19回目
思えば短い人生だった。生まれてすぐ点滴生活が始まって……桜の木が19回咲く前に僕はその人生に幕を閉じた。死んだはずなのにまだ実感が湧かない。もう少しで死ぬってことが予想できていたからだろうか。近く死に怯えていた僕だったが、いざ経験してみると案外あっけないものだ。これなら点滴の針を刺すときのほうがよっぽど苦しかったな。……もう少し経てば、自然と悲しくなるのだろうか。せめて死ぬ前に、一度でいいから両親に何かしてやりたかったな。
そんな事を考えていた僕はあることに気づいた。
"まだ死についての感想を述べられるほどの意識があること、"開こうと思えばこの永遠に開かないはずの目を開けること"に気がついた。
僕は死んだんじゃ……いや、確かに両親に看取られながら死んだはずだ。
――怖い。死ぬ直前とはまた別の怖さだ。この目を開ければ、そこには地獄が広がっているんじゃないかとさえ想像してしまう。命が尽きたその後なんて、どんなに偉い学者でさえわからない。この目を開いた先には、何が起こっても不思議ではないのだ。とはいえ、このまま目を閉じたままでいるのも怖い。
恐る恐る目を開いていくと、そこには病院にも地獄にも見えない、茶色の綺麗な木目天井が広がっていた。
僕は驚いた。死んだはずなのに、再び開いた目に。初めて見る、病院以外の天井に。そして何より――
――手足の感覚があるのだ。
驚きすぎて何も感想が出なかった。
動くのだ。手先から足の先まで。
まだ手足動かせるほどの筋肉が無いからなのか、完全ではないけど確かに動いているんだ。
ベッドの少しひんやりとした冷たさ……指同士が触れ合った時の体温。その全てが、僕の手足を通して伝わってくる。
その事実に感動していると、目から涙が溢れ出してきた。そして、声を出して大泣きした。
なぜだか、感情のコントロールができないのだ。泣き止むことができず、泣き続けていると部屋の奥の方から女の人がこちらに向かってきた。
くるんと三日月のようにカーブした特徴的な前髪をした綺麗な腰あたりまで伸びた金髪に、日本人にはありえない優しげな深い蒼色の瞳。そして何よりも目を引くのが、大きな胸。
おっとりとした雰囲気を醸し出している彼女は、げっそりと痩せこけた僕と比べると、同じ人類とは思えないほど美しい。
そして……どことなく母さんに似た雰囲気を感じる。
「エールちゃん、大丈夫ですよー……お母さんはここにいますよ」
その女性は僕を軽々と抱き上げ、あやすように軽く揺らした。いや、そりゃあ僕だって病気でガリガリだったけど、女の人にこんな軽々と持ち上げられると少しへこみそうだ。
後、僕は歩だ。そんな外国人みたいな名前じゃない。
しかし、その女の人に抱えられていると不思議と涙がピタリと止まったのだ。
それどころか、なんだかとても満たされた幸せな気持ちになる。人の体温を顔以外で感じるのは初めてなので、とても新鮮だ。そして、恥ずかしながらも女の人にあやされ泣き止んだ僕は、自然と笑顔になっていた。この人に抱かれると、こんな訳のわからない状況でも何故だか安心できる……心地良い、と言った方がよさそうだ。
「うーん、やっぱりティアの方がいいのかな。俺が抱っこしても大泣きされるのに」
「もう、あなたったら……そんな事ないですよ」
頭をかきながらこちらへやってきたのは、黒いボサボサの髪に無精髭を蓄えた、とてもたくましい肉体を持った男性だった。
彼は、女の人に抱えられた僕を覗き込んだ。
ガリガリで、まるで枝のようだった僕にとって、彼のような体は羨ましい限りだ。見た目はちょっと苦手だけど。そして彼はあの美しい女性をティアと呼んだ。女性も彼をあなた、と呼んでることから夫婦……ということでいいのかな? そうだとしたら、少々不釣り合いに見える。
「あ、そうだ。エールに見せてやりたいもんがあるんだ」
そういうと、彼は一度部屋の奥へと引っ込んでいった。騒がしい人だ。
それにしても、どうして急に手足が動くようになったんだろう。十八年動かなかったものが急に動くなんて聞いたことがない。
それとも、これは夢……?
そして数分後、先程の男性が物騒な物をもって帰ってきた。
「じゃーん、どうだエール!」
男性が持ってきたのは、綺麗な銀色をした細身の剣だった。無駄な装飾がされておらず、シンプルでカッコいい、と思う。
でもこれって銃刀法違反なんじゃ……学校には行ってなかったけど、父さんに教えてもらったことがある。日本では刃物を法律で禁止されているんだ。
「父さんが作ったんだぞ。カッコいいだろ 、スゴいだろー」
彼が作ったらしいその剣の表面は綺麗に磨かれ、鏡のように周りの景色をそのまま映し出している。
そしてその剣は、ティアと呼ばれた女性の顔を映し、胸を映し、そして……僕の顔を映した。
「あなたっ。そんな危険な物をこの子に近づけないでください!」
剣から僕を守るように背を向けたティアに怒られた男は『す、すまん』と、謝り剣を下げた。どうやら、嫁には逆らえないみたいだ。
この時、再び僕は驚くことになった。
もう剣は下げられてしまったけど、僕ははっきりと見たんだ。
その剣に映った僕の顔は別人のように幼く、ふっくらとしていた。
――そう、僕は赤ちゃんになっていたんだ。