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ロワルダンの朝は冷える。夜の名残を引きずったような薄い霧が石畳の上を漂い、高い石壁は太陽が上るまで冷えた金属のように沈黙している。そんな空気の中、大剣を背負った男が宿舎の前でじっと立っていた。
背筋を伸ばし、荷物を肩にかけ、ただ静かに待っている。こちらに気づくと、いつも通り淡々とした表情で一つ頷く。その律儀さに、毎回なんとも言えない気持ちになる。
ほんとに、こんなのをカスティオはよく扱ってたなぁ。
心の中で小さく感心しつつ、私は軽く手を上げて出発を促す。男ーーアシェルは無言で歩調をぴたりと合わせてついてくる。
数日前、ギルドから正式な連絡が届いた。カスティオの任務は期間未定、少なくとも数週間は戻らない。その結果として私は、正式にアシェルの指導役兼相棒を任された。
ギルドの書類上でも、暫定的ではあるが斥候メルと戦士アシェルの二人で組んだことになっている。「暫定」とは言いつつ、実際はほぼ本決まりのようなものだろう。カスティオが戻ってきたところで、どう動くかは分からない。私の負担はしばらく増える見込みだ。
アシェルはとにかく迷う。大通りで迷う。小道でも迷う。目的地を通り過ぎて迷う。呆れて今までギルドまでどうやって来ていたのかと聞くと、アシェルは少しだけ視線を逸らして言った。
「……カスティオが迎えに来ていた」
なるほど。状況は理解した。とんでもない大型新人である。
その日から毎朝アシェルを迎えに行くのが、ほとんど義務のようになった。行かないとアシェルは迷子になる――それがもう確信に近い予感として胸に根を下ろしている。
ギルドに出される依頼には時間勝負のものが多い。良質な依頼は冒険者たちの狙い目で、朝食後の時間帯はギルドの掲示板に人だかりができるほどだ。遅れていけば、残っているのは割に合わない雑用か、危険な割に報酬の少ない問題案件ばかり。アシェルの迷子に巻き込まれて良い依頼を取り逃すなんて、冗談じゃない。
そうしてギルドに行き、依頼を受け、またギルドに帰る。そんな日々が何日か続いた。
依頼の大半は小さなもの――薬草採取、荷運び、ダンジョン内の簡易巡回。難易度は低く、私としても肩慣らしのつもりで受けていた。アシェルは言われたことは正確にこなすし、戦闘力は申し分ない。武器の扱いも、危険察知の反応速度も一級品だ。
なのに。本当に。方向感覚だけは壊滅的なのだ。
ほんの少し目を離すと、まるで磁石に吸い寄せられたように別方向へ歩き出していく。広場でも、街道でも、迷宮でも同じ。
最初は笑って済ませた。そのうち笑い事では済まないぞ、と気を引き締めたが気をつけたところでどうしようもない。だんだん「そういう生き物なんだ」と諦めの境地に達しつつあった。とはいえ、放っておけば間違いなく迷子になる。だから私は、結局のところ毎日こうして迎えに行く羽目になっているのだ。
今日受けたのは簡単な採取依頼だった。ロワルダン特産の植物を、籠二つ分ほど採取して依頼者の元へと運ぶだけの仕事だ。依頼人は街外れの農家の老夫婦で、柔らかな笑顔を崩さない人たちだった。話しぶりも穏やかで、こういう依頼主に当たる日はそれだけで運勢が良い気がする。
採取場所の森も、迷宮のような緊張とは無縁だった。大きな捕食獣もいない、古くから街に馴染んだ平穏な森。木々の間を抜ける風がさらさらと葉を揺らし、朝日を反射して緑が柔らかく光る。足元は苔でふかふかで、歩くたびにわずかに沈む。
アシェルは相変わらず無表情に、しかし仕事そのものは丁寧にこなしていた。草をかき分け、必要な植物だけを正確に見分け、傷をつけないように根元から摘む。意外にも植物を扱うのに慣れているようにさえ見えた。
私はといえば、彼の背中を遠くにしないよう気を配りながら、籠の中身を確認したり、次の自生地を探したり。アシェルがふらりと別方向へ歩き出しそうになる瞬間が時折あって、そのたびに軽く声をかけて軌道修正する。
こういう依頼の日は、心にも余裕ができるなぁ。
そんなことを思いながら、私は次の自生地へ向かう道を示した。アシェルは「分かった」と短く返し、静かに続いた。平穏な森に、二人分の足音だけが規則的に響いていた。
今日の依頼は簡単に終わるだろうと、この時は思っていたのだ。




