1.あなたと初めて会ったその日から
セミがそこそこ鳴いている通学路。多くの人が誰かしらとグループを組んで登校する中、少女は一人寂しく悲しくぼっちで歩いていた。
(今日から二学期目……はあ)
聞こえないようにため息をつく少女。たくさんの人が歩いているこの通学路で、少女だけが一人で歩いていた。
彼女の名は吾妻ハルカ。ごく普通の中学生で、ごく普通の人間で、ごく普通の女の子。
髪型は控えめなポニーテール、服装は当然制服、顔はごく普通。
特筆するほどの特技もなければ、成績が良いわけでもない。通学は一人だが、クラスに数人友達はいるので完全なぼっち、というわけでもない。
何もかも普通なのだ。何もかも。
(森センに怒られるかなぁ……怒られるよねえ、宿題やってないんだもん。やっておけばよかったなぁ)
宿題をやっていないことを嘆きながら、ひたすら歩き続けるハルカ。時折歩きスマホをしたり、なんとなく空を見ながら歩いたり、なんとか暇を潰そうと必死だった。
そんな彼女が再び歩きスマホをしながら歩いていると、彼女は何かに当たった。
「あうっ!? ご、ごめんなさい!」
歩きスマホをしていたのだから誰かにぶつかった、そう瞬時に考えたハルカはぶつかった相手の顔も見ずに、すぐに頭を下げる。
「もにょ〜?」
返ってきたのは怒号でもなく、呆れた声でもなく、奇怪な声。というよりは鳥のような鳴き声。
それを不思議に思ったハルカが顔を上げると、そこには謎の生物が佇んでいた。
全身が真っ黒でほんの少し筋肉質な体型、茶色い触手が背中からたくさん生えており、顔はゆるキャラのクマを思わせる可愛らしさ。誰が見ても不思議に思う奇妙な生物、バケモノがハルカの前に立っていた。
「ひっ……!」
この世のものとは思えない謎の生物に自分はぶつかってしまったのだと理解した時、ハルカは思わず悲鳴を上げそうになった。が、そこは我慢して、静かに後退していく。
なるべく刺激しないように、ワンチャン気づかれていないと祈りながら、ゆっくりと後ろに下がり続ける。
「もにょ〜!」
「ひええ!? 無理無理無理!」
バケモノが突然奇声を上げる。それに驚いたハルカは当然、ゆっくりと後退するのを止め振り返り全力ダッシュ。バケモノから一刻も早く逃げようと全力疾走。死にたくない怖い意味わからないと恐怖を抱きながら全力逃走。
彼女が走り始めたのに反応したのか、バケモノは丁寧に準備運動をしてから、何故かクラウチングスタートの格好になった。
「もにょ、もにょ、もにょ、もにょ」
「な、なんかカウントダウンしてる!?」
バケモノは、もにょもにょと数回呟くと勢いよく地面を蹴り、ハルカ目掛け走り出す。それを見て襲われると本能で察したハルカは、人生で一番早く走り出した。
ハルカが逃げる、バケモノが追う。そんな光景を道ゆく人々はスマホを構えたり、隣にいる友人知人と話題にしたり、面白がって追いかけたりした。
「なんだあの真っ黒の」
「追われてる女の子は誰だ?」
「あの制服って……」
「きゃー! 変なバケモノみたいなのがいるー!」
多種多様な反応。それをバケモノとハルカは面白がりながら見ている。二人は、人間って本当に色々な人がいるんだなと改めて認識した。
(って! そんな事考えてる場合じゃなくってええええええ!?)
ハルカが自分にツッコミを入れたその時、彼女は偶然そこにあった大きめな石に躓いてしまった。
このままでは頭から地面に落ちる。そう勘づいたハルカは本能だけで腕を上手く使いながら地面に転がり、受け身を綺麗に取って衝撃を最大限に抑えた。
(よしっ! なんか上手くいってあんま怪我しなかった!)
「もにょにょ〜」
「バケモノー!」
ハルカが立ちあがろうとした時、彼女を追いかけていたバケモノはすぐ目の前まで迫っていた。
これまで抑えていた悲鳴を上げ、身体を震わせるハルカ。彼女の怯える姿が気に入ったのか、より激しく威嚇し始めるバケモノ。
少女の悲鳴と、バケモノの奇声に釣られ野次馬が集まってきた。野次馬は誰一人として少女を助けようとはせず、バケモノを倒そうとはせず、あくまで傍観者としてこの状況を楽しんでいる。そんな彼らにハルカは怒りを覚えるが、そんな奴らに構っていられるほどハルカのメンタルは強くない。
目の前のバケモノに怯え、震え、恐怖し、衝撃を受け、パニックになり、自分の身体と心を守るので精一杯だった。
「もにょ〜?」
バケモノがハルカを威嚇し始めて数分。突然バケモノはハルカから視線を逸らし、後ろへ振り返った。それとほぼ同時に、バケモノの顔面を強い衝撃が襲う。
「魔法少女カレン奥義、カレンパンチ!」
現れたのは自ら魔法少女と名乗る少女。長いストレートヘアーはピンク色でキラキラ輝いており、彼女が動くたびに流暢に揺れ動く。服装もピンク色のフリフリドレスで、これもまたほんの少しだけ輝いている。顔はすごく綺麗に整っていてまつ毛も目の大きさも鼻の形も唇も何もかもが完璧で、美人としか言いようがないそんな少女。
彼女が全力で振るった拳は、バケモノの顔をほんの少し凹ませ、体勢を崩した。
(ま、魔法少女……!?)
