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02 小さな大冒険

「うふふ、この子は本当に何でも触りたがるわね」


「まあ、小さい頃から色んなものに興味を持つことはいいことじゃないか?」


 あれから七ヶ月の月日が流れ、僕は生後八ヶ月までに成長していた。この頃になってようやく僕はあることを理解した。これは夢なんかじゃない。現実だ。僕は、生まれ変わったのだ。それも前世……青葉 歩の精神を引き継いだまま。最初は、そんなことありえるのかって思ったけど、夢にしてはあまりにも長すぎる。死後の世界という線も捨てきれないけど。


 そして、僕の新しい名前はエール。エール・ハレヴィだ。今こうして息をしているのも驚きだが、それと同じくらい驚いたことがある。


 今の僕は――――女の子なのだ。


 最初は、性別が変わってしまったことに戸惑いがあったし、どうせなら男として人生をやり直したかったと思うところもあるが、こうしてまた生きられるだけでも良かった。


 七ヶ月もすると首もすわり、うめき声のようなよくわからないものだが、声も出せるようになった。


「今度はこれが触りたいの? はい、どうぞ」


 手で触れられるもの全てが僕にとっては新鮮で、近くにあるものは何でも触っていた。一見同じような物でも、触ってみると素材によって感触が違うのだ。僕にはそれが楽しくて仕方なかった。最後に心の底から笑顔になったのはいつだっただろうか……前の僕は少しでも母さんに楽になって欲しくて作り笑いばかりしていたっけ。楽しいという気持ちで心が満たされるのはとても久しぶりだ。


「……癒されるな」


「……はい、あなた」


 そしてこの二人は、僕の父オルガ・ハレヴィと、母ティア・ハレヴィだ。二人は見た目が対極というか……どこで知り合ったんだろう。


 そしてある日。


 興味の尽きない僕は、活動範囲を広げようと、寝返りを繰り返しベッドを脱出しようと試みた。策は考えてある。ひたすらくるくると回転してベッドの横から下に落ちるんだ。

寝返りを試した事は無いけど、今の僕なら出来るのではないだろうか。幸い、ベッド下には落下した時の怪我防止としてクッションが二、三枚重ねて敷いてある。

そこまで怪我してほしくないのなら、ベッドに柵でもつければ良いんじゃないかと思ったけど、僕はこの夫婦にとって初めての子供らしいし、そこまで気が回らなかったのだろう。


 僕は心を決め、初めての寝返りを試みた。そこまで覚悟のいる事じゃないかもしれないけど、ほとんど体を動かしたことのほとんど無い僕にとってはそれくらい大変な事だった。

普通の人なら、体を動かすという行為は、赤ちゃんのうちに無意識に習得しているものであって、決して意識して練習するものでは無いのだろう。

自分にも体を動かせた時期は少しくらいあったのだろうが、そんなのは前世の僕が今のように赤ちゃんの時くらいまで遡る。普通の人とは違い、僕はそれを習得する前に動けなくなってしまったのだ。

つまり何が言いたいかというと、僕は筋肉の動かし方を知らない。というより、なまじ意識があるせいで動かし方を考えてしまう。


 右肩を浮かし、ゆっくりと左肩の方へと回していく。するとそれに合わさるように右半身が浮き、ついにはコテンと体がうつぶせになった。


「おー」


 驚きの声も出せるようになった僕は、少しだけ得意げに声を発した。なるほど、わかった……一度出来てしまえば簡単じゃないか。

次は左肩を浮かして、そのまま右側に倒す。すると今度は体が仰向けになる。次は右肩を浮かして、左肩の方へ回す。これの繰り返しだ。至極単純な話じゃないか。


 ついにはベッドの端までたどり着いた僕は、体を動かしてベットの下を覗き込んだ。実際には大した事ない高さなのだろうが、体の小さい今の僕からすればそれなりの高さに感じてしまう。

大丈夫……下にはクッションがある。下に降りる事さえ出来てしまえば、後は天国だ。よし……いける。このまま身を任せて飛べばいいだけだ。


 目を閉じ、一度呼吸をし、覚悟を決めてベッドの下へと身を投げた。すると、落下した僕の体は重ね置かれたクッションに柔らかく包み込まれるように受け止められた。怪我ひとつすることなく、いとも簡単に未知の世界へと降り立つことに成功したのだ。


「ふふん」


 僕はクッションに座り、上を見上げる。あの高さからここまで無傷で到達したと思うと、何故だか険しい山を登りきったような……少し誇らしい気持ちになる。

そんな僕の目標は、現在位置から少し先にある茶色い毛皮のじゅうたんだ。

昔から、動物の毛を触ってみたいと思っていたんだ。もちろん病院に動物は入れないし、実物は見たことないけど、写真で見たことがある。僕の感想としては、犬と猫……後、ハムスターはかなり可愛い。

