ある日森の中
「悲鳴じゃ」
下を向いて熱心に魔物の解体をしていた琥珀がピルピル獣耳を動かしたと思ったらぴょんと顔を上げた。
じっと見つめる先に私も視線を向けてみるけど、視認できる範囲には何も見えない。索敵できる範囲にも異常はない、という事は更に遠く?
やはり私から想像つかないくらいに耳が良いのか。それとも琥珀の種族だけの持つ何らかの能力か。それは分からないけど
「悲鳴……? 何かトラブルが起きたのかな。琥珀、先行して向かえる?」
「とーぜんじゃ! 琥珀は強いだけじゃなくて足もすこぶる速いのじゃぞ!」
琥珀が視線を向けた方角は、街道ではない。一般人も入る可能性のある森の浅い所と、冒険者しか足を踏み入れないこちらの側のちょうど境目くらいの場所だと思う。
力の及ばない魔物に襲われたか……最悪、冒険者同士のトラブルって可能性もあるかも。
冒険者になったんだから怪我も、最悪の事態も……自己責任だと言う人もいるけれど。こうして知ってしまったのなら出来る事はしたい。困ってる人を助けたいという善意じゃなくて、「見て見ぬふりをした」って疚しい感情を抱えたくないという自分の都合だが。
「じゃあ、琥珀……先に駆けつけて、もし怪我しそうな人がいたら魔物を代わりに倒してあげて。誰も怪我しないのを最優先で」
「がってんしょうちじゃ!」
こうして必要な事を指示すれば琥珀は言った通り動いてくれる。その代わり「倒せ」しか言わなかったら本当に最短経路でその結果を出す事しか考えないので全力で魔物を倒しちゃうのよね。こうして毎回明確な指示を出す事を徹底するまでは、困った場面もわりとあった。
多分今までパーティー組んだ人達は、琥珀と組む時の注意点に気付く前に離れてしまっていたんだろうな。
琥珀の体に魔力でマーキングしてから先に走らせた。これで見失う事はないだろう、とあっと言う間に背中が見えなくなった琥珀の後を追う。
周囲に展開していた探知魔法の精度を絞って、自分の魔力にピントを合わせて追いかけた。私に見えない獣道が見えているのか、藪の隙間をぬうように琥珀の走った跡がある。
「琥珀、問題は?」
「リアナ、遅いぞ! もう全部のしたとこじゃ」
私が駆けつけた時には全てが終わっていた。
そこにいたのは子供だった。引率らしい最年長の子供と、その陰に隠れるように3人。少し離れた所に小型の魔物が2体、琥珀の攻撃で丸焦げになって転がっている。
やはり魔物だったか。野生動物は臆病だからよほどの事がなければ襲ってこない。冬眠あけならともかく、今は冬に入った所だし。
シチュエーション的には、遭遇した魔物に襲われかけたけど、怪我をする前に琥珀が倒した……という感じか。
追いかけている最中に「ちょっと待って、相手が冒険者だったら? こっちから見たら『助けた』と思える場面でも、『獲物を横取りされた』と思われたらどうしよう……」とかよぎったけど、それは心配なさそうで良かった。いや怪我をするような場面になりかけたわけだから、良い事ではない。
子供数人でこんな森の奥にいるなんて、何があったのか。窺うように視線を向けた私に、疚しい事でもあるのか、最年長の少年がびくりと肩を震わせた。
「あの、あなた達……怪我はない? 大丈夫?」
「……はい」
年齢は10歳くらいだろうか。でも栄養が足りないのか発育があまり良くない印象を受ける。見た目よりも年齢は上かもしれない、と考えながらとりあえずの事情を聞くことにした。
「どうしてこんな所にいたの?」
「えっと……」
ちらり、と視線を向けた先。あちらから逃げてきたのか、茂みの下に籠が転がっていた。そこから薬草や山菜、木の実が零れ落ちている。多分採取に夢中になって奥まで来過ぎたのだろう、とすぐに推測できた。とにかく、ここでこのまま無理に聞き出すより、移動しないと。
ここくらいの浅い場所では私が対応できないような強い魔物は出ないけど、万が一もある。この子達を安全な場所に連れて行くのが先だ。事情はそこで聞こう。
「あの籠の中身を取りに来たの? すぐ拾ってくるから、まず魔物の居ない安全な場所に移動しようね」
周りに零れたものを拾って籠に入れ直す。持ったまま走ってきたのか、更に奥の方から道しるべのように点々と落ちているのが見えるが全部拾いに戻るのはやめておきたい。