自らを救いながら名乗りをあげた少女にハルカは驚く。噂ではなんとなく聞いていたが、本当に魔法少女がいるとは思っていなかった。今でも信じられない。
ハルカはそう思ったが、よく考えれば自分を襲っている変なバケモノがいるなら魔法少女が実在していてもおかしくはないだろう。と、すぐに考え直した。
「もにょ……!」
重い一撃を受けたバケモノは倒れそうになる自らの身体を必死で抑え、魔法少女へ反撃しようと試みる。しかし、すでに己の視界に魔法少女はおらず、彼女の居場所に気づいたその時には足をすくわれ、地面に背中から落ちてしまった。
「もにょ〜!」
「させないって!」
必死に立ちあがろうとするバケモノ。しかし、魔法少女はその隙を逃さず、バケモノに馬乗りになり、両方の拳に思いっきり力を入れ、バケモノの顔面を殴り始めた。
「魔法少女パンチ! 魔法少女パンチ!」
「もにょ! もにょ! もにょ! もにょ!」
薄紫色の液体を吐き出しながら、変な鳴き声を出しながら、バケモノは徐々に弱っていく。
悲鳴も上げず、呻き声も出さず、息をしているかどうかも怪しい状態のバケモノ。それを見た魔法少女カレンはこれぐらいで十分だと思い、バケモノの上から降りた。
「おー、魔法少女が勝ったっぽいぞー」
「たまには魔法使え〜」
「汗くさ〜い」
見ていただけの野次馬が歓声を上げ始める。そんな野次馬に魔法少女は呆れながら、立ち上がった。
(うるさいなあもう……)
騒音を不快に思いながら、申し訳程度のファンサをすると、魔法少女はその場で飛び上がり、屋根の上へと登ってその場から離れる。
魔法少女はいなくなり、バケモノも倒された事件現場。集まっていた野次馬は誰一人ハルカを心配する素振りを見せず、彼らもその場から離れ始めた。
「……あの魔法少女の顔、どこかで見たような」
自分を助けてくれた魔法少女にどこか既視感を感じながら、ハルカは立ち上がり、彼女の去っていった方向を見る。
胸に手を当てながら、己の鼓動を感じながら、自身を助けてくれた魔法少女の顔を思い浮かべながら、歩き始める。
(可愛くてカッコよくて……一瞬だったけれど、凄かったなぁ。また会いたいな……)
ハルカは惚れていた。かなりデレデレに──
*
「はあ……」
多数の生徒で盛り上がる二年三組の教室。一番後ろの窓際に座る吾妻ハルカは二人の友人に囲まれながらため息をついた。
「聞いたよハルカ! 変なバケモノに襲われて、それを魔法少女に助けられたんだって!? なんかすごいじゃん!」
友人の一人が今朝の出来事を話題に上げると、ハルカはもう一度ため息をつき、腕を伸ばしながら机の顔を伏せた。
「なんもすごくないよぉ……朝から全力疾走して、わけわかんないくらい怖い目に遭って、もう体力切れだよ。これから始業式とかもうほんと鬱……」
「まあまあいいじゃん! 無事だったんだしさ!」
「不幸中の幸い、的な?」
「実際体験するとマジやばいからね……二人とも現場見てないから言えるんだよ……羨ましい」
唯一良かったことと言えば素敵な魔法少女をこの目で見れたことか、そう思いながらハルカは冗談めかして話す友人二人を見てため息をつく。
ハルカ達が話していると、教室のドアが開き、ガタイの良い男性が入ってきた。
彼の名は森森森尾、通称森セン。二年三組の担任であり、体育教師。
(うげえ……もう来たよ。絶対怒られる……)
ハルカは森センの事が苦手だった。嫌いではないが、何度も怒られているので苦手意識がある。
「じゃ、私たち戻るね」
「また後でねー!」
「うん、また後で」
森センが入ってくるとほぼ同時に、ハルカの友人二人は彼女から離れる。森センは必ず、チャイムが鳴る三十秒前に教室に入ってくるので彼が来たと同時に戻らないとすぐにチャイムが鳴ってしまうからだ。
一人になったハルカは、テキトーに頬杖ついて辺りを見渡す。
なんかやけに焼けている人、髪型が大きく変わっている人、明らかにメイクをしてきている人。夏休みで色々と変化のあったクラスメイトを見て、ハルカはほんの少しゲンナリした。
(私だけなんも変わってないような……遊んで部活行ってアニメ見てただけだしなあ)
森センが来た影響で教室内が静かになってきたので、ハルカは誰にも聞こえないようにため息をつく。
(……ん?)
それと同時に、何故か目に入った女子生徒にハルカは違和感を感じた。
彼女の名前は若井カレン。ハルカとは仲が良いわけでも悪いわけでもない、ただのクラスメイト。
顔は特筆するほどではないが可愛らしく、着こなしは普通。机の上には何も出ておらず、隣の人とコソコソ話をしているわけでもなければ、有名な問題児でも美人で有名な人でもない。
それでもハルカは彼女に惹かれた。森センの話を一切聞かず、じっと見続ける。
(……あんま喋ったことないから気づかなかったけれど、あんな可愛い子いたんだ)
約一分経ったころ、ハルカの視線に気がついたのか、カレンはハルカの方を向く。
二人の視線が合う。目と目が合ったその瞬間、ハルカは恥ずかしくなってそっぽを向いた。
(やば! 見すぎた……!?)
(あの子……ハルカさんだっけ? 朝襲われていた子……同じクラスだったんだ)
ハルカが目を逸らしたのに対して、カレンは逸らさずじっとハルカを見つめ続ける。
何故自分を見ていたのか、カレンはありとあらゆる可能性を考え、一つの結論に辿り着いた。
(もしかして……バレた!? 私が今朝の魔法少女だって……!)
若井カレン。彼女は今朝、ハルカを助けた魔法少女その人だった。
彼女が魔法少女になったのは中学一年生の頃、気づいていたら魔法少女になっていたと言う。
(ど、どうしよう! 魔法少女だって事がバレたらやばいかな!? 死ぬ!? 爆散!? 身体消滅の可能性あり!?)
表にはなるべく出さないように、カレンは頭の中だけで悩み始める。
彼女は少なくとも一年間は魔法少女として活動していたが、実際は魔法少女という立場について何も知らない。
気づいたら魔法少女になっていたし、説明役のマスコット的な立場の存在もいない。それ故、魔法の使い方も全て勘だし、バケモノを倒しているのもなんとなく敵に見えるから倒しているにすぎない。
(どうしよどうしよどうしよ! 魔法少女ってバレたら本当にやばいよね!? な、何もわからない! だから、だからこそ恐怖がー!)
冷や汗をかいて、心臓が激しく動き、頭が痛くなっていくカレン。少しずつ顔色が悪くなっていく彼女に気づいた森センは、カレンを心配し話しかけた
「若井、顔色が悪いが……大丈夫か?」
「へ!? いえ大丈夫です! 元気です!」
目に見えて動揺していたカレン、空元気な返事に心配する森セン。それをこっそり見ていたハルカは罪悪感を抱いていた。
(わ、私が睨んでいたと勘違いしたのかな……違うよカレンさん! なんとなく見ていただけなんだよ!)
