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神薙  作者: 猫ざらし
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2.神薙

 ――あんなの、人間じゃない。あれこそ化け物なんじゃないか。


「ここで起きたこと、全部忘れたってな」


 ナカメの背中に、女の声が響く。こんな光景、忘れられるわけないだろ。そう心の中で叫びながら、ナカメはもといた校舎へと走った。

 遠くに見える校庭には、いつもの日常が広がっている。体育の授業をする生徒たち。教室の移動をする集団。誰ひとり、ナカメが遭遇した異変になんて気づいていない。


 ――無事に、戻れた。


 ほっと息をついたその瞬間、ナカメの背筋に悪寒が走る。


 ――何かがおかしい。最初に教室の窓から見た天狗の面は赤だった。だが、さっき女が倒した天狗の面は、青。つまり、もう一匹いるのだ。私が教室で出会った天狗は、まだ死んでいない。


 その瞬間だった。鈍い衝撃が、音もなく腹を貫いた。


「……え?」


 視線を落とす。腹から突き出た、黒くて硬い爪。制服のシャツが、みるみると赤く染まっていく。


 ――後ろから、刺された。


「あ……あ、あッ…………」


 体が震え、足元がふらつく。激しい熱感が、心臓の鼓動とともに傷口から広がった。

 なんとか頭だけでも、振り向こうとする。その瞬間、刃のように鋭いものが閃き、ナカメの視界が回転した。

 目の前で、自分の体が倒れていくのが見える。

 ナカメの頭は体から切り離され、宙を舞っていたのだ。


 「あ、ぁ………………」


 ――私、死んだの?私の人生、終わったの?


 視界がぐにゃりと歪み、意識が黒く塗り潰される。

 これでよかったんだ。私はみんなを守ろうとして死んだ。誰かの力になれた。誰かを守って死にたいと、ずっと願っていたじゃないか。

 だけど――違う。全然違う!私は、死にたかったんじゃない。誰かに認められたかった。誰かに必要とされたかった。

 なのに、こんな終わり方じゃ、誰の記憶にも残らない。誰にも求められない。誰からも必要とされない。


 ――そんなの、嫌だ。


 肉がうごめく音がした。視界がぶれ、失ったはずの、心臓が、鐘を打ち鳴らすように鼓動する。

 顔の奥が熱い。焼け付くような感覚が、頭の奥にへばりつく。まるで何かが、自分の内側を蝕むように。


「ぐ、あぁぁッ――――!」


 ――私は求められたい。誰かに必要とされて死にたい。


 そんな、ナカメの渇望に呼応するように。

 顎の下。自分の首の切断面が盛りあがるのを感じる。泥粘土に神経が生えるように、体が再生していく。


「あ、あぁッ…………!」


 腕を伸ばす。痺れていた感覚が、明瞭なる。

 目の前には、バラバラになった自分の死体。そして、首の下には、新しく生まれた自分の体――確かに首を切断されたはずのナカメの体は、生き返っていた。


「ホホホ! これは面白いのう! 不死とはますます気に入った! 何度でも喰えるやもしれん。喰わせろ、その血肉……!」


 天狗はひとしきり笑うと、黒紫の翼を大きく広げ、ナカメめがけて一気に距離を詰める。

 狂気と愉悦に、濡れた瞳。鋭い鉤爪が、闇の中から迫った。だが――――。


「おうおう、やってるねぇ」


 先ほどの女とは違う。悠々とした声だった。

 ナカメの目の前で、どこからか現れた血の粒が集まり、ひとつの姿へと形を成していく。そして、ゆらりと姿を現した人影。


「貴様、神薙(かんなぎ)か――ぎあッ!?」


 それが、赤天狗の最後の言葉になった。

 一瞬にして黒紫の翼は切り裂かれ、紫の飛沫が地面に無数の点をつくった。


「な……に……?」


 呆然と立ち尽くすナカメの目の前に立っていたのは、黒いスーツの女。肩の高さに切りそろえられた、白銀の髪が揺れ、その手には、血のように赤い刀が握られていた。


「まさか昼間に呼び出されるとはね。日傘ださないと。あれ、もしかして忘れてきた……?」


 銀髪の女のすぐ隣に、木の幹がせりあがるようにして、もうひとり女が現れた。そして、日傘をさしだす。最初に現れた銀髪の女よりもひと回り小柄な、ピンク頭の女だった。

玄月(くろつき)様、確認できました。ワダツミが双天狗を仕留め損ねたらしく、ここに現れたようです」

「デジ子は仕事が早いね。感心感心……しかし双天狗なんて、わざと取り逃がしたんだろうな、あのクズ。人間に現場見られて後処理がめんどくさかった、とか。そんなところか」