じゅうたんに出来るほどの大きさから推測するに、この毛皮は犬でも猫でもない何かなのは間違いないが。


 さあ毛皮の元へ向かおう。そう思い進もうとした僕は、とても重大なことを忘れていた。

いくら地面に座ることや寝返りによって横に進む術は習得しても、前に進む術をまだ会得していない。というか、十八年と十ヶ月生きてきて歩いたことどころか、手足の感覚がなかった僕には手足を動かして進むという行為自体が群を抜いて高難度の技なのだ。

しかし目の前には僕の死ぬ前にやりたかった夢の1つ、動物の毛に触るという目標を叶えてくれる毛皮がある。


 諦めきれない僕はまずその場から、右手を動かした。次は、どこを出せばいいのか。その次は、そのさらに次は。15分ほどをかけて慎重にその動作を確認しつつ二、三回程繰り返す事で、少しだが前に進むことができるようになってきたのた。

初めての前進に、僕は興奮が抑えきれなかった。自分で行きたいところに行ける。これほど幸せなことはない。


 そして、大きな声で笑ってしまった。恥ずかしいことに、まだ感情を抑えるという事ができないのだ。


「どうしたエール、何か楽しいことでもあったかー?」


 そう笑いながら部屋を覗いたオルガさんは、笑顔で毛皮の方へと前進する僕を見て、途端に表情が一変した。思考を放棄したかのようなその顔はまるで魚のようだった。


「たっ、たたたた……大変だぁぁぁぁぁぁぁ!」


 間抜けな顔で僕の方を見ていたかと思うと、オルガさん……なんだか堅苦しいな。父さんでいいか。

父さんは、カッと目を大きく見開き、大急ぎで部屋を飛び出していった。急ぎすぎたのか、途中で足を絡ませて転倒していたが、大丈夫だろうか。


そして、母親の手を引っ張って再びやってきた。


「もうっ。あなた、引っ張らないでください」


 鼻歌を歌いながら料理中だった母さんは、突然連れてこられたせいで迷惑そうな顔を父さんに向けている。


「あれ、見てみろって!」


 僕の方を指差した父さんの言う通りに僕を見た母さんは、片手に持ったおたまを地面に落とした。


「あ、あら?」


 驚きのあまり、父さんの顔と僕を交互に見て混乱している。でも、そんな母さんよりも父さんよりも驚いているのは僕だ。まさか……夢にまで見た、自分の力で動くなんてことができるとは思わなかった。


「か、あ……」


 そしてさらに驚く事があった。一文字ずつだが、うめき声でなく自分の出したい声を出すことができたんだ。急にこんなことまでできるようになったのは、少しいいところを見せたくなってしまったからだろうか。


「あら……あらら? あなたっ、聞きました、ウチの子が母さんって……きゃーっ!」


 歓喜のあまり、父さんの首に抱きつく母さん。自分の子供の目の前でイチャイチャしないでほしい。こっちもどうしていいのやら、わからなくなる。


「お、落ち着けって」


「しあわせ……」


 我が子が初めて自分で動いたのに加え、言葉を発した事による嬉しさのあまり、母さんはその場で倒れてしまった。父さんはそんな母さんをおんぶし、扉の向こうへと連れていった。ここまで驚いてくれると、なんだか僕も嬉しい。


 いつかは僕も父さんみたいに何かを背中に背負っていてもドッシリと歩くことができるんだろうか。

父さんはニコニコしながら、毛皮を触って笑っている僕の元へ帰ってきた。誰にでもわかるぐらい上機嫌だ。


「エール、父さんって言ってみ。と、う、さ、ん」


 引くほど笑顔で僕にそう話しかけてくる父さん。ここは期待に応えてあげたいし、発声練習としてもいい機会だ。頑張ってみよう。


「ろ、ろー」


 ……ま、まあ8ヶ月にしては上出来だろう。そんな僕の声を聞いた父さんは、僕が言葉を理解できるとわかったのか、地べたに座り僕の頭を撫でながら語りかけた。


「うーん、まだダメか……エール、お前も大きくなったら母さんのような乳を目指すんだぞ。父さん、楽しみにしてるからな」


 父さんは優しい瞳でそう言った。実の娘に対して何を言っているんだこの髭親父は……背後に立つ母さんの姿にも気付かずに。


「あら……あなた?」


「……お早いお目覚めで」


「ええ。おかげさまで」


 その時の母さんの顔を見て僕は大泣きした。

ハイライトの消えた目に貼り付けたような笑顔……筋肉隆々で男らしい父さんも、母さんの方を振り向いたきり動かない。おそらく、蛇に睨まれた蛙のように固まって動けないのだろう。


「子供に向かって、何吹き込んでるんですか?」


 僕はこの日を一生忘れないだろう。


「いや、これはだな……」


 初めて毛皮を触った日。


「それに、料理してる間見ておいてくださいってお願いしましたよね? なに隙を見て鍛冶に戻ってるんです」


 初めて思ったことを喋った日。


「だから、えーっと……その、ごめんなさ……いやぁぁぁぁぁぁ!」


 そして――――初めて己の力で前に進んだ日を。


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