澄炎亭の燻製盛り合わせ
「それじゃあ、ご飯にしましょうか。アシェルはそっちに座ってちょうだい。食べ物で苦手なものとかある? ない? じゃあ私の方で適当に頼んじゃうわね」
そう言って、目の前の女――メルは迷いなく店員を呼び止め、てきぱきと注文を通していく。手慣れたものだ。こちらの様子を気にするでもなく、流れで動くのが当たり前です、という顔をしている。
今日は、色々なことがあった。
朝、指導役のカスティオが「ここで待ってろ! 絶対動くなよ!」と意味の分からない念押しだけを残し、慌ただしくどこかへ消えた。代わりに現れたのがメルだった。
新しい指導役だと言われ、まずは迷宮に入って軽い仕事をするーーはずだったが実際には、罠を踏み、分断され、転送され、辿り着いた先は、これまで未発見だった隠し部屋ときたものだ。
軽い仕事とは何だったのか、と心の中で考えたが、考えても意味は無いだろう。迷宮の中では何が起こるか分からないというのは、王都でもここでも変わらないようだ。
そして今。
ギルドに戻り、報告書を書く前の腹ごしらえとして、俺たちは《澄炎亭》に腰を落ち着けている。
都市の中での空腹というものは、不思議と安心感を連れてくる。メルの注文する声を聞きながら、俺は静かに息をついた。
この店の飯には、俺も何度も世話になっている。もっとも、頼むのは決まって『お任せ定食』だ。メニューを開いて選んだことは一度もない。考える手間が省けるし、それで困ったこともなかった。
だいたい、俺の少しばかり特殊な『体質』のせいで味というものを、まともには感じ取れない。料理の違いを判断する手掛かりは、歯ごたえや匂い、見た目くらいだ。
カウンターの奥、厨房からは《澄炎亭》の店主であるドワーフの男が大きなナタで肉をぶつ切りにする音が聞こえてくる。名前をダルグルと言うらしい。ずんぐりとした体躯に、樽のように太い腕。眉間に深く刻まれた皺のせいで、初見ではかなり気難しそうに見える。だが、実際に言葉を交わせば、その印象はあっさり裏切られるだろう。口調はぶっきらぼうだが、妙に気前がよく、ときどき冗談まで飛ばす。そういう男だ。
メルが注文を伝えている相手は、焦茶の髪を複雑に編み込んだドワーフの娘だった。快活そうな笑顔で頷きながら、手早く伝票を取っている。看板娘のグルザだ。
ダルグルの姪だと、他の客が会話しているのを聞いた覚えがある。髪の色は血縁と言われれば納得だが、雰囲気はまるで違う。店の空気を明るくしているのは、間違いなく彼女だろう。
「はい、ごろごろ野菜スープとパン、それから燻製盛り合わせ。ぜんぶ二人前ね! アシェルさん、もっと食べなくて大丈夫?」
そう、俺はよく食べる方なのだ。味は分からなくとも、腹は減る。人より大きな体を動かすには、それなりの“燃料”が要る。だから、普段頼むお任せ定食も必ず大盛りにしていた。
しかし今日はメルの奢り、という扱いになっている。カスティオに請求するとは言っていたが、だからといって際限なく頼んで良いわけがないだろう。
「いや、いい。足りなかったら、あとで追加する」
そう答えたものの、メルはこちらをじっと見てきた。こちらの遠慮を見抜いたような目だ。
「遠慮しなくていいよ」
彼女のの一言に、ここまで言われて何も頼まないのも感じが悪い気がしてくる。
「……じゃあ、パンを追加で、もう一人前」
それくらいなら許容範囲だろう。それに今日はそこまで動いていない。苔狼が数匹と……あとは転送罠に引っかかったくらいだ。消耗したと言うほどでもない。
明るい返事とともに、グルザは伝票を手に厨房へ駆けていった。その軽やかな足取りを見送りながら、俺は内心で小さく息をつく。
――絶対に、足りない。
小柄なメルならともかく、俺のような大男が、野菜スープとパン、それに燻製の盛り合わせだけで腹が満たされるとは思えなかった。
「まあ、足りなかったら、さっきあなたが言ったみたいに、追加で頼みましょう」
メルはあっさりとそう言って、会話を続ける。
「今日は……なんだか大変だったわね。お互いに」
