堕胎
魔術が当たり前の世界。発達した都市、空を飛ぶ人々、広大な大地、まだ見ぬ生物。その全てが未知に溢れた世界、その片隅に才能あふれた一人の少年がいた。
「サバト!」
「サバト様!」
多くの人が彼の名前を呼んだ。彼の名はサバト・ゲルニカ。希代の大魔術師と呼ばれる、将来が恵まれた少年だ。
「六大魔王と会ったて本当!?」
「また翼竜を倒したんだろ!王様に認められるのも時間の問題だな!」
「一国の王女様に求婚されたって本当!?」
「ごめん、俺急いでるから!」
風を切るように空を飛ぶと皆の黄色い悲鳴が後ろへと消えていく。帝都を飛び出え僅かに3分、着いたのは辺境の村ファタート。箒を投げ捨て一目散に目標まで駆ける。
「あら、おかえりサバトちゃん」
「ただいまおばちゃん!」
皆の声をかき分けながら、彼は一つの小さな家に着いた。扉を開ければ、そこには彼にとってたった一つの大切なものがある。
「お兄様!」
「ニイナ!」
熱く包容を交わすと頬に妹がキスをする。後ろにいた彼の仲間達もその光景を見て嬉しそうに笑った。
「お前本当シスコンだよな、バレたらお前のメンツぶち壊れじゃね?」
「そこもかっこいいんじゃない!」
「全く、人様の家で何を騒ぐか。にしてもだ、あの奇跡の魔術師と言われたガルード卿を超えれると言われる男がシスコンとは信じ難いな」
大剣使いのジーク、魔術専門職のメイ、剣士のダクト。共にこの村で過ごし、共に励み、戦った幼馴染だ。何もない小さな村、しかし、そこは温かい人々の温もりで溢れていたのだ。
「お兄様?いつまでここにいられるのですか?」
「うーん、遺跡の探索に1ヶ月後出立するからその間はずっと一緒だよ、ニイナ」
「やった!じゃあ今日はお兄様の大好物のシチューを作りますね!」
「火傷には気をつけろよ」
『こっちへ...』
一人村の風景を楽しんでいると、何処からか導くように声が聞こえる。ふと振り返ると、小さな光る奇妙な蝶が鱗粉を撒き散らしながら森の中へと消えていった。気になって跡をついていくと、幼少期から遊んでいた森は段々知らない姿へと変わり、気づけば木々の生えていない木陰にたどり着いた。
「ここは...」
目の前には大樹がそびえ立ち、根本には先刻の蝶がはためいている。近づくと蝶は消え、そこには薄汚くなった小さな本が置かれていた。
「コレは...一体?」
埃をかぶっていてなにが書かれているのか分からない。本をめくったその瞬間、気づくと辺りは真っ暗闇に包まれ、気づけば村の家の中にいた。
「あれ?お兄様帰っていたんですか?」
「え?あれ?俺、さっきまで森の中に」
「疲れているんですか?でしたら2階のベットで横になっていてください、私は夕飯の支度をするので」
「あぁ、そうさせてもらおうかな」
本を腰掛のバックにしまい、そのままベットの中に入るとすぐに眠りについてしまった。本当に疲れていたみたいだ、一旦寝て明日また探索しに行こう。その時だった。
「キャア!」
「ニイナ!」
ニイナの叫び声が二階まで木霊する。慌てて向かうとそこには黒服に身を包んだ謎の集団が妹を担いでいた。
「妹を離せ!」
魔術を放とうとしたその時、背後から頭に強い衝撃を加えられ、そのまま意識を失った。
「怖い怖い、いきなり大魔術うとうとしたぞコイツ。一緒に連れて行け」
意識が途切れるその瞬間、最後に見たのは他の村人が笑う姿だった。そこにはおばあちゃんの姿も。
「!ここは!?」
そこは暗闇に包まれ、鍾乳石が天井に夥しく生え広がっている。一粒の水滴が落ちると水面に落ちた時の飛沫と音が木霊した。
「起きたか?」
「お前は...」
聞き覚えのある声、黒いフードを被った男がその姿をあらわにすると、そこにいたのはジークだった。
「なんで、ジーク...お前が!?」
「俺だけじゃない」
二人の黒フードも外すと、そこにはメイとダクトの姿があった。共に戦ってきた仲間達...その仲間達が、自分たちを襲った集団だったのだ。
「お前ら、どうして!?」
「ある人からお前を殺せと命じられてね」
「報酬もくれるし、アンタの持ってる財産も全て貰っていいって言うんだもの」
