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遠くに行きたい



 長い手紙を書いて、夜通し荷造りをしてそのまま家を出てきた時、はるかかなたの空が明るくなりかけていた。一睡もしていないし体もまだ痛みが残っているが、頭だけが爛々と冴えて疲れも眠気も感じない。

 タウンハウスの並ぶ貴族街から離れるために私は小走りで音を立てずに舗装された夜の道を駆けた。

 王都の外壁の門は日没と共に閉じられて夜明けから半刻経つと開くと決められている。衛兵が周囲を警戒できる環境を確保するためだ。


 この季節なら開門の時間は……と、頭上の星の位置から大体の時間を割り出した。門が開いたら外に出る商隊か冒険者達に上手く紛れて出て行けばいい。私はフィールドワーク用の外套のフードを深く被り直すと歩きながらもこれからするべき行動について考えていた。

 狩猟会の後だから荷物がまとまっていて良かった。もしもの時に備えたあれこれを色々入れたマジックバッグの中身は、ほとんど使う間も無くニナを追いかけてそのままだったからそれが丸ごと役に立った。

 野外活動用の準備は完璧にできていたし、中身も細かく把握していたので荷造りの時間が大幅に減らせたのだ。

 あの時、使い慣れた短槍を失ったのがちょっと惜しい。無いよりは良いだろうと細剣レイピアを代わりに持ってきたが護身にしかならないだろう。


 しかし、まずは王都から離れないと話は始まらない。公爵家の名にかけて、失踪した私の身柄を全力で捜索するだろう。……褒める所のない娘であっても、放置することはできないから。

 だから私は本気で、全力で逃げる必要がある。何一つ褒めてもらった事も、認められたことの無い私はすぐ見つかって連れ戻されてしまうかもしれないけど、「だからやっても無駄だ」なんて諦める理性が働かないほど私は限界だった。


 夜間の人の出入りは制限されているが、戦時中でもないので日中はいちいち身元を改められるようなことはない。まだ私が家から消えたのも発覚すらしていないはず。

 夜が明けた後、悠々と王都の門をくぐって外に出た私はまだ薄暗い空の下を進み始めた。

 今はとりあえずこれでいいが、まともな宿屋に滞在したりこの先国境を越えるには身分証が必要になる。当然本来のものを使うわけにはいかないので、「身元不明の女」になってしまうわけだがそんな事をしたら失踪した公爵令嬢と紐付けられてしまうだろう。

 宿屋の方は身分証明の必要のないところを使えばいいのだが、正規の手段では家も借りられないしまともな職にも就けない。先の事を考えると不安だが戻るのはもっと嫌だったので、私はまず王都から離れるために黙々と足を進めた。


 勢いで家を出た高揚感で興奮して疲れも眠気も感じずずっと歩いてきたら、気付くと太陽は真上に昇っていた。考え事をしていた私の意識が現実に戻ってくる。

 街道の端で、魔導車が停まってその横で男性が煙管をくゆらせていた。


 魔導車の形状を見るに、屋台に変形できるタイプの商業用のものに見える。車体の横には所属する店の名前が塗装されていて、私が見ているのに気付くと接客に慣れた人好きのしそうな顔で中年の男性は「どうも」とあいさつを口にした。


 車体に書かれているのは確か、去年商業ギルドに登録された比較的新しめの店の名前だったはず。私が携わっていた店の新規店舗開拓をするにあたって経済と市場の勉強をと与えられた資料に載っていた。

 記載されていた内容を思い出して、ちょうどいいと思った私は視線の向け方から指の一本まで意識を切り替えて私ではない別の人間を演じ始めた。

 きっと普段の私の思考なら、痕跡を残さないように立ち回ったほうが良いと素通りしてたかもしれないけど、寝不足と精神的な疲れで私はなんだか気が大きくなっていたのだと思う。


「こんにちは、おじさん。お客もいないのにこんな所で何してるんだい?」


 設定としては冒険者になって1、2年の少年というところ。私はこの年と性別にしては背が高いので変声期前の13、4歳の男の子を演じてもそこまで不自然ではない。

 家族が見に来てくれるからと、学園祭の演劇のために張り切って王都の劇団に弟子入りした経験がこんなところで役に立つとは。肝心の目的の、家族に褒めてもらう事は叶わなかったけど。

