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神薙  作者: 猫ざらし
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8.睡蓮(1)

 

 

 ――揺れている。


「さっさと起きてください!」


 頬をつねられるような痛み。気がつくと、目の前にはデジ子がしゃがんでいた。


「デジ子!? ……鶯はっ!?」

「鶯は死にました。あなたも一緒に」


 やっぱり、私たちは裏切られたんだ。密告者は初めから夜行の転覆を目論んでいた。そして、戦闘で消耗した私たちも、このまま亡き者にするつもりだったのだろう。神薙や魔物の絡む事件に、警察は介入しないと玄月様は言っていた。つまり神薙や魔物が関われば、警察の目をかいくぐれる。そこまでの考えが砂淵繭にあったのかはわからない。


「面倒なことになりました。相手は五十人ほど。それに囲まれています」

「玄月様は?」

「それが、全く連絡が取れないんです。港の奥に、黒色に遮断された空間がありました。恐らく、そこで夜行と戦闘しているのでしょう」


 囲われている。それも、相手は銃を持った人間だ。


「あいつら、何者なの?」

「恐らく、砂淵が薬の密売などで雇ったゴロツキ達です。夜行は人間も食べていたようですし、敵の恨みは簡単に想像できます」


 壁からそっと、港の方の様子を伺う。敵は私たちを探しているようで、港を駆け回っていた。


「全員殺すのはまずいかもしれませんが、やむを得ません」

「デジ子ひとりで行くの!?」


 思わず引き止めるナカメを、デジ子が睨む。


「いい加減にしてください!」


 夜の風に、ピンクの髪が揺れた。 月明かりに照らされたデジ子の顔は、怒りで真っ赤だった。


「何度死ねば気が済むんですか! 貴方は人間なんですから、あれほど危険だと言っているのに!」


 張り詰めた声が、静寂を引き裂いた。


「死ぬなら、私のいない場所で死んでください!」


 ナカメは、何も言い返すことができなかった。黙って、遠くなっていくデジ子の背中を、見つめる。

 今日、私は何回死んだ。首を刎ねられて。心臓を玄月様に貫かれて。デジ子に肝臓を抉られて。銃で撃たれて。

 だけど、駆け出さずにはいられないのだ。例えデジ子が、私の身を案じてくれているのだとしても。それでも。

 ただ生きる意味を求めて、自分で決めて踏み込んだ修羅の道。指を咥えて見ているだけでは、いられなかった。

 私は、デジ子や玄月様、鶯とは違う。私は弱い。だから、何かを犠牲にしなきゃ、何も得られるはずがないのだ。 例えそれが、人の道から大きく外れることになるとしても。


「ごめん、デジ子……!」


 デジ子の姿を追いかけるように、物陰から飛び出す。

 瞬間、爆炎が視界を覆った。真っ赤に燃え盛る炎。

 景色に、言葉を失う。

 デジ子の体は炎に包まれて、炭の塊へと成り果てていた。

 

 

 ――遡ること、少し前。

 物陰から飛び出したデジ子は、闇を縫うように走っていた。敵の数は、正面に七人、右奥に五人、左に三人。

 敵がこちらに気づく間も無く、暗闇に咲き誇る無数の枝。生え広がった大樹は、男たちの身体を一瞬で締め上げた。


「が、ぁッ…………!」


 喉を締め付け、手足を絡め取り、銃を握る指先さえ封じる。悲鳴すらもあげさせず、骨のきしむ音だけが響いた。コンクリートを割って伸びる根、配管を巻き込んで絡みつく枝の、その中心に。デジ子は立っていた。

 終わった。残りは三十人くらいだろうか。大回りをして裏手から――。

 デジ子がひと息ついた、その僅かな一瞬を狙うように、銃声が鳴る。銃弾の狙う先がデジ子であれば、大したダメージにもならず、容易く防げただろう。

 だが弾は、デジ子が振り返るよりも早く。背後のタンクに小さな穴を開けた。タンクから噴き出したガスは、たちまち引火し、爆発音を轟かせる。静かな夜に、炎の花が咲いた。熱風が酸素を奪い、デジ子の体を飲み込む。

