懐旧
人工魔石需要で活気づいてる街は、まだ夜が終わりそうになかった。飲食店は煌々と明かりを照らし、最近街への出入りが増えた冒険者達を積極的に招いている。
まだ人の多い街の中を歩いていくと、段々人通りが少なくなっていった。
「フレデリック様」
「なに?」
「……良かったです、お幸せそうにしていて」
「え?! ……そんな幸せそうに見える?」
「そうですね、少なくとも……マリエラ様の元に居た時には見た事がない、安心しきった……平穏に幸せを感じているお顔をなさってますね」
リアナちゃんの横にいる自分は、見て分かるくらいそんなに幸せそうな顔をしているのかと若干焦ったそのすぐ後。
久しぶりに、自分の母親の名前を聞いて息が詰まりそうになった。未だに、苦手意識しかない。育ててもらった事実は元々無いけど……いつか産んでもらった感謝とか出来るようになるのかなぁ。
俺は過去を思い出しながら空を仰いだ。
町の中心はまだ明るいけど、もう結構遅い時間で、周辺の住宅は明かりが落ちてる家も多い。最近外から入って来る人が増えて治安が悪くなってるから、まだ道が見えても暗くなったら灯りを持った方が良いってデビッドさんが言ってたなぁ……と思い出した俺は拡張鞄の中から魔光カンテラを取り出した。
視界の端で、自分が持つと言いかけたエディを小さく手で制する。良い商会の若頭みたいな身なりの男にカンテラ持たせて歩いてたら、あまりにも不自然すぎるからね。
エディにとっては生まれた時から染みついた行動だ。思い出した、慣れ親しんだこの距離感が懐かしくて、つい笑みが浮かんだ。
薄明りを手に入れた俺達は歩みを再開させる。なんとなく無言のまま、最近は寝に帰ってるだけのアパルトメンの部屋に招き入れた。
ああそうだ、周りの人に紹介する設定を考えておかないと。大きく事実と異なる情報は間違えやすいから言い方は考える。複雑な所は隠して……役所的な所で働いてる幼馴染、がいいかな。
いや、今だけだと言ってもエディは絶対に俺に敬称を付ける事も敬語を使う事も辞めないだろうからそれでは不自然だ。……なら、実際そうだし「ぽんこつで家を追い出された元良いとこの坊ちゃんのフレドと、その幼馴染兼使用人のエディ」にしておこう。
エドワルトではあまりにも貴族っぽいし。俺の名前も呼び方を変えるよう頼まないとだな。
しかし、やっぱりリアナちゃん達と過ごした後にこの部屋に帰ってくると寂しさがすごい。
外気温とほとんど変わらない、冷たい空気の部屋の中に先に入る。
今日は一人じゃないから大分マシだけどね。今夜はエディと積もる話もあるし……明日も冒険者業はお休みかな。幸い、ここんとこお金には余裕があるからいいか。
適当に椅子をすすめて、恐縮するエディに笑いながら飲み物を用意した。
なんか……こうして、また向かい合ってお茶が飲めると思ってなかったな。五年ぶりだ、と思いながら正面を見る。当然だけど、俺の記憶の中の、まだ十八だったエディとはちょっと顔つきが違った。
多分俺のせいで苦労したのもあるんだろうな。
「……私はフレデリック様は良き王になっていたと今でも思っています。クロヴィス様も、そう望まれていた」
「エディ……違う。選んだのは俺だよ。自分で選んで、投げ出して逃げたんだ」
夜道は寒かった。途中からずっと黙って歩いていた。エディはお茶で口が温まったからか、そんな事をぽつりと口にする。
「そうですね、フレデリック様は王になる事を望まなかった。私はそれを見ていて……いえ、完全に私の個人的な考えで。貴方を見つけた後も、フレデリック様を縛る存在が無い場所で、平穏で、命を脅かされる心配をせずに生きる……そちらの方が幸せなんじゃないかと、勝手に思ってしまった」
「実際、俺が望んだ事だよ」
「ずっと……後悔してました。フレデリック様があのまま……あの場所で、何の憂いもなく生きる道があったのでは。もっと私には出来る事があったんじゃないかと今でも考えてしまいます」
そんな事あり得ない、あそこに居て殺されずに済む方法なんて存在しなかった。それに俺は身分を捨てて出てきて良かったと思ってる。
と、口に出そうとした俺は、その言葉を飲み込むしかなかった。今、エディにこの言葉をかけない方が良い気がして。きっとそれは、俺が逃げて、残してきてしまった大切な幼馴染をもっと追い詰める事になってしまう予感がする。
「なのに、この街でフレデリック様が幸せに過ごしているのを見て、良かった、あの時の選択は間違ってなかったと……そう考えて……私は胸の中の罪悪感を慰めてしまった」
「…………」
俺は何も答えなかった。エディは謝罪を口にしなかったから。謝罪をして、俺が許したらまた苦しむだろう。こいつはそういう奴だから。
気まずい沈黙が続く。
でもこの五年で、自分の事でこんなに重い空気で真面目な話をする機会なんてなかったから。つい、いつもみたいに振舞ってしまう。
