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迷子と迷宮と迷子番  作者: 森みどり
迷子と迷子番
5/11

5

 転送罠から導き出された北東の小部屋へと急ぐ。第一層でも比較的広い通路に、私の足音がやけに大きく響く。歩幅は自然と速くなる。


 ——ここだ。


 地図と罠の構造、そして転送罠特有の魔力の残滓。すべてがこの小部屋に繋がっている。しかし、扉を押し開けてもアシェルの姿はない。薄暗いだけの空の小部屋が広がっている。胸の奥に、冷たいものが一筋走った。


「……アシェル! 聞こえる!?」


 呼びかけた声は、石壁に吸い込まれるように思えた——が。


「メルか」


 思いのほか近くから、低い声が返ってきた。壁越しだとすぐに分かる。生きている。それが分かっただけで、膝の力が少し抜けそうになった。


「どこにいるの? 姿が見えないんだけど」


「部屋だ。扉が見当たらない。壁に囲まれている」


 隠し部屋か。第一層にこんな構造があったとは初耳だ。ギルドどころか、ロワルダンに長くいる冒険者の誰からも聞いたことがない。胸の鼓動が徐々に早まる。


「周囲に魔物の気配は? 怪我はしてない?」


 壁に向かって訊ねると、少し間が空いてから返事が来た。


「問題ない。敵の気配は無い。怪我もない」


 ほっと息が漏れる。ならば状況は最悪ではない。転送先は”出口のある空洞”が設定されている。閉じ込められているだけなら、外から突破口を探せる。


「こっちも安全は確保してる。周囲に魔物はいない。……とにかく、あなたを閉じ込めてる壁の構造を調べるから、そっちの様子をもう少し教えて」


 壁に触れ、私は慎重に指先を滑らせていく。鈍い石の感触の裏に手がかりが無いか確認する。


「そっちは明かりはある? 空気はどう?」


「薄暗いが見える。空気は淀んでいない」


「壁は? 手で押してみて何か変化は?」


「……硬い。動かない」


 そりゃそうだ、と思いつつも、確認できたのは大きい。内部で崩落しているわけではない。密閉もしていない。おそらく、仕掛けを作動させれば開く類の隠し通路がある。よし、探せる。


「部屋はどれくらいの大きさ?」


 壁の向こうで、アシェルが少し考える気配を見せてから答えた。


「……宿舎の部屋くらいだ」


 宿舎──つまり、かなり狭い。四方を壁に囲まれている状況なら、彼の体格では身動きも取りづらいだろう。閉塞感も強いはずだ。


「目に見えるもので、何か不自然なものはある?」


「あるぞ。目の前に宝箱が一つある」


 私は思わず眉間を押さえた。隠し部屋、そして宝箱──あからさまにも程がある。開けてくださいと言わんばかりの罠の香りしかしない。


「触らないでね。開けるのは最終手段」


「わかっている」


 返ってきた声は、珍しく僅かにトゲを含んでいた。初めて感情が乗った声を聞いたような気がする。むっとする気持ちはわからないでもない。


「じゃあまず周囲を確認しましょう。隠し扉か、仕掛けがある壁は薄くなっていることが多いの。どこかに“音の違う場所”があるはず。壁を軽く叩いて、音が軽く……高くなるところを探して」


 私は壁に掌を当て、反対側の状況を想像しつつ言う。お互いに周囲の安全を確認しながら、手探りで情報を集めていく。私は壁に沿って歩きながら、石組みの継ぎ目や目地の歪みを指先でなぞった。第一層とはいえ迷宮は迷宮だ。見落としひとつが命取りになる。


 壁越しに、アシェルが何かを探るように手を動かしている気配が伝わってくる。ごつ、と石を叩く乾いた音、ざらり、と表面を撫でる指の音。慎重に確かめているのは分かるのだが、どうにも音から判断するのは得意ではないらしい。こちらに返ってくる言葉は「違う」「何もない」「……石だ」の三つの言葉を順番に並べ替えているだけのようにも聞こえた。


 こうした捜索に時間がかかるのは珍しいことではない。焦っても成果は出ない――とは理解していても、場がもたない沈黙というのは厄介だ。カスティオなら気の利いた冗談でも言って場を和ませたのだろうが、ここに彼はいない。今は私がどうにかしなければ。そろそろアシェルも苛立ってくる頃かと思った、その瞬間だ。


 向こう側で、彼の気配がぴたりと止まり、空気がわずかに張りつめた。


「……少し待て」


 短い言葉のあと、アシェルは深く、長い呼吸をしているようだ。息を整えているだけかと思ったが、その後、ぴたりと気配が動かなくなる。まるで何かを“聴いて”いるような沈黙。


 その後、咳き込む音がする。


「アシェル? 大丈夫?」


「……問題ない。ちょっと……確かめていた」


 何を? と聞く前に、アシェルが低く言った。


「メル、西側の壁……そっちの三歩分ほど奥だ。そこが薄いはずだ」


「わかった。確認する」


 私は眉をひそめながらも、指示された場所へ移動して壁を叩いた。


 ――コン。


 先ほどまでとはっきり違う、軽い音が返ってきた。


「……本当だ。ここだけ音が高い」


「そこが通路につながっているはずだ」


 不自然なほど正確だ。勘で当てたにしては出来すぎている。けれど、今は問いただしている場合じゃない。まずはアシェルを出すことが先だ。


「ありがとう。じゃあこちらから開けられないか探ってみるね。そっちも気を付けて」


「わかった」


 返事は短いが、わずかに息が軽いように聞こえた。閉じ込められた状況で不安になっていてもおかしくないのに、声に揺れがない。


 ――本当に不思議な男だ。


 私は壁に指を這わせ、仕掛けの位置を探り始めた。アシェルがどうやって隠し通路の位置を見抜いたのか、疑問は残ったままだが……それは、彼を救い出してからゆっくり聞けばいい。壁を指でなぞりながら、私は外側の構造を慎重に探っていく。石の継ぎ目の位置、微かな凹凸、しばらく探ったところで、足元の石畳の一枚に、薄く刻まれた紋様を見つけた。古い……が、押せば反応しそうだ。


