03 白亜の迷宮、淀んだマナの残滓
活気に満ちた王都の大通りの喧騒を背に、私は白亜の王宮へと足を踏み入れた。
天を衝くように高く聳える尖塔は、まるで空を侵略せんとするかのように鋭く、回廊の隅々にまで施された精緻な彫刻は、この国の数千年の富と歴史をこれでもかと見せつけてくる。太陽の光を跳ね返すその白壁は、一見すれば世界の中心に相応しい、汚れなき優雅さと荘厳さを体現しているように見えるだろう。
けれど、一歩その内側へと足を踏み入れれば、私の鼻腔を突き、肺の奥を重く沈ませるのは、そんな見せかけの華やかさとは程遠い、ねっとりと澱んだ湿り気のある空気だった。
大気中に溶け込んだマナが、ひどく重く、そして不快に粘ついている。
本来、マナとは清流のように澄み渡り、風のように自由であるべきものだ。けれど、この城に満ちるそれは、使い古されて捨てられた情報の残滓や、人間のどろりとした感情が混ざり合い、呼吸をするたびに喉に絡みついてくるような錯覚を覚えさせる。
精霊たちの清らかな声はここへ近づくほどに細く、小さくなり、代わりに豪奢な壁の隙間や、磨き抜かれた石畳の目地からは、隠しきれない「焦燥感」と「虚栄心」が、腐りかけた果実が放つ甘ったるい死臭のような匂いとなって漏れ出していた。
「……いつ来ても、ここは魔法使いが住むべき場所じゃないわね。精霊たちが窒息しそうよ」
私は、長年の旅と研究で使い古された革靴が鳴らす
硬く、乾いた足音を、あえて冷たく王宮の静寂に響かせながら歩く。周囲を歩く着飾った官吏や貴族たちの、柔らかな絨毯を歩くような音のしない歩みとは対照的に、私の足音は彼らの作り上げた「偽りの秩序」を拒絶するように突き刺さる。
本日の目的地は、王宮魔導士団。
……といっても、彼らとの取引は正直なところ、最近は気が進まないというレベルを超えて、苦痛にすらなりつつある。この国には、王の剣たる「王宮騎士団」と、知恵と神秘の要たる「王宮魔導士団」という二つの大きな戦力がある。けれど、近年のパワーバランスは、目を覆いたくなるほどに最悪の一言に尽きた。
実利と武力を何よりも重んじ、戦果を積み上げることで発言力を増していく騎士団。対して、魔導士団は古くからこの世界の根幹を成す研究と神秘を尊んできたはずだった。けれど、今の魔導士団の上層部には、かつての真理を追究する熱情なんて、もはや欠片も残っちゃいない。騎士団に主導権を完全に握られ、予算を削られ、王の前での発言権を失っていく――。その凋落に焦る彼らが、必死に守ろうとしているのは「魔法の真理」や「世界の均衡」などではない。ただ、自分たちが座っている「椅子」の高さと、特権階級としての体面、ただそれだけなのだ。
その焦りと保身が、私のような野の魔女に寄越してくる注文を歪ませている。
彼らが寄越す依頼といったら、どれもこれも魔法の理をドブに捨て、精霊の理屈を無視したような、無茶苦茶で厚顔無知なものばかりだ。
『誰でも即座に大魔法が放てる、触媒不要のポーション』
『一滴飲むだけで、枯渇した魔力が無限に湧き出す神の秘薬』
ああ、反吐が出るわ。
そんな都合のいい魔法の道具がこの世にあるなら、私が製法を独占して、自分自身に使ってとっくに世界を支配しているわよ。魔法っていうのは等価交換の積み重ねであり、精霊との緻密な契約、そして己の精神を削り、理を編み上げる孤独な作業だってのに。
この世界のエネルギー保存法則を、子供向けの絵本から百回読み直してこいって話だわ。
「……そんな便利なものがあったら、私が使ってるっての!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに、堪えきれず独り言が口から漏れてしまった。
ちょうど横を通り過ぎようとした貴族の官吏が、肩をびくりと震わせ、「なんだこの無作法な女は」と言いたげに、眉を顰めてチラリと私を見た。その視線には、山から下りてきた魔女を蔑むような、特有の特権意識が混ざっている。
私は歩みを止めず、ただその男の瞳の奥を射抜くように、ギロリと一点の容赦もなく睨み返してやった。
男は、蛇に睨まれた蛙のように一瞬で顔を蒼白にさせると、怯えたように目を逸らし、裾を乱しながら足早に去っていった。
ふん、魔女の睨みがそんなに怖いなら、最初から好奇の目を向けなきゃいいのよ。これだから、実戦も知らずに書類ばかり触っている連中は嫌いなの。
(魔法を「ボタン一つで動く便利な道具」か何かと勘違いしている連中が増えすぎなのよ。マナを編むっていうのは、精霊との命がけの対話であり、世界の理の一部を、その重みを理解した上で借り受ける神聖な儀式だっていうのに。それをポーション一瓶で解決しようだなんて、魔法への冒涜もいいところだわ)
私は苛立ちを、硬い石畳を叩く踵に乗せて鳴らし、目的地である西側の中庭へと向かった。そこには、王宮魔導士たちが日々、術式の精度を上げ、マナの操作を研鑽するはずの訓練所がある。
かつて、そこはこの国で最も清浄なマナが湧き出し、魔法の美しさが体現されていた場所だったと聞いている。
けれど、門が近づくにつれて私の肌を撫でたのは、背筋が寒くなるような、魂の抜け殻となった魔力の残響だった。
カチ、カチ、と規則正しく、けれど生命力の微塵も感じられない魔法陣の起動音。
教科書通りの、抑揚のない死んだ咏唱。
そこには、魔法の根源たる熱量も、精霊への切実な呼びかけも、そして未知を切り拓く魔法使いとしての誇りも、何一つとして存在しなかった。
ただ、王宮という組織の一部として、義務的にマナを浪費し、定型通りの光を出しているだけ。
それは魔法じゃない。ただの、光るだけの醜い魔力の残滓だわ。
私は、眉間に深く、消えない皺を刻みながら、その「魔法の死体」が漂う訓練所の重厚な鉄門を、力任せに押し開いた。




