16 異変
忙しくてなかなか更新できませんでした……ごめんなさい
魔道具の灯りを頼りに、洞窟の奥へと足を進めていく。すると、天井が徐々に高くなっていき、やがて大空洞に辿り着いた。
その想像以上の広さに、エルザが驚嘆の声を上げると、その声が洞窟内に反響した。
僕達は、そんなスケールの大きな洞窟に、しばらく歩くことを忘れるくらい呆気に取られ、ただただ洞窟を見回していた。
「ふー。ここは臭いがちょっとマシだね」
慣れっていうのは怖いもので、最初はカビ臭さが気持ち悪かったのだが、だんだんクセになってくる。こういうと、なんだか変態みたいだな。
今のところ特に危険な目にもあっていないのだが、それと比例するように、一向に宝も見つからない。
「暑い……」
それに、ここの洞窟はとにかく暑く、三人がずっと不安定な足場を歩いていて汗をかいているというのもあるが、洞窟内は風があまり吹いていない上、湿度がものすごいのだ。
別に魔物も出ないし、ちょっとくらい薄着になってもいいよね。
「エール……さっきもそうだが、お前は異性に対する意識が低すぎると思うぞ」
上を脱ごうと服に手をかけた時、僕から顔を背けてテルはそう言った。目は明後日の方向を見ており、こちらを一切見ようとしない。
「へ?」
「へ? じゃねえだろ。服脱ぐなって言ってるんだよ」
「大丈夫。ちゃんと下に布巻いてるから」
僕は、きっちりとしたボタン付きのシャツの下に、布を巻いている。サラシ、なのかな?
まあ平たく言えば、汗を吸収してもらうためのインナーだ。そんなに胸も出てないし、別に透けない為につけているわけではない。
「あのねエール、そういう問題じゃないの。ちゃんと女の子っていう自覚を持ちなさい」
そんな理由によって、再び服を着せられたわけだけど……自覚って言われても……病院では着替えも一人じゃできなかったから、裸を見られても少し恥ずかしい程度で、他人に見られるのが当たり前だった。
だからかな、見られること自体はそこまで恥ずかしくない。触られるのはちょっと嫌だけどね。
口うるさくガミガミ言うエルザの話を聞くのが億劫になった僕は、怠そうに顔を下に向けた。
「もう、別にいいだろ。そもそも――」
それでも僕に説教垂れるエルザに、一言言おうと顔を上げたその時――
――僕の顔の横を何かが掠めていった。嫌な冷や汗が僕の頬を伝う。
瞬時にエルザが叩き落とした、木を粗く削ったような雑な作りで、白い塗料によって少しだけ色を塗られていたそれはどこか見覚えのあるものだった。
「ブーメラン……?」
正確にはブーメランに似た何かだ。
それは、くの字型に曲がってはいるが、形もいびつでお世辞にもブーメランとは呼びにくいものなのだ。
論理的に飛行しているのではなく、肩力で無理やり飛ばしてるような、少なくとも人間が作ればこうはならない。
そして、やはりこんなものを一度、僕は見たことがある。
テルが身構えるのを見て、僕も体に力を入れる。普段から狩りをしているテルは、やはり弓の構え方も様になっているように見える。もちろん、僕とは体格も違うから当然かもしれないけど。
灯りさえも届かない暗闇の向こうからペタペタと足音が聞こえる。足音の数は多く、相手は一人ではないだろう。
緑の足に小さな体……下品な笑い声。
ゴブリンだ。ゴブリン達は、激しく動く麻袋を数人がかりで担ぎ上げている。中に凶暴な動物でも入っているのだろうか。
そんなゴブリン達は、一匹のゴブリンの指揮で動いていた。ボロボロの赤布を頭に巻き、体は他のゴブリンよりも一回り大きい、一目でリーダーとわかる見た目をしている。
「おいおい、魔物かよ……! しかもなんて数だ」
テルは普段から狩りをしているといっても、それはあくまで動物の話。魔物に武器を構えるのは初めてだそうだ。
動物と魔物とでは戦闘能力が雲泥の差で、動物の中で上位に入る虎でも、魔物相手では相手にもならない。
想像してたより多かったのだろうか、魔物の群れを見て心なしかテルが動揺してるようにも見えた。
「……ねえエール。あいつ、なんか見覚えない?」
エルザが羽を広げ、臨戦態勢に入りながら僕にそう言った。羽を広げないと、全力が出せないらしい。
確かに、あの赤バンダナには見覚えがある。というか、忘れもしないだろう。僕とエルザの出会いのきっかけを作ってくれた……もとい、勝手に作った憎きゴブリンだ。
てっきり、あの時助けてくれた騎士の手で葬られたものだと思ってたのだが……片目の視力失っているのか、左目だけ黒目の部分が無い。
臨戦態勢に入り、身構えていると向こうもこちらに気づいたようで、歩みを止めた。
「おいおい、人間がこんな洞窟に何の用だ?」
「……喋れるのか?」