 玄月と呼ばれた女が、ため息をついた。

 助けが来た。そう信じて、ナカメが声を絞り出す。


「あの、あなたたちは…………?」


 玄月が、ナカメを見る。人間のものとは思えない、細長い赤の瞳孔が、真っ直ぐにナカメを捉えていた。


「君、名前は?」

「…………中六(めぐる)です」


 玄月は「そうか」とひと言だけ告げて、目を細めた。


「色々と災難だったね。わたしたちは神薙(かんなぎ)。さっきみたいな魔物を狩るためにつくられた、半魔たちの集団さ」

「魔物を狩る、半魔……?」


 玄月の話は、にわかには信じがたいものだった。だけど、信じられないことは、先ほど目の前で起こったばかりだ。


「それよりさ、」


 玄月が、ナカメの前にしゃがみ込む。


「――――君、さっき死ななかったよね?」


 玄月の問いに、口ごもる。自分の体に、一体何が起きたのか。

 間違いなく私は一度死んだ。首を刎ねられた。それなのに私は、まだ生きている。


「不死身の人間なんて、どう考えても人間じゃないでしょ。そんなヤバいやつ、捕まえるか退治しないといけないんだよね……立場上、さ」


 玄月の赤い瞳が、月の弧のように笑う。

 出立ち、匂い、振る舞い――この人も、たぶん人間じゃない。


「中六巡。君に選択肢をあげよう。私に退治されるか、私の飼う魔物となって、君も魔物を狩るか」

「そんなの急に――」

「持ち帰り検討しますって? そんな悠長なことは言っていられないよ。あと一分もすれば、さっきのやつ。私よりずっと凶暴な神薙がここに現れる。そうすれば君への選択肢はただひとつ、退治されるしかなくなるだろうね。不死といえど、封印することは容易いから。君、弱そうだし」


 選べと言われても、どちらも嫌に決まってる。退治されるだなんて冗談じゃないし、さっきみたいな化け物を狩るなんて、できるはずがない。

 どうして私はまだ生きてるんだ。なんで死ななかったんだ。

 いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。


「私は普通の人間です! さっきみたいな化け物と戦うなんて……!」


 できない。そう答えようとした瞬間、玄月の手のひらに、血が螺旋を描いた。それは槍となってナカメの心臓を貫く。


「あ、が…………ッ」


「人間?……残念ながら君はもう。人間として生きることはできないんだよ」


 穿たれ、失われる意識。二度目の死。だが瞬きした瞬間に、貫かれたはずの穴は塞がっていた。


「君はもう人間じゃない。そして、神薙は魔物である君を認識してしまった。奇跡的に私から逃げられたとしても、外を一歩でも歩けば、神薙の他の誰かが君の命を奪うだろう。神薙だけじゃない。また魔物が君を襲うかもしれない」

「でも……無理です! さっきの化け物みたいなやつを倒すなんて……怖いし、死なない理由もよくわからないし、私は普通に――」


 違う。私が求めていたのは、普通なんかじゃない。私が欲していたのは、誰かに必要とされること。死んだとき、みんなが私の死を悔やみ、涙する。誰もが私の生きる意味を疑わないような、そんな高潔な死だ。そして、それを成し遂げるためだけの――強さ。

 強さなら、手に入れたじゃないか。不死という絶対的な力を。この力で、誰かの力になれるなら。みんなが悔やむような最後を、迎えられるなら。


「……神薙というものに入ったら、人を助けられますか。みんなから、認められますか」

「それは君次第だよ、中六巡」


 生まれてきた意味がわからなかった。自分の中は、ずっと空っぽで。だけど、そんな私の中が、誰かの悲しみや涙で埋められるのなら、知らない世界にだって飛び込める。

 歪んでいるだろうか。私の欲望は。でも、さっきの死の瀬戸際でわかった。わたしは無償で命を懸けられるような、美しいヒーローにはなれない。打算的で、見返りを求めた自己犠牲。それでしか、命を懸けられない。人のためには生きられない。


「わかりました。私は神薙で、あなたに飼われる魔物になります」


 玄月が、悪魔のように頬を釣り上げた。


「ってことだから、中六巡は今日から玄月で預かるよ」

「玄月様!まさか帝様に報告しないおつもりですか!?」

「いちいち従えた魔物なんて報告してないでしょ、平気平気」


 隣に立っていたデジ子が、呆れたようにため息をつく。


「……知りませんからね。私は先に戻ってます」


 それだけ言うと、デジ子の姿は光の粒となって、姿を消してしまった。まるで、魔法だ。


「中六巡」


 迫る、玄月の赤い瞳。銀の髪がはらりと揺れた。


「神薙は半魔の集まりだ。魔物と人間の混血。それはつまり、人間でも魔物でもないってこと。一員になるからには、君はもう人間の世界には戻れない。それでも、後悔はないね?」

「……はい」


 神薙という場所で、私の力を求めてくれる誰かが見つかるのなら。どんなに遠い場所でも、進んでいける。そんな気がした。

 

 これが、ナカメと玄月の出会いだった。

 歴史の表舞台には決して現れず。それでいて、社会の裏に深く根を張る存在。

 必要な闇を引き受け、見えざる均衡を保ち続ける。決してその名が、公になることのない者たち。


「ようこそ、神薙(かんなぎ)へ」


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