8.もう全部どうでもいい
「……カレン?」
カレンと抱きしめ合っていたキロは、思わず首を傾げながら彼女の名を呼んだ。
えずきが止まり、嗚咽も止まったカレン。安心して止まったのかとキロは思ったが、どうやら違うらしい。
カレンはじっと見つめている。真っ直ぐと、暗闇を見つめている。
先ほどのキロの問いかけにも反応しない。キロは少し不思議に思いながら、もう一度彼女の名を呼ぶ。
「カレ──」
呼ぼうとしたその時、カレンは何故かキロを突き飛ばした。
「な……っ!?」
状況が飲み込めず、驚いた顔でキロはカレンを見る。
その瞬間、一瞬前までキロとカレンがいた場所を、赤い光線のようなものが通り、地面を削っていった。
「は……?」
未だに状況を飲み込めないでいるキロ。そんな彼を、カレンは心配そうに見つめる。
そしてカレンは険しい顔をしながら、自らの指に指輪を嵌めた。
ピンク色の光が溢れ出て、ゆっくりとカレンを包み込む。
それが弾け飛ぶと、カレンの容姿は大きく変わっていた。
(な……何が起こってるんだよ……!)
倒れそうになる身体を、地面を踏み締め必死に姿勢を保つキロ。
「キロくん!」
すると、変身を終えたカレンが、目にも止まらぬ速さでキロの元へとやってきた。
彼女は、キロを守るように彼の前に立つ。
「ふふふ……よく反応できたね、カレン」
暗闇の奥から、彼らに誰かが話しかけてきた。
笑っているような声、なのに楽しげな雰囲気はなく、悍ましく感じる声。
少年のような、少女のような、男性のような、女性のような。どれとも取れない不可思議な声。
「久しぶりだね……覚えてるかな? カエル事件のこと」
ポケットに手を突っ込みながら、パーカーのフードを深く被っている少年が、暗闇から現れた。
顔は見えなくて、表情を窺えないのに、何故か、彼は笑みを浮かべているとわかる。
「あなた……何者なの……私たちに何の用なの!」
カレンが威嚇するように、震えた声で叫ぶ。
それを聞いた少年は口角を上げ、淡々と告げる。
「教える必要はないよ。特に、そこのキロくんにはね」
「ッ!? 僕の名前を……知っているのか……?」
一瞬ビクッとなり、次の瞬間、キロはフードの少年を睨みつけた。
キロは少年に恐怖と、親近感を感じていた。
得体の知れない謎の少年、なのに何故か、昔から仲が良い幼馴染を見ているかのような感覚。キロは矛盾している自分の心情に、混乱する。
「さて……もう終わりにしようか」
少年がそう呟くと、彼の姿が一瞬で消える。
次の瞬間。少年は、キロの背後にいた。
「ね、キロ」
背後から、キロの耳元で、少年がぼそっと呟く。
キロはそれを聞いた瞬間、後ろに振り返った。
目の前には、笑みを浮かべた少年。
「う……っ!」
少年が手のひらをキロに向ける。避けないとやばい、脳で理解していても、突然の事態がゆえ、キロの体は彼が思うように動かない。
「この!」
だが、カレンは違った。
すぐに身体を動かし、少年に向けて思いっきり蹴りを放つ。
カレンの蹴りが少年を穿ち、彼を派手に吹き飛ばした。
「何回も守ってもらったんだもん……今度は私が……!」
少年が飛んでいった方向を、カレンは睨みつけた。
じっと見つめる。動く気配はない。それでも油断せずに、カレンはじっと見つめ続ける。
「すごいね、流石だ」
「え!?」
突然、カレンの背後から少年の声。
カレンは瞬時に振り向くが、そこに少年はいない。
「こっちだよ……」
またもカレンの背後から声が聞こえた。カレンは先ほどよりも早く、振り返る。
そこに居たのは、少年と、座り込んだキロ。
「キロくん!」
カレンは瞬時に地面を蹴り、キロとのわずかな距離を埋めようとする。
だが、それとほぼ同時に、少年がキロの顔を、右手で思いっきり掴んだ。
「が……!?」
顔全体を握りしめられるキロ。あまりの痛みに、彼は悲鳴をあげようとする。
