表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷子と迷宮と迷子番  作者: 森みどり
迷子と迷子番
1/10

1

 城塞都市ロワルダンの朝は、石畳に差す光とともに始まる。


 夜露を含んだ白い霧がまだ街路に漂い、その隙間を縫うように朝日が差し込む。高い石造りの家々がその光を反射し、淡い金色の筋が道の上に幾重にも伸びていた。

 街をぐるりと取り囲む城壁は、古い戦争の名残だという。分厚い灰色の石が積み上げられ、いまでは人々の日常を守っている。城壁の向こうからは、遠くの鐘塔がかすかに鳴り響き、その澄んだ音が、朝日に包まれた街を静かに染めていく。


 朝の鐘の音は、ロワルダンの冒険者にとって始業の合図だ。それを聞いた者たちは次々と眠りから覚め、軋む階段を下り、戸口を開ける。まだ肌寒い空気に混じる金属音は、彼らが腰の武器を何度も確かめ、命綱を調整している音だ。

 背中に剣を背負う者、軽装の斥候、杖を抱えた魔術師――さまざまな姿の冒険者たちが、柔らかな陽の光を押し分けるように歩き出す。彼らの視線の先にあるのは、街の北端。そこには旧鉱山崩落の際に発見された迷宮が、黒くぽっかりと口を開けている。


 ロワルダンが冒険者の街として栄えるきっかけとなった、そして今日も新しい死者と財宝を生む、危険と繁栄の象徴。まるでその闇に呼び出されるかのように、冒険者たちは朝の道を急ぎ足で進んでいく。

 稼ぐために、名を上げるために、魔物を狩るために、まだ見ぬ宝に触れるために、消えた仲間の足跡をたどるために。


 そして、ごくわずかに――自分が生きていると実感するために。


 迷宮は彼らに恐怖を与え、同じだけの魅力を返す。今日もまた、ロワルダンの街はその往来で活気づく。


 中央大通りを少し外れた場所に、私が所属するギルド『銀霞の暁鐘(ぎんかのぎょうしょう)』がある。陽の光が落ちた後、目の前の霧で道が見えなくても、鐘の音だけは必ず帰還者の耳に届く。かつて帰路を失いかけた冒険者を、このギルド塔の鐘が導いた――そんな逸話が、名の由来だ。


 ギルドの建物は、ロワルダンの街並みのなかでもひときわ目を引く。屋根よりも高く空へ突き出す細身の鐘塔が特徴的で、朝の薄霧を切り裂くようにまっすぐ伸びている。その塔の最上部に吊られた古い鐘は今日も変わらず街の始まりを告げると同時に、迷宮からの帰還者を迎えるための準備をしていた。


 私は重い扉を押し開ける。冷たい金属の取っ手が手のひらにひやりと触れ、わずかに軋む音が内部へと消えていく。中は外よりも少し肌寒く、朝の空気と古い石造りの匂いが入り混じって漂っていた。

 受付前の広いホールには、まだ人影はまばらで、今から活気づく前の静けさが満ちている。一番大きな机の周りには、ちらほらと迷宮帰りの者たちの姿が見えた。徹夜明けでふらつく者、血のついた包帯を巻き直す者、ほっとしたように仲間と談笑する者――みんな、夜を越えて生きて戻ってきた顔をしている。私が軽く会釈を向けると、彼らも疲れを滲ませながら会釈を返してきた。


 彼らの横を通り過ぎた先にある掲示板の端には、所属冒険者の出勤札を掛けるための細い木枠が並んでいる。そこに、“メル”と書かれた自分の札をかけた。


 今日も一日が始まる。


 さて、どの仕事から手をつけようか。討伐依頼もあったが、今日は朝から血の匂いをまといたくはない。となれば、慣れた地図作成がいいだろう。迷宮の変動を記録するだけでも、後続の冒険者の命がいくつか救える。今、手が空いていて護衛に向きそうな冒険者は……と、依頼書の束をぱらぱらめくりながら考え込んでいたそのとき。


