4.砂斑夜行(1)
玄月の言葉に、ナカメは顔をあげた。
「次の仕事って、今からですか!?」
外はもう夜だ。それも、日付が変わるほどの真夜中。まだここに来たばかり、まだほんの少しの説明しか聞いていない。
「敵は眠ってはくれない。それに、神薙が活動できるのは基本的に夜だけなんだよ。ナカメのときみたいに、人目についたらまずいからね。あ、ちなみに私はとくに日光に弱いからよろしく」
さっそくの魔物退治。まだ、心の準備なんて全然できていない。
そんな様子のナカメに、玄月が挑発するように笑った。
「ま、ナカメは眠っていてもいいよ。子どもは寝る時間だろうからね」
「行きます!」
「扱いやすくて助かるな……あれ、服破れてるじゃん。どうしたの?」
玄月が、ナカメのみぞおちに空いた服の穴を指差す。
「うわ、部屋も血まみれだし……君たち流石に仲良くなりすぎじゃない?」
「これはさっきデジ子が私を、ふぐっ」
そこまで言って、デジ子に口を塞がれる。
「なんでもありません、玄月様。ほら、行きますよ!さっさと着替えてください!」
デジ子に床を引きづられながら、別の部屋へと連れて行かれる。
「とにかく、あなたには玄月様の役に立ってもらいますからね!玄月の家は常に人手不足なんですから!」
初任務。私は、どんな敵と戦うのだろうか。それに、神薙という組織のこともまだよく分からない。
デジ子の言っていた話は、未だ全部が理解できたわけじゃない。神薙という組織。玉の存在。魔物との混血。
迷うな。ここで見つけるって決めたんだ。自分の生きる意味を。
「任務の詳細はモニターで説明するから。あ、ナカメって車で本読むと酔うタイプ?」
「大丈夫です。読めます」
建物を出たセダンは、夜の闇に包まれた車道を滑るように進んでいた。
窓の外には、点在した無機質な倉庫やコンテナ群が流れていく。
「ターゲットは、川崎市の湾岸に居を構える砂淵の家。江戸末期までは名家のひとつだったんだけど、家業の鍛治業の衰退とともに凋落した。神薙四十九家から外れた今も、昔の玉は健在。そして、きな臭い噂が絶えない」
「神薙から外れたときに、玉は処分されなかったんですか?」
「当時は、明らかな離叛行為があったわけじゃないからね。古い家だし、帝の情けもあったんだろう。私も最後に会ったのは三百年くらい前だけど、けっこういいやつだったよ」
三百年という途方もない数字に、一瞬混乱する。この人たちは人間たちじゃないんだ。半分魔物なんだから、何年生きていようがおかしくはない。それよりも、砂淵という家が、今回の任務で倒すべき敵。
玄月の話から、砂淵が元神薙のメンバーであることは、ナカメも理解していた。
「その砂淵という家の人を、どうするんですか……?」
「消すんだよ。それが上の命令だ」
「消すって……」
殺すということか。
「砂淵は表向きは貸金業をしているけど、裏では薬の密売から、人身売買にも手を染めている。人身売買はもちろん、人間をバラして売るあれね」
「警察は何してるんですか? そんな悪人なら、警察がとっくに動いているんじゃ……」
「相手は人間じゃないからね。魔物が存在するなんて明るみに出たら、それだけでまずいでしょ。警察と軍の役割が違うように、私たちも仰せつかった役割があるなさ。デジ子とナカメにはまず、今回の件の密告者に接触してもらう。そして、砂淵の玉。砂淵夜行を抹殺する」
「砂淵以外の人間はどうしますか」
デジ子の質問に、玄月の答えは簡潔だった。
「鶯だけは殺せ。それ以外は君たちに任せるよ」
「鶯って、誰ですか?」
首を傾げるナカメに、デジ子が淡々と説明した。
「砂淵夜行の依代です。玉の大半は、自らの力を授けた存在をそばに置きます。それが、依代です。玉と依代は一対一。つまり依代とは、玉に与えられた力の代わりに、命を賭けてでも玉を守る存在です」
王様のバディのようなものか、と雑に理解をする。
「玄月様とデジ子みたいな感じってこと?」
「私は違います。玄月様に依代は……いないでしょう」
「まぁ、玄月は私ひとりで十分だからね」
玄月がへらりと、軽やかな笑みを浮かべる。
不思議な人だ。隣に座る玄月を見ながら、思う。
