サン・セバスティアンの遺児
この街は変わってしまった。
カルロス・オチョアにとっては気に入らない形に。
外国人が増えた。観光客が多い。
何十年も前に、この街のサッカークラブ『ラ・レアル』はバスク純血主義を捨て、外国人選手を獲得し始めた。
今や、カルロスにとってのバスクの誇りは、少しずつ失われゆくモノのように感じられる。
"バスク・ダービー"は最早、子供に言い聞かせる童話の様に退屈な印象になった。
ラ・コンチャの海岸沿いも、かつてほど穏やかではない。
今、目の前で起こっている事の様に。カルロスは歯を噛み締めながらひとりごつ。
「バスクの恥め」
バスク人の若者達が、サッカーボールを抱える東洋系の少年を囲って威圧している。
今の若者はどういう教育を受けてるんだと怒りながらも、警察に電話をするふりをする。やや衆目が向きはじめる。彼らに聞こえる様に大きな声で、近づきながら。
***
「ありがとう」
「ヘナチョコが出歩くな。家に帰って犬の足でも食うんだな」
冷たい表情で吐き捨てて、カルロスはその場を去ろうとする。
少年の優しげな表情がきょとんとしたかと思うと、一転して、怒りに変わった。
「な、おい!俺は日本人だ」
「俺にとっては変わらんさ」
「気に入らない。差別が好きなんだな。そもそも、ありがた迷惑だ。彼らが復讐に来ることも考えられないのか!奴ら、当分海岸をうろつくぞ」
「……」
「おかげで、また一人でボールを蹴る場所を探さないといけない」
怒りのまま追従して、少年は小言を吐く。だが、言うことに一理ある。そこまで考えていなかったな、とカルロスは静かに後悔した。カルロスはこの少年を虐めていた若者ほど非情ではありたくない。
「おい黄色いの」
「テツヤだ、白いの」
「庭を貸してやる」
「は?」
それに存外気が強い様だ。さっきの若者集団よりかは面白い。
***
「本当に来るとはな、ニーハオ」
「テツヤだ」
「好きに使え。誰にも口外するんじゃないぞ」
「……ありがとう」
テツヤを裏庭へ通すと、驚いた表情を見せる。
「これは一体……」
「詮索はするな」
立派な人工芝の、ハーフコートが広がっていた。
***
サン・セバスティアンで産まれ育ったカルロスは過去に、ラ・レアルに所属した選手だった。
かつてのラ・レアルはバスク純血主義を徹底し、バスク地方に縁のある選手のみで戦ってきた。強力な外国人やスペイン人がひしめくトップレベルの戦場で、時に相手をうらやむこともあった。
だからこそバスクの純血であることを誇り、支えあってきた。及ばないからこそ、力に変えてきた。
数が必ずしも美しい結果を生むとは限らないのだ。
『仲間を思い、己の力を使い尽くせるか』
そう信じて戦うことの強さを現代は見失っている。ライバルチームのロス・レオネスだけが今や純血主義を守り抜くだけだ。カルロスは嘆く。
ラ・レアルは進化のために純血を捨てる選択をした。
彼にとってはそれが辛いことだった。
***
半年がたった。
テツヤは変わらずカルロスの家に通い詰めている。
関係も少し変化していた。
テツヤは地域の有望株として、トッププロになることを期待されるほどの選手だったと知った。
テツヤ自身もカルロスの素性を知り、自身が出た試合の動画を持参してはアドバイスを求めるようになった。
最初は拒んでいたカルロスだったが、彼のしつこさに参っていた。そして動画を見たとき、彼がチームメイトのバスク人から信頼されていることを感じた。だから最初は一言だけ。
それから二言。三。四。といった具合に止まらなくなっていき、次第にテツヤの試合にまで足を運び始めたのだった。
外国人は嫌いだ。だが、人の成長を見守ることは心地よいものだ。
次第にカルロスからは刺々しさは抜け……
いつしかテツヤに対し、友情を感じるようになっていった。それはテツヤも同じだった。
***
玄関の呼び鈴が何度も鳴る。
しかし、カルロスは応じることができない。
咳が止まらない。胸が苦しい。痰が絡んでいる?
そう思って洗面所で喉奥から掻き出すように吐いたのは、赤黒く巨大な血の塊だった。
逡巡ののち、急いでそれを流して玄関に急ぐ。ドアを思い切り開ける。テツヤが怪訝な目で見つめていた。
「テツヤ……うるさいな」
「寝てたのか?」
「そうだよ」
「──なあカルロス、大事な話がある」
***
テツヤはバスク人純血主義の、ロス・レオネスの下部組織の入団試験に合格したという。
つまり彼は名実ともにバスク人のサッカー選手として認められたのだ。
「すごいじゃないか!」
カルロスは自分のことのように、年甲斐もなくはしゃいだ。
「バスク人は生まれじゃない、気持ちとか魂なんだ。お前が証明したんだ!」
「ありがとうカルロス」
彼は悲しげに微笑む。その意味をカルロスは理解した。
テツヤは近いうちに、ビルバオ郊外の町、レサマに旅立つのだ。
***
「テツヤ」
玄関から去ろうとするテツヤを、なんとなく引き留めた。
何を言おうか迷って、カルロスは、はにかんで言った。
「お前ならやれるさ」