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神薙  作者: 猫ざらし
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1.不死の少女


 休み時間の廊下には、生徒たちのざわめきと笑い声が満ちていた。


「進路希望もう出した?」

「とっくに出したよ、期限おとといだし。まさかまだ出してないの?」

「え、おととい!? やば、ぜったい呼び出されんじゃん……お願い、写させて!」

「はぁ!? 進路希望写すとかありえないでしょ、ねぇナカメ」


 振り返った女子生徒。その少し後ろで、ナカメと呼ばれた生徒が、ぴたりと足を止めていた。見つめる先には、一枚のポスター。

 ――妖怪浮世絵展覧会

 そこに描かれていたのは、赤い面をしたおどろおどろしい天狗の姿だった。鋭い目、笑っているのか怒っているのか分からない不気味な口元。黒い筆の勢いが生々しく、紙の上で天狗がこちらを見下ろしているように思える。今にも動き出しそうな鮮烈さに、思わず目を奪われる。


「――おーい、ナカメ! どうかしたの?」

「え!? ううん、なんでもない!」


 不思議そうに振り返る友人たちに、ナカメはポスターから慌てて目を離した。そして、前を行く二人の友人に追いつこうと駆けだす。

 その時だった。ナカメたちとは反対方向に、歩いてきた人間とすれ違った。

 黒いスーツに身を包んだ、長身の人。黒の長髪をひとつに束ね、片目は怪我をしているのか、白い眼帯で覆われていた。

 ――生徒の保護者? それとも、新任の先生かな。

 すれ違う瞬間、ズボンの腰元から、何かがぽとりと床に落ちた。気がつかず歩いていくその後ろ姿に、ナカメが反射的にそれを拾いあげる。


「ナカメー! 置いてくよ!」

「すぐ行くから先行っててー!」


 ナカメが拾いあげたもの。それは、小さなお守りだった。朱色の古びた御守り。


「あの、落としましたよ」


 ナカメの声に、すれ違った人が振り返る。口元にわずかな笑みを浮かべたその人は、中性的だが女性のように見えた。


「おおきに、大事なものやから助かるわ」


 不思議な声だった。まるで水の中で音が反響したような揺らぎ。鼓膜に直接触れるような感覚。

 人間離れした声に、ぞわりと背筋が粟立つのを感じる。

 だが、スーツの女はナカメの反応を気にも留めず、ゆっくりと微笑んだまま。お守りを懐にしまうと歩いて行ってしまった。


 ――なんだったんだろう、今の。

 ナカメは歩き出しながらも、異質な声が、耳にこびりついて離れなかった。

 その後はじまった数学の授業。ナカメはぼんやりと黒板を見つめていた。頭の中では廊下で見たポスターと謎の女の声が、浮かんでは消える。

 ――さっきのひと、実は妖怪だったりして。

 退屈な授業の隙間から落ちるように、妄想する。突然、ナカメのいる教室の窓ガラスが割れ、巨大な妖怪が飛び込んでくる。先生やみんなは、悲鳴をあげながら逃げ惑う。そんな中、私は机を蹴り倒して、武器を探す。しかし、辺りに武器になりそうなものはなくって、周囲はパニックに陥っていて。

『誰かが戦わなきゃ……!』

 私は立ち上がって、定規を片手に拳を握りしめた。その瞬間、私の中の眠っていた才能が開花――。


 「ナカメ!」


 現実に引き戻される。気がつくと、私のすぐ隣には、険しい顔の先生が立っていた。


「お前、何回呼ばせるんだ。定規なんて握ってないで、質問に答えろ!」


 クラス中が笑いに包まれる。ナカメは頬を赤くしながら、俯いた。


「ナカメ、しっかりしなよ」


 後ろの席の友達に、シャーペンで背中をつつかれる。

 何やってんだ、私。さっきの妄想が許されるのは中二まで。私はもう高二だ。頭の中の妖怪ふり払って、教科書を開く。

 妄想が好きなわけじゃない。だけどたまに、無性に空想の世界に逃げたくなる。

 夢に描く世界の展開はいつも決まっていて、なんてことのない女子高生の私、中六(めぐる)は、実は世界最強の力を持っているのだ。そして学校が突然テロリストや怪物に襲われて、みんなに隠していた力が、発動してしまう。

 そして、オチは必ず誰かを庇って、自分が死ぬ。

 ありふれた、くだらない妄想。だけどそれは、自分がなんのために生きているのか知りたい。そんな根源的な渇望だった。私の両親は、幼い頃に死んでしまった。自分を「一番」だと思ってくれる人は、この世界にどこにもいない。友達はいても、常に相手の心の天秤には、私よりも大きなものが乗っているのだ。例えばそう、家族とか。