玄月様は、神薙の上に君臨する四家だと、デジ子は言っていた。その玉なのだから相当な実力があるはずなのに、玄月様の言動にそんな様子は一切ない。確かにミステリアスだけど、それを差し引けば、気さくで美人なお姉さん。そんな感じがする。本当に四家というのは、すごいものなのだろうか。
ナカメがじっと玄月の横顔を見つめていると、玄月の赤い瞳が遊ぶように細まった。
「ナカメ、私に見惚れてる場合じゃないよ。さっそくお出迎えだ」
「出迎え……?うわああ!?」
突然の衝撃とともに、車が大きく跳ね上がった。まるで、車のトランクに隕石でも衝突したような衝撃。
思わず振り返ると、リアガラスには女性の顔が映っていた。
「ぎゃー! く、玄月様! お化けです!車の上に女の人が!」
「あはは。お化けだったら楽なんだけどね。あれが砂淵夜行だよ」
嘘だ。ナカメはもう一度振り返った。
そこにいる女性は、どう見ても妖怪や魔物というよりも、お化けだ。首から目元までが魚のような鱗に覆われて、瞳は黄色く、額には紫の角が生えていた。
「いやいやいや!やっぱりお化けじゃないですか!」
「あれー確かに夜行ちゃん、ちょっと雰囲気変わった?」
「窓開けて話しかけないでください! 入ってきちゃいますから!」
玄月は、呑気に窓から顔を出してへらへらと笑っている。
あれが砂淵。とてもではないが、人間が戦って敵うような見た目でない。
「玉は魔との混血だからね。人間とかけ離れた見た目も多いんだよ。とはいえ、あれはちょっとイメチェンしすぎかな」
車は今も、工業地帯の隙間を縫うように走り続けていた。
「あと五分も走れば、密告者のところに着く。夜行は私がやるから、二人ともあとはよろしく」
「玄月様っ!?」
戸惑うナカメを置いて、玄月は走行中の車から飛び降りてしまった。その姿を追うように、トランクにのしかかっていた砂淵夜行の姿も消える。
助手席に座っていたデジ子が、ため息をついた。
「早く慣れてください。玄月様はいつもあんなですから」
「追いかけなくて平気!?」
「玄月様は神薙四十九家、最強の玉です。貴方が行ったところで足手まといですよ。一番弱いんですから。それより、そろそろ密告者のところに着きますよ」
車が静かに停まる。
辺りは無数のパイプが絡み合い、巨大なタンクの立ち並ぶ工業地帯。オレンジの常夜灯に照らされた金属の塊が、巨大な生き物のように見えた。
「運転手さんは置いて行っていいの?」
「あれは私の木人形です」
デジ子がそう言うと、運転席に座っていた人影が丸太に変わる。デジ子の木子の力は、色んなことができるらしい。
「私たちは鶯って人と戦うんだよね」
「砂淵夜行の現れ方からして、鶯は別行動をとっているはずです。居場所は密告者に聞きましょう」
薄暗い道を淡々と進むデジ子の足に、迷いはなかった。
「デジ子は怖くないの?」
「何がですか」
「死ぬかもしれないんでしょ?」
私の体は不死身だ。だけど、玄月様やデジ子は違うだろう。先ほど見た夜行の姿は、とてもではないが人間の姿ではなかった。あんな敵と、任務だからという理由だけで戦える理由がわからない。
「くだらない質問ですね。玄月様は、私に期待をしている。だから私は、その期待に応えるだけです……あれが密告者です」
デジ子が指差した先。物陰に隠れるように立っている人がいた。気弱そうな男だった。
「砂淵繭さんですね」
「あんた、玄月か……!? よかった、もう来ないんじゃないかと思ったよ……!」
ほっとしたように笑みを浮かべる男は、中肉中背の五十代半ばほど。見た目だけでは、普通に通勤電車にでも乗っていそうな風貌だった。
「貴方を保護します。その前に、鶯はどこにいるか分かりますか?」
デジ子が訪ねた、その時だった。空気を裂くように、一筋の銀線が走る。
アスファルトを割るように突き刺さるそれは、数十センチはある巨大な針。
そして針の後を追うように、黒いシルエットがコンテナの上から飛び降りた。
「お前、玄月の手先だな…………」
それは女だった。先ほどの砂淵夜行よりは人間の形を保っているが、青色の長い髪は血を吸った糸のように肌に貼り付き、爛れた皮膚はところどころ剥がれていた。そこから覗くのは、棘のように硬質な鱗。
「夜行様の庭を荒らす者……全員、殺してやる……!」
女の指先から無数の針がするすると伸び、糸のように夜気を漂う。