8
森での薬草採取は、驚くほど順調に終わった。アシェルが余計な方向に歩いていこうとするのを数度ほど制しつつも、籠はあっさりといっぱいになった。迷宮や市街地より森の中のほうがアシェルが迷いにくいような気がする。迷宮外の依頼の方が相性が良いのかもしれない。
採取した薬草の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私とアシェルは依頼主である老夫婦――名をハルドとマーサと言うらしい――の住居へと向かった。畑を囲む木柵はところどころ古びているが、丁寧に手入れされた跡があり、家のまわりには小さな野花がいくつも咲いている。煙突からは細くやわらかな煙がのぼり、軒先では乾燥させた薬草や豆の束が揺れていた。静かで穏やかな暮らしぶりが、そのまま外観にも滲んでいる。
扉を叩くと、ハルドとマーサはふたりで姿を見せ、皺の間から柔らかい笑みを浮かべた。
「まあまあ、ご苦労さま。こんなに早く仕事を片付けてくれるなんてねえ」
「大変だっただろう。さあ、入ってくれ」
二人は家族を迎えるように私たちを招き入れ、椅子を引いてくれる。警戒心が無いなぁ。
テーブルには湯気を立てるお茶が二つ。素朴な茶葉の香りが、森の湿気と労働で固まった身体にじんわりと染み渡っていった。湯気の揺らぎを目の前に、アシェルが籠を差し出す。
「依頼どおり、籠二つ分の薬草だ。確認してくれ」
ハルドが感心したように息を漏らし、マーサと顔を見合わせてから籠へ手を伸ばす。二人は並んで中身を確かめ始めた。薬草の束を指先でそっと分けるたび、乾いた葉が擦れ合い、ぱらりと小さな音を立てて落ちる。
「いい出来だこと。こんなに青いまま揃えてくれるなんて、腕のいい子たちだねえ」
マーサが目を細め、嬉しそうに頷く。
「うん、これなら加工も楽だな」
ハルドは満足そうに頷き、籠の縁を軽く叩いた。念入りに中身を確かめ終えると、マーサとともに顔を上げる。どうやら仕事ぶりには文句はないらしい。
「それではこちらに完了確認の記帳をお願いします」
私が依頼証書を差し出すと、マーサが「はい、はい」と小さく頷き、ペンをとった。指先は年齢を感じさせる節の浮いた手だが、ペン運びは驚くほど滑らかで、さらさらと美しい字が紙の上に並ぶ。
都市周辺は読み書きのできる人が多くて助かる――そんなことを考えながら、私は依頼書に署名が入っていく様子を静かに見守っていた。羽ペンの先が紙を擦る音が、妙に落ち着く。
ふと場の空気を和らげたくなって、私は何気ない調子で口を開いた。
「今日はだいぶ暖かかったですね。森の中も歩きやすかったですよ」
マーサは最後の一画を書き終えると手を止め、こちらを見上げる。そして、くしゃりと顔を崩して笑った。
「朝晩は冷えるがねぇ。油断すると、すぐ身体をやられちまう。あんたたち、ちゃんと厚着してるかい?」
気遣いのこもった問いかけに、メルは素直に頷いた。
「はい、大丈夫です。冒険者は身体が資本ですからね。冷え対策も暑さ対策も、心得ているつもりです」
「それならいいさ」
世間話が続くあいだ、アシェルはほとんど口を挟まず、湯気の立つ湯呑みを静かに傾けていた。湯呑みを持つ仕草だけは綺麗で、妙に品がある。
ふと会話が途切れ、その隙間に入り込むように、ハルドが肩の力を抜いた調子で口を開いた。
「それにしても、ここいらは平和でねぇ。森にも、危ない魔獣なんて出やしないよ」
その言葉に、隣のマーサも丸い肩を小さく揺らし、にこやかに頷く。
「そうそう。危ない魔獣なんて、もう何年も見ていないよ」
穏やかな笑顔。疑う余地のない口ぶり。
――その瞬間、メルの胸の奥にはっきりとした違和感が灯った。
嘘だ。