 だとしたら。誰かを守って死ねたなら。誰かにとって私の人生は、少しは価値のあるものになるのかもしれない。例えば、電車のホームに落ちた人を助ける。海で溺れた子どもを守る。だけど、現代世界で人を助けて死ぬことなんて、ほとんど起こりえない。


 ――私は、何のために生きているんだろう。


 答えのない問いに思いを馳せながら、再びナカメが空想の世界に浸ろうとした。そのときだった。

 突然、教室が不気味な影に包まれた。何かに引き寄せられるように、窓の方を見る。そして――心臓が止まりそうになった。

 窓いっぱいに、巨大な赤い面の天狗が、こちらを覗いていたのだ。

 ぎょろりとした血走った目がナカメを捉え、口元がゆっくりと開く。そして、ぞっとするような笑みを浮かべた。


「ひっ……!?」


 思わず声を漏らす。だが、クラスメイトたちは普段通り授業を受けていて、誰も気がついている様子はない。まさか、自分にしか見えていないのか。それとも、これは私の妄想か。

 すると赤い面の天狗が、開いた窓から教室の中へ、腕を伸ばした。触れた花瓶が棚から落ちて、派手に音を立てる。


「きゃ……! な、なに!?」

「なんだ? 急に花瓶が割れたぞ」


 生徒たちがざわめきだす。その光景に、ナカメは唾を飲み込んだ。やっぱり、あの化け物は私の妄想なんかじゃない。現実に存在している。

 そうしている間にも、教室の隅に座る生徒へと天狗の鉤爪が迫った。ナカメは椅子を蹴るように立ち上がると、教室を飛び出す。


「ナカメ? どこ行くの!?」


 呼び止める友達の声を無視して、廊下を駆け抜ける。そんなナカメの様子に、天狗が不気味に笑った。


「ホッホッホ……儂が見えるとは面白い人間ぞ。これはうまそうだ」


 追いかけてきてる。ナカメの背筋に、感じたことのない冷たいものが走った。ここで立ち止まれば、間違いなく殺される。


「……食べたかったら、追いついてみろ!」


 そう言い捨て、全速力で校舎の外へと走った。幸い、廊下の広さでは羽が広げられないのか、その動きは緩慢だ。そんな化け物を、他の生徒と鉢合わせにならないように細心の周囲を払って、誘導するように逃げる。目指すは、建設中の新校舎。そこであればだれもいない。


 ――だけど、誘導してどうする?あんな巨大な化け物、勝てるはずがない。警察とか、大人とか。誰かを呼んだほうがいいんじゃないか。けど、みんなには見えてなかった。先生と話している間に殺されてしまう。


「ホッホッホ、久方ぶりの人肉ぞ。おんな子どもが大勢おるとは、よき時代になったものだ」


 新校舎の工事現場には、埃っぽい風が吹き抜けていた。後ろを振り向くと、青い面をした天狗が悠々と翼を広げていた。私は馬鹿か。こんな広いところじゃ、いい標的じゃないか。校舎に戻るか、いや、飛んで追いつかれたらおしまいだ。

 武器だ、武器をさがせ。妄想の中でも、そうしていたじゃないか。

 ナカメは咄嗟に、地面に転がっていたシャベルを掴む。


「……やるしかない!」


 天狗が腕を振り下ろす。その動作ひとつで、距離が離れているにも関わらず、強烈な風圧が押し寄せた。

 周囲の鉄パイプが吹き飛び、高い金属音を響かせた。砂埃で、前が見えない――薄く目を開いた隙間に映る、目前に迫った天狗の爪。


 ――早い、避けられない。


 死が、脳裏に鮮明によぎる。悲鳴をあげそうになった、その瞬間。青白い稲妻が、天狗を上空から撃ち抜いた。


「……ッ!?」


 粉々に砕け散る、青色の面。天狗がうめき声を上げる。

 バチバチと弾ける音を立てながら、焼け散った天狗の左半身。その向こうに立っていたのは、昼間に見たスーツの女だった。束ねられた黒髪。その青みがかった毛先が、風に揺れた。女は雷を纏う刃を手に添えると、紫紺の瞳を細ませる。


「自分、これが見えとるんや……まあええ。ここからが本番やな」


 細い刀身に、青白い電撃が迸る。


「――はよ逃げへんと、自分も殺してまうで?」


 その静かな声の矛先は、間違いなくナカメに向いていた。間髪入れずに轟く雷鳴。青い光が天狗を射抜く。焦げた羽が空を舞い、天狗の体が崩れ落ちた。

 電撃にかすめたナカメの制服の裾が、わずかに焦げる。


 ――ここにいたら、本当に殺される。


 ナカメはその光景に言葉を失いながらも、逃げるように駆けだした。


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