軽い調子だが、大変だったのは事実だ。初心者向けと聞いていた割には、妙に密度の濃い探索だった。
「……そうだな」
短く応じながら、視線を横へ滑らせる。
メルは年の頃、二十前後だろう。俺と同じか、少し下くらいか。中肉中背で、無駄のない体つき。少しつり気味の目元には意志の強さが宿り、同時にどこか生真面目さも滲んでいる。赤銅色の髪を後ろでひとつにまとめているあたりも実務的だ。擦れた雰囲気はないが、それなりに場数を踏んできたことは、立ち居振る舞いから自然と伝わってくる。
そして間違いなく気が強い。女性の冒険者は得てしてそういうものだが、この手の相手には下手に逆らわない方がいい――それは王都のギルドで身をもって学んだ。一つ言い返せば微妙に心を抉る言葉を含めて三十の言葉が返ってくるのは想像に難くない。
だが、地図を確認する判断力や罠に関する知識、状況の整理などは全て的確だった。斥候としての技術は確かなことは間違いない。気の強さも自身の能力の高さを自負しているからだろう。なおのこと口ごたえはしない方がよさそうだ。
ぽつ、ぽつと世間話が続く。といっても、話題を振るのはほとんどメルで、俺はそれに短く相槌を打つだけだ。
今日の依頼のこと、迷宮の話、最近ギルドで流行っている噂話――取り留めもない内容だ。カスティオは放っておけば延々と喋り続ける男だった。声も大きく、身振りも派手で、周囲を巻き込んで騒ぐのが好きなのだろう。
それに比べれば、メルの喋り方はずっと落ち着いている。落ち着いてはいるが、時折こちらを探るような目をしている。必要以上に踏み込まず、こちらの反応を見ながら言葉を選んでいるようだ。探られている、とは思うが黙り込まれるよりはよほど助かる。そう思いながら、俺はまた短く相槌をうつ。
カウンターの向こうでは、店主が無言のまま調理に入っている。包丁がまな板を叩く乾いた音と、寸胴鍋をかき混ぜる低い響きが交互に重なり、店内に一定のリズムを刻んでいく。
ぐう
腹が鳴った。何食わぬ顔でやり過ごそうとしたが、それを見てメルが笑う。
「お腹が正直ね。もう少しで来ると思うわよ」
その言葉通り、軽やかな足取りとともにグルザが料理を運んできた。
お待たせしました、と最初に置かれたのは野菜スープだ。深めの椀の縁から、白い湯気がゆるやかに立ちのぼる。湯気に乗って、刻まれた香草の澄んだ香りが鼻先をくすぐった。腹の奥が、また正直に反応する。覗き込めば、食べ応えのありそうな大きめの根菜が、たっぷりと底に沈んでいるのが見えた。
籠に入れられたパンはずしりとした重みのある塊で、表面はこんがりと焼き締められている。指で割ろうとすれば抵抗を返してきそうな硬さだ。最初から、そのまま齧ることは想定されていない。スープに浸し、旨味を吸わせて食べるための焼き加減なのだろう。
最後に運ばれてきたのが、メルのおすすめという燻製盛り合わせだった。木皿の上には、鳥肉、卵、山羊肉、玉ねぎ、芋、ナッツが整然と並べられている。
「内容は仕入れ次第で変わるけど、チーズと卵、鳥肉、それにナッツは絶対に入ってるの」
メルが手元の皿を指さしながら言う。なるほど、安定の品ということか。
「ロワルダンは山に囲まれている土地柄、海産物が紛れ込むことはまず無いのよね。もし見かけたとしたら、相当幸運よ。私も出会ったのは一回しかないわ」
うっとりとした顔でメルが燻製を見つめている。よほど好きなのだろう。立ちのぼる燻香は層を成しているようだ。肉の脂が落とす深い香り、卵に残ったほのかな焦げ、根菜の滋養を含んだ煙――それぞれが重なり合い、皿の上で幾層にも折り重なっている。鼻腔をくすぐりながら、静かに染み込んでくる。
恍惚とした目をしているメルより先に手をつけるのは、なんとなく気が引ける。皿を前にして、しばらく指先を止めていた。そんな俺の様子を見ていたのか、メルがくすりと笑いながら声をかけてきた。
「そういえばここの燻製盛り合わせ、食べたことないって言ってたわね。じゃあ、私のおすすめの食べ方を教えてあげる」
あなたの指導役だものね、そう付け加えてメルは少し得意げな顔を覗かせる。いや、お前は俺の母親か姉にでもなったつもりか——とは、さすがに口には出さない。余計なことは言わないに越したことはない。