「……なぁ、エディ。お前の言うように、本当にミドガラントで命の危険がなく過ごせたとしてもさ。俺、絶対あの家を出てたよ。何を言われても王家に残る事は無かったって断言できる」
「! 申し訳ありません。フレデリック様にそのような事を言わせるつもりは……」
「いや、エディを気遣ってるんじゃなくて。俺の母親見てたら分かるでしょ? 無理無理。俺ストレスで倒れちゃうよ。命の危険がなくてもあそこには残らなかったよ」
「は……」
一瞬言葉に詰まった後、エディはじわじわと理解をしたのか随分間抜けな表情を浮かべていた。
実際、俺の母親を知ってるからこそ、この言葉はとても良く伝わるだろう。俺の横でずっと見てたんだから。
ほんと今思うと……血が繋がってるからって、よくあの人の相手をしてたよ。毎日毎日、呪いのような言葉を吹き込まれて。「フレデリック、あなたが王様になるのよ。あんな女の子供になんて絶対負けちゃダメ」ちょっとでもお気に召さない所があると「どうしてあの女の子供に勝てないの? 何で私に恥をかかせるの? お母さんが嫌いなの? 私が嫌いだからわざと恥をかかせようとするの?」と始まる。ちなみにこの詰問に正解はない。何を答えても余計にお説教は酷くなる。
あぁ……子供の頃の俺を労わってやりたい。でも大人になったから分かるけど、当時子供だった俺を「これ」から守る……とかのまともな対応をやろうと思えばできるのに全然してくれなかった父親とか、周りも周りだよな。
エディとか、エディの母親で俺の乳母だったペトラ、そういった他の人に恵まれてなければまともに育ってなかっただろう。
ちなみに、こうして俺に「誰にも文句を言われないくらい優秀になれ」と言う割にあの人本人は出来ていなかった。子供だった俺の目から見てもね。
二言目には自分は身分の低い出身だから、と言い訳するけど、そもそも覚えようとしない。着飾ってパーティーや茶会を開くのは好きだったようだけど、社交をしていた訳ではなく取り巻き立ちにチヤホヤされるのを楽しんでた所しか見た事ない。
あの人を嫌う貴族は当然たくさんいたけど、何故か変に支持者が居て、本人に真面目な話は通じないのでしわ寄せは大体俺に来ていた。
思い出してたらお腹が痛くなってきちゃったな。
「いや、ほんと、離れて分かったんだけどさ。自分の親だけど俺、あの人の事すごい苦手だったみたいで。連絡も取れない今の状況がとても快適なんだ。むしろ、『離れたら命の危険が増す』って状況だったとしても、絶対いつか出てってたと思う」
俺は熱を込めて語る。
「はは……確かに……フレデリック様はいつも……憂鬱そうにされてましたからね」
「でしょ?」
エディの口の端に笑みが浮かんだ。俺もそれを見て笑う。嫌な話じゃなくて、他の大切な人達の話をしよう。
「ペトラもエルカも、エディ自身も変わりはなかった? 俺がいなくなってから何か問題は……」
「ご心配ありがとうございます……クロヴィス殿下にもお気遣いいただいて、家族皆問題なく過ごしております。そうそう、エルカは一昨年結婚しましたよ」
「へえ?! 相手は? 俺の知ってる人かな」
「ええ。護衛のセドリックです」
当然覚えている。クロヴィスの母親の実家であるハルモニア公爵家の工作が続いてる中もずっと残ってくれてた忠義の厚い男だ。
エルカの事は小さい頃から知っていて、親戚の子供のように思っていたが、もう結婚する年になってたんだなと思うとびっくりしてしまった。
セドリックはエルカと少々年齢が離れてるが、エディの表情を見るに良い夫婦になってるのだろう。
エディ達の母、ペトラは俺がいなくなってから城を辞して、商家等裕福な平民向けの礼儀作法の私塾を開いているそうだ。中々に繁盛しているらしい。表立ってではないが、クロヴィスの援助もあったとか。まぁ当たり前か。仕えていた俺がいなくなったのだから、あのまま城に勤めるのは難しかっただろう。
ピンと背筋の伸びた姿、柔らかな笑顔を思い出す。
人の目のない所ではまるで本当の母親みたいに、エディと一緒に育ててもらったな。途中からはエルカも加わって。懐かしい。
……今日改めて安否を知れた。良かった。ずっと気になってはいたけど、調べたことがきっかけで俺の居場所が知れてしまったらと怖くて出来なかったから。
もちろん自分の命が一番の理由だけど、あの時一緒に俺が守りたかった人達も全員無事で、元気にやってると聞いて心の底から安心した。
「クロヴィスは……立太子したんだろう? 外国の新聞に載った話くらいは把握してるけど」
「そうですね、大変優秀な王太子として評判ですが……あー。そちらについては、殿下からのお手紙を。先に私の口で説明してしまっては感動と驚きが薄れてしまいますので」
「……? そうするよ」