正体がバレたと怯えるカレンと、そんなカレンに色々な意味で興味を抱くハルカ。再びハルカの視線に気づいたカレンがハルカを見て、またも彼女たちの視線が合う。
視線が合ったと同時に、二人同時にそっぽを向き、またも同時にため息をつく。
(やっぱり魔法少女ってバレてるのかな……どうしよう、ほんとどうしよう)
(今チラッと私見たよね!? 若井さん……変な誤解してないといいけど……)
悩み続ける少女二人、時はそのままゆっくりと流れ続け、朝のホームルームは終わりを告げた。
森センが話を終えると同時に複数の生徒が立ち上がり、それぞれ仲の良い友達の元へと向かっていく。
しかし、そんな彼ら彼女らとは違い、若井カレンは友人の元へ向かうよりも先に彼女、吾妻ハルカの元へと向かった。
吾妻ハルカの居る席へと向かおうとしていた彼女の友人二人は、そんなカレンを見て疑問を抱く。あの二人ってそんなに仲が良かったかな、と。
「えと……吾妻ハルカさん、だよね」
立ちながら話しかけるカレン。ほんの少し冷や汗をかきながら、ハルカはゆっくりと頷く。
「お、お手洗い行かない……?」
「……うん」
ハルカはカレンから感じる絶対に付いて来てオーラに逆らえず、すぐに肯定。
頷いたと同時に立ち上がり、前を行くカレンに付いていく。
「あ、二人ともちょっと待ってて!」
何も言わずに、自分とカレンのやり取りを見ていた友人二人に心配をかけさせないようハルカは言う。友人二人は先ほどのハルカ動揺、無言で頷いた。
道中一言も喋らず、カレンとハルカは騒がしい廊下を歩く、歩き続ける。
お手洗いにはまずカレンが先に入り、続いてハルカが入る。
キョロキョロと辺りを見渡し、個室の鍵もチェックし、誰もいないことを確認するとカレンはハルカの目をじっと見て、口を開いた。
「なんでわかったの?」
少し睨みつけながら、真面目な顔で言うカレンにハルカは驚く。
(……何が!?)
状況を何も理解できていないハルカは動揺する。その様子を図星をつかれたが故だと思ったのか、カレンが更に強めに言う。
「今まで誰にバレたことなかったのに……なんで?」
(……何が!?)
更に動揺するハルカ。カレンは自分が優勢だと思い、一歩彼女に近づき、小さな声で言う。
「吾妻ハルカさん……申し訳ないのだけれど、あなたには消えてもらうわ」
「……何で!?」
思わず声に出してしまうハルカ。想定外の大声にカレンは驚き、せっかく前に一歩出たのに一歩下がってしまった。
「な、何でって……私の正体を知ったからに決まってるでしょ!」
「へ……!?」
ハルカはようやく気づく。若井カレン、彼女が何故自分の視線に怯え、何故自分に敵意を抱いているのかを。
彼女は自分に正体を知られたと思っている、それは理解できたが、ハルカは当然カレンが魔法少女だと言うことは知らない。
ハルカの普段使わない脳がフル回転し始める。ありとあらゆる知識、主に漫画やアニメから得た知識を活用し、カレンの正体を推理。
その時間わずか三秒、ハルカは推測したカレンの恐ろしい正体を彼女の目を見て呟いた。
「若井カレンさん……まさかあなたが宇宙人だったなんてね」
「魔法少女だよ!?」
「へ?」
「え?」
間違った答えを自信満々に呟いたハルカに、思わずツッコミを入れながら自ら正体をバラしてしまったカレン。
気まずい空気が、雰囲気が、彼女たちに沈黙の時間を作る。
お互いをチラチラ見たり、下を向いて手をいじったりすること数十秒。沈黙に耐えかねたハルカがカレンに問う。
「……宇宙人じゃなくて?」
「……宇宙人です」
見え見えの大嘘に開いた口が塞がらないハルカ。そのまま間髪いれずカレンを指差しながら言う。
「絶対嘘じゃん! 魔法少女だってツッコんできたし!」
「嘘じゃないもん! カレン星のカレン星人だもん!」
「カレン星のカレン星人……!」
あまりにもしょうもなさすぎる設定に、これ以上何も言えなくなるハルカ。
そして自分があまりにも馬鹿馬鹿しすぎる事を言っていることに気づき、恥ずかしくなってほおを染めながら俯くカレン。
再び訪れる沈黙の時間。恥ずかしすぎて何も言えなくなっているカレンと、あまりのしょうもなさに何も言えなくなっているハルカ。
「ハルカと……カレンさん?」
二人の長い沈黙を破ったのは、中々帰ってこない二人を心配して見に来た、ハルカの友人だった。
「二人とも……カレー星人の話もいいけど、そろそろ体育館行かないとだよ?」
冷静な指摘に何も言えず、ハルカとカレンとは友人二人とともに、四人揃ってお手洗いを出て体育館を目指す。
気まずいのか、誰も何も喋らず歩き続ける四人。そんな中、ハルカは考え事をしていた。
(まさかカレンさんが魔法少女だったなんて……確証はないけどあの態度とあの反応
間違い無いよね。自分から魔法少女だって言って、それを誤魔化そうとしてるんだからさ)
そんなことを考えながら、ハルカはチラッとカレンを見る。カレンは呑気なハルカとは違い、とても深刻そうな顔をしている。
(カレンさん……あんなに慌てていたってことは、魔法少女ってバレると本当に大変なことになるんだ……ちゃんと話したいな、カレンさんと。私を助けてくれた魔法少女かもしれないんだし)
対してカレンはハルカを一切みず、ほんの少しだけ俯きながら、一人考え事をしていた。
(カレー星人って間違えられた……カレン星人なのに……)
──四人は体育館を目指し続ける。
*
始業式が終わり、二年三組の教室に生徒たちが帰ってきた。
森センが今日はこれで終わりだから帰れと言う。それを聞いた生徒たちはすぐに帰ったり、教室に居残ったまま友人と話したりしている。
「そんじゃあハルカ、また明日ねー」
「うん、また明日ー」
家が真反対にあるが故に、教室で友人と別れるハルカ。今日も一人で帰るのか、とため息をつきながら立ち上がる。
そんなハルカの肩を誰かが叩いた。ハルカが後ろに振り返ると、そこにいたのは若井カレン。真剣な顔でハルカを見ている。
「わ、若井さん……!」
「ちょっといいかな、吾妻さん」
そう言うと、カレンは空いていた隣の席の椅子を自分に寄せ、曽於に座りハルカを見る。
わかりやすいように深呼吸をした後、カレンは話し始めた。
「もう言っちゃうけど……私、実は魔法少女なんだ」
「あ、うん……」
お手洗いでの一件で何となく察していたハルカはそれほど驚かず、一言呟きながら頷く。
それを見ていたカレンは何かに気づいたように驚く顔をして、ハルカをじっと見つめた。
「やっぱり私が魔法少女だって気づいてたんだ……宇宙人とか言ってブラフをかけて自供させ、確実な証拠を手に入れたって事なのね」
「や、別にそんなこと……」
手を左右に振りながら否定するハルカ。それを見たカレンは騙されないぞオーラを出しながら、ハルカに詰め寄る。
「私が魔法少女って知って何をする気なの? 世界中に公表? 脅して搾取?」
ものすごい睨み方でハルカを見つめ続けるカレン。ハルカは思わず目を逸らしそうになるが、何とか耐えて、逆にカレンを見つめる。
もしも彼女があの、今朝ハルカを助けてくれた魔法少女ならば絶対にお礼を言いたい。そして仲良くなりたい。その思いを胸にハルカは少し大きな声で言う。
「若井さん……魔法少女なんですよね……!」
「え……!? う、うん……」
急に強気になったハルカの気迫に押され、一歩後ろへと下がってしまった。
それに合わせてハルカは一歩前に出る。そしてカレンの手を握り、じっと彼女の目を見つめる。
(な、何で手を握るの!?)
