口実と思惑
琥珀が偏った環境で育っていたのは言葉の端々から感じていた。本人にとってはそれが「普通」の事だったので、ゴミのポイ捨ての時のように実際に私達の目に見える形にならないと指摘も出来ない。
人を殺してはいけないとか、物を盗んではいけないとか。この程度しか善悪を認識してない子供のままだった。当然今は、社会生活を過ごすための常識が身に付いてきている、と思う。
琥珀本人がやり取りを詳細に覚えていないから、聞いた情報に多分に私の推測が入っているけど、最初に目にした時の臨時パーティーでのトラブルも。琥珀を言いくるめて依頼を受けたらしく、確かに琥珀は報酬の計算も出来なかったがそれを利用して強引に話をまとめたらしい背景を感じる。
第一、適切に指示すれば琥珀の実力ならちゃんと被害を出さずに倒せたはずなのよね。角と眼球と喉元の逆鱗が一番高く買い取られるんだから、「胴体を、なるべく狭い範囲で狙え」とか。
確かに琥珀には知識がないけど、それが分かってるなら「その魔物はキレイに倒せ」だけで自分達の望む結果が出るわけない。指示を出す方がそれを考えてなかったのも悪いと思う。なんて。
琥珀と過ごすうちに、どうしても琥珀寄りの考え方をしてしまっている。自覚している分、問題点を考える時は意識して公平に考えないと。
とりあえず、あの時と同じ事は琥珀はもうしないとは確信している。
常識から外れた事をしでかして周りを怒らせたり、遠巻きにされるのはやはり琥珀も嫌だとは感じていたもののどうすれば良いのか分からずにいたようで、私の言う通りにすると誰からも怒られないし褒めてもらえると今のところは順調に学んでいってくれているし。
ずっと嫌だった……その感情は多分「悲しい」とか「つらい」って名前が付くものだったんだろうな。
これから接触する人が増えていく中で、このまま良い方向に進んで欲しい。
「シスター・ミエル。琥珀の事についてご相談があるのですが」
「琥珀ちゃんの? 何かしら」
昼食後の孤児院にお邪魔した私達は、琥珀が子供たちに囲まれて、「昨日英雄譚のヒーローみたいに現れて僕らを救ってくれた冒険者」と紹介を受けてむずがゆそうにしている琥珀を視界の隅に入れたまま声をかけた。あの様子では喧嘩とか、トラブルにはならなさそうだが、監督者として少し離れた所から注意だけは払い続けておく。
シスター・ミエルと少々かしこまって呼びかけた私に、ミエルさんは何ごとかと少し緊張した様子を見せた。
私は彼女に、琥珀の少々特殊な事情をかいつまんで話していく。少しずつ成長をしていく中、昨日あの子達を助けた事で琥珀本人に大きな変化があった事。良かったら琥珀に、ここの子供達と過ごす時間を与えたいという話も。
「昨日子供達を助けてくれた琥珀ちゃんが、少し前までそんな乱暴な面があったなんて、とても想像できません。ちょっと特別な子だとは思いましたけど……」
「私も、随分この短期間で変わったと感じてます。元々注意した事は聞く耳を持つ子ではあったのですけど、一番は琥珀本人が変わりたいと思ったからだと思います」
私の言葉に同意するようにミエルさんがうんうんと頷く。私が聞いた少ない情報で琥珀の育った家庭を全否定したいわけではないが、琥珀にとって良くない環境だったのは確かだ。
現にリンデメンでは「リアナに弟子入りした期待の新人」として扱われている。登録はいつか、と私がこの前ギルドに顔を出した時に聞かれたし。買い物に行った先、食事によく行く店の店員さん達にも琥珀に声をかけてもらってて、嫌厭されている様子はない。私と出会ってからの琥珀は誰かと喧嘩することも無かったから。
生まれ変わるような素晴らしい教育を施せている訳ではない。琥珀がそれすら教えてもらわずに育ってきただけ。
「私、琥珀にここで友達を作って欲しいと思ってるんです」
「琥珀ちゃんなら、ネロ達もとても感謝してましたし、皆も喜ぶと思いますが……」
なぜわざわざ依頼をするのかと思っていそうなミエルさんに言葉を続ける。
琥珀がここの子達の力になりたいと言い出した事。健全にお互いにメリットを作るために琥珀の学習面での教育をお願いできないかと提案する。不安を解消できるように、報酬として食料を支援して、教材も提供するから「お願いしたい」という依頼の形にして話を進める。
琥珀が自分と精神年齢の近い子達の中で集団生活を学び、文字の読み書きや計算を身に付けて欲しいのだ、と。
改めて考えると、パーティーのメンバーになると決まってはいるが、子供相手にする教育のような事もしている。弟子と呼ぶには不思議な関係だ。
「それでは……こちらにメリットがありすぎませんか?」
「いいえ! むしろ私からぜひお願いしたい事なんです。……琥珀の動機はさっきお伝えしたように私欲が大きいですが、あの子が『誰かを助けたい』と思えたのはネロ君達を助けたからこそなんです。これは私では起こせない成長でしたから」
最初は「お友達として遊びに来るついでに少し勉強を教えるくらいなら対価なんて」と言っていたミエルさんも、最終的に私の説得に頷いてくれた。
良かった、報酬はいらないと固辞されなくて。一緒に頼みに行こうかと言っていたフレドさんに一人で大丈夫ですと断ったの、ちょっと後悔しかけたけど上手く話をまとめられて、私は安心した。
ここの経営は、当然だが他の孤児院と同じように、大部分は領主からの出資で運営されている。この教会の本部から配当される管理費と、この孤児院の出身者がメインとなる寄付もあるがあまり大きな額ではないようだ。
シスターや年長の子供が針仕事をしたものを売ったり、子供用のおつかいを受けたりという収入もあるがそれはやはり微々たるもので。
特に今年は天候不順でこの周辺地域一帯の作物の育ちが悪く、それに伴い全体的に景気が落ち込んでいる。経済の勉強のために穀物価格の変動は世界情勢と天候と合わせて世界各国数年分の相場は頭に入っているけど、リンデメンでの物価は去年以前と比べて明らかに上昇傾向にある。国内での平均だから地方によってはずれているだろうが、それでも値上がりしていると思う。
そのためこの孤児院では現状維持どころか食費も切り詰めざるを得ない状況に陥りかけているらしかった。建物の修繕にも手が回らず、不測の事態に対処するための蓄えもろくにできていない。それでは病人が出たら一気に破綻してしまう。
領主の出資や寄付に頼った運営に不安はあるものの、職員や年長の子供が森の幸などを摂りに行くくらいの事しか出来ず行き詰まっていたそうで。本音を言うとその提案はとても助かります、と言われてしまった。
自分の母親より年長の女性からこうして深々と頭を下げて感謝されるなんて慣れなくて、私も琥珀ほどではないけど挙動不審になってしまう。
「いえ! 私こそ利益があるからこうして持ち掛けたわけですから!」
「ふふ、では、ありがたくお力を貸していただきたいと思います。本当に……ありがとうございます、リアナさん」
そこまで感謝されるような事なんかではない、むしろ琥珀の成長のために利用しているようで心苦しいのですが、と言ってもみたがミエルさんは温かい笑みを浮かべるだけだった。




