15 魔道具
洞窟に入ると、自然溢れる鮮やかな外の世界とは対照的に、冷たい色で形成された無機質な世界が広がっていた。足元はゴツゴツとしたいびつな石で形成されており、上から垂れてくる水滴のせいもあって、少しでも人に押されると転んでしまいそうなくらいだ。
「うぅ、カビ臭い」
「まったくよ。アタシの羽がカビ臭くなっちゃうじゃない」
普段は羽を隠しているエルザも、すでに魔族であることを知られている人しかいないためか、のびのびと羽を露出している。
本当の自分の姿を隠して、人間の世界で生きていくというのは、とても窮屈だと思うし、大変なことだと思う。心では不満を感じているかもしれないけど、それでも文句の一つも外に漏らさないのが、エルザの凄いところだ。
……ちなみに、エルザは近頃尻尾を他人に見せることを恥じらうようになり、滅多に外に出さなくなった。
成人したデーモン族にとって尻尾は、最も他人に見せることに抵抗がある部位らしい。
なんでも、大人になるにつれて生涯を共にすると誓った相手にしか見せないようになるとか。
見知らぬ男が尻尾に触ろうものなら八つ裂きにされてしまうだろう。
「我慢しろ。こんなところで弱音吐いてたらどうにもなんねえぞ」
外に比べると、空気は比べられないほどこもっている。こんなこもった空気は、病院にいた頃を思い出す……あそこの匂いや空気はとても嫌いだった。
ただ一つだけ違うところは、病院に比べるとこの洞窟はカビ臭いという点だ。
「あっ、いい所があるじゃない! ちょっと休憩しましょ」
エルザが小走りで向かって行った先には、大きな石の隙間に小さな石を敷き詰める事で平らに整地されており、木製の椅子が二つと机が一つ設置されていた。二つとも手作り感満載で、所々に手荒く打ち付けた釘が飛び出している。
これは、先人達が作ったベースキャンプだろう。
ここまでの道は、日の光が少しだけ入ってきてたので全体的にほんのり明るかったが、ここから先は真っ暗で何も見えない。
いい拠点だとは思うけど……こういう自然環境には似合わない不自然な人工物を見ると色々と勘ぐってしまう。
「この拠点を作った人って……ちゃんと生きて帰れたのかな」
「馬鹿、不気味な事言うんじゃないわよ」
うげっ、とエルザは気味悪そうな顔をし、すぐにそこから離れた。
エルザは不気味だと言ったけど、その可能性がまったくないわけでは無い。むしろ、これまで宝を見つけた人はいないのだから、その可能性の方が高いかもしれない。
「ま、その人らの安否はわからないけど、折角こんなのがあるんだし有効活用させてもらおうぜ」
「……そうだね。このキャンプを作った人が生きていたとしても、僕達からしたら競争相手だしね。遠慮する必要は無い、か」
もしこの洞窟の先客がいたとしても、彼らはきっと僕たちより深いところにいるはずだ。ということは、しばらくはここの拠点には帰ってこないはず。遠慮なく使わせてもらうことにしよう。
「……エールってたまに黒くなるよな」
「えっ、嘘」
最初に言い出したのはテルじゃないか……僕だけにそうやって責任を押し付けるのは良くないと思う。
「でも、ここの拠点を借りるにしても、椅子二つしかないみたいだよ」
恐らく、先人は二人組だったのだろう。雑な作りの椅子は二つしかない。
何気ない一言だったのだが、この僕の発言が面倒な事を引き起こすことになる。
「……テルカ、アンタ男でしょ?」
「ああ」
「なら、わかるわね?」
ニコッと作り笑いを浮かべ、テルに詰め寄る。
「断る」
が、テルはあっさりと要求をはねのけた。これからしばらくは探検することになるのに、無駄に疲労を溜めたく無いのだろう。僕も同じだ。
「ケチ。甲斐性なし」
「そっちがその羽で飛べばいいじゃねえか。そっちの方が疲れなさそうだし」
「はぁ? 飛んでる間は疲れないと思ったら大間違いよ。どれだけ筋肉使うと思ってるのよ。これだから何も知らないバカとは話にならないわ……言っとくけど、ちゃんと飛べるんだからね!」
「……はっ」
「このっ……バカ! 」
「なんだとチビ!」
5歳児の口喧嘩かと思うでしょ? これが15歳の少年と13歳の少女の口喧嘩なんだよね。テルも2歳年下相手に何やってるんだか。
日本の言葉で、喧嘩するほど仲がいいという言葉があった。この二人も本当は仲が良かったりして。
「なら二人が座るっていうのはどうかな? 僕は立ってるくらい平気――」
「――駄目よ。エールはしっかり休憩しなくっちゃ」
ならどうすればいいんだ。
「……あっ、そうだわ!」
僕が頭を抱えていると、エルザが何かを閃いたみたいだ。エルザには悪いけど、こういう時のエルザの閃きは大体ロクなもんじゃない事を僕は知っている。
――ただいま休憩中――
あんなに言い争っていたのに、決まるときはパッと決まるものだよね。
結果から言うと、テルが僕の向かい側に座ることになった。何かを見つけたのか、キャンプに置いてあったボロボロの木箱を机の上に置き、夢中でガサガサと木箱の中身を漁っている。
そしてエルザはどこに行ったかって話だけど……彼女は僕の"下"にいる。やはり、エルザの考えはロクなものじゃなかった。
「うぅ、恥ずかしいよエルザ」
そう、僕はエルザの膝に乗せられている。本当に意味がわからない。
「いいじゃない。これが一番の平和的解決なのよ」
身長で言えば、僕の方がエルザよりもだいぶ高いのだ。エルザは155cmあるかないかくらいの身長で、170近い僕からすればとても小さい。……まあ、大体の13歳の女の子は僕より小さいんだろうけど。ちなみに、テルは流石男の子という感じで、僕よりもさらに6、7cm大きい。
「13歳にもなってこんなの……っ」
まあそれは置いとくとして、自分より小さい人の膝に乗せられてるという事は、僕にとってなかなかの恥辱なのだ。
それに精神的には男だし……なんだか、情けない気持ちになってしまう。こういうのは、男が女の子にしてあげるものなんじゃないのかな?