他人に力強く手を握られたのは初めてであるカレンは、少しの照れ臭さと戸惑いで頭がごっちゃになり、恥ずかしくなってほおを染めながら少し俯く。
そんなカレンには気づかず、ハルカは力強く言った。
「若井カレンさん……あなたは、今朝私を助けてくれたウルトラ可愛くてスーパーカッコいい、あの容姿端麗系魔法少女ですか!?」
(今朝助けたのは確かに私だけど……何でそんなに褒められてんの!? 何で!?)
慣れない賞賛に恥ずかしさが増していくカレン。あまりの恥ずかしさに今すぐこの場から逃げ出したくなったが、ハルカが手を強く握っているため逃げられない。
じっと、じっと、じっとカレンを見つめるハルカ。羞恥心が限界に達し、両頬を真っ赤に染めながら、カレンはゆっくりと頷いた。
「そう……です……助けました、今朝あなたを」
カレンの告白を聞いたその瞬間、ハルカは愛しさと嬉しさで全身に鳥肌を立て、全身を満たす高揚感に従うがままカレンを抱きしめた。
「やっぱりそおおおおおおおおなんだ! ありがとうカレン! 大好き!」
「ひゅぇええええ!?」
大声で叫びながらカレンを抱きしめるハルカ。ハルカに突然抱きしめられ悲鳴を上げるカレン。大声二人組はあっという間にクラスの注目の的になる。
「大好き! ありがとう! 大好き! ありがとう!」
「あ、吾妻さん! みんな見てるから! 見てるからー!」
恥ずか死寸前まで追い込まれるカレン。全身を真っ赤にしながら、自身を抱きしめているハルカを持ち上げ、急いで教室を出る。
わけわからない誤解を受けたかも。私と吾妻さんの関係が変なふうに知れ渡ったかも。そっちの気があると思われたかも。
無限に被害妄想を思い浮かべながら、カレンは校内を走り続け、誰もいない教室を見つけるとそこに勢いよく扉をぶっ壊しながら入る。
教室に入ると瞬時にポケットの中から指輪を取り出し、それを薬指にはめ名乗り向上無しで変身し、直後に魔法で扉を直す。誰も入れないようにこれも魔法で細工。そうして、ようやく落ち着けるとカレンは安心して、大きなため息をついた。
「はあああもうぅ……死んじゃうかと思った。恥ずかしすぎて……」
カレンは一息つくと、自分に抱きついたままのハルカを見る。すると彼女の顔は真っ青で──
「ぼえええええええええ……」
「死にかけてるううう!?」
めちゃくちゃな動きで振り回され続けたハルカは、色々と吐きそうになっていた。
カレンは急いで彼女を床に下ろし、とりあえず魔法をかけてみた。
(いまだに魔法のことよく知らないけど、なんかこう、元気にしてやるって思いながら使えばそんな感じの効果が出たはず!)
ハルカに手のひらを向け、魔法と呼ばれる──カレンが呼んでいる──キラキラしたものをそこから放出し、ハルカを魔法が包む。
魔法のキラキラに囲まれて、自身も輝き始めるハルカ。
すると、ハルカを襲っていた吐き気はどこかに消え、ハルカは自らの体調が良くなったことを瞬時に理解し、立ち上がる。
「治ってるー!」
右手を挙げ、笑顔満点で言うハルカ。それを見たカレンは安堵し、その場に座り込んだ。
「ふう……疲れた」
「……て言うかその格好……カレン! 本当にあの魔法少女なんだ!」
ハルカはカレンの服が制服から、魔法少女のようなフリフリドレスに変わっていることに気づくと、大声で喜びを表した。
その場でぴょんぴょん跳ねて、カレン可愛いと叫びまくるハルカ。
目を輝かせながら己を見てくるハルカに、カレンは少し恥ずかしくなって、全身がこそばゆくなってきたので、魔法少女形態から普段の姿へと戻った。
「あー……可愛かったのに……」
カレンが魔法少女から戻ると、ハルカは露骨にがっかりした。何も悪いことをしていないのにカレンは罪悪感を感じ、ハルカに申し訳なさそうに小さく「ごめん」と呟いた。
「それにしてもカレンが魔法少女かあ……これ私しか知らないよね? 私だけの、親友だけの特権だよね? へへ、へへへ……なんかいいかも」
自身しかカレンの秘密を知らない優越感と、カレンにとって重要な立ち位置にいるであろう特別感に酔い、ハルカはニヤニヤが止まらない。
(私たちいつ親友になったんだ……若井さん呼びからカレンになってるし)
そんなハルカを見てカレンは困惑。この子は距離感バグってるんだろうな、とカレンは少し引いた。
「あー! 私たちいつから親友になったの? 的な顔してる!」
(バレた……!?)
