんだろうけど、どうも恥ずかしくて言えたもんじゃない。自然体が一番なのだ。
「……じゃ、別にいいか」
そう言いにっこりと笑って僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。母さんとは違って撫で方が荒っぽいが……これはこれで。
しばらく二人で歩いていると、何やら怪しげな森に到着した。森そのものが、何か得体の知れない物に覆われているのかと錯覚するほど真っ赤な森だが、よく見ると木一つ一つの葉が赤いだけだった。赤い葉をつけた木は風が吹くたびガサガサと揺れ、心地の良い音を奏でている。地面には、動物が通った後だろうか、いくつものけもの道が出来ていている。
「エール、怖いか?」
「だいじょうぶ……だとおもう」
一人じゃ無理かもしれないけど、父さんがいるだけでこんな所でも安心できる。
「ここを通らないと城まで行けないんだ。ちょっとだから我慢してくれ」
不気味な森だが、見方を変えれば紅葉に見えなくもない。赤くて綺麗だと思うと、そこまで悪くないような気がする。
「なんだろう、これ」
歩いている途中、この森の中では異質に見える綺麗な紫色をした一輪の花を見つけた。赤色の中に紫色が映えて、とても綺麗だ。これは……なんだろう。いい匂いがしそうだ。好奇心を止められない僕が、その花に手を伸ばそうとしたその時、父さんが叫んだ。
「――触るなっ!」
突然の大きな声に、僕の体はこわばり固まってしまった。そして恐る恐る父さんの顔を見上げた。
「あっ……大きな声出して悪い。いいかエール。この辺りの物には絶対に触っちゃダメだ。特にその花は一見綺麗だけど、それに騙されて触ってしまうと一瞬で全身に猛毒がまわって早ければ2日で死に……って難しいか。簡単に言うとだな、とても危ないんだ」
えっ、何それ……危なすぎでしょ。
「しまったな……いつも一人だから完全に忘れてた」
普段は森に慣れている自分一人だから、危険な毒花が自生していることを失念していたらしい。触れたら死にかける花が野生してるなんて聞いちゃうと、急に緊張してきた。怖くなった僕は、父さんの手を握る力を強めた。
半ばすると、歩く足を止めなかった父さんが急に歩みを止めた。その顔は険しく、僕の顔をチラッと見ると再び目を前へ向けた。
「……エール、少しこの下に隠れてろ」
僕は戸惑いつつも、言われた通り木製の荷台の下に身を隠した。自分が小さいからか、思ったよりも広さにゆとりがあるように感じる。そーっと外の様子を伺っていると、父さんは、荷台に積んでいた剣ではなく腰に下げた剣を鞘から抜いた。
父さんは剣を構え、大きく息を吐く。すると、時間が止まったかのように辺りに静寂が訪れる。自然と僕は、瞬き一つする事なくその光景を見守っていた。少しでも目を離したら、その一瞬の隙が命取りになりそうな、そんな気がした。
静寂を切り裂くように、茂みが大きく揺れる。
「来るぞ! エール、顔を出すなよ!」
顔は出していなかったのだが、念のために頭の後ろに手を置き小さく丸まった。
そして、茂みの中から何かが現れた。