エルザ、絶対テルカの方見えてないよ。僕の背中に顔埋まってるもん。
「おーい、女同士で盛り上がってるとこ悪いが、二人に朗報がある」
そう言うと、テルは木箱の中から大量の木の棒を取り出した。別に盛り上がってないし。
「……? ただの木の棒じゃない」
エルザは木の棒を手に取り、ツンツンと爪でそれをつついたり、ブンブンと振ってみた後、再び机に木の棒を置いてそう言った。
「わかってないな。これは照明代わりになるだろって事だよ」
松明として木の棒を利用しようという事だ。
「あー、なるほどね。アンタにしては中々良いこと言うじゃない」
「一言余計なんだよ……こほん、それはともかく、これがあれば探検が相当楽になるはずだ!」
「火……は?」
テルの事だから、何か火を起こす手段を見つけてるとは思うけど、一応聞いてみる。
「……」
「テル?」
「……」
「ねえったら。何か手段があるんでしょ?」
僕が尋ねると、テルは小さく首を横に振った。
……火が無ければ木は燃えないという、一番肝心な事をすっかり忘れていたようだ。
「ふふん、二人ともまだまだね」
顔は見えないけど、僕の背中の後ろから明らかに自信満々な声が聞こえる。何だか背中にエルザの声が振動してくすぐったいな。
「――アタシがいるじゃない!」
そう言いながら、僕の脇の下からすぽっと顔を出したエルザは、僕が今まで見たことないほどの完璧な勝ち誇った顔をテルに送っていた。
「実はアタシ、ちょっとだけなら火を吹けるのよ!」
ここでエルザお得意の会心のドヤ顔が決まった。冒険と聞いてワクワクしているのか、クールな大人になろうと奮闘しているエルザにしては珍しくテンションが高い。久々の外出だし、仕方ないのかもしれないけど。
「……あ、木箱の中に火種あった」
「え、ちょっと」
エルザの話に微塵も興味なさそうなテルカは、エルザのことそっちのけで、木箱の一番奥に眠っていた小さな黒い紙を取り出した。
「これは"魔道具"の一つだ。一度、市場の店で見たことがある」
「あ、僕それ知ってるよ! ホンモノは見たことないから聞いただけなんだけど、父さんに教えてもらった」
――一昔前、紋章を持たない人の日常生活は、紋章所持者に比べると、不便極まりない物だった。
所持者ならば、男は戦闘職に就く事で、高い水準で安定した収入を得るができる。テルはこれを目指して、ここにやってきた。
女は、適性があれば簡単に物を燃やすための火を起こすことも出来るし、生活の必需品である水を井戸から汲み上げなくとも、作り出すことが出来る。
風属性ならば、物を乾燥させる時間を短縮できる上、掃除も手短になる。地属性ならば、上手く操ることで地面の整地や開拓が簡単に終わる。
紋章を持たない場合、火を起こすのも、水を汲むのも一苦労なのだ。
そんな紋章を持たない人達への救済処置として、国は簡単な術式が埋め込まれていて、誰にでも使える道具を販売することにした。
それが、魔道具だ。
しかし、紋章を持たない人達への救済処置とは言ったものの、これもまた一般層や貧困層には到底手の届かない高級品であり、その上効果を発揮してから一日しか効力が持たない。
そういった理由もあって、平等性を取り戻す為の救済処置として開発されたものの、救済処置としてあまり機能してない事が世間では問題視されている。
ちゃんと説明できた。えへん。
「ね、ねえ。無視しないで――」
「――で、それはどんな効果なの?」
「確かこれはな……」
テルは机の上に置いていた棒と魔道具を手に取り立ち上がったと思うと、魔道具の紙に貼られた、さらに小さな赤い紙を剥がした。
「まずは、この赤い紙を剥がしてだな」
紙の上にさらに張り付けられた赤い紙を指差したテルは、僕によく見えるよう机に乗り出し、順序の説明を始めた。
これは、術式を閉じ込めておくための、言わばフタみたいな物で、これを剥がすことによってそこから効力がスタートとなる。
