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神薙  作者: 猫ざらし
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7.砂斑夜行(4)


 まずい。


 ナカメは、鶯の跡を追うデジ子の後ろを走りながら、焦っていた。

 鶯とデジ子の闘いは、デジ子が攻勢だ。少なくとも、ナカメからはそう見えていた。だが、鶯の姿はまるで進化するように、出会った頃とは全く異なる形へと変わっていた。


「何あれ!? 変身も依代の能力なの!?」

「違います。恐らくあれは、魔物の肉を食べて得た一時的な力です。放っておいてもいずれ自滅します。ですが、ここは市街地が近いので危険ですね……って、何であなたもついて来てるんですか!?」


 デジ子が、怒ったように眉間に皺を寄せた。そして、上空で蠢く鶯を撃ち落とさんと、木の弓を構える。


「だって、デジ子が追いかけて行っちゃうから!」

「折角あなた達から引き離したのに! それより、密告者はどこですか?」


 デジ子の言葉に、ナカメは後ろを振り向く。そこに密告者の姿はない。


「あ……置いて来ちゃった」

「おバカ!」


 デジ子の放った矢が、鶯の体に突き刺さる。

 だが、鶯の鱗に覆われた皮膚は硬く。服に着いた猫の毛でも払うように、ひと撫でしただけで矢は地面へと落下した。


「気をつけてください。恐らく鶯は、あれでもまだ進化の途中です」


 コンテナの上に立ち、見下ろすようにこちらを見つめる鶯を見る。

 鶯の腕は異形と化し、肘から先はまるで節くれだった蔦のように絡まり合っていた。腰から下は、絡み合う蛇の胴。何重にも巻きついた巨大な蛇体が、地を這い、毒の粘液を滴らせる。


「グウオオオオオッ!」


 苦痛に満ちた歪な叫び声が、耳をつんざく。

 デジ子が再び矢を放った。先ほどよりも大きく鋭い、枝を絞ったような矢。だがそれは、今度は鶯に届く間も無く振り落とされた。

 そうしている間にも、ボコリと。鶯の肉体が隆起する。


「進化って、魔物の肉を食べるとみんなあんな姿になるの!? まさか、あいつも不死!?」

「玉や依代は不老ですが、不死ではありません。あの姿……恐らく、相当な量の魔物を食べたのでしょう。十分と持たないはずですよ」

「どうしてそんなことを」


 のたうち回るように、鶯の長く伸びた腕がデジ子めがけて振り下ろされた。木の幹が鶯の腕と衝突し、ミシミシと軋む。


「玉のためですよ! 砂淵夜行ですっ!」

「なんで……魔物の肉を食べたら、死んじゃうんでしょ!?」


 異形へと姿を変えていく鶯。苦しさを堪えるように、歪んだ顔。

 依代は、もとは人間だとデジ子は言っていた。だとしたら、どうしてこんな姿になってまで玉に尽くすのか。ナカメには理解ができなかった。


「……神、薙が……夜行様からっ! 全て、奪ったっ……グアアアアッッッ……!」


 もはや、鶯に半蛇の面影は殆ど残っていない。だがそれでも、焦点の合わない瞳に宿る光は、何かに焦がれているようだった。


「鶯、お前このままだと、死んでしまうんだ!」


 鶯に向かって、ナカメが叫ぶ。

 鶯と神薙。そして夜行。彼女たちの間に、どんな因縁があるのかは分からない。だけどそれでも、手を伸ばさずにはいられなかった。


「煩い! お前に、何がわカル! ずっとひとりで生きてきた夜行様の苦しみガッ!」

「ナカメっ! 危ない!」


 鶯の鋭い爪が、ナカメの右腕をすっぱりと切り落とす。肉の裂ける音。灼けるような痛みが、肩から全身を駆け抜けた。


「ぐ、ううっ」


 ナカメが、奥歯を噛み締める。呼吸をするたび、肺まで突き刺さるような痛みが走った。今すぐ蹲りたい衝動を堪えて、数メートル先に佇む鶯を見つめる。

 鶯は、夜行のために戦っている。命を懸けて。


「鶯っ……! 主人を、夜行を守りたいんだろっ! お前が死んだら、誰が夜行を守るんだっ!」


 力を求めて、身を滅ぼすと知って、鶯はそれでも選んだというのか。主人を守るために、異形へと成り果てることを。

 どうしてそこまでできるんだ。夜行は化け物だ。お前がこんな姿になって戦っても、泣いてはくれないかもしれない。お前の存在理由を満たしてはくれないかもしれない。それでも、なぜ死のうとできるんだ。


