表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/21

17 夫婦の目覚め

「おい、もっとスピード出せないのか!」


 緊急事態だ。私の……オルガさんと私の娘が、書き置きを残してどこかへ出て行ってしまったのだ。

大方予想はついている、あの悪徳紋章師の噂を聞いて、そこへ向かったのだろう。エルザちゃんがいないのは、あの子のことだ、エールちゃんを一人で行かせたくなかったからだと思う。


 エールちゃんに夫も私も、全く事実を伝えられずにいた。男じゃないと、騎士になれないという事、女である彼女にはその資格が元から存在しないという事。

 なぜ伝えられなかったのか……それは、あの子の傷つく顔を見るのが嫌だったからだ。

私自身、臆病で身勝手な理由だというのもわかっていたが、先延ばしにしていればエールならいつか気づいて、ひとりでに納得してくれると思っていた。が、やはりエールちゃんもまだ十三歳の女の子。

そんな事、出来るはずも無い。

人一倍鈍い夫も、あの時のエールの悲しそうな顔を見れば、そんなことはすぐにわかっていた。

あの時の表情が見たくなかったから黙っていたのに、むしろその行為が、余計にエールを傷つける結果になってしまった。


 私は知っている。彼が、エールは少しずつ成長していってるのに、いつになっても子供の気持ちも何も理解することができていない自分に腹を立てていることに。

夫は馬車に乗るときにこう言った。これが、子供の頃ならどうだっただろうか。怒りに任せて、父親をぶん殴ってたかもしれない。エールからすれば、それくらい腹立たしい事だろう、と。

その思いが今、彼を苛立たせている。


 普段なら、エール達が出て行ったことに気づくのは朝だったのだろうが、今日はたまたま、ベッドから落ちて目覚めたのだ。私は昔からどうも寝相が悪く、よく夫をベッドから蹴り落としてしまう。


「あなた、落ち着いて。きっとあの子達なら大丈夫よ」


 馬車の中から身を乗り出して、手綱を握る商人にもっと速く走らせるよう催促するオルガさんに、後ろからビート君が起きないよう小さな声をかけた。

まだ七歳の子を家に放って行くわけにもいかず、膝に乗せて眠らせている。

普段はヤンチャな子だが、お姉ちゃんが大好きなのだろう、馬車に乗ってすぐの頃は、


『俺が姉ちゃん達を助ける!』


などと、鼻息荒く張り切っていたのだが、今となってはぐっすり眠ってしまった。助けるもなにも、エールちゃん達が危険な目に遭ってると決まったわけではないのだが、いくらエールちゃんが普段から鍛えてるとはいえ、こんな夜道を女の子二人で抜けようとするのは無茶だ。いつ何処に盗賊や魔物が出てくるかわかったものじゃない。


「あのねお客さん……無理言わないでくださいよ。馬も動物なんですから、限界ってもんがあるんですよ。それに、無理させて私の大切な商売道具に怪我されても困りますしね」


 ため息をつき、迷惑そうに目を細めてこちらを見た商人に、言葉を詰まらせた夫は、大人しく馬車の中に戻った。

彼はそこまで頭の回転も速くなく、思いつきや感情で動く人なので、商人が放った言葉に言い返す言葉が見つからなかったのだろう。


「娘さん達が心配なのはわかりますけどね、こっちの事も考えてくださいよ」


 この人からしても、馬が怪我したら死活問題。

常連ならまだしも、一度も乗せたことのない客相手で、馬に無茶させるつもりにはならないだろう。

私も急いでほしいとは思っているが、それで商人の方が気分を悪くしては、元も子もない。


「ごめんなさい……主人、ちょっと気が動転してて」


 だから、私がフォローを入れる。

夫はその内、馬車を乗っ取りかねない勢いだったので、そろそろ落ち着いてもらわないと。

娘が心配だが、今焦っても仕方がない。


「もうすぐ着きますから、旦那さんも奥さんも辛抱してくださいね」


 商人は、面倒な客を乗せたとでも言いたげな無愛想な顔をしていた。少し気まずさの残ったまま、馬車は夜道を駆け抜けていった。


 小屋の前に到着するとすぐに、夫は料金を払って、出て行ってしまった。


急いでるのでお釣りは要らないということを私が伝えると、途端に商人は機嫌をよくしたのか急に愛想を振りまいて、


「またご贔屓に!」


 と言い、ニコニコと作り笑顔になりながら、手を振って私達を送り出した。笑顔を無愛想な顔に貼り付けただけのような表情は、感情こもっていないのがよくわかる。潔いほど現金な人だ。






