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ゼロ・グロウ ―煌めきの欠片―  作者: 星渡 星吾
1-1約束の足音、魔女は城へと向かう
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09 無垢な犠牲者と、風の祈り


「……その子は。その娘は今、……どうしておる」


国王は、喉の奥に焦げ付いた塊を無理やり吐き出すような、震える声でようやくそれだけを問いかけた。その問いは、統治者としての確認ではなく、見知らぬ地で一人、絶望に晒されている幼き命への、痛切なまでの案じであった。


「現在は、王宮の北側……陽の当たらぬ一室にて、王子殿下が配した騎士たちの監視下にございます。……心は折れ、ただただ怯えてはおりますが、差し出された食事を一口、二口と……震える手で、無理にでも口にする程度の気力は残っている様子。……それが、自らの置かれた状況を理解しようと必死に足掻いているようで、余計に不憫でなりませぬ」


爺やの報告を聞いた瞬間、王は再び、力なく目元を両手で覆った。


この世界を救う『英雄』として、万雷の拍手と祝福の中で迎え入れられるはずだった少女。そんな彼女は今、王宮の冷たい片隅で、自分を「失敗作」と呼び殺そうとしている男の部下たちに囲まれ、息を潜めている。差し出された食事が毒ではないか、次の瞬間に扉を開けるのが死神ではないか。そんな、十歳の子供が背負うにはあまりに過酷で、あまりに重すぎる絶望を、彼女は独りで耐えているのだ。


「……あの子を、この呪われた城から出さねばならぬ。一刻も早くな。……だが、爺や。あの愚かな息子は、あの子を『処分』せよと、貴殿に命じたのだろう? どこへ隠そうと、あやつは執念深く、その目で死体を確認しようとするはずだ。……欺き通せるものか」

「左様でございます。殿下は疑り深く、自らの『失敗』がこの世に残ることを何よりも嫌われる。……ですから陛下、私はあえて、殿下の残虐な命令を完璧に遂行する振りをいたします。まもなく、私は『処分の準備』と称して、少女を地下最下層の独房へと移送する手筈を整えました」

「独房だと……? 爺や、正気か! 異世界から無理やり招いた客人を、あんな光の一筋も届かぬ、罪人のための寒空の下へ送るというのか! お前まで、あの子に追い打ちをかけるというのか……!」


王は激昂し、椅子を鳴らして立ち上がった。その瞳には、友とも呼べる忠臣への怒りと、裏切られたという悲しみが入り混じっている。


「……殿下の蛇のような目から、完全に彼女を隠すためでございます」


爺やは、静かに、しかし鋼のような断固とした口調で王の言葉を遮った。その深く垂れたこうべには、一切の迷いがない。


「地下最下層の独房は、王宮騎士団の管轄外。わたくしが率いる魔法師団が古くから管理し、秘匿術式が張り巡らされた、いわば王宮内の『空白地帯』にございます。あそこへ彼女を入れ、わたくしが『高位の消滅術式で、細胞の一片まで跡形もなく消し去った』と報告すれば、いかに王子殿下といえど、それ以上は踏み込めませぬ。……あの冷たく暗い牢獄こそが、彼女をこの汚泥にまみれた城から逃がすための、唯一の、そして絶対の『安全地帯』となるのです」


国王は、はっとしたように息を呑み、ゆっくりと椅子に座り直した。そして、爺やの瞳に宿る、全てを賭した真意を悟った。


「殺害」という最悪の結末を、王宮の影を利用して完璧に偽装する。それは、魔法師団長として、そしてこの城の権力構造とマナの巡りを知り尽くした爺やにしかできない、針の穴を通すような精密で薄氷を踏む二重工作であった。


「……そうか。牢に閉じ込めるのではない。あそこへ、『消えてもらう』のだな。……王子の世界から、そしてこの国の理屈から」

「はい。そして、殿下の疑念が晴れ、関心が次の召喚へと移る頃合いを見て……以前より信頼を置いております『風の魔女』、サラ殿に彼女を託します。……魔女の住まう、魔物が跋扈する山奥であれば、この国の腐敗した理屈も、王子の狂った執念も、決して届くことはございませぬ」


国王は、ようやく少しだけ強張っていた肩の力を抜いた。肺に溜まっていた熱い空気が、溜息となって漏れ出す。だが、その皺の深い顔に浮かんだのは安堵の色ではなく、さらに深く、暗く沈んだ自責の念であった。


「……魔女サラか。あやつは、何者にも縛られぬ自由な風だ。あやつの元であれば、あの子も……ただの子供として、草の匂いを嗅ぎ、風を肌に感じて生きていけるかもしれぬな。……ククッ、皮肉なものだ。一国の王であり、全土を統治する立場にありながら、たった一人の少女を救うために、牢に隠して逃がすことしかできぬとは。……儂の冠は、なんと重く、そして空虚なものか」


王はゆっくりと立ち上がり、重厚な執務机の上に置かれた、召喚儀式に用いられるはずだった小さな、透き通った魔石を愛おしそうに、そして懺悔するように撫でた。


「……爺や。その娘に直接会うことは、もはや叶わぬ。王として、あの子の前に出る資格など儂にはない。……だが、伝えてくれ。無理やり平和な日常から引き剥がし、光のない牢へと押し込め、名前すら呼んでやることができなかった、この不甲斐ない老王を……どうか、許してくれと。……そして、君の未来を一度は奪ったこの国のことなど、いつかすべて忘れ……どうか、幸せになってくれとな」


 王の声は、もはや涙でかすれ、聞き取るのがやっとであった。


「……陛下、そのお言葉、必ずや」

「……あの子の人生を、権力者のエゴが綴ったおとぎ話のような悲劇で終わらせたくはないのだ。……頼むぞ、爺や。すべては、貴殿の双肩にかかっておる。わが友よ、あの子を……あの子の『光』を、守り抜いてくれ」


王は窓の外、暮れなずむ空を見つめた。そこには、明日には失われるかもしれない平和な王都が広がっている。

 一国の主の祈りと、老魔導士の決意。


それらは地下深くで震える少女の元へ届く前に、静かに、けれど熱く、重厚な石壁の中に染み込んでいった。

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