胸騒ぎ ⭐︎
「それでは確かに受領しました。前に鍵の事で相談されてましたし、確かに工房を狙った犯罪かもしれませんね、こちらもしばらくエリツ通り周辺の巡回を増やすなどで十分注意しておきます」
「度々申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「いえいえ、これが私達の仕事ですから」
以前誘拐事件の解決に関わった時に顔見知りになったサリネさんがいたので、アドルフさんが怪我をした事件で起こった心配についてはスムーズに相談ができた。
しかしこういった手続にはどうしても時間がある程度かかるもので、完了にはまだもう少しかかる。錬金術師ギルドを先にしてやっぱり良かったな。
私は市民用の窓口の待合スペースで木のベンチに腰を下ろすと、手続きが終わって名前が呼ばれるのを待っていた。
他には「このくらいの紙袋の落とし物がなかったか」と問い合わせに来てる人が一人。この前の誘拐のような大きな事件は滅多にない事で、基本平和な街だ。
それに相談してすぐ「周辺の巡回を増やす」と対応してくれたなんて、十分に手厚いと思う。
……でも何故だか私はどうしても不安が拭えなかった。工房の鍵だって、アドルフさんが強盗にあったのとこじ付けて心配してるだけで、いつもの私の考えすぎじゃないのかとは自分でも思うのだけど……落ち着かない。
工房の鍵が悪い人の手に渡ってしまっていると考えると心配だ。いやそもそも鞄にたまたま鍵が入っていただけで金目のもの目当てのただのひったくりだった可能性が高いし、鍵だけあっても警備結界の「鍵」は開け方を知らないと開けられないし……。
偶然だし大丈夫、で片付けたいが心配性の私はそれで終わらせる事なんて当然できなかった。
巡察隊本部の帰りに、工房の新しい警備結界と改装について相談に行くも、今の現場が終わらないと職人達の手があかないので図面があってもすぐ着工できないと言われてしまう。
今すぐにでも警備を強化すればこの不安も収まるだろうと思ったのだけど……。巡察隊本部にもっと強い警戒を頼んで、例えば警備する人を派遣してもらうとかも手としてはある。
でも「嫌な予感がする」としか言えない今の状況ではそこまで依頼できないし、したとしても実際動いてもらえないのも分かっている。私がこんなに警戒している根拠が何もないから。
周辺の巡回を増やすだけで十分しっかり対応してくれてると思う。
警備……うーん、冒険者ギルドに私が自腹で、依頼として出したら出来るだろうけど。でも、本当に悪い人が人工魔石を狙っていたと仮定しても……いつまで警戒するべきかも分からないし。
いや、とりあえず工房を改装して、警備結界を張り直して、新しい鍵にすれば一旦安心できるだろう。
逆を言うと、改装が終わって鍵を替えるまで私はずっと不安を感じたままだと思う。心配性だって私も自分でわかってるんだけど……。
どうしようか、二度手間になってしまうけど、とりあえず警備結界だけ私が張り直そうかな。でも改装する時にまた新しく作る事になるので、触媒や素材が無駄になってしまうのはかなりもったいない。
それに、結界だけと言ってもかなり手間も時間もかかってしまうし、根拠は「私の勘」だけなので、これで何も起こらず警戒は全くの無意味だった……となる可能性も十分にある。
もったいないというのもお金だけの問題じゃなく、きちんとした警備結界を張るには貴重な魔物素材を使わないといけないから。お金さえ出せばいつでも欲しいだけ手に入る、という物ではないのも多い。
それに……本当に人工魔石の製法が狙われているとしたら、そうして警備を強化して一旦侵入を防いでも、脅威自体は無くならないのも困りどころだ。いつか諦めるのか? それすらも分からない。鍵を新しくした後にまた従業員が襲われて奪われてしまうかもしれないし。
アドルフさんは鞄を奪われるだけで済んだが、次が起こる時には脅されて工房を開けるよう要求されるかも。
そう考えるといっそ従業員全員に一日中護衛を付けたいくらいだが、当然そんな事は無理なのでもっと現実的な手を考えたい。
とりあえず、しばらく就業開始時間より早く来たり、遅くまで残ったりする事を禁じて、通退勤時は明るくて人通りの多い道を使うように徹底してくださいと通達した。
簡単に鍵の後付けができればいいんだけど、魔法陣の刻まれた金属製の扉では後から穴を開ける事も難しいし、こういう時にちょっと不便ね。
「リアナ様、今日は何だか、帰ってきた時からずっと心配事がありそうなお顔をしてるように見えますけど……何かあったんじゃないですか?」
琥珀が寝た後にそう聞いてきたアンナに、やっぱり敵わないなと思ってしまう。いや、それとも私がよっぽど分かりやすかったのだろうか? ……アンナの洞察力が高かったという事にしておきたい。
そういえばぼんやり一人で考え込んでいたな、二人にも相談してみよう。
「実は……今朝、従業員のアドルフさんという方がひったくりに遭って、怪我をしてしまったの。乱暴な話なんだけど、顔を殴られて、鞄を奪われた弾みで転んで手首も痛めてしまって」
「まぁ、物騒な話ですねぇ。大変な事件ではないですか」
「幸いあまり大きな怪我じゃなくて、それだけは良かったんだけど……」
本人は大丈夫と言っていたものの、今日は流石に自宅で体を休めてもらっているという話もする。フレドさんも知っている相手が巻き込まれた事件について、相槌を打ちながら聞いていた。
「その時工房の鍵を鞄ごと盗まれてしまって。それで、私この前……誰かが入ろうとしたような傷が、工房の鍵に付いてたって話をしたでしょう? もしかしたら同じ犯人が、鍵を狙って起こした犯行なんじゃないかと思っちゃって……」
「……ああ、確かにその可能性もあるかもねぇ。引ったくりって普通、追いかけて来られない様なシチュエーションを狙うから。人通りの少ない早朝は分かるけど、若い男性を狙うってあまり聞かないな……」
そう言われてみると確かに、引ったくりの被害にあうのは女性やご老人が多いイメージがある。絶対いないという訳ではないだろうけど、やっぱり偶然じゃなく鍵を狙ったものかも……?