「それに、我らを王国直属の騎士団、聖天の騎士団の各部隊長に所属させると契約したのだ。お前の命と比べればなんとも出来すぎな契約だ」
「...ニイナはどこだ?」
「あぁ、ニイナちゃんならここにいるぜ。お前が目覚めるまでちょっと楽しみすぎちまったがな?」
「は?」
そこにいたのは艶のあった髪の毛とは裏腹、ボサボサに荒れ果てた金髪の少女。大粒の涙を流し、服は引き裂かれ、肌は露出している。何より、彼女の目の部分。とても、とても見れたものではなかったのだ。
「おにい...さ...ま...」
「あぁ...あぁぁ...ああああああああ!!」
釘を刺され、涙には血が混じっている。吐いた。腹の中の全てのものを逆流させられて、変わり果てた妹の姿を嫌なほど目に焼き付けられた。
「俺さ、お前のこと好きだったんだぜ。でもさ、なんつうのかな...」
ジークは頭をかきながら剣を持ち、口角を釣り上げ、恍惚とした目で俺を見た。
「ぶっ壊してやりてえーっていう感じ?なんか同じ辺境生まれなのに才能のあるお前を見てさ、努力してる自分がバカらしくなったわけ。お前が居なければさ!」
剣で叩かれる。鉄の衝撃が体全身を襲い、吹っ飛ばされるかと思ったが、俺の腕と足には枷が付けられていた。
「それは私特製の魔術封印を内蔵した鉄枷。魔術の使えない貴方なんて取るに足らないわ」
「元より我々は仲間ではなかったのだ。お前が油断した隙に最高の絶望を与える、それが任務の内容だったのでな。だからお前のパーティに入ったのだ。そして...」
ゆらりと妖しく刀を抜くと、刀身を首元に当てがった。
「ここで貴様を処刑する」
「ニイナ...」
「と、その前に」
「わーったよ」
「?」
ジークが振り翳した先には俺はいない。そう、俺がいないのだ。そこにいるのはたった一人、体を傷つけられた一人の少女。
「ほい」
ニイナだった。
「あ」
飛び散る。付着する。溶けていく。充満する。流血する。霧散する。転がる。広がる。群がる。破損する。
「ニイ...ナ?」
返事は返ってこない。足元に転がってきたニイナの頭部は目に釘が刺さったままだ。崩れた。俺の何かが、崩れて消えた。
「そいや、お前の村の住民達、この話をしたら嬉しそうに許諾したぞ。村に金が入るし、怪物達が魔力を求めてここにくる事も無くなるからってなww」
「よし、次はお前の番だ...」
その時、地盤が崩れ、俺の足元が運良く崩れ去っていった。地下へと崩落する俺を、三人は見つめたまま助けることなんてせずにただ立ちすくんでいた。
「いいのか?追わなくて?」
「いいよ、どうせ生き延びてもあの惨状を見ることになるんだから自殺すんだろ」
「それもそうね」
雨の中村へと走る。走って、走って走って走って、気づけば村の入り口まで来ていたが、そこにあるのは燃え広がる炎が村を飲み込んでいる無惨な景色だった。
「なんだよ...これ...」
村からは微かに悲鳴も聞こえる。自分を受け渡した奴らのことなどどうでもいいはずなのに、何故か足が動いていた。村の中を探していると、そこに帝都の騎士達がいるのに気付いた。
「おーい!何があったのか教えて...」
「いたぞ!大罪人のサバト・ゲルニカだ!」
「即刻殺せ!」
帝国の騎士達が剣を抜いてこちらに迫ってくる。これまで感謝された騎士達が、自分を血眼で我先にと殺しにかかってくる。一本の矢が俺の背中を襲い、血が噴出する。なぜこんなことに。
「どうして...」
鉄枷のせいで魔術が使えない今、できるのは逃げることだけだった。その内騎士達は追ってこなくなったが、矢が背中に刺さっているのと、夜明けまで走り続けた疲労感で、プツリと意識が途絶えていった。
「うっ、ぐっ...」
気づけば朝日が心地よく辺りを照らしていた。走ってきたであろう血の痕跡は雨と共に綺麗に消えていた。重い体を今出せる精一杯の力で起こすと、川辺にある岩に鉄枷を叩きつけ、粉砕する。魔術が使える事を確認すると、ローブとフードを被って俺は帝都へと急いだ。
「湿気や地面に滑りはなかった。つまり、もうすでにニ、三日は経過しているはず」
奴らが帝都に着いているのは間違いない。そして奴らに指示を出した人間にも目星はついている。
(奴ら諸共、殺してやる!)