 背後から、軽い調子の声が降ってきた。


「メル、ちょっと話がある」


 振り返ると、蜂蜜色の髪を無造作にかき上げ、軽薄そうな笑みを浮かべた男が立っていた。


 声をかけてきた男――カスティオは『銀霞の暁鐘』に所属する中堅冒険者だ。歳の頃は私より少し年上……二十五かそこらだと思う。三十には届いていないだろう。蜂蜜色の髪は後ろで緩く束ねられているものの、いかにも途中で面倒になって結んだといった雑さがあり、歩くたびにふわりと揺れている。


 いつも何かをつまみ食いしているか、口笛を吹いているか、話しているか、とにかく口がよく動く男だ。そして何より常に笑顔ーーというより、気の抜けた余裕のようなものがひらひらと蝶のように周囲に漂い、初対面の相手でもつい警戒心を弱めてしまう、そんな雰囲気を持っていた。最近は新人教育に回されがちだと聞いている。確かにあの柔らかさと適度な雑さは、緊張で固まりがちな新人には程よいのだろう。


 そんな彼が薄い革鎧の上に羽織った旅装は、あからさまに急いで身につけたものだ。裾がねじれ、腰帯もずれており、整える気がまったく感じられない。肩から下げた荷袋に至っては、形が歪むほど不自然に膨らんでいて、どう見ても『さっき慌てて詰め込みました』と主張していた。


 ――そして、こういう姿のときの彼は、だいたいが碌でもない用件を持ってくるのだ。私は心の中で小さくため息をつく準備をした。


「何ですか? 私、今日は地図作成の依頼を片付けるつもりだったんですけれど」


 そう口にすると、カスティオは途端に待ってましたと言わんばかりに両手をひらひらさせ、空気を宥めるような仕草をする。


「いやいや、頼む、ほんの少しだけ。お前じゃなきゃダメなんだ」


 調子は軽いのに、声だけが妙に切迫している。その温度差が気になるが、嘘ではなさそうだ。


「急な任務が入ったんですか?」


 探るように問うと、カスティオはパッと表情を明るくし、人差し指で私を指しながら嬉しそうにうなずいた。


「さすがメル。ご明察……いや、まぁ、そう。ちょっと街を離れなきゃならなくてな。」


 言いながら、彼は後頭部を掻き、子どもが叱られた後に見せるような苦笑を浮かべる。


「これがさぁ、断れなくて」


 軽口を叩くように見せかけているが、肩のあたりがわずかに強張っていた。この男にしては珍しく、余裕を装うのが下手だ。これも嘘は言っていない。


「で、本題。俺が担当してた新人の相棒になってほしい。」


 そう来たか、と胸の奥で小さくため息が揺れた。


「新人……? 最近入ったって言ってた、あの大剣使いの?」


「そう、それそれ」


 カスティオは気楽な調子で指を鳴らし、早く理解してくれと言わんばかりに手振りを大きくする。この男は、話を急がせたいときほど身振りが増える癖がある。


「戦闘能力は十分。っていうか、過剰。」


 彼は指を二本立て、ひゅっと空を切るように振った。


「大剣ぶん回して魔物を片付けるタイプだ。パワーも反応速度もお化け。王都のほうで迷宮に潜ってたんだとよ。向こうじゃ称号もあったらしいぞ」


 称号持ち――なるほど、だから噂だけはやけに早かったわけだ。ギルドの新人なんてものは、本来なら入ってしばらくは目立たず、誰の記憶にも残らない。だが、彼の話は私の耳にも断片的に届いていた。


 曰く、“やたら大きな剣を担いだ新人が来たらしい”


 曰く、“討伐から帰ってきたら倉庫の壁が一部抉れてたんだが、原因は聞くなと言われた”


 曰く、“あの体格で動きが速すぎる。なんだあれ”


 雑談まじりの曖昧な噂ばかりだが、腕力と規格外の反応速度についてだけは、妙に一致していた。称号とは、複数のギルドからその実力や専門性を認められなければ授与されない。まして、競争も実力者も多い王都の迷宮で得たものとなれば――その力量は折り紙つきと言っていい。


