『今』も絶え間なく時間は過ぎている
何が出来るだろう? 何かしなければ……。
そう思い続けながら進んで来た日々も、既に13年の月日が流れました。
今回のお話はですね、『あの日』から13年経った今の事を少しばかりお話しできたらなと思います。
お時間がございましたらお付き合いいただけると幸いです。
ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますけど、私が現在住んでいる場所は、マスメディアなどに時々取り上げられることが有る、一部の方々からは『悪名』として知られる福島県です。
あの日も県内に住んでいましたし、あの時の混乱やあの時からの風評なども経験しましたけど、私の住んでいる場所的には、それらに直接かかわったりすることが少ない地域なので、日常生活にはさほど支障がないレベルの事として過ごせてきました。
あの日以前の福島県はというと、実の所をいいますと特に魅力のある県というわけではなくてですね、全国都道府県別魅力度ランキングなどでは低位が常といった県だったわけです。
とはいえ、何もないわけじゃないんですよ?
福島県産の特産品と言えば『桃』と思い浮かべられる方もいらっしゃると思います。そうなんですよ。福島県って意外とフルーツの生産が盛んなんです。ももだけじゃなく、リンゴやナシ、ブドウ、などなど色々な品種が育てられているんです。
秋の味覚的には柿も有りますね。天皇家への上奏品としては『身不知柿』なども特産品としてたりするんですよ。
沿岸部では漁業が盛んですね。今はあの問題というか明言はしませんけど、まだまだ色々な事を抱えながら漁師の方々は日々努力と共に戦う毎日を送っておられます。
漁獲高もけっこうあったんですよ。東北でも割と大きな港を抱えているので、常磐産や福島県産などと銘打たれれて各地で消費されてましたね。
そうそう!! 漁港の近くには水族館が有るんですけど、そこにはですね生きる化石とも言われる『シーラカンス』が剥製ですけど展示されてます。
実はその水族館(アクアマリン福島)と、シーラカンスが発見された地域を大学や国の方々が共同でシーラカンスの研究なども行われていますね。
観光的にはですね、自然が多く有って中でも割とメジャーなのが、日本国内でも数番目に大きい湖である猪苗代湖と周辺の温泉地ですかね。
福島県はほぼ中央付近に磐梯山が有りまして、磐梯山は休火山なのですけど、その周囲には温泉が湧きだしてます。夏になれば湖で涼をとりつつBBQをしたり、冬になればスキー・スノボなどをした後に温泉につかるなんて事も出来ますよ。
福島県内は割とどの地域でも温泉が有るので、見つける事は簡単ではないかなと思います。
景色的な観光というところですと、雪深い『奥会津』ですかね。
雪景色の中、鉄橋の上を通る電車の写真などをご覧になった事が有るかたもいらっしゃるかと思いますが、只見線の雪景色は写真愛好家の方々には非常にいいスポットになっているようですし、そこまでに行く途中の駅には『猫駅長』で有名になった『芦ノ牧温泉駅』も有ります。
歴史的な観光という面からみれば、平氏の流れをくむ相馬家(平将門系)が有った地域で行われる『相馬野馬追』も有名ですし、幕末の悲劇として知られる白虎隊や二本松少年隊など、幕末まで将軍家を奉りつつ御奉公した会津藩や白河藩、二本松藩など、お城と共にそのお話が今もなお語りつがれていますし、武士道的な教えは今もなお生きて根付いています。
残念なことにですね、福島県はそういった歴史的な物に関してのアピールが足りないようで、なかなか皆さんの知る所となっていないのですけど、他にも千円札でご存じの野口英世などの有名人もいるんですよ。でもあまり知られてないですよね。
グルメという点でもなかなか厳しくてですね……。まぁ有名どころで言えば、ラーメンブームをけん引していた喜多方ラーメンですかね。ラーメン的にはここ最近では白河ラーメンも有名になってますね。
郷土料理も各地にあるにはあるんですけど、殆どが無名でその地に行かないと知ることができない状態だったりします。
――という感じで、福島県はあまり知られていないことが多いですけど、それなりに魅力が有る県なんですよね。
そしてどれもが今も『復興途中』です。
どこの地域でも、あの日から復興しようと絶え間なく努力してきているんですよ。
『あそこは今もなお危険な場所だ』『行ける場所じゃない』
なんて言うのは簡単です。
それは個人的に思われる方も未だにいらっしゃるのも事実でしょう。
ただですね、何もしていない、何も知らない、来る事さえしない、知ろうともしない――そういう方の意見と、実際に住んでいる方、実際にいらした方のお話ってどちらが信用できるでしょうね……。
今年は年始から大きな災害に見舞われております。被災地の方々は今もなお懸命に復興に向けて努力なさっています。
支援の輪は本当に広がって欲しいですが、それを悪意を持って邪魔しようとする事だけはしたくないし、しないで欲しいですよね。
人間として、同じ日本に住んでいるものとして、同じ災害に見舞われた地域に住むものとしても、切に願います。
――という事で、今回のお話はここまでにします。
お立ち寄り頂きありがとうございました。
お読み頂いた皆様に感謝を!!
今もなお――いや、これから先もずっと『復興途中』なのでしょうね。
終着点の無い戦いの途中のような気がします。