「ここに、13歳くらいの女の子が二人来ませんでしたか?」


 今すぐにでも暴れそうな旦那には、小屋の外で待機してもらい、私が小屋の持ち主に話を聞きに行くことにした。噂は少し耳にしたことがある。だから少し緊張してしまう。


「二人……? 子供の三人組なら来たが、二人組は来とらんぞ」


「そ、その三人組の特徴って、教えてもらっても大丈夫でしょうか?」


「二人は、女。少し変わった髪色をしていて、純朴な身長の高い子と、気の強そうな赤い髪の……魔族と言っておったかな。男の方は興味も湧かんかったから覚えとらんわい」


 黒髪の素直な子と赤い髪の魔族な子……もう一人、男の子が誰だかはわからないけど、間違いない。

エールちゃんとエルザちゃんだ。


「その子達がどこに行ったかわかりませんか! 私の子なんです!」


 私の食いつきに驚いたのか、少したじろぐ老人。一分一秒でも早く、あの子たちの元へ向かわないと。


「知ってるといえば知っておるが……少し、条件がある」


 老人はニヤリと笑い、私にそう伝えた。


「条件、というのは?」


 エールちゃん達を助けるためだ。不可能でない限り、できるだけその条件を飲もうと思う。


「それは――」






「この洞窟の中に、エール達がいるんだな」


 ビートを老人に預け、洞窟の入り口までたどり着いた私達は、迷うことなく洞窟の中へと足を進めていった。

やはり子供三人で、こんな所に来るのは無茶だ。無事であることを祈って、先に進むしかない。


 しばらくの間、エールちゃん達も見つからず何も起こらないまま、沈黙が続くような気まずい空気で奥へ奥へと進んで行った。夫の速歩きについていくには小走りじゃないと間に合わないため、自然と夫の後ろについて歩くことになっている。

大空洞に着いた時、ずっと落ち込んでいる夫を見ていられなくなり、つい話しかけてしまった。


「だ、大丈夫よあなた。あの子たちなら……」


 確証は無いし、私も不安だけど、夫にも自分にもそう言い聞かせないと頭がおかしくなりそうだ。

エールちゃんは、大丈夫だろうか。

あの子は真面目で、どこに嫁に出しても恥ずかしくないほどよく出来た娘なのだけど、純粋すぎるところと、過剰に身の危険を怖がるところがある。昔は好奇心旺盛で、目に入るもの全てをペタペタ触ろうとしていて、動物に反撃された時は大泣きして私の方へ駆け寄ってきたものだ。


 そんなエールちゃんがエルザちゃんもついてるとはいえ、家を出て行ったという置き手紙を見たときは、目眩がして倒れそうだった。


 エルザちゃんは、エールとは対照的に、最初は人を疑って入り、エールや私たちにしか気を許さない。雰囲気もどこか大人びていて刺々しいところがあるが、根が優しいところは、エールと変わらない。


今回も、エールちゃんを放って行けなかったのだろう。エールちゃん一人ではなく、エルザちゃんがついているというのは心強いが、上級魔族と言ってもまだ子供。成熟した魔物相手では、勝てるとは言い切れない。


