退屈エブリデイ(1)
退屈だった。意味の無い争いが続くだけの日々。空虚だったその日々の中で、彼は過ごしていた。
彼の名はロー。『法』を意味する名を持つ魔族の王太子だ。
魔族の王太子として生まれ落ちた彼は、次の魔王になるべくして育てられる。魔族と相対する種族、聖族の多くを殺めていた。
そんな日々に、彼はうんざりしていたのだ。
赫く赫く、血塗れる。聖族の血に染まって、空虚な瞳で相手の身体に空洞を作る。念入りに強力な呪いを掛けて、その身体が朽ちていくのを見守る事もなく無造作に剣を引き抜いた。
鮮血が満ちる大地には無数の屍が転がっている。そこに佇むのはただ1人。彼だけ。
黒の巨大な闇の翼が現れる。ローはその翼で飛行し、屍の大地を後にした。――変わらぬその日々に辟易しながら。
「父上、只今帰還いたしました。我ら魔族の領土を荒らす穢らわしき聖族の討伐はアルバート卿が帰還次第、完了するものと思われます」
玉座に座る魔王の前に跪き、報告をするロー。その言葉に退屈そうな面立ちで、らしいな。と魔王は零す。
「次の任についてはアルフレッドから聞くが良い」
俺は忙しい。下がれ。その言葉に頷き、ローは玉座の間を去った。
「殿下」
「アルフレッド卿か」
ローは声を掛けられ足を止める。後ろを振り返る事なく、次の言葉を待つ。
「次の任務は暫くありませぬ。場合によっては殿下に出陣願うやも知れませぬが、将らが対応するでしょう」
そう話すのはアルフレッド・トーマス。人間の五十路を超えた程度の容貌をした、魔王の側近であった。
「そうか、ご苦労だった」
「ゆるりと休んでくだされ」
ローの言葉にアルフレッドがそう反応する。
「久しぶりの休みだ。遠出をする。そのように皆には伝えてくれ」
ローはそう口にすると、止めていた足を再び動かした。
「承知致しました」
アルフレッドの返事を気に留める事もなく、ローは自室へと向かう。その途中、兄上。と呼び止められた。
自身の事を兄上と呼ぶのはこの世でただ1人。声変わりが始まってすらいない弟、オースティンだけだ。ローは表情を変える事なく振り返る。
「おかえりなさいませ、兄上。ご活躍は耳にしております」
母上も、喜ばれています。そう続けるオースティンの言葉に、微塵も興味はそそられなかった。あえて言うなら、心の中で悪態をついたくらいだ。父上の機嫌を取ることしか脳にないあの女が、俺の活躍を親として喜ぶはずもない、と。
(それすら、どうでもいい)
そう思って、そうか。とだけ反応する兄のローに、オースティンは続ける。
「アルフレッド様から、しばらく兄上は休暇だと聞きました。お時間あれば私の成長を――」
「俺は忙しい」
ローはオースティンの言葉を最後まで聞く事もなく遮った。
「……すみません……」
そう謝るオースティンに、ローは続ける。
「言いたいことがそれだけなら、俺は行く」
ローはオースティンが反応する前に再び歩き出してしまった。あ、兄上……! その呼び止める言葉に止まる事もなく、ローは自室へと向かう。
「殿下。お疲れ様でございます」
「ああ。アレンもな」
自室に辿り着くと、警護兵に声を掛けられローは返事を返した。
自室の前に置いてある籠に血塗れたマントを外して入れる。アレンと呼ばれた警護兵が自室の扉を開け、ローは足を踏み入れた。
手を洗い、顔を洗ってうがいをする。そして返り血を落として着替えるために、ローは大浴場へと向かった。
大空を闇で作られた漆黒の翼で羽ばたく。魔界の様子を目に映しながら飛び続けた。その目は空虚で、何事も諦めたようだった。
やがて魔族の村すらない、魔獣や魔物が蔓延る荒野がやって来る。まだ魔界の領地だが、人界との境目が近づいて来ていた。
ローは魔法で姿を変える。赤色の瞳は黒く。黒い髪はそのままに。人間らしい姿へと変化した。
先へ先へと飛んで行くと、大きな河を境目に人間の住む人界に入る。ローは人界側の河原に下りると、魔族特有の漆黒の翼を無体にして隠した。
魔族特有の魔力も体内へと引っ込める。そして、魔法でその上から念入りに隠した。
何事へも興味がなくなっていたローは、魔族が人界へ踏み入るというタブーを犯しても特に反応はなかった。河原の周りの森に進み、ローは人界の奥へと進んで行く。
他の魔族のように人間に敵意はない。害する気もない。ただ、一時だとしても魔界やその嫌気が差す生活から離れたかったのだ。その行動が、魔族にとって禁忌で異端だとしても。