帝都に着いたが、やけに人が少ない。いつもなら他国からの連絡船が行き交い賑わう港も、そこから溢れる人の波も、今日は一つも見当たらない。広場の方が騒がしかなっているのを見て、足早に向かえば、そこには酷く悲惨な現実が待ち受けていた。
「汝は罪を背負い、地獄の劫火にて、その業を背負い続けよ」
神父が祈りを捧げる槍の先に突き刺された、妹の生首だった。晒し首にされたニイナの首からは、血は流れない。流れているのは腐り始めた時に溢れる腐敗臭だ。
「私は悲しい...」
すると、一人の男が傷心した形相のままステージに飛び出し、演説を開始した。
「共に次世代の魔術師を率いて、いずれは魔王達を倒そうと誓ったあのサバト君が、村を滅ぼし、多くの人を殺戮した大罪人になろうとは...私はとても悲しい」
ガルード=トリスターデ。奇跡の魔術師と言われた男の口から飛び出る言葉は全て虚構のことに過ぎなかった。
「だが、道を違えた友を裁くのは友の役目。私は今回の件を重く受け止め、サバト君を...いや、大罪人サバト・ゲルニカをここに討伐する事を誓おう。彼らのような被害をこれから出さないために、私と共に戦って欲しい!!!」
スタンディングオベーションだった。最早、そこに俺の知る人々はいない。やつの掌の上で転がされる駒に過ぎない。誰もがニイナの顔に石を投げつけた。もう既に息のない妹に、酷い仕打ちを繰り返した。フードが風に飛ばされると、俺の表情は酷く歪みきっていた。
「おい!コイツ、サバトなんじゃないか!?」
一人の男が俺に気づいたようだ。すると人々は一斉に石やら棒などを持ってこちらに襲いかかってきた。
「私達も殺そうというの!?」
「出て行け!この人殺し!」
「お前のせいでおばあちゃんは!」
皆の投げてくる物を避ける事はできなかった。ニイナの晒し首がもう俺の心に深い傷を負わせたのもある。魔術で全員殺せるはずなのだ。しかし、手が動かない。自分を慕ってくれた人々を未だ俺は愛しているのだ。
「もう...死のうかな...」
『生きろ。生きて、コイツらを殺せ』
「!?」
「死ね!!」
すると俺は魔術を発動し、騎士団を全員吹っ飛ばしてその場から逃げ去った。森の最深部まで駆けると、不思議と乾いた笑いが止まらなかった。
「全て...全てに裏切られた!!愛していた仲間に!!共に夢を語った恩師に!!守ってきた人々に!!好きだった村の人々に!!アハハハハハハハ!!!!!」
壊れたように笑った。何もできない無力な自分を、あの場で殺す事もできたろうに、手を出す事もできなかった自分の弱さに。
「壊れてしまえ!!こんな...こんな世界!!」
その時、サイドバックに入れていた本が光り始め、気になりページを開けると、そこから大量の怨嗟の嵐と、憤怒の叫びが飛び出してきた。
「これ...は...!!」
その全てが体内に侵入すると、一つの声が脳裏に囁く。
「お前は全てを失った。ならば、この私が一つお前に与えてやろう圧倒的力を」
「誰だ!?お前は!?」
「私はお前だ」
「俺?」
「お前の抱くあらゆる感情の塊、私を受け入れれば、強大な力を得ることができる。さぁ、我と契約し、破壊の限りを尽くすのだ!そしてお前はなるのだ、最大にして最強、無敵の魔王に」
「俺が...魔王...」
裏切られた全てに報いを。そしてあの男を殺し、ニイナの仇を討つ。
「...よかろう、その契約結んでやる」
闇が一気に溢れ出し、ボロボロになった服が禍々しく闇深い服に仕立てられていく。漆黒のローブに身を包んだ少年は今はただ、復讐の為に動き始めた。