だが少年がそれに気づき、瞬時に彼の口を左手で押さえた。
「うるさいのは好きじゃないんだよね……」
少年がそう呟いた瞬間、彼の目の前にカレンが現れた。
怒りの表情を浮かべながら、彼女は少年目掛け全力で拳を振るう。
少年はそれを避けようとはせずに、必死なカレンを見てニヤついた。
その瞬間、キロと少年の姿が、カレンの目の前から消える。
「え!?」
驚いた顔をしながら、瞬時に辺りを見回すカレン。
「後ろだよ」
少年の指摘する声にすぐに反応し、カレンが後ろに振り向くと、そこには少年の言った通りに、キロと共に彼がいた。
変わらず少年はキロの顔を握りしめており、キロは苦しそうに唸っている。
「キロくんを返して!」
カレンが叫びながら、地面を蹴り、少年目掛け突進する。
「少しお話でもしようか……キロ」
突進してくるカレンを一瞥もせずに、少年はキロを見つめ、呟く。
そして、指をパチンと鳴らした。
「か……ッ!?」
瞬間、キロを酷い頭痛が襲う。
しかしそれは一瞬だけで、すぐに彼の頭痛は治った。
「……はぁ……あ?」
苦痛に悶え、目を閉じていたキロは、痛みが引いたと同時に目を開ける。
目の前に広がる光景は、真夜中の公園ではなく、カレンの姿でもなく、真っ白な空間。
「んだよここ……僕は今、どこにいるんだ……?」
「さあね……僕にもよくわかんないけど、君の脳内とか心の中とか、そんな感じじゃないかな」
背後から話しかけてくる声。キロはゆっくりとそちらに振り返る。
そこに居たのはフードを深くかぶった少年。キロは彼を睨みつける。
「お前……一体なんなんだよ……!」
「僕か……魔法少女だよ。僕は」
「……は?」
笑みを浮かべながら、ふざけた答えを出す少年にキロは怒り、力強く彼に向かって歩き出す。
そして、少年の胸ぐらを掴み、叫んだ。
「ふざけた事言ってるなよ……! ちゃんと答えてくれよ! お前なんなんだよ!」
「ふざけてないんだけど……まあ、いっか」
少年は笑みを浮かべながら、パチンと指を鳴らす。
その直後、少年の姿が消えた。
キロは驚いた顔で、自身の握ったままの手を見る。
そして、ゆっくりと後ろに振り返った。
「これが魔法じゃなくてなんなのさ……」
「……ッ」
嘲笑うように言う少年。キロは唇を噛みながら彼を睨みつけ、その場に佇む。
「最後にキミと話をしてみたくてね……キロ」
ポケットに片手を突っ込んで、もう片方は指を鳴らしながら、少年がキロに近づいてくる。
「どうだった? 楽しかった? 学生生活ってのは……」
「何が言いたいんだよ……何が目的なんだよ……」
怒り半分、恐怖半分に、キロは呟く。
少年はそんなキロの元へと近づいてくる。指を鳴らしながら、ニヤニヤと笑みを浮かべながら。
「愛に溺れて、恋に焦がれて……彼女の唇はどうだったのかな?」
徐々に近づいてくる少年。キロは後退りをしようとしたが、足が動かない。
「僕の正体はどうでもいいさ……君の正体は気にならないの?」
キロの目の前で立ち止まる少年。彼をキロは、冷や汗を流しながら見つめている。
「自分で自分がわからなくなる時はなかった? 確かに存在している記憶を、体験した覚えがない、なんて事はなかった?」
少年がふわりと浮かび上がる。そして、キロの目元まで浮かび上がり、じっと彼の目を見つめ──
「突然誰かに……恋をしたりしなかった?」
と、小さく口を動かし呟いた。
それを聞いたキロの心臓が、ドクンと高鳴る。
嫌な予感がする。これ以上踏み込んではいけない気がする。キロは唇を小さく動かしながら、視線を向けつつも少年を見ないようにして、呟く。
「何が……言いたいんだよ……」
キロには心当たりがあった。少年の言うことに、心当たりがありすぎた。