「……ティア――」


 私の言葉に少し冷静になったのか、ふうっと一つ息を吐いた夫は、私に何か言おうとした。夫の柔らかい表情に少しドキッとしてしまう。


「――ギィーッ!」


 しかし、そんな夫の背後から襲いかかる魔物を私は見逃さなかった。


「あなたっ、危ない!」


 魔法の詠唱を省略し、家から持ってきた杖から氷の小さな塊を飛ばす。省略したので、威力は大したことないが、ゴブリン一匹を倒すには十分だろう。

氷の塊が頰に直撃したゴブリンは、その衝撃のままに洞窟の壁に叩きつけられた。

思ったよりも氷塊が小さかったせいか、倒すには至らなかったが無力化する事は出来た。


「まだ来ます!」


 続いて、気をぬく間も無く三匹のゴブリンが私達に襲いかかってきた。


「くっ、なんでこんな洞窟の奥にゴブリンが……この、邪魔だ!」


 魔物相手に剣を抜いた夫は、相手に反撃する隙を与えず、一瞬で三体のゴブリンを肉塊へと変貌させた。

 ヘラヘラしていて普段は少し頼りない夫だが、こういう時は、夫の強さが本当に頼りになる。改めて惚れ直してしまう。


「あなた、気を抜きすぎですよ。悪い癖です」


「わ、悪い」


 だが、昔からこの人はすぐに油断する悪い癖がある。

今のゴブリンも、私が倒さないと気付かずに攻撃を受けていただろう。


「こんな奥にゴブリンがいるってことは、エールが危ない。急ぐぞ!」


 普段は、こんなところにゴブリンが姿をあらわすことはまずありえない。

ゴブリンは頭の悪い魔物だが、自分より格上の魔物が潜んでいそうな場所には近づかない習性があるのだ。

基本的には、洞窟の中にはゴブリンの格上の、中級以上の魔物が多い。よほど強く、知恵のある者がゴブリンの集団をまとめているのかもしれない。

これは、思ったよりも厄介な事になりそうだ。


「くそっ、どこまであるんだこの洞窟は!」


 大空洞を超えたあたりから光が届かなくなり、急に暗くなったが、そこは持参した松明の出番だ。





 そこから、足場の悪い洞窟を走っていると、先の角からエールちゃんの救難信号ともとれる、苦しそうな喘ぎ声が聞こえてきた。


 二人が無事だった事への安堵の気持ちと、この角の先でエールちゃん達がどんな目にあっているのかという不安の気持ちが入り混じっている。


「っ……エール!」


 夫とともに、急いで角を曲がると、そこには衝撃の光景が広がっていた。

夫は真っ先にゴブリンを倒すために剣を抜き、私は子供達の治療のための詠唱を始めた。


  その凄惨な光景を前に、夫は冷静さを失い怒りを爆発させていた。

何匹いるのだろうか、いたぶられているエールちゃんたちを見るギャラリーのようなゴブリンまでいるではないか。


 疲労しきっているのか、虚ろな目で抵抗することもせず複数のゴブリンにされるがままにいたぶられているエールちゃん。一匹は馬乗りになり、エールちゃんの口に無理やり棍棒をねじこもうとぐりぐり押し付ける。

一見地味だが、ゴブリン特有の行動であるこれは、異物を押し返そうとする喉と押し付けられる棍棒によって吐き気を伴い、なかなかの辛さらしく、この世界ではゴブリンからヒントを得て人間の拷問でもよく使われている手法だ。

また一匹は、がら空きの腹部めがけて幾度となく棍棒を振り下ろしている。私にまで、振り下ろされた時の鈍い音が聞こえるということは、なかなかの強さで叩きつけているのだろう。服を破かれたのだろうか、半裸のエールちゃんの顔や腕には痛々しい痣や傷がいくつもできていて、ここでなにがあったかを物語っているようだった。


ゴブリンの中でも弱い方であろう体の小さな個体に、あれだけ他人に触らせていない自らの尻尾を掴むことを許し、その尻尾で首を思い切り絞められているエルザちゃん。

うつ伏せのまま未だに暴れようとするエルザちゃんの頭を両手を使っ無造作に地面に押さえつけるゴブリンと、足に乗っかりそれを封じるゴブリン。押さえつけた綺麗な赤髪は、ゴブリン達に踏まれたのかボサボサになっている。

そして、エルザちゃんの尻尾をぐいぐいと無理やり引っ張りながら首に巻きつけ、押さえつけた頭とは逆方向に尻尾を持ったまま倒れようとする。

すると、エルザちゃんの首がキュッと締まり、また苦しそうな声を上げるのだ。

そんな様子を見てギャラリーからはギーギーと歓声のようなものが鳴り響いていた。

力こそ残っていないのか、抵抗らしい抵抗は見せていないが、自分の尻尾を掴んでいるゴブリンを憎悪の目で睨んでいる。


もう一人の男の子は、意識が朦朧としてるのか、膝をついたまま動けないでいる。

武器なのであろう弓は二つに折れ、左腕からは血が流れている。ゴブリンは戦闘不能と判断したのか、彼の元へは誰も近寄らない。

三人の中では一番年長……になるのかしら。今の現状を見て、悔しそうに地面を右手の拳で弱々しく殴っていた。


 そして、今のエールちゃん達の状態を見て、様々な感情を渦巻かせていた私の心をさらに上書きするような光景が、そのさらに奥には広がっていた。


「あ、あなた」


 エールちゃん達を挟んだ奥にある、異質な空間。私は夫を指でつつき、その手でそちらを指差した。


「……なんだよ、あれ」


 さっきまで怒っていたはずの夫も、その光景を見て呆然とせずにはいられなかった。





――それは血だった。

洞窟の奥では、赤いバンダナを巻いたオーガのような大きな魔物が、床の岩盤を突き破って生えているような無数の長剣で貫かれ息絶えていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