「アシェル、そっちの壁、何か変化があったらすぐ言ってね。今から仕掛けを触るわ」


「わかった」


 短く返った声は、いつもより少しだけ張りつめていた。狭い部屋に閉じ込められている緊張が伝わる。私は息を整え、石畳に手を押し当てた。重い感触のあと、ごり、と内部の機構が動く音が響く。


 次の瞬間。


 ギィ……ギギ……ッ


 私の正面の壁が、石板を押しのけるようにしてわずかに開いた。ほんの人の肩幅にも足りない隙間だが、暗がりの向こうに確かにアシェルの姿が見えた。


「半分……いや、三分の一しか開かないわね。古い仕掛けが固まってるのかも」


「……通れない」


 淡々と告げつつも、アシェルはわずかに眉をひそめている。あの巨体では当然だ。でも、この隙間なら私なら通れる。一旦私が小部屋に入って中から開ける方法を確認した方が良いかもしれない。


「部屋の外側と中側の両方から仕掛けを動かすタイプかもしれないわね。今、私がそっちに行くから……」


「いや、必要ない」


 その言葉とともに、アシェルは壁の隙間に手を差し込み、指を深く石の縁にかけた。鎧の手甲が石を軋ませ、筋肉がぎしりと盛り上がる。


「待って、無理は――」


 私の言葉を遮るように、ご、ご、と石が悲鳴を上げた。


 さらにもう一押し。アシェルの腕に圧がこめられる。裂けるような音とともに固まっていた仕掛けが外れ、扉が広がった。


「……ふう」


 短く息を吐き、アシェルは腕を引き抜いた。視界が開けた先、小部屋の内部。アシェルは埃まみれになりながらも、まるで当然のような表情で立っていた。


「うわぁ、力技」


「こういうのは、得意だ」


 その一言は相変わらず無愛想だったが、不思議と温度があるような気がする。崩れた隙間を慎重にくぐり抜け、アシェルがこちら側に戻ってくる。私はようやく胸をなで下ろした。迷子にされたり、転送罠で吹き飛ばされたり、踏んだり蹴ったりの一日だったが――少なくとも最悪の事態は避けられた。


「合流できてなによりね」


「そうだな」


 疲労か、埃でも吸ったのか——そう思いかけたが、アシェル口元から白い吐息にも似た、微細な光の粒がふわりと零れ出すのが見えた。息というより、きらめきを帯びた霧。


 間違いない。大通りで彼が迷っていた時にも、同じものを見た。私が怪訝な顔をしていると、アシェルが少し首を傾けて声をかけてくる。


「で、宝箱はどうするつもりだ?」


「開けない。警告符号だけつけて……一旦、帰ろう。ギルドにこの部屋のことを報告しないといけない」


「賛成だ。あれは触れない方がいい」


 静かにそう返したアシェルの横顔は、相変わらず感情の読みにくい無表情だったが、その声色にはわずかに疲労の色が残っていた。ふたりで視線を交わし、小部屋を後にする。踏みしめるたび床石が短い音を返し、薄暗い通路の冷気が背中を押した。


 歩き出してすぐ気づく。今度は、アシェルが半歩だけ私の後ろに位置取り、ぴたりとついてくる。迷わないように、のつもりなのだろう。本人に聞いたところで「そうだ」としか返ってこなさそうだけれど。


「第一層に新しい部屋、かぁ。追加手当が見込めるね。今日は二人の初仕事にしては上出来じゃない?」


 軽く笑いかけると、アシェルは少しだけ眉を動かした。


「そうか」


「そうだよ。発見者としては立派なお手柄。帰ったら受付が大騒ぎするわよ」


「それは……面倒だな」


 きっぱりと言い切るその声音に、思わず吹き出してしまった。


「じゃあ私が前に出るから、アシェルは後ろで黙ってていわよ。受付の子たちって噂好きだから」


「……頼む」


 淡々とした声の奥に、ほんの少しだけ疲労と安心が混ざっていた。


「そういえばどうして壁が薄くなっている場所がわかったの?」


 前を歩きながら問いかけると、短い沈黙ののち、アシェルが答えた。


「……感覚だ。風の通りが違った」


 嘘だ。即座にそう確信する。第一層の奥まった区画に風なんて通るはずがない。だけど、追及してもどうせ答えは返ってこないだろう。


「ふーん。じゃあ、帰ろうか」


「ああ」


 通路の出口へ歩きながら、私はさっきから胸の奥にひっかかっている光景を思い返していた。アシェルが咳をしたとき、口元から零れた、あの白い光の粒――大通りで見たものとまったく同じ。


 気になる。気になるけれど、今の彼にそれを問いただすのは違うと、理性が告げていた。


 ともあれ、私たちの初仕事はどうにか形になった。不安も謎も山ほどあるけれど、ひとまずはこの一歩で十分だ。


 迷宮の出口から差し込む外の光が、少しだけ眩しく見えた。

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