ずっしりと厚みのある封筒を取り出して考える。今夜は徹夜になりそうだな。久しぶり過ぎて、酒の力を借りたいなんて思いがちょっとよぎったがやめておこう。
「……そうだ、イザベラ嬢ってどうしてるか知ってる?」
「フレデリック様が気になさる必要はございませんよ」
ふと思い出した事を何も考えずに尋ねると、エディは冷たく吐き捨てるようにそう言った。本人を前に態度や顔に出した事はなかったけど、ほんとにあの人の事嫌いだよなぁ。
母親の身分が低い、俺の立場を補強するために結ばれた政略的な婚約の相手は、当時ミドガラントで二番目に大きな派閥を築いていたマリスティーン侯爵家の令嬢だった。
彼女にとっては大変不本意な婚約だったのは知っている。実際初対面の時からずっと、事あるごとに「平民の血が混じった男に嫁がなくてはならないなんて」と嘆かれていたから。当然、エディもいつも横で俺がけなされるのを聞いていた訳で。
仲良くなろうとする努力するのは……かなり早い段階で心が折れてしまった。彼女は俺の母親とその周りが無理を言って巻き込まれた被害者だって分かってたけど……うん。
「でもほら、最初から『マリスティーン侯爵の後ろ盾を得て穏便に継承権を破棄できるかも』なんて希望的観測を抱かずに済んだし、向こうも解消を望んでくれてて良かったよ」
イザベラ嬢が、政略なりに歩み寄ろうとしてくれる人だったら、死にたくないからと同じ事をするにしても、俺は罪悪感に押しつぶされてただろう。
解消の仕方が乱暴になってしまったのは申し訳ないけど、「薄汚れた平民の血」って言う程の相手と結婚しなくて済んだんだから大目に見てくれないかな。ダメかな~。まぁ俺すごい嫌われてたし、何しても怒りに触れるだろうな。
俺が取りなすようにそう言うと、エディは一瞬視線を斜め上に動かして、何かを考えるようなそぶりを見せた。
「……マリスティーン侯爵令嬢が、フレデリック様の最後の誕生日パーティーのエスコートを断った言葉は覚えておいでですか?」
「こんな半分平民の男の腕をとって夜会に出るなんて死んでも嫌、だったっけ?」
あと何だっけか。そうそう、「そうね、地べたに這いつくばってわたくしのつま先にキスをして懇願するならちょっとは考えてやってもいいわ」だ。そこまで嫌か、と内心苦笑した記憶がある強烈な断り文句だった。
いつもならイザベラ嬢を宥めてたんだけど。その時はもう国外逃亡する事を決めていたので速攻で諦めて一人で入場した。
他にも色々印象に残ってる台詞は多いが、あれは中でも十本の指に入ったね。
「そうですねぇ、フレデリック様は昔から……よりによって、と思うような厄介なご令嬢の執着を惹き寄せますからね……」
「え? ……ああ、そう考えると イザベラ嬢が俺に関わって『おかしくなる人』じゃなくて良かったなぁ」
冒険者になってからは、宿屋の主人に金を握らせて部屋に夜這いに来る人とかいたし、薬を盛られたり、監禁されそうになった事もあった。マリスティーン侯爵家の力と金でそういった事をされてたら逃げられなかったかもしれない。
「……彼女はフレデリック様をそうして散々けなしながらも『何をしても許すほど愛されてる』と公言していたのはご存じですか?」
「知ってはいたよ。政略の仲が良好だって示すパフォーマンスだけど……さすがにちょっと苦しすぎるよね」
俺が嫌われてたのはみんな知ってたと思う。俺がそう答えると、エディは愉快そうに笑い出した。
「どうした? 急に笑い出して」
「ふふ……改めて通じてないのを見ると面白くなってしまって。あぁ、ちなみにそのマリスティーン侯爵令嬢ですが。例の不貞相手と結婚したとは聞きました。彼女が口に出して望んでいた通りになりましたね」
「そっか、本当に好きな人と結婚して幸せになってるなら良かった」
卑怯な俺はそう聞いて、罪悪感を一つ手放してしまった。
「幸せに、なれますかねぇ……彼女が本当に好きだった方だは今幸せみたいですけど……」
エディは俺に意味深な視線を向けて来る。
「ええ? どういう意味だよ」
「いえいえ、ただの独り言ですよ。それよりも建設的な話をしましょう」
エディはクロヴィスからの手紙を早く読んで返事を用意するように急かしてきた。まぁそれは、俺もそのつもりだったから否やは無いが、作為的に話題を変えられた気がする。
今回エディは人工魔石産業についてクロヴィスの命を受けて調査しに来た事になっていて、その名目で商業ギルドの魔導通信機を借りられるので明日無事会えたと報告に行くらしい。国境を越える通信は傍受が怖いから返事を実際に渡すのはエディが国に帰った時になるが、それまでにちゃんと返事を用意しないと。
まずは明日、レターセットなんて持ってないので、買いに行かないとだな。俺は翌日の予定を頭の中で思い浮かべながら手紙を開封した。