ほおを膨らませながら、ほんの少し力強く一歩踏み出し、手を差し出すハルカ。そしてニコっと笑い、カレンの目を見て言う。
「ダメ? 親友じゃ」
どこからが、どれくらい親密ならば、どれだけ相手を知っていれば、その人を親友と呼んでいいのか。それがカレンにはわからなかった。
今までも仲の良い友達はそれなりにいたが、誰が見ても仲の良い人たちのような、親友と胸はって言えるほど仲が良かった友達がいたとは思えないし、思っていても自分だけがそうなのではないかと心配になり、結果ただの友達だと認識を改めたこともある。
何より言われたことがない。それ故、カレンは戸惑いと、初めて言われた嬉しさで硬直していた。
「返事がない……むぅ」
しびれを切らしたハルカは、強引にカレンの手を取り、そのまま持ち上げる。
「まだ親友じゃないなら……なろうよこれから! まずは友達から! 今から!」
「……う、うん」
魔法少女である自分の数倍はキラキラしているハルカに気圧され、カレンは思わず肯定する言葉を出す。
それを聞いたハルカは、満点笑顔のさらに上のウルトラ笑顔を見せ、カレンの手を握ったままその場で飛び跳ねる。
(よく飛び跳ねるなあ……この子)
*
時刻は午後五時三十二分。自分の部屋のベッドに寝転びながら、ハルカはスマホをいじっていた。
今日、学校で撮った親友──まだカレンはただの友達だと思っているが──とのツーショットをSNSに上げ、ニヤニヤしている。
何も喋らず、笑い声を発さず、ただただニヤつきながらゴロゴロ転がり、嬉しさを体全体で表していた。
(これからどんどん仲良くなれたらいいな……カレンと)
思い立ったが吉日。ハルカは足を勢いよく上げそのままベッドに座り、首を思いっきり曲げながらスマホの画面を覗き込む。
メモ帳アプリを開き、タイトルを「カレンとしたいこと!」と入力してから、思いつく限りの“したいこと“を書き込んでいく。
一緒にお昼、移動教室に一緒に向かう、筆記用具を貸してもらう、プールに入る、初詣、年明け、デート、エトセトラ。
ハルカが全集中しながら書き込んでいると、突然、画面が暗く変わり、友人の名前が表示された。
電話だ。ハルカはそれに応じ、スマホを耳元に当てる。
「もしー? どうしたの急に?」
「いや……ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
ハルカは思わず首を傾げる。
「ハルカのインスダ見たんだけどさ……」
「あ、見た!? えっへへ……いいでしょ!? カレンとのツーショット!」
「……ハルカ、そんなに若井さんと仲良かったっけ? なんか違和感感じてさ……」
そこでハルカは気づく。そうか、今日親友になったばかりなのに往年の大親友みたいな写真をあげたら、仲の良い友人からは多少の違和感を持たれるか、と。
一応説明しておいた方がいいかな、そう思い、慎重に言葉を選んでハルカは言った。
「えっとね……今日親友になったの」
「今日!?」
友人の驚く声が存外大きく、ハルカは少し耳に痛みを感じた。
思わずスマホを当てていない方の耳を抑える。だが無駄だとわかったのですぐに辞めた。
「う、うるさいよ……びっくりした」
「あ、ごめんハルカ! いや……え……どゆこと……」
ハルカの友人は戸惑う。一体全体何が起きたら、一日で胸張って親友と呼べるほどの仲になれるのか。
そこでハルカの友人は気づく。そういえば朝のホームルームが終わったあと、ハルカとカレンは二人でお手洗いに向かっていたことを。
そこで起きた何かが彼女たちを親密な関係にしたのでは? ハルカの友人は少し顔を赤くしながら俯く。
お手洗い、トイレで起きた出来事によって仲が深まるんだとしたら、なんかこうエッチなことが起きたに違いない。ハルカの友人はそう確信した。
(そっか……ハルカ、百合属性だったんだ)
「おーい? 大丈夫ー?」
返事のない友人を心配するハルカ。絶賛妄想中の友人にその声は届かない。
(そういえば……なんかカレー星人がどうとかなんとか。もしかして若井さんは宇宙人で、それに恋したハルカ!? 異種間恋愛!?)
「もしもしー? 聞こえてますかー?」
ハルカの問いかけに友人は反応しない。思わず首を傾げるハルカ。その数十秒後、電話は切れてしまった。
「……あ、そういえばカレンと連絡先交換してないや」
ハルカは再びメモアプリを開き、“カレンと電話とかメッセ!“と書き込んだ。
*
ハルカと友達になった翌日、若井カレンは俯きながら、通学路を歩いていた。
男子学生のうるさい喋り声、スマホを耳に付けずに電話している大人、暴れながら歩く小学生。
これら全てはカレンの苦手なもの。しかし今日はそれらを気にせず、考え事をしていた。
(どんな顔して、どんな声色で、どう言うふうに付き合えばいいんだろ……)
カレンの脳裏に浮かぶのは、満点笑顔の吾妻ハルカ。
次に思い浮かんだのは、昨日のようにバグった距離感で元気に話しかけてくるハルカ。
(……絶対話しかけてくるよね。嬉しいけどさ……なんか恥ずかしいかも……)
恥ずかしい、心の中でそう呟いた時、カレンの脳裏に新たに浮かぶのは昨日驚いた顔でカレンとハルカを見ていたクラスメイトたち。
(……あ、ああああああ!? どうしよう……何も弁明してないし説明してない!)
カレンは自分の頬が赤くなり熱を帯びているのを感じ、思わず頬を抑え、そのまま顔を隠し、さらに下へ俯く。
(あんなの……ぎゅってされて大好きって言われたらあんなの……付き合ってるみたいじゃん! ていうかそう言う目で見てたじゃんみんな!)
更に顔を赤くしていくカレン。もしも変な噂が広まっていたらどうしよう、特異な存在として学校中に噂が飛び交ったらどうしよう。
羞恥心に苛まれつつ、カレンはどんどんネガティブな被害妄想を膨らませていく。真っ赤な顔はいつの間にか、真っ青になっていた。
ハルカとのスキンシップを思い出し顔を赤く染め、その影響で起こりうる被害を想像し顔を青に染める。カレンはそれを繰り返し、まるで人間信号機のようになっていた。
「あ、やっぱいた!」
カレンが一人で唸っていると、後ろから彼女を呼ぶ声が聞こえた。
声の主はカレンの自称親友吾妻ハルカ。カレンを見つけるとクラウチングスタートで彼女へ向かい走っていく。
「カーレーン!」
「……わあ!? 出たあ!?」
「そ、そんなお化けが出たみたいな……」
いつの間にか隣にいたハルカに話しかけら、大声で驚くカレン。
その反応の仕方にハルカは不満を覚えつつも、すぐに笑顔に戻り、カレンに話しかけた。
「やっぱり通学路同じだった! 昨日なんであんなに早く助けに来てくれたんだろう……って思っていたんだよね」
「そ、そうなんだ……」
辺りをキョロキョロと見渡すカレン。近くにクラスメイトがいないことを確認し、ほっと一息つく。
その行動の意味がわからなかったハルカは首を一瞬右に傾け、それ以上気にする素振りは見せずに、笑顔のままカレンに話しかける。
「ねえねえカレン! 今日から一緒に登校してもいい……かな?」
「え……?」
「お願い! この通り!」
両手を合わせ、お願いのポーズをするハルカ。カレンは一瞬躊躇する。
確かにハルカとは仲良くなりたい。悪い子じゃなさそうだし、嫌いではない。
ただ一緒にいると面倒くさそうだともカレンは考えていた。自分とハルカは住む世界が違うのでは、とも考えていた。
カレンはどちらかと言うと影の存在。友達がいないわけではないが、自分からは決して話しかけず、話しかけられたら仲良く話す感じ。
対してハルカはどんどん話しかける側。仲の良い友人はカレンとは比べ物にならないほど多く、どれとでもいつでも仲が良い感じがする。
カレンが魔法少女で、たまたまハルカを助けなければあまり交わることのない関係。
自分がハルカと仲良くするのは本来間違っていることなのでは? カレンはそう考えていた。
何も言わないカレンを見て心配になるハルカ。もしかしたら断られるかもしれない、そう考えるとハルカは自然と涙が出そうになっていた。
「……ダメ?」
カレンを覗き込むように見て、上目遣いで、目を少し潤わせながら、口をキュッと閉じて、ハルカはじっとカレンの目を見つめる。
(……わ!?)