私の中の不安が具体的な形を持ってきてしまう。
「人工魔石、今まで値段のつかなかった小さなクズ魔石の買取で賑わってるだけじゃなくて、他所の街から買い集めた魔石を粉にするための大きな工場を作る計画も進んでるんでしょ? 大注目されてるからなぁ……悪い奴も目をつけたのかも」
「何とも怖い話ですね。リアナ様、巡察隊には相談されたんですか?」
「うん……しばらく工房のあるエリツ通り周辺の巡回を増やして警戒してくれるって言ってもらえたんだけど、でもずっと誰かの目がある訳じゃないから心配で」
「ああ、やっぱり一日中ってのは無理だもんねぇ」
魔石を粉にするだけでも、現在ミエルさんの孤児院では足りなくなる程需要が生まれている。今は日雇いで依頼を出しているが、新設する工場には、孤児院の出身者を優先して雇用してもらえるようリンデメンの領主とは話をしてある。
警備結界を組み込んだ工房の鍵が簡単に新しいものに替えられないのも、錠前を付け足したりできないのも承知している二人は一緒に悩んでくれていた。
「人がいる日中は大丈夫だと思うんだけど、やっぱり不安だし、冒険者ギルドに依頼を出そうかな、夜間の工房の警備……」
「そうですね、ギルドや銀行と同じように不寝番が必要だと思います」
アンナが私の工房を公共機関と同じレベルに重要だと考えているらしいのは少々面映い気がしてしまうが。
幸い、そのくらいの出費を必要経費と思えるほどには儲かっているので、真面目に検討しようかな。そこそこ大きい商会とかでも、店舗の防犯に警備の者を置いてるところは多いし。
「いや……普通の依頼で出すのはやめておいた方が良いと思うなぁ。サジェさん達に相談して、きちんと信頼出来る人を探してもらわないとダメだと思う」
「冒険者ギルドのギルドマスターにですか? ……そうですね……そのくらいしっかり警備してもらった方が良いかもしれませんね」
「え? でもフレドさん。まだ可能性の話だし、そこまで大仰にしなくても……そもそも警備や護衛依頼は緑札からしか受けられないから、十分だと思うんですけど」
危険な地域の警備や護衛では依頼を受けるのに依頼者の用意した面接を受けたり実技を見たりする場合もあるが、ここは街の中だしそこまで厳しく見なくても大丈夫だと思うのだが。
「いや……難易度じゃなくてね。……うーん、夜間の工房の警備って、何処でどうやってしてもらう事になる?」
「? 待機するスペースなんて無いので、そうすると……工房の中ですね。でも夜は使ってないので丁度いいと思うんですけど」
「ああ、そうなるよね。……いや〜……これ、悪い人だったらさぁ、その警備の依頼受けてる連中を買収するとか、そう考えちゃうと思うんだけど……」
言われて初めてそこに思い至った。しかし考えてみるとそこも警戒しなくてはならないのは当然だった。
「全く思い付きませんでした……」
「いやぁ、リアナちゃんは悪い奴と同じ考え方ができないだけだよ。現実的なとこ考えたら、工房の改装が終わるまで扉の前で誰も出入りできないようにテントで野宿させるとかかなぁ」
「え、もう冬ですしそれは流石に……」
「むしろ魔物のいない街の中で一晩過ごすだけでお金もらえるから人気殺到するんじゃない?」
そうだろうか。……うーん、北国の二重玄関みたいに扉の外側に小部屋を作ってそこで警備をしてもらうとかなら……。
「でも、いずれにせよ本当にちゃんと信頼出来る人をギルド挟んで探してもらわないとダメだよ。冒険者ギルドランクが緑札ってだけじゃ、大金に目が眩む奴も混じってるだろうし」
「そうですね……冒険者ギルドに問い合わせてみます」
警備を依頼出来る人が見つかるのにどれくらいかかるかな。やはり数日は必要だろう。
本当は、もしかしたら今夜もう来るかも……! と心配だったくらいなので、今日の夜は気になって眠れないような気がする。