「こっちに来た理由は……まあ、いろいろだ。詳しくは知らん」


 軽い言い方だが、わざと深追いしない距離感を保っているのがわかる。聞くと厄介な事情が出てくると、経験的に察しているのだろう。


「性格は?」


 私が念のため確認すると、カスティオは肩をすくめた。


「無愛想。目つきも悪い。でも悪い奴じゃない。そこは保証する。俺の勘だけどな」


「勘ですか……」


 眉を寄せると、彼は慌てて手をぶんぶん振った。


「いや、ちゃんと話せば普通に返してくるぞ? ただまあ、人と話すのが得意じゃないってだけでさ」


「話は通じます? 実力があっても、勝手な行動を取られると困ります」


 王都での実績があるとはいえ、このロワルダンにはロワルダンの流儀が、ギルドにはギルドの流儀というものがある。カスティオが新人にどこまで教えられているのかは別問題だ。


「大丈夫だって。指示も聞くし、変に突っ走るような奴じゃない。そこら辺は安心してもらっていい」


 カスティオが軽快に笑うその瞬間、ほんのわずかに口元が引きつり、視線が泳いだ。


 ――嘘だ。


 私は腕を組み、静かに問いかけた。


「安心していいって言ってますけど、実際どうなんですか?」


「いや、ほんと優秀なんだって! 戦闘は文句なし、実直だし、礼儀もある! ただ……その……ちょっと、方向が、な?」


 方向。


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で嫌な予感が首をもたげる。


「方向……?」


「そう、方向。めっちゃ方向音痴だ。笑えないレベルで」


 カスティオは額を押さえ、苦い顔をした。


「この前なんてな、大通りで迷ってたんだよ。あそこを間違えるって、どうやったら出来るんだろうな……?」


「あの場所で迷うのは逆に才能だと思います」


 本気で言っている。大通りは、街の中心にある神殿から市場へ一直線に伸びる見通しの良い道だ。迷う要素がない。カスティオは両手を広げ、まるで舞台役者が喝采を求めるような大げさな身振りで言った。


「だろ? だからこそ、お前が必要なんだよ、メル。“迷子番”のお前なら安心できる!」


 “迷子番”


 またその名前か、と胸の中でため息をつく。ギルド内での私の通り名。地図読みと人の痕跡を探すのには少し自信がある。迷宮内で帰路を見失った冒険者を何度か救出した結果、いつの間にか定着してしまった微妙な名前。


「……褒められてる気がしませんけど」


「してるしてる! お前が『星灯衛士団(せいどうえいしだん)』からうちのギルドに移籍してくれて、どれだけ俺たちが助かっているか! 迷宮の中でお前ほど頼りになる案内役はいないって!」


 おどけて言いながら、カスティオは私の目を真正面から見つめた後、満面の笑みを見せる。嘘じゃない。嘘じゃないから逆に困る。


「というわけで、任せた! 待ち合わせ場所は――」


 彼は腰の荷袋を持ち上げ、紐を締め直しながら続けた。


「うちのギルド宿舎の横にある《澄炎亭》だ。あいつには朝一番で伝えてきたから、もう待ってるはずだ」


 言いたいことだけ畳みかけると、カスティオは「じゃ、頼んだ!」と手を振り、荷袋を揺らしながら玄関へ向かって駆け出した。扉を開ける直前、ふと立ち止まり、もう一度だけこちらを振り返る。


「頼んだぞ、メル! 本当に頼んだ!!」


 その必死さに、思わずため息が漏れた。仕方ない。新人との初仕事なら、簡単な依頼が良いだろう。私は依頼票の束から一枚、ギルドに常時出されている『迷宮第一層の探索』と書かれた紙を抜き出した。軽く折りたたんでカウンターへ置くと、受付係が手早く処理をしていく。


 “方向音痴の新人”とやらに、会いにいこう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