「まずは、こう」
メルがそう言って、パンを適当にちぎり、湯気の立つスープへ浸す。続いて燻製の中からチーズと玉ねぎを一切れつまみ、迷いなく椀の中へ沈めた。白い表面がゆっくりとスープに呑まれ、湯気の向こうで形を失っていく。
「チーズが溶けるまで、少し時間がかかるから。その間に、他のを食べましょう」
促されるまま、まずは鳥肉に手を伸ばす。噛んだ瞬間、燻香が鼻奥に広がる。脂の少ない部位のようで外は硬く、中はしっとりとした食感が残っている。
次は卵。表面はほのかに香ばしく、中の黄身は鮮やかだ。火の通り具合が絶妙で、プリプリとした白身の弾力が心地よい。
羊肉は少し癖があるが嫌な臭みはない。煙がそれを包み込み、むしろ奥行きとして残している。噛めば噛むほど脂と肉の香りが溢れ出す。
「夜だったら強めの酒を片手に一杯やるんだけど。今は昼だし、この後報告書書かないといけないからね」
そう言って、メルはナッツを頬張った。小動物のようにちょこちょこと口を動かす仕草が、少し可笑しくもある。思ったより愛嬌があるやつなのかもしれない。
「アシェルはお酒は飲むの?」
燻製を一通り味わったあたりで、メルが何気ない調子で聞いてきた。世間話の延長、といった口ぶりだ。こういう雑談の中で相手の素性を探るのは冒険者の癖なのだろう。
「付き合い程度だ」
もっとも、ロワルダンに来てからまだ日が浅い。誰かに誘われて杯を交わすような場に出た記憶は、ほとんどない。付き合いと言えるほどのものがあるのかどうか、自分でも少し怪しい。
「うちのギルド、酒宴が少ないのよね」
そうか、と頷きながら俺もナッツを手に取り口の中にいれる。ナッツのカリッとした歯応えが差し込み、口の中の輪郭をきゅっと引き締めた。
「斥候が多いギルドだからな。酒で判断力が落ちたら仕事にならないだろう」
「そうなのよね」
知っている、と言わんばかりにメルは肩をすくめる。
「そろそろチーズが溶けて食べごろかな」
メルがの言葉に椀を覗くと、沈めておいたチーズがすっかり柔らかくなっていた。パンを崩しながら一緒にかき混ぜ、匙ですくって口へ運ぶ。
温かい。
舌に触れた瞬間、燻製と溶けた乳の香りがふわりと立ち上った。
メルの方を見ると満面の笑みでスープを口に運んでいる。「奢る」とは言っていたものの、間違いなく自分自身が食べたかったのだろう。
――なんとも良い顔をするものだ。
俺には食事の味というものがほとんどわからない。食事中に会話を楽しむ性分でもない。
それでも、誰かが食べているのを見るのは嫌いではなかった。匙を運ぶ仕草や、皿が少しずつ空いていく様子を眺めていると、冒険者になる前――まだ家族と呼べる人間がそばにいた頃のことを思い出すことができる。
「この玉ねぎ、甘いでしょ。燻しすぎてないのがいいのよ」
そう言われても、俺には判断がつかない。ただ、噛むたびに舌に優しく馴染むような食感がする。
「カスティオ、戻ってくるまでどれくらいかかるのかしらね」
食事がひと段落した頃、メルが何気ない調子で切り出した。
「分からない。何か聞いているのか?」
「いいえ。私も今朝になって急に言われたの。正直、びっくりしたわ」
肩をすくめる仕草に、困惑と呆れが半分ずつ混じっているのが分かる。今日、様々な状況に振り回されたのは俺だけではないらしい。
「そういえば隠し部屋の扉、力づくで開けたでしょ。あれ、次からはやめてね。罠がかかっている可能性だってあるんだから」
もっともだ。反論の余地はない。
「……わかった」
短く答えると、メルは満足したように小さく頷く。それで終わりかと思ったが、そうはならなかった。
「あと」
と、間を置いてから続ける。
「迷宮に入る前の、迷子の件は?」
責めるというより、様子をうかがうような、どこか楽しんでいるような声音だ。何か申し開きでも?と言外に含ませた、軽いからかいの一言。
俺は少しだけ考える。考えても、出てくる答えは一つしかない。
「……善処する」