時折、自分という存在がわからなくなる時があった。自分はこれこれこういう人間で、こうだからこうなる。そう理解はしているけれど、実感が湧かない時がキロにはあった。
父親への憧れ。兄への憧れ。自分は確かに彼らに憧れていると脳が告げているが、イマイチその実感が湧かない時があった。
まるで、そう設定されているから、自分はそう動いている。そんな感覚があった。自分の人生が進むにつれ得たものではなく、最初からこういう人間だと、アニメや漫画のキャラクターのように設定されている。そんな感覚を、何度もキロは感じている。
脳に存在している確かな記憶を、体験した覚えがない時もあった。
例えば幼い頃の思い出。不自然なほどに、細かく覚えている。
全てを鮮明に思い出せる。だが、その時その瞬間に感じた感情だけが思い出せない。
ただ、そういう事があったんだよと、記録されているだけのような感覚。
突然、誰かに恋をしたこともある。今も想いを寄せている一人の女性、若井カレン。
好きで、大好きで、たまらない愛しの女性。だが好きになったきっかけを、キロは思い出せない。
いつの間にか、気づいたら、好きになっていた。カレンを好きになってからキロは、関わるたびにさらに彼女に好意を寄せていた。
キロは恋愛なんてそんなものだと安易に片付けていた。自身が感じている違和感を、見ないように、見えないようにして──
キロは必死に整理する。自身の記憶を、体験を。
そして、呟いた。
「僕は……誰だ……?」
キロがそう呟いたのを見て、少年は口角を上げながら、キロの顎を人差し指だけでゆっくりと持ち上げ、彼の目を見て、呟く。
「君は僕だよ、鳥区キロくん」
「……へ?」
「君は僕が作った人間だ。カレンを絶望させ、暴走させるためだけに生まれた存在なんだよ……」
それを聞いた瞬間、キロは全身をわなわなとさせながら、目を見開き──
「……は?」
と、すぐに消えてしまいそうなほど、か細い声を発した。
「カレンには絶望して貰わないといけないんだ……世界を壊してもらいたいからね。彼女ほどの魔法少女ならば、それができるはず」
少年は嬉しそうにそれを語る。語り続ける。
「幸い彼女にはとても仲の良い友人が出来てね。彼女だけでも良いかなと思ったが結果は見ての通り……絶望はしても暴走にまでは至らなかった」
「お前……お前……?」
キロは何も考えられなくなっていた。何も理解したがらなかった。
ただただ、疑問符のついた短い言葉を発するだけ。
「親友と恋人、二人を失えばまあ……流石彼女の心は壊れるだろうね」
「な……僕は……僕は……?」
力無さげに、少年のパーカーを掴む。
そんなキロを見て、少年は呆れたように言う。
「はぁ……いいかい? 君は僕が作った人間。記憶も感情も何もかもまやかしで雑に作られた紛い物。物語の都合上、必要になっただけの存在なんだよ」
「そんなわけ……僕は……ちゃんと生きてきたんだぞ……!」
叫ぶキロ。少年はそんな彼を軽蔑するような目で見て──
「僕に言われて君も気づいてるはずだ……君は、僕のお人形だってことをさ」
「……んな……そんなバカな……」
キロは必死に、少年を否定する。
自身のアイデンティティが壊れかける。存在意義が薄れていく。
自分を思い出す。思い返す。
鳥区キロ。中学生。カレンが恋人。
それだけだった。キロが思い浮かんだのは、それだけだった。
確かに存在している記憶は、どれも自分の存在を確立させてくれない。覚えているだけで、この身で実際に体験したことではないから。鳥区キロの記憶として、存在しているだけだから。
「……なんなんだよ……僕って……なんなんだよ……」
「そうだなぁ……うーん……わかんないや」
少年が楽しげに言う。それを聞いたキロは、両手で頭を押さえ、いやいやと首を左右に振る。
目から涙をこぼしながら、やがて彼の全身は徐々に靄のように変わっていき──
「僕は……誰だ……」