高級品だが、使い方はすごく単純明快なのだ。
「で、燃やしたいものに紙をあてがう。そして!」
木の棒の先端に紙を当て、そのまま素早く紙を木の棒に擦った。
すると不思議な事に、木の棒が松明として機能し始めた……つまり、火がついたのだ。
「おお、凄い!」
「だろ? 自分から消さない限り一日は燃え続けるはずだ」
木の棒が松明として機能し始めた途端、テルが手に持っていた黒い紙は塵となって消えてしまった。
高級品とはいえ、やっぱり紋章を使えない人には頼りになるアイテムだ。
「多分、俺達の前に来た人達は準備も完璧にしてきたんだろうな。俺なんて、洞窟に明かりがついてるもんだと……」
テルは苦笑いしながら頭を掻く。
「僕も。ちょっと洞窟を舐めてたかな」
てっきり、絵本で出てくるような洞窟みたいな毎日明かりが灯ってる物だと思ってたけど、よくよく考えたらそんな訳がないよね。誰が律儀にわざわざこんなとこにまで火をつけにくるんだって話になる。
「よし、そろそろ行くか。効力は一日しかない。とりあえず、火が消える前に一旦ここまでは帰ってくるぞ」
「うん。すぐに見つかるのが一番いいんだけどね」
ゴブリンなんかにあっさり掴まったあの頃の僕とは違う。武器もあるし、何より僕自身、体を鍛えて強くなった。
次ゴブリン達にあったら懲らしめてやるんだ。
「エルザ、そろそろ降りてもい――ひゃっ⁉︎」
僕が最後まで言い切る前に、僕の脇にエルザの手が伸びてきた。エルザの手はとても白く、細い指がすごく綺麗だ。そんなエルザの指が怪しく動きながら僕の脇腹を刺激してきたのだ。
「あははははは! やめっ、やめて!」
脇腹は駄目だ……僕は異常に脇腹の感度が良く、くすぐられるだけで笑いが止まらなくなる。
それに加え、エルザは僕の感じやすいポイントを僕よりも知っている。エルザにくすぐられると、力が入らなくなり、立ってられなくなる。
くすぐったいというか、もはや苦しいのだ。
「どうして無視したのか説明しなさい。じゃないとまた始めるわよ!」
「はぁっ、はぁっ……ま、魔道具にそっちのけでっ、エルザの声が聞こえなかったというか」
「ふーん、そう」
「だ、だから……その、ご、ごめ――」
魔道具に興味があったのは事実だ。前世ではああいった刺激が欠乏していたからか、魔道具や父さんの仕事を見るのが大好きで、とても心をくすぐられる。
だからこそ、事情を説明してくれれば許される。そう思っていたんだ。だが、そんな考えをしていた僕は甘かった。
「――ごめん、よく聞こえなかったわ。だから有罪ってことで」
酷い。エルザは最初から僕を許す気などなかったのだ。
「ごめっ、なひゃぃ……も……ゆ、許ひて……」
笑いすぎで息が上手く出来ない僕は、呂律の回らない声を振り絞って謝罪した。僕から出ているとは思えないほど、女の子らしい声が出たと思う。
「仕方ないわね。許してあげ……るわけないじゃない。最近アタシを蔑ろにしすぎなのよ!」
「も、もうやだぁ!」
またエルザの指が怪しく動き始めた。
「その辺にしとけ。それ以上は見てられん」
エルザの指が、最終通告と共にようやく僕の脇腹から離れた。その時のエルザがこちらを見る目は、まるで獲物を狩る猛獣のような恐ろしい目つきをしていたような気がする。
「ほら、じゃれあってないで早く行くぞ。時間も少ないし、余計な体力使ってる場合じゃないだろ?」
「大丈夫よ。そんなちんけな炎が無くても、消えたときはアタシがまた点火してあげるから」
「……どうせ失敗するんだろ」
「ほ、本当にアンタは失礼ね!」
「俺は本当のことを言ったまでだ」
「ムキー!」
「二人とも、落ち着いて。余計な体力使わないって言ったばかりでしょ!」
こんな調子で、財宝が見つけられるのだろうか……僕も紋章を解放できるんだろうか。僕はとても心配です。