考え事をしていたカレンはハルカの行動に気づいていなかっ。気づいた時にはハルカは泣きかけ、カレンは驚き心の中で叫ぶ。
カレンが見たハルカはまるで小動物。弱々しくうるうるした目で自分を見つめるその姿に、カレンは心をぶん殴られる。
この子をいじめてはいけない。この子の嫌がることをしたくない。この子にはこんな顔をして欲しくない。母性にも似た不思議な感情がカレンに湧き上がっていた。
思わずハルカを撫でそうになるカレン。それをすぐに止め、首を横に振って己の行動を否定する。
そしてカレンは悩んで、悩んで、悩んで──
「……い、いいよ」
精一杯に言葉を搾り出した。
それを聞いたハルカは顔を笑顔に変え、太陽のように輝くスマイルを見せながら、一度制服の裾で涙を拭った後、ぎゅっと力強くカレンの手を握った。
「よかった……私カレンに断られたらどうしようかと思ったよ……!」
「……えと、うん」
初めて接する感情豊かすぎる友人に、カレンは少し困惑しながら、とりあえず頷いた。
ハルカは楽しげに、カレンの手を握ったまま歩き出す。
カレンはそれに少し遅れて、歩を進める。
初めての手を繋ぎながらの登校、少し頬を染めながらカレンは俯いている。
対してハルカは真っ直ぐに前を見ながら、鼻歌でも歌い出すかのように楽しげに歩いている。
カレンはそんなハルカをチラッと見て、心の中だけでため息。
(……まあ、いっか)
苦笑しながらカレンは俯くのをやめ、ハルカ同様真っ直ぐと前を見つめる。
そして、教室に着いた時に起こりうる状況を想像し、静かにため息。
(特に何も起きないと……いいけどなあ)
*
朝のホームルームが終わった教室。騒々しい教室。それがいつも通りの教室。
生徒が各々の友人の席にいつも通り集まり、グループになって他愛ない話をしている。
そんな中、いつも通りではないグループが出来ていた。
集まっているのは若井カレンの席。そこに真っ先にやってきたのは吾妻ハルカだった。
「一時間目数学だってさカレン。面倒くさいよね数学って……。公式を色々覚えさせられてさ、それに決められた数字を当てはめさせられて、結果出た決まっている答えを書いて終わり。つまんない……」
「そ、そうだね……うん」
項垂れながら、カレンに抱きつきながらそう話すハルカ。
そんな二人を見ているのはハルカの友人。困惑した顔で見つめており、カレンはもの凄く居心地悪く感じていた。
思わずキョロキョロと辺りを見渡すカレン。昨日の出来事もあって、教室内で注目を浴びていないか不安になる。
そのままカレンは、小さくため息をついた。
「ね、ねえねえハルカ……」
友人の一人がハルカに話しかける。それに反応したハルカは顔を見上げ、話しかけてきた友人を見る。
「なに?」
ポカンとした顔をするハルカ。そんなハルカを見ながら、友人の一人は話を続ける。
「……ちょ、ちょっと来てくれるかな!? ごめんね若井さん! ハルカ持ってく!」
「あ、はい、どうぞ……」
「うえ!? ちょ!? 引っ張んないで!?」
なんとかカレンにしがみ付こうとするハルカを、彼女の友人二人は協力して引き剥がす。
そのまま二人で抱えながらハルカの席に向かい、ハルカをそこに座らせ、彼女を囲んだ。
「えっと……優? 千郷?」
ハルカは二人の友人、優と千郷を交互に見る。
「昨日電話した時から思ってたけどさ……いくらなんでもデレデレすぎない?」
呆れた顔で、腕を組みながら優は言う。
「昨日までそんな事なかったのにね……」
それに続いて千郷も、小さな声で言った。
ハルカは眉根を寄せ、自信なさげに口を開く。
「だ……だって、好きなんだもん」
ハルカの脳裏に思い浮かぶのは、魔法少女姿のカレン。
キラキラで、可愛くて、美しくて、強い魔法少女。ハルカはカレンにそういう印象を抱き、昨日から彼女の姿が頭から離れなかった。
大好きになったのは昨日自分を助けてくれた魔法少女だからだよ。そう答えられれば楽なのだが、カレンの正体をバラすわけにもいかないので、ハルカは友人二人の質問に上手く答えられなかった。
「……好きなんだもん」
唇を尖らせ、頬を染めながら、静かに呟くハルカ。
そんな彼女を見て、千郷の脳に電流が走った。
千郷は昨日の出来事を思い出していた。ハルカが突然カレンに呼び出され、二人でトイレへ向かった事を。
(どうして二人で……あんまり遅いから迎えに行ったけど……あれ……あの時二人の服がちょっとはだけてなかった!?)
千郷は曖昧な記憶を懸命に思い出そうとする。思わず頭を抱えると、それに気づいた優が彼女の肩をポンと叩く。
そして耳元で囁いた。
「気づいた? 実は私も昨日察したんだ……」
それを聞いた千郷はコクコクと勢いよく頷く。
「あの二人さ……昨日トイレで……」
優が囁く。それを聞いた千郷も彼女に向かい囁く。
「したよね……エッチ……それしかないよね……このデレようは……」
二人がコソコソ話しているのを見て、思わずハルカは首を傾げる。
頬を染めながら、ニヤニヤしながら話す優と千郷。その会話を全く聞き取れないハルカは、首を傾げた。
「つまり付き合いたて……!? 一番楽しい時期……!?」
「じゃあ私たち邪魔すぎん……!?」
「あの……二人とも?」
除け者にされていることに耐えきれず、彼女たちに手を伸ばしながらハルカは話しかけた。
ハルカが話しかけてきたことに気づいた二人は瞬時に彼女を見て、二人同時にハルカの肩に触れ──
『お幸せに』
と、二人同時に微笑みながら言った。
「どゆこと!?」
驚くハルカを二人はそのまま持ち上げ、カレンの席へと持っていく。
そして、カレンの目の前にハルカを置くと、二人同時にカレンの耳元で──
『ハルカをよろしくね』
と、囁いた。
それだけ言うと、優と千郷は手を振りながら、優の席へと帰っていった。
そんな二人を見て、ハルカとカレンは二人同時に首を傾げる。
『どゆこと……?』
二人同時そう呟くと、同じタイミングで学校のチャイムが鳴った。
*
放課後、カレンは机の上で教科書をまとめ、帰る準備をしていた。
宿題に使うものはカバンへ、使わないものは置き勉。丁寧に教科書を分けている。
「カーレーン!」
そんなカレンの元に大声でやってきたのはハルカ。来るなりカレンに抱きつき、それに驚いたカレンは小さな悲鳴を上げた。
そしてカレンは、ゆっくりとハルカの顔を見る。が、満面の笑みで自分が見つめられていることに気づき、恥ずかしくなってすぐに目を逸らした。
「帰ろカレン。帰ろ帰ろ帰ろ!」
帰ろ、と言うたびに抱きしめる力を強くしていくハルカ。
(い、痛い痛い痛い痛い痛い……!)