それだけ告げると、メルは一拍置いてから小さく吹き出した。
「それ、たぶんまた迷うやつよね」
「否定はしない。迷惑をかける」
言葉を選んだつもりだったが、メルは堪えきれなかったように今度は大きく笑った。迷子に関しては本当に申し訳なく思っているのだ。
味覚が無いのも、迷子になるのも原因は分かっている。その原因を取り除くためにロワルダンに来たのだ。王都で所属していたギルドに紹介状を書いてもらい、探し物や情報収集が得意だというこの『銀霞の暁鐘』に所属した。ギルド長に事情は話しているが「知りたいことがあるならまず実績を積んでから」と言われている。ごく真っ当な言葉だった。
近道はない。だから今は、与えられた仕事を一つずつこなすしかない。
そうしているうちに、いつの間にか椀の底が見えていた。パン籠も空に近い。食事は終わりだ。
「おかわりとか、追加注文しておく?代金はカスティオに請求しておくから本当に気にしなくて良いわよ」
正直に言うと物足りない。申し出はありがたいが、そろそろギルドに戻った方が良いだろう。報告書はまだ手つかずだし、こういうものは遅くなればなるほど面倒になるに決まっている。
「いや、いい。充分だ」
そう短く告げると、メルは一瞬だけ俺の顔を見てから、肩をすくめた。
「ふぅん、そう。じゃあ先に外で待ってて。お会計してくるから」
そう言って、メルが懐から財布を取り出す。年下と思われる女性に奢られる、というのはなかなか居心地が悪い。だが、ギルドの新人としては素直に奢られておいた方が今後が円滑にいくだろう。
「わかった」
俺は席を立ち、澄炎亭の扉を押して外に出た。燻製の香りとは違う、昼下がりの王都の空気が肺に入ってくる。人の往来は穏やかで、石畳に落ちる影も柔らかい。
ほどなくして、扉が開いた。
「お待たせ」
会計を終えたメルが店から出てくる。手には小さな包みが二つあった。
「はい。あげる」
包みを一つこちらに渡してくる。
「白パンにハムとチーズ挟んだやつ。これも私のおすすめ」
軽い調子で言い添えてから、続ける。
「報告書書くとき、ちょっと食べるものがあった方が捗るでしょ」
「あ、ああ……」
間の抜けた返事になった自覚はある。満腹ではないことが、ばれていたのだろうか。別にがっついて食べた覚えはないし、感情が顔に出る性分でもない。だが、彼女には分かったらしい。
「さっきのご飯はカスティオの奢り。こっちは私の奢りね」
そう言って、メルは俺の手元の包みを指で示した。
「……ありがとう。馳走になる」
簡潔に礼を述べると、メルは少しだけ得意げに顎を上げる。
「有望な新人には優しいのよ、私」
少しだけ胸を張るように言われて、「そうか」と短く返す。
新人とは言うが、王都では一応、称号持ちではあった。だから本当の意味での新人かと言われれば首をかしげる。ただ、それをわざわざ訂正する気にもならない。今はこの街では新人なのだから、それでいい。
「はぐれた時に下手に動いたりしなかったのは良かったわね」
「迷宮潜りの基本だろう。魔獣溜まりや毒池でも無い限り、救助を待つ方が早い。迷宮の浅い層ならなおさらだ」
事実を述べただけのつもりだったが、メルは小さく肩をすくめた。
「それがね、出来ない奴の方が多いのよ。だから迷子番が必要になっちゃうのよね」
それもそうか。強く、若く、血気盛んな新人ほど、問題が起きた際に自分で道を切り拓こうとする。自分の喉が切り開かれる可能性もあるという事に気づかないままに。自らの歩む道の先に英雄譚の続きを夢見てしまう――そんな連中は、王都にも腐るほどいた。そこはロワルダンも王都も変わらないようだ。
「まあ、これからもずっと組むかどうかは分からないけど……同じギルドにいるんだし。これからも、よろしくね」
メルが歩調を少し緩めて、こちらを見る。
「ああ、よろしく頼む」
昼下がりの大通りは穏やかで、石畳の上を行き交う人々の足音さえ、どこか柔らかく聞こえる。並んで歩く距離は、まだ測りかねている。だが、悪くはない。
――これからも、よろしく。
胸の内でその言葉を反芻しながら、俺はメルとギルドへ戻った。