静かに、霧散した。
「話せて楽しかったよ……」
少年が呟く。足元には、キロが力無く倒れている。
「キロくんに何したの!」
その瞬間、カレンの勢いある蹴りが、少年を襲う。
彼はそれを片手で受け止め、ニヤリと笑った。
「……殺したよ?」
「……は?」
少年が呟くと同時に、カレンの全身から力が抜けた。
ゆらゆらと身体を揺らしながら、ゆっくりと、ぺたんとその場に座り込むカレン。
目から光が消えている。そんなカレンを見て少年は、激った。
「嘘だよね……冗談だよね……」
自身の隣に倒れているキロに、カレンはゆっくりと触れる。
カレンの触れたキロは冷たく、硬く、息をしていなかった。
「……え……」
カレンが呟く。
「……え? え?」
カレンが呟く。
「……ふざけないでよ」
カレンが呟く。
そして、ゆっくりと彼女は立ち上がった。
目に光はなく、ひたいには青筋を立てて、拳をぎゅっと握りしめ、少年を睨みつける。
「なにしてんの……なにしてんのなにしてんのなにしてんの!?」
そして、喉がはち切れそうなほどに大きな声で、カレンは叫んだ。
少年はそれをニヤつきながら見て、人差し指を立て、彼女へ向けて言った。
「ちなみに、ハルカちゃんをバケモノみたいにしたのも僕さ」
「……ハルカを?」
その時、カレンの何かが、大きな音を立てて切れた。
「はぁ……がっ……がああああああ!!!」
獣のような咆哮。口を大きく開き、目を見開き、鼻から血を垂らして、汗を流しながら、手に爪が食い込むほど拳を握りしめて、カレンは叫ぶ。
突如カレンの足元から湧き出る、オーラのようなもの。真っ赤な色をしていて、それはやがて彼女へとまとわりつく。
睨んでいる。カレンは、少年を睨みつけている。
そして勢いよく地面を蹴り、力強く拳を握りしめ、それを少年へと振るう。
「あがぁっ!?」
カレンの拳が、少年の顔を穿つ。
「かはっ!?」
カレンの拳が、少年の腹部を穿つ。
「死ね!」
カレンの拳が、少年の頬を穿つ。
「殺してやる……!」
カレンの拳が、少年の脳を揺らす。
「殺してやる……! 死ね……! 殺してやる……! 死ね……! 死ね……! 死ね……!」
カレンの拳が、少年を砕いていく。
「あは……あははっ! いいよカレン!素晴らしいよカレン! その調子だよその調子! がんばれがんばれ! フレーフレーカレン!」
血を流しながら、全身を砕かれながらも、少年は笑みを浮かべながらカレンを鼓舞する。
「殺してやる……! 死ね……! 死んでよ……! 死んでよおおおお!!」
拳を血だらけにしながら、顔を血だらけにしながら、カレンは少年を殴り続ける。
ぐちゃぐちゃになり、地面と同化しかけている少年を見て、カレンは一度、それを殴るのをやめ──
「消えちゃえ……死んで……殺す……死ねえ!!!」
口から血を吐き出しながら、カレンはこの世の怒りと憎悪全てを含んだ怒号を上げる。
その瞬間、カレンの全身から、眩い真っ赤な光が放たれた。
やがてそれは公園を、街を、国を、星を飲み込み──
*
「……ハルカ」
カレンが、歩いている。
亡くなった親友の名を呟きながら、廃墟で出来た街を歩いてる。
「……キロくん」
カレンが、歩いている。
亡くなった恋人の名を呟きながら、滅びかけている街を歩いている。
「……私……私……」
カレンは辺りを見回す。
見覚えのある家、見覚えのあるお店。
そして、見覚えのある学校。
それら全てに亀裂が所々に走っており、一部が崩れていたりする。
全てが滅んだ街。腐臭と砂埃の匂いが酷い街。悲鳴と泣き声の響く街。どこにも生を感じられない死の街。
カレンは自らが作り出したその街を、ふらふらと、ゆらゆらと、力無さげに歩き続ける。
「もう……いいや……もう……全部……どうでもいい……」
乾いた声で、彼女はそう、呟いた。