「鶯! お願いだから、止まって……!」


 鶯の体を覆う、魔物の痕。鱗のように硬化した皮膚。爛れた肌に浮かぶ無数の傷。そのどれもが痛々しく。どれほどの苦しみが、鶯を襲っているのか。


「このままだとお前が、死んでしまうっ……!」


 止まってくれと。そんな願いを込めて、ナカメが叫ぶ。


「ぐああああああああッ!」


 怒号とともに、鶯が腕を振り上げる。ナカメを守るように、デジ子が分厚い盾を繰り出した。しかしそれは、紙のように引き裂かれた。


「ナカメっ!」


 ナカメの腹を貫く、鶯の青黒い爪。

 ぼたりと、コンクリートに垂れる鮮やかな血。生々しい赤が、煌々と輝くタンクの灯りに照らされた。


「黙れっ……ダマ、レっ……!」


 目前に迫る、鶯の顔を見る。鱗に覆われた頬。怪物と成り果てたその中に光る、琥珀色の瞳。

 痛みと苦しみで満ち溢れたその顔に、ナカメは残された片手で、そっと触れた。


「触るな、人間ガあああッッッッ!」


 ――私にだって、もう何も残されていないんだ。家族はいない。友達だって置いてきた。誰かのために死にたいと思っている。お前と一緒なんだよ、鶯。


「お前だって、もとは人間だったはずだ…………」


 鶯をこんな体にしたのは、きっと夜行だ。それでも、鶯は夜行に付き従い、前に進もうとする。あまりにも哀しい執念。 きっとその根本にあるものは、自分にはない感情。夜行への執心。


「夜行、様っ……夜行様を、返セっ…………」


 鶯の瞳に、黒い涙が浮かんだ。

 夜行はきっと、鶯に愛されていたのだろう。鶯の哀しげな瞳が。命を投げ出した敵の姿が。爪よりも深く、ナカメの胸を抉った。

 敵だというのに、憎めなかった。目を逸らしたくなるほど哀しく、そしてどこか、羨ましかった。出来れば、これ以上戦いたくはない。きっと鶯は、デジ子には勝てない。最初からそう分かっていたから、自ら魔物の肉を食べたのだろう。

 もう後戻りができないのなら、せめて夜行の元へ。どうか最後だけでも、安らかに。


「鶯……お前は」


 ナカメが口を開いた瞬間だった。パンという破裂音が響く。夜の闇を引き裂く、一発の銃声。


「夜行、さま…………」


 ぐたりと、鶯の体がナカメに深くもたれかかる。まるで、力を失ったように。咄嗟に抱えたナカメの手のひらが、ぬめついた液体で染まった。


「え」


 鶯の体から、ハラハラと鱗が落ちる。鶯が、もとの人の姿に戻っていく。まさか、さっきの銃声は。


「あっはっはっは! やっと死んだな、この化け物が!」


 立っていたのは、ひとりの男。それは、密告者であるはずの砂淵繭だった。


「どうして…………」

「化け物を殺すには、化け物が必要だろう」


 砂淵繭の握った銃口が、再び突きつけられる。それは、真っ直ぐナカメの方を向いていて。


「川崎は俺たち人間のシマだ! お前らみてぇな化け物なんか、皆殺しにしてやる!」


 二発目の銃声。

 騙されたんだ、私たち。密告も、全部仕組まれていたんだ。鶯は死んだ。人間の手によって。デジ子は大丈夫だろうか――。

 

 


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