 身分を隠して雑用の下働きからはじめて、最終的には準主役ももらったけど。きっとどこかの時点で私の身分がバレていたんだと思う。でなければ芸術全般に造詣の深いアンジェリカお姉様に一言も褒めていただけない演者がそんなに評価されるはずないもの。

 忖度そんたくさせてしまったと気付いて、その演目の上演が終わってすぐに劇団を抜けさせていただいたけど、正当に頑張っている方達の活躍の場を奪ってしまった恥ずかしさと申し訳なさは未だに消えない。


 人を感動させられるような情熱は込められないけど、たまたま街道で出会った少年くらいなら問題なく演じられるだろう。練習にと男装しておつかいをさせられた時も一度もバレたことはなかったし。


 野外活動用のこの外套には認識阻害の機能もあって、私の顔はぼんやりとしか記憶に残らない。目立つ銀髪は束ねた状態で外套の下に入れてある。それに、資料で見た、各地のダンジョン前で冒険者向けに移動商店を行っている形態のこの店が次に王都に戻る時には私は遠く離れた地にいるからここから辿られる危険性も少ない。

 そのあたりは一応考えはした上で、何か事情がある様子で座り込んでいる男性に話しかけた。マジックバッグにはまだ容量に空きがある、買える時に長距離移動に必要な物資をそろえてしまおう、不自然ではない程度に。


「ああ、魔導車のエンジンが突然壊れちまってねぇ。ついてない……一緒に乗ってたやつにこの先の街から技師を呼んできてもらってるとこなんだよ」

「それは災難だったね、おじさん。暇してるならついでに買い物してもいいかな?」


 歩いてきた地形を思い出して簡単に現在地を推測すると、ここは王都と次の街のほぼ中間だ。やや次の街、ロイタールに近いと思うが一番面倒な場所で立ち往生してしまったようだ。


「これってダンジョン前によく店を開いてるタイプの車だよね。次はどこに行くの?」

「王都でポーション類は仕入れたから、ロイタールで保存食も含めた食料品を馴染みの業者と取引したらロヒプルノーに向かう予定だよ」

「じゃあ前回から売れ残ってる保存食があるってことかな。僕もロイタールで買うつもりだったんだけど、在庫処分のつもりで僕にまとめて売ってみない?」


 商人のおじさんは快諾してくれた。試食していいと渡された乾燥した穀物のバーは2種類ともまずまずの味だったのであるだけ全部買うと申し出ると驚かれる。


「こう見えても、荷台の一部は拡張魔導構造になってるんだ。在庫もすごい量だぞ」

「僕のこの鞄も一応マジックバッグだけど……どのくらいあるの?」

「この保存食だけでも、大体30タンタルはあるかなぁ」


 体積に使う単位で答えた商人に、いやそれなら問題ないから全部買うからいくらになるかと聞き返した。固まってしまったが、どうしたんだろう。お金が払えるか心配してるのかと思ってマジックバッグから、この家出のために持ち出してきた所持金……の一部でふくらんだ財布を出して見せてみる。

 銀行に預けている資産については後始末に使ってくれと書き残してきたが、手持ちのお金も持ち歩くには大金なので全額を一つの財布にまとめないでいる。これだけでもおそらく十分に足りるはずだ。


「は……はぁ、坊主。若いのに、そんなに大きい容量のマジックバッグを買えるくらい稼いでるのかぁ。実は高名な冒険者なのか?」

「まさか、そんなことないよ。これは自分で作ったんだ」

「つく……?! 30タンタルの入るマジックバッグを、自分で?! そ、その見た目で容量がそれっていうと、4等級以上の拡張機能じゃないか……!」


 驚愕する商人に、私は何のことかわからず首を傾げた。

 正確には、色々入れて30タンタル以上の容量が残っているので6等級相当の拡張鞄だが、けど何をそんなに驚いているんだろう。


 拡張魔法は8等級以上で作れるようになってやっと一人前と言われたのに、当然私はまだそこに到達してない。しかもこれには時間停滞だけでコーネリアお姉様が「最低限」とおっしゃっていた時間停止の機能すらないのに。