声には出さないように、カレンは痛いと呟き続ける。
そんなカレンの表情の変化にハルカはすぐに気づき、ゆっくりと力を弱めていった。
「ごめんごめん! 嬉しくてつい……」
頬を染めながら、恥ずかしそうに、右で拳を作りながらそれを顎に添えるハルカ。
カレンはそんなハルカを見て「あざといな」と思いながら教科書の仕分けを続け、それを終えるとゆっくりと立ち上がった。
「終わった!? よし! じゃあ……ゴートゥーホーム!」
握っていた拳をそのまま上に振り上げ、元気に叫ぶハルカ。教室に残っている生徒たちがそれに反応して、一斉に視線を向ける。
注目を浴びている。そう気づき恥ずかしくなったカレンはハルカを背中から押しながら、急いで教室を出た。
廊下に出てもカレンはそのままハルカを押し続け、階段も何故か持ち上げて急いで降りて、真っ直ぐに下駄箱へと向かう。
早足、早歩き。ハルカを持ち上げながら移動しているが故、カレンは注目されたまま歩き続けた。
「……はあ……はあ……」
下駄箱の前に着くと、カレンはハルカをゆっくりと下ろした。
息を整えようと、膝に手をつき、俯くカレン。そんなカレンをハルカは不思議そうに見ていた。
(なんで私運ばれたの……?)
とりあえずハルカは上履きを脱ぎ、下駄箱から靴を取り出し、地面に投げ捨てた。
そのまま上履きを下駄箱の中へ仕舞い、もう一度カレンを見た。
「つ……疲れた……」
そんなカレンを見て、ハルカは再び疑問に思う。
脳裏に浮かぶのは昨日のハルカ。物凄い動き、普通の人間には真似できない動きをしてバケモノを倒していた姿。
あんなにも動けて、あんなにも綺麗で、あんなにも強かったのに。どうして私一人抱えて少し走ったくらいであんなに疲れているんだろう?
ハルカは思わず首を傾げる。
(もしかして……魔法少女状態じゃないと強くない的な、お約束パターン?)
漫画とかアニメだとそう言うのが多い気がする。ハルカはそれで納得した。
そのままハルカは靴を履き、今なお息を整えようと必死なカレンを見る。
(待つかぁ……)
汗だくで、目を見開きながら、はぁはぁと息を吐き続けるカレン。
ハルカはそれを見て、ちょっとエッチだなと思った。
「疲れ……疲れた……はあ……疲れすぎた……はあ……疲れ……やば……疲れた……重かった……疲れた……はあ……」
(……ちょっとダイエットした方がいいかな?)
*
夕焼けが赤く照らす通行路。カレンとハルカは並んで歩いている。
楽しげに話しているが、カレンは相槌を打つだけで、実質ハルカが一人で喋っていた。
「それでねそれでね──」
ハルカが笑顔を浮かべ、人差し指を立てながら話していると突然、大きな落下音がした。
聞こえてきたのは、ハルカとカレンの背後。二人はしばらく沈黙し、動かない。
「……な、何今の音?」
ハルカが呟く。それに続いてカレンは首を傾げた。
「な、なんだろう……」
カレンが呟く。それに続いて今度はハルカが首を傾げた。
そして、二人同時に、振り返るとそこには──
「どんぎょ」
頭は空のペットボトル。体はティッシュ箱。足はダンボール。腕は長靴で出来たバケモノが立っていた。
「わー!?」
ハルカが叫ぶ。それに驚き、カレンはビクッとなってしまった。
「ちょちょちょカレン! なんかいるけど!?」
「どんぎょ」
「どんぎょって言ってるけど!?」
「あ、え、と……ふぇ?」
カレンは状況がうまく飲み込めず、つい首を傾げてしまう。
「ふぇ? じゃなくて変身変身変身して! バケモノいるって!」
「あ、わ! そうだった……!」
突然のバケモノ登場。慌てすぎなハルカ。それに驚き思考が停止していたカレンの脳が動き出す。
「どんぎょ」
そんな二人を見ながら、バケモノは地面におすわりをした。
「ほらほらほら! 待ってる待ってる待ってる!」
「わわわ! わかってるって! 変身! って指輪はめてない!」
急かすハルカ。お上品に待つバケモノ。二人に急かされカレンは慌ててカバンに手を突っ込む。
必死に指輪を探そうとして、整えられていたカバンの中がぐちゃぐちゃになっていく。
「あ、あった! 変身!」
指輪を見つけると、すぐに薬指に嵌める。
すると、カレンは指輪から出てきたピンク色の光に包まれる。
服装がフリフリのピンクドレスに変わる。髪型はそのままで、色がピンク色に変わる。顔はすっぴんからちょうどいい具合に化粧したように綺麗に──
「人の目なんて枝葉末節、中途半端な年齢の魔法少女カレン、登場」
変なポーズを決めながら、カレンは魔法少女カレンに変身し終えた。
「名乗り口上ダサッ!?」
「ぴえ!?」
驚くハルカに驚くカレン。自身の名乗り口上に自信があったカレンはショックを受けてしまった。
そんな彼女たちを傍目に、バケモノがゆっくりと立ち上がる。
「どんぎょ」
そう一言鳴くと、バケモノは勢いよくカレンに襲いかかった。
「わ! 離れて吾妻さん」
「ひえ!? ていうかハルカって呼んでよカレン!」
軽くハルカを突き飛ばし、カレンは左腕でバケモノの攻撃を防ぐ。
それと同時に空いている右腕に力を入れ、拳を握りしめ、バケモノに打ち込む。
その瞬間、バケモノはそれを察知し、カレンから瞬時に距離を取った。
「……む」
カレンは、両腕によくわからない動きをさせ、カッコつけながら構えた。
バケモノとカレンの睨み合いが始まる。
数秒、数分、数十分。睨み合いは続く。
「……ふわぁ」
それを退屈に感じたハルカがあくびをした瞬間、両者は動き出した。
まずカレンが勢いよく地面を蹴り、ほんの少し飛び上がりながら、体全体を勢いよく振り、凄まじい勢いの蹴りを放つ。
それを察知し、既のところで立ち止まり、カレンに空振りさせる。
蹴りを避けられ、わずかに隙を生むカレン。バケモノはそれを見逃さず、大きな腕を大きく振るう。
振られた腕が直撃するよりも早く、カレンはそれに足で触れ、そこを足場に飛び上がり後退。地面に降り立つと同時に、バケモノからは目を逸らさずに距離を取った。
「わー! カレンかっこいいー!」
大きな歓声と、ペチペチと情けない音の拍手が鳴り響く。
カレンとバケモノはそれを無視、もしくは気づかずに、睨み合いを続ける。
「どんぎょ」
次に動いたのはバケモノ。大きな足で地面を踏み締めながら、ゆっくりと、確実にカレンへと向かっていく。
カレンのすぐ近くに来ると、バケモノは予備動作を見せずに地面を蹴り、一瞬でカレンの目の前へと現れる。
(遅れた……!)