相手に言葉が通じるとわかると、テルは一瞬構えを緩め、どうにかこの場をやり過ごそうと、対話を試みた。
「何かと便利なんだ。勉強したさ」
テルも僕もこの時、もしかしたら、ちゃんと話せば話の通じる相手かもしれないと少し思い始めていた。昔さらわれたときは、子供だったから話を取り合ってくれなかったのかもしれない、と。
「そっちは何しに来た? ここは危険だ、一般の人間が立ち入っていいような場所じゃねえ」
ゴブリンは僕達を怪しむように見つめる。
「この洞窟に宝があるって聞いたんでな。それを貰いに来たんだよ」
まあ、これも根も葉もない噂話なんだけどね。今の僕達が紋章を手に入れるためには藁にもすがる思いで働くしかない。
「宝ぁ? そんなもん、ここには無いぜ」
「なら、その麻袋の中には何が入っている?」
「こいつか? これはそんな大したもんじゃない。俺たちに楯突こうとした悪い魔物ちゃんを捕獲しただけだ」
ゴブリンのような下級の魔物でも、集団になれば数ランク上の魔物を倒すことができたりすることがある。所詮はゴブリン、されどゴブリンというわけだ。
「こいつには、俺たちの資金になってもらうつもりだ」
「……捕まえたからには、売るってわけか?」
「まあそういうことだ。高く売れそうだしな」
穏和に話も続き、なんとかこの場をしのげると思っていた矢先、事件は起こった。
「お前は……あの時の!」
突然、僕の横にいたはずのエルザは、そう言って羽を広げ、鋭い爪でゴブリンに襲いかかったのだ。
赤バンダナのゴブリンの喉めがけて一直線に襲いかかったのだが、その一撃は間一髪のところで避けられてしまい、その後ろにいた手下のゴブリン一人を切り裂いた。
魔物の返り血で、エルザの服が赤く染まる。
「エルザ、やめろ!」
テルはエルザに制止の声を投げかけた。
「不意打ちだったつもりなんだけど……外したみたいね」
悔しそうに自分の爪を見るエルザ。やはり、あの爪の切れ味には恐ろしいものがある。
「エルザ、落ち着いて!」
「エールも忘れたわけじゃないでしょ……? 子供を売買して生活してるような奴、二回も見過ごせるわけないじゃない!」
あの時はエルザも僕も、まだ小さかった。だから、相手が悪人だとわかってても逃げることしか選択肢が無かったのだ。
エルザはずっとその事を悔やんでおり、たまに、思い出したかのように僕に愚痴るようにあの時の事を話すのだ。
「その羽は……」
リーダーゴブリンは、運んでいた麻袋を乱雑に地面に捨てた。中からは何かうめき声のような音が聞こえたが、何が入っているんだろう。
ゴブリンは、エルザの羽を見た途端、ニヤリと笑みを浮かべ、再び話し始めた。
「そうか、思い出したぜ……その赤髪と変な髪色の」
「へ、変な髪色ってなんだよ!」
僕がそれなりに気にしてることの一つが髪色で、いつになっても周りからの頭への視線を気にしてしまう。
いつも、ビートの綺麗な金髪を見ると羨ましくなる。……って、こんな事考えてる場合じゃなかった。
「この片目、あの時の傷で見えなくなったんだぜ。そりゃあもう不便で不便で……」
傷ついた目を手で触りながらゴブリンはそう語った。体の一部が不自由なのは、とても辛いことだ。辛さを知っているだけに、少し同情してしまいそうになる。
「なのに、お前らはどこ一つ欠けてないなんて……不公平だよなぁ」
「な、何さ。アンタがアタシ達をさらおうとするからいけないんでしょ。自業自得よ!」
ゴブリンの集団にビシッと指を指すエルザ。
言われてみれば確かにそうだ。あの時、僕達をさらわなければ、あの騎士にも会わなかったし、片目を失うこともなかった。
逆恨みってやつだね……一瞬でも同情しそうになった自分を殴りたい。
「あの時は下級悪魔だと思ってたんだが……まさかデーモンの子だったとは。厄介だな」
デーモンは、悪魔系魔族では上位に入る種族で、下位から上位になるにつれて、羽も大きくなっていく。
やはりデーモンというのは、下級魔族にとっては恐ろしいもので、普通なら一対一で敵うはずもない相手なのだ。
正直今の僕やテルでは、エルザと戦って勝てるかどうかはわからない。
「俺の目と部下の仇だ……四肢全てもぎ取ってやる。行くぞお前ら!」
リーダーがそう合図すると、その後ろに控えていたゴブリンが七体、こちらを見て気味の悪い笑みを浮かべている。
勝てるという自信からだろうか、何も考えていないのか、七体のうち三体のゴブリンが一直線に武器を構えて突っ込んできた。
「くそっ、話の通じる奴だと思ったのに……所詮はゴブリンだったみたいだな!」
テルはそう言いながら弓矢を放ち、早々に真ん中の一体の胸を射抜いた。
普段狩りをしているテルは、やはり魔物が相手でもそこまで緊張を感じさせなかった。