 そんな拙い手作りの品だが、自分で使う分には別に不自由しなかったのでちゃんとしたものをわざわざ買わずに使っていた。作るのに使った材料ももったいないもの。

 でも普段本職の人が持つ、プロの作ったものを見慣れている人に見比べられているような気がして私は意識してそこから会話をずらした。


「そんなに驚くことかなぁ。僕はまだ見習いだからよくわかんないな」

「はぁ……まったく価値を理解してないのか、自分で作れる人はすごいなぁ。冒険者じゃなくて旅行中の錬金術師だったわけか」


 感心した様子の商人が金勘定をしようとしたところで何かを思いついたように顔を上げた。


「そうだ、坊主。魔導車のエンジン直せないか? 同乗してた奴もちょっと詳しいんだけど、道具もないしで手に負えないって言われてな」

「一応道具は入ってるけど、詳しい人が無理だったのを僕が直せるかなぁ……」


 頼むよ、直せたら保存食も半額にしてやるからと言われて「とりあえず見るだけなら」と了承した。

 しかしエンジンルームを開けてみると拍子抜け、些細な原因での故障だった。特に変な改造もされてないのでこれなら私でも直せる。同乗者は本当に、道具がないから手が出せなかっただけなんだろう。


「大丈夫そうだ、これなら僕でも直せるよ。約束通りまけてね」


 良かったと安心した商人の目の前で、魔道具制作に使う道具を取り出して作業に入る。手持ちの魔道具のメンテナンスに使うからと持ち物に入れていて良かった。冷却水周りのトラブルで焼け付いていた魔導機構を清掃して焼き付きを解消した後、劣化した冷却水を抜いて、手持ちの錬金術素材で不凍液を調合すると代わりに充填した。

 部品の方に機械的な破損は見つからなかったのでこれで大丈夫だと思う。


「原動力にしてた魔石の属性処理が甘かったせいで、熱が出すぎたんじゃないかな。戻る前は火属性の魔物が出るプシュコの洞窟のあたりで商売してたんじゃない?」

「あたりだ。やっぱりギルド認証のとこで魔石買うんだったなぁ」


 ぼやく商人は「ほんとに直るとは思ってなかったから、あれだけじゃ悪い」と言ってきて、じゃあせめて街まで乗せてやろうと提案してくれたのでその言葉に甘えることにした。

 でもこんなに感謝してくれてちょっと悪いわ。少し魔導車に詳しい人なら道具があれば誰でも解決できる事しかしてないのに。

 それに私なんかではプロみたいな保証も出来ないので、ロイタールの街でちゃんとした錬金術工房に絶対に行ってくれと念を押しておいた。街に着くまでの応急手当で、お代をもらうような働きはしてないとお礼を強固に辞退する。


「そ、そこまで遠慮するなら……坊主、ずいぶん謙虚なんだな」

「リオでいいよ。実際たいしたことしてないってば」


 よどみなく偽名を答えた私を怪しむ様子は無く、やれやれといったように肩をすくめた商人、トノスと名乗った男は助手席に乗るよう私を促した。


「リオのお師匠が厳しい人だったんだろうな……」

「トノスさん、何か言った?」

「いいや、何でもないよ。途中でフレド……ああ一緒に乗ってた男なんだけどな。道中の護衛兼店員で雇った気のいいやつだよ。まだ街に着いてないだろうからついでに拾わないと」


 フレドさんという人について話すトノスさんの言葉に相槌を打ちながら、私は「この人の宿泊してる宿屋に口を利いてもらって、知り合いとして部屋を取ればアジェット家が探す『一人で家出した貴族令嬢』に該当せずに逃げられるな」と打算的な事を考えていた。

 


ここでの魔法や魔道具の評価に使う「等級」は1が最低で数字が大きいほど良い評価のやつです

人事評価の等級制度や自動車保険とかと同じ感じの

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