かわりの家族
わたしがその子の里親になったのはその子がまだ8歳の時でした。
少年の名はイシル。
母子家庭の子どもだったイシルはその夏、母親を海で亡くしてしまったのです。
波にさらわれかけたイシルを助けようとして、逆に母親が溺れてしまったのです。
イシルが浜辺で意識を取り戻したとき、母親は息をしていませんでした。
親戚もなく天涯孤独になってしまったイシルは、母親の遺体が焼かれている斎場でも涙を見せていませんでした。
心の中の何かが消えてしまったような表情で、ただじっと炉のハッチのハンドルを見ていました。
そんなイシルの里親に、わたしはなったのです。
イシルはなかなか心を開いてくれませんでした。
「今日なにが食べたい?」
そんなふうに聞いても、黙ったまま膝を抱えています。
わたしはできる限りいろんなメニューの3食を作りました。
食べてはくれましたが、ずっと少食です。
育ち盛りの男の子の食欲じゃありません。
時々、独りですすり泣いている声が聞こえました。
あの子はきっと、自分のせいでお母さんが死んでしまったと思って自分を責めてるんだと思います。
わたしは待ちました。
イシルがわたしと一緒に暮らすことを受け入れてくれるのを。
だって、この年頃の子どもには母親が必要です。
わたしは、あの子の胸の内にある「母親」にはなれないかもしれませんが、でも、わたしはわたしで、ちゃんとあの子を愛しています。
いつかそれは、必ず伝わると思うんです。
やがて、そんな努力は少しずつ実を結ぶようになりました。
話しかけなければ返事をしなかったイシルが、自分からわたしを呼ぶようにまでなったのです。
「ミラル。」
でも、あの子はわたしを名前で呼ぶだけです。
「お母さん」とは呼んでくれません。
しかたないかもしれませんね。
わたしはあの子の「お母さん」ではないんですもの。
法律上、そういう立場になってはいても、あの子の「お母さん」はあの子の記憶の中にだけいるんですものね。
「わあ、どろんこだあぁ! ほら、脱いで。お風呂に入って。」
「サッカー、勝ったよ!」
10ヶ月をかけて、イシルとわたしはこんな会話ができるようになっていました。
「ミラル、一緒に・・・」
言いかけてイシルは、少し悲しそうな笑顔を見せて黙りました。
それから、ぱっと満面の笑顔になって言いました。
「晩ご飯はハンバーグがいいな!」
そうです。
わたしは水に入れない体なんです。
そこが特に、イシルの本当のお母さんとは違うところですね。
まあ、他にもいろいろ違うんでしょうけど、それでもイシルはわたしを家族として受け入れてくれました。
わたしにとっても、もうイシルはかけがえのない「わたしの子ども」です。
イシルにとって耐え難いほど辛かっただろうあの事故から1年、わたしたちは確かに幸せを取り戻すことができたと思います。
今のわたしの夢は、いつかイシルから「お母さん」と呼んでもらうことです。
わたしたちは休みごとにいろんな場所に出かけました。
遊園地やテーマパーク。ショッピングモールや山登り。サッカーの試合だって見に行きます。
夢中で応援するイシルを、わたしは眩しく見つめていました。
2人で花火もやりました。
線香花火が好きなわたしと違って、イシルはロケットみたいに噴射する花火が好きでした。
「危ないよぉ。そんなに振り回しちゃ。」
イシルは海にだけは行きたがりませんでした。
それは当然でしょうね。
わたしだって、海は苦手です。
だから、まさか遊園地であんなことになるなんて、全く想像もしていませんでした。
「ジェットコースターに乗りたい!」
イシルがそう言ったので、チケットを買ってイシルを乗せました。
子ども向けの短いコースのもので宙返りとかもない割とおとなしいやつですが、わたしが乗らなかったのはコースの途中で池に突っ込んで水しぶきを浴びるところがあるからです。
安全なアトラクションのはずでした。
なのに、何がいけなかったのか、車両がレールから外れて宙に飛び出してしまったのです。
車両はバラバラになって池に落ちました。
悲鳴が上がりました。
イシルの乗った車両が池に放り出されるのが見えました。
わたしは何も考えずに、夢中で池に飛び込みました。
シートベルトを外さなきゃ!
車両のシートベルトを引きちぎり、イシルを抱き上げます。
膝から水が侵入してきて、アクチュエーターがショートしました。
わたしは膝から崩れ落ちながら、イシルを両手で高く上げます。
腰もダメになり、私は仰向けに水の中に倒れます。
それでも腕を上げてイシルを高く水面の上に上げます。
誰かがイシルを抱き上げてくれました。
目の前に水面を通した青い空が見え、泡がいくつか踊っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
「再起動、成功です。」
意識が戻って最初に聞こえたのが技師のこの言葉でした。
次に目に入ったのは、涙で顔をくしゃくしゃにしたイシルでした。
イシルはわたしの胸に飛び込んできました。
「お母さん!」
わたしはこんなことの後なのに、幸せでいっぱいになりました。
どんなにかこの言葉を待っていたことでしょう!
調整された体は、前よりもよく動くようでした。
防水も施されたので、イシルと一緒にお風呂に入ることもできるようになりました。
私の夢は叶い、わたしたちは今度こそ本当に幸せを手にしたのです。
銀色のわたしと肌色のイシル。
わたしたちは、ちゃんと母子になれたのです。
「お母さん! サッカー、大会に出られることになった! ぜったい観に来てね!」
でもそんな幸せも長くは続きませんでした。
どうしてあんな事故に巻き込まれたのか、病院で冷たくなったイシルに対面しても、なお、わたしには信じられませんでした。
人間なら、涙を流すのかもしれません。
でも、わたしはただ呆然と立ち尽くすだけで、やがて少しずつ視界が狭くなっていきました。
視界がぐるりと回って天井が見え、わたしの意識はそこで途切れました。
* * *
「アンドロイド人権法に基づく処置の最終段階に入ります。」
キーボードの上で技師の指が動く。
「ミラルの機能には何の異常もなかった。それにも関わらず、機能の90%が停止したままだ。考えられる唯一の原因はイシルの喪失だ。」
「アンドロイドがそこまでの感情を持つものですかね?」
「いつの時代の人間だ、きみ(笑)。我々と変わりないよ。いやひょっとしたら、我々よりも繊細かも。」
「記憶を全て転写できたのは不幸中の幸いでした。」
「この子はアンドロイドとして再生するわけですが、この子はイシル本人と言っていいんでしょうか? 全ての記憶はあるんですが、その一方で生体細胞はひとつも残っていないのですからね。」
「それは誰にもわからんよ。本人でさえね。」
「起動準備整いました。」
「アンドロイドも人間も等しく人権を持つ現代では、少なくとも法的には彼はイシルだよ。」
生前とそっくりに造られた銀色の頭を、技師長はそっと優しく撫でた。
「さあ、起きようイシル。お母さんにおはようを言いに行くよ。」
* * *
「お母さん。」
その声でずっと座ったままだったミラルが顔を上げた。
その目に映ったのは、銀色のイシル。
「ぼく、ちゃんと帰ってこられた。お母さんと同じ体になったから、もうずっと一緒にいられるよ。」
そう言って嬉しそうにミラルの胸に飛び込む。
「また、花火やろう。サッカーはアンドロイドリーグになっちゃうなぁ。」
ミラルの腕が動き、銀色のイシルを包み込む。
表情が戻り、ミラルの目から透明な水があふれ出した。
わたし、やっぱり壊れちゃった?
こんな機能、なかったはず・・・。
了