「ふぅ……案外やれるもんだな」
両脇にいた二匹のゴブリンは一瞬ひるんだ後、エルザと僕の顔を見比べ、僕の方へと突っ込んできた。僕の方が弱いと踏んだのだろう。
僕の武器が木刀というのと、さっきのエルザを見ているというのもあるかもしれないが、やはり舐められるのはいい気がしない。
緊張で硬くなる体に刺激を入れ、ゴブリンの攻撃に備える。
「冷静に、冷静に……」
父さんとの練習で、いつも言われていることだ。
戦いは、冷静さを失った方が負ける。相手の動きを良く見て、落ち着いて動きを判断するのが大切なんだ。
相手の動きを見たとき、僕には倒せるという確信が湧いた。
頭の悪い魔物だからなのか、それとも、それほど自分の実力に自信があるのか、動きが単調すぎる。
ゴブリンの棍棒を寸前までひきつけてから避け、横に回ってから足をかける。そんなに一直線に突っ込んでは、その勢いを殺しきれないだろう。
足をかけられたゴブリンは、僕の行動を予想してなかったのか、頭から派手に転んだ。下がゴツゴツした地面だけに、とても痛そうだ。
「このっ!」
転んだゴブリンの頭に、すかさず木刀で追い討ちをかける。頭から鈍い音がし、ゴブリンは小さな断末魔の声をあげた後、動かなくなった。頭を殴った時の初めての感触に、なんとも言えない気味悪さを感じた僕は、一瞬体が強張ってしまい、木刀を落としてしまった。
「おい、エール!」
テルが叫んだ時、その瞬間を見逃さまいと、もう一匹のゴブリンが僕に飛びかかってきた。
木刀を拾う余裕が無かった僕は、少しのダメージを我慢して腕で身を守った。
が、僕に襲いかかっていたゴブリンは、横から割り込んできたテルの弓矢で頭を貫かれ、ピクリとも動かなくなった。
「ったく、何してるんだ。しっかりしろ!」
テルは素早く木刀を拾い、僕の方へ投げた。一瞬の判断が勝敗を分ける中で、こんなミスをしてしまうのは、僕が経験未熟だからだろうか。テルだけでなく、エルザも小さい頃から、魔物は無理でも動物はちょっとだけ狩ってたらしいし……足を引っ張って申し訳ない。
「ほお……ちょっとはやるみたいだな」
リーダーゴブリンは少し驚いたような顔をしてこちらを見た。
「これでも狩りが生業なんでな」
テルが答えるようにそう言う。二人の間にしばらくの間緊迫した空気が流れたあと、リーダーのゴブリンが構えを解き、僕たちを見て鼻で笑った。
「俺もそろそろ本気を出すとしようか……」
ゴブリンは、見るからに不衛生そうなバンダナの中から、赤い腕輪を取り出した。
「……こいつは知能のある魔物の間で流行ってるもんだ。一度使えばもう二度と元には戻れないけどな」
赤い腕輪を腕につけながら、ゴブリンは淡々と語る。
なんだろう、とても嫌な予感がする。
「元に戻る……何言ってるのよ?」
エルザは警戒し、一歩後ろに下がった。
「――エルザ、そいつに腕輪をつけさせるな!」
テルがそう叫んだ時には、もう遅かった。
「グオオオオオオオオオ!!!!!!!」
突然、リーダーゴブリンが大声で叫びだす。
顔には血管が浮き出てきており、瞳孔が開ききった両目からは、少し血が流れている。
周りの部下も何が起こったのかわからず、うろたえている。
「ひ……ヒヒ……ひ」
腕輪が、完全に腕に装着された時、なにやらゴブリンの様子がおかしくなり始めたのだ。
両目はそれぞれ別の方向を向いており、口からは涎が垂れてきている。
第一の変化が訪れたと思うと、次はゴブリンの筋肉が肥大化していっている事に気がついた。
元の姿とはかけ離れ……そう、それはまるで、もっと格上の魔物であるオークに匹敵するか、それよりも勝る体格の化け物へと変貌を遂げていたのだ。
変貌を遂げたゴブリンは、理性を失ったのか、あれほど大切にしていた残りの部下のゴブリンにも襲いかかった。
部下のゴブリンは、リーダーの突然の変貌の前に、何もできないでいる。
原型を失ったゴブリンがなす術もない同族に襲いかかり、見るも無惨な肉塊に変えていく光景はまさに地獄絵図。恐ろしい事この上なかった。
「なに、あれ」
僕は、目の前で起こった出来事を理解できず、ただただ、木刀を持つ右手の震えを左の手で抑えていた。
情けないけど、やはりいざ魔物と相対するとなると、手が震えてしまう。緊張からくる震えなのか、恐怖からくる震えなのか……僕にはわからない。
「グブッ……グ……」
体をビクビクと痙攣させながらゆっくりとゴブリンが近づいてくる。
「エール、エルザ、構えろ……来るぞ!」
テルの大声と共に、僕達が臨戦態勢をとると、ゴブリンはそれに応えるように歩みを速めた。
三対一なら……倒すとまではいかなくても、撃退くらいなら出来るはずだ。
恐怖を心の中に押し込め、僕は再び木刀を強く握り直した。