カレンがバケモノの動きに気づいたその時には既に、目の前に大きな握り拳。
ゴツゴツとしたその拳は、カレンの顔を──
「……ッ! ぶないッ!」
穿とうとしたその時、ギリギリでカレンはそれを避けた。
しかし、バケモノの追撃は止まらない。
振るった拳を瞬時に振り返らせ、裏拳でカレンを狙う。
「……セイッ!」
瞬時に首を動かすカレン。バケモノの拳はカレンの頬を掠めるに留まる。避けられたことに驚くバケモノ、その隙をカレンは逃さない。
己の拳に思いっきり力を込め、エネルギーを貯めるような感覚。それを覚えながらカレンはバケモノに向け拳を撃つ。
また殴打。バケモノは呆れたように、カレンの拳を避けた。
それを見てカレンは笑う。バケモノが後退したその瞬間、彼女は勢いよく手を開く。
「カレン……ビイイィィィィムウウウゥゥ!」
大声で叫ぶカレン。それと同時に、彼女の手のひらから凄まじい光線が放たれた。
「わあ……! 必殺技だ……! 直球な名前……!」
ハルカはそれを、目を輝かせながら見た。
カレンの美しさ、可愛さ、かっこよさ、素敵さ、素晴らしさ。それら全てが詰まった最高最善の必殺技だ。とハルカは評する。
カレンビームはそのまま真っ直ぐに進む。大きなバケモノの体を一瞬で覆い、彼の身体を粉々にする。
悲鳴をあげる暇もなく、バケモノはこの世から消え去った。
「……ふぅぃ……」
一仕事終えたように息を吐くカレン。そんなカレンに、ハルカは目にも止まらぬスピードで抱きつきに行った。
「すっごいすごいすごいすごいすごい! 素晴らしいですカレン! あ、凄すぎて敬語になっちゃった……」
「何それ……」
一人で盛り上がりまくるハルカにカレンは少し顔を引きつらせる。
そんなカレンには気づかずに、ハルカはぴょんぴょん跳ねながら力強く彼女を抱きしめる。
「すごい! 天才! ゴッド! スーパー! ウルトラ! ハイパー!」
褒めているのかよくわからない、讃える単語を次々に繰り出しハルカはカレンを褒める。
それを聞いているカレンは、嬉しさと恥ずかしさと心の弱さで照れていた。顔が、ほおが徐々に赤くなっていく。
褒めかたが特殊で、少し困惑はしていたが、カレンは正直に言うとハルカの賞賛が嬉しかった。
今まで、魔法少女として褒められたことは幾度もあるが、若井カレンとして褒められることは少なかった。
勉強は普通、運動も──本気を出すと普通の人間じゃないとバレるから──普通。特筆するほどの特技もなければ、コミュ力があるわけでもない。
あまり人と関らず、関われず。色々とモヤモヤした気持ちを抱えていたカレンにとって、ハルカの言葉は思っている以上に心に響いた。
こんなにもしょうもない賞賛なのに、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「……えと、ありがと」
「へ? なんか言った?」
感謝の言葉をハルカに伝えようとしたが、カレンはその直前でとんでもなく恥ずかしくなり、小さな、小さすぎる声になってしまった。
抱きついたまま、上目遣いで、じっとカレンを見るハルカ。
彼女の視線から顔を逸らしながら、顔を真っ赤にしながら、カレンは口を動かす。
「あ、ありがと……吾妻さ──」
「んん?」
吾妻さん、と言おうとしたところでカレンは口をキュッと閉じる。
またしても小さな声だったので、ハルカはそれを聞き取れていない。彼女は思わず首を傾げた。
(カレン……何言おうとしてんだろ?)
もう一度首を傾げるハルカ。カレンはそれを見て、さらに顔を赤くする。
(ふ、不思議に思われてる……! わ、私のバカ! 陰キャ! 間抜け!)
頭の中で自らを罵倒し、それが意外と効いて、プルプルと震え始めるカレン。
ハルカはさらにもう一回、首を傾げる。何も言わず、顔を真っ赤にしたり震え始めるカレンはハルカから見ると、何が起きているのか全然わからなかった。
(言え……! 私……! ありがとう吾妻さん……じゃなくて! ありがとうハルカって……!)
「……カレン?」
「うぴぃ!?」
自分の名前を急に呼ばれ、カレンはビクッとなり、ハルカを見る。
「う、うぴぃ……って」
驚いた顔をして自分を見つめるハルカからすぐに目を逸らし、また、カレンは悶え始める。
(ぐ……いつまでこんなことやってるんだ私! まるで週刊漫画の引き伸ばし……! 全然話が進まない……進められない!)
カレンが顔を真っ赤にしてから既に、三分が経っていた。
この三分間。カレンは真っ赤になって震え、ハルカはずっと首を傾げていた。
そろそろ言いたい。カレンはそう思っているのに、言い出せずにいた。
「えっと……カレン。帰る?」
もしかしたら強く抱きしめすぎて苦しんでいるのかも。そう思ったハルカはカレンから離れ、首を傾げる。
ハルカの気遣いが、カレンにグサっと刺さり、罪悪感に苛まれる。
心配させてしまった。カレンは心の中で項垂れる。
それと同時に、カレンの体は彼女の意思に関係なく動き、ハルカの手を握りに自らの手を伸ばしていた。
ぎゅっ、とハルカの手を握るカレン。ハルカはそんなカレンの大胆な行動に胸を打たれ、顔を真っ赤にし、くねくねと身体を動かす。
「な、ななな何かなカレン……!? て、ててて手を繋ぎながら帰るの……!? そんな恋人見たいな……えっへへ……」
「……ありがと」
「へ?」
顔を真っ赤にしているハルカの手を、同じく真っ赤になりながら握るカレン。
カレンは一度歯軋りをしてから、ハルカの目をじっと見て、ゆっくりと──
「ありがとう……友達になってくれて……あず……ハルカ……」
「……うん!」
カレンにハルカと呼ばれ、嬉しくなり、力強く手を握り返すハルカ。
そのままカレンを引き寄せ、ハルカはぎゅっと抱きつく。
「ハルカって呼んでくれたねー! えっへへ……てかかわいすぎか……もう……!」
「い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!」
「あ、ごめん」
力強く抱きしめられ、カレンはつい呻き声を出す。
それを聞いてハルカはすぐに手を離した。
「じゃあ、帰ろっか……カレン」
そう言って、微笑みながら手を差し出すハルカ。
「……うん」
差し出されたその手を、カレンは笑みを浮かべながらそれを取る。
「ていうかカレン、私たち友達じゃなくて親友だよ……?」
「いや……まだ友達で……ハルカ、友達からでいいって言ったし」
「ええー!? まあ、いいけどさ……むぅ」
楽しげに話しながら、夕日に照らされながら、彼女たちは帰路に着いた。