 炎に触れた途端、木でできたデジ子の腕は枯れ葉のように燃え上がった。痛みが走るより早く、皮膚が炭化し、燃え広がる。

 しまった、油断した。

 立ち尽くす瞳に映る、自分の燃える手。燃える身体。鉄と炎に囲まれた夜の工場で、全身が静かに崩れ落ちていく。


「デジ子――――!」


 声がした。バラバラと崩れていく視界に。馬鹿な人間の、泣き叫ぶ顔が映る。

 私の話を、聞いていなかったのですか。危険だから逃げてくださいと、あれほど言ったそばから。これだから人間は、鬱陶しいんです。

 ナカメが、デジ子に燃え移った炎を消そうと素手で肌を叩く。

 そんな事をすれば、あなたまで燃えてしまう。


「今消すから! 死なないでっ、デジ子!」


 なぜそんなに必死になるのか。私とあなたは、たった数時間前に会ったばかりなのに。


「あいつらは、私じゃ倒せないから……デジ子は、私を守ってくれたのに……死なない私をっ……」


 そんなに泣いて、馬鹿な人間だ。だけどどうしてか、この人間を見捨てることはできなかった。不死身なのに、なぜか傷つくまいと、敵から守ってしまう。

 魔法みたいだと驚く顔が、炎を消そうと必死に覆い被さるその姿が、何かに重なった。

 


 それは、都が二つに分かれていた時代だった。


 人里から遠く離れた山の中、鬱蒼とした森に、一本の大樹があった。

 いつ間にか私は、そこにいた。

 自分が何者かもわからず、どうして生まれたのかもわからない。ただ分かっていたのは、私はこの森から生まれたということ。それだけだった。

 自我というものが初めて芽生えたのは、ある春の日だった。私の頭の上で羽を休めるメジロに、蛇が飛びかかってきた。

 微動だにしない私を、木かなにかだと思ったのだろう。実際、私と山の境界線は曖昧だった。ふと、腕を振るう。すると、そばにあった枝がするする伸びた。それは思うがまま、蛇の胴体に絡まって。やがて蛇は、生き絶えていた。それが、私の自我が芽生えた瞬間だった。

 それからは、単調な季節の繰り返しだった。

 花を摘み、鳥と歌い、青葉溢れる木漏れ日の下を歩いた。秋になれば木の実を集め、積雪の中、棲家を失った動物に施しを与える。

 私はただ、木々と、土と、獣たちと暮らしていた。気まぐれに吹く風が、どこか遠くから人間の気配を運んでくることはあっても、関わることはなかった。

 だけど、そんな毎日を繰り返していたある日。


「山の麓に、妙な生き物がいる?」


 そう告げたのは、いつも近くを飛び回っていたメジロだった。珍しいこともあるものだと、私は重い腰を上げた。

 冬の山を下りると、そこにいたのはまだ五つにも満たない幼い男児と、布に包まれただけの赤子。薄い衣には泥をまとい、男の方の足は裸足のまま。震えるように、互いに寄り添っていた。

 親の影はどこにもない。痩せこけた頬。かじかんだ手。きっと村では生きられなかったのだろう。口減らし。動物にもよくあることだ。


「来るな! 化け物!」

「お前達ふたりで、この山を生きるのか?」

「うるさい! 妹にちかづくな!」


 私は、ため息をついた。仕方がない。このまま置いておけば、飢え死にするか、獣の餌になるだけ。 幸い、この山には木の実も小動物も豊かにある。少しばかりの世話なら、私にもできるだろう。兎や狸とそう変わるものでもない。


「しばらくは面倒を見てやる……大きくなったら、その赤子を連れて山から出て行け」


 私がそう告げると、兄は何も言わずに妹の包みを握りしめた。


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