最年長の少年に籠を渡すと、「ありがとうございます」と言いつつ、そちらの方に視線を向けていた。でも戻らせるわけにいかないので、あえて無視したまま話を進める。
「琥珀、街に戻るよ」
「え~~、琥珀はまだ全然動き足りないのじゃ」
「今日はこれで終わり。一流の冒険者なら、突然こんな事に遭遇する事もあるんだよ」
「そうか。なら仕方ないな」
ふふん、と得意げになった琥珀に苦笑する。……解体途中だった魔物の死体をそのまま置いてきてしまったが、この子達を連れて戻るのは危険が多いので諦めるとしよう。討伐部位は切り取った後だったし(ちょっと雑だが)、子供達を助けられた事の方が大きい。
死んだ後も瘴気が残る程の強い魔物じゃないから、死体を放置しても問題は起きないだろう。
琥珀を最後尾から、列から逸れたり遅れてしまう子が出ないように見てもらう役にして街に向かう。まず冒険者が良く使う、踏み慣らされた森の中の細い道に出てから、やっと一息ついて最年長の少年に声をかけた。
「私は冒険者のリアナ。あなたの名前は?」
「……ネロ」
「そう。ネロ達は山菜や薬草、木の実を取りに来たの?」
「あ、あんな奥まで入る気はなかったんだよ! ただ、チカが奥にユピシルの花が見えるって言って、それで……」
ネロよりいくつか下か、と感じた少女がさっと顔を伏せる。この場合は奥に立ち入るべきではなかっただろう。でもネロだってそれを適切に判断できる年齢ではない。何を注意すればいいのか私は考えた。
子供でも受けられる、社会福祉として簡単な依頼もある。お金が必要な子供達が受けられる、「店の前の清掃」や「街の中のゴミ拾い」のような。
等級外専用、と呼ばれるそれらについては、危険が伴うかどうかが厳しく審査される。浅いとは言え森の中に入る内容で出るはずがない。それに、まともに冒険者ギルドが機能しているこの街ではこの子達に絶対に受けさせないだろう。
「……あなた達の親……いえ、周りの大人は、今日あなた達がここに来るって知っているの?」
「やめて‼ お願い、ミエル先生に言わないで!」
ミエル先生、に聞き覚えを感じて記憶を探る。……私達の住んでいるアパルトメントの近くにある孤児院。たしかあそこを管理する修道女の方のお名前じゃなかったか。
という事は、この子達はその孤児院の子供だろう。
「それは、叱られたくないから? やっちゃいけない事をしたって自分では分かってるよね?」
「……」
私の言葉に反論は浮かばないのかうつむく。でも怪我がなかったからと言って、内緒にしておいていい事ではない。
「それとも、そのミエル先生に心配をかけたくないのもあるかな?」
「怒られるのも、心配させちゃうのも……でも、だってお金がないってミエル先生ずっと困ってて……! じゃあ他にどうすれば良かったんだよ!」
悪い子じゃないのは分かる。そのミエル先生の……孤児院の力になろうとしたのも。きっとその人の事が大好きなんだろう。でも……これを看過するわけにはいかなかった。今回はたまたま琥珀が気付いただけで、大けがや……命を失う事にもなりかねなかったんだから。
「でも、あなた達が怪我をしてしまったら……その方が、ミエル先生はずっと悲しむと思うよ……」
こうすれば良かった、と安易な解決策は浮かばない。でも大切な人がいるならなおさらこんな事はもうしてはいけない、と伝えるしか出来なくて。
ポロポロ泣き出した子供たちを連れて孤児院に向かう私達は、街の人からとても奇異な目で見られたのだった。
「こら、ネロ! 晩御飯の当番を放ってどこに行って……あ、あら、冒険者さん?」
こじんまりした正面の礼拝堂ではなく、孤児院のある裏口から敷地内に入ると丁度勝手口から出てきた年配の女性が声を上げた。
子供たちの後ろにいる私を見て、心配そうな顔をしている。
「初めまして。この街で銀級冒険者をしているリアナといいます。この子は仲間の琥珀」
私が身分を名乗りながら服の中に首から下げていたギルドタグを見せると目に見えて安心していた。ホッとして、その後居住まいを正して窺うような様子で言葉を続ける。
「ここの修道院長をしているミエルと申します。あの……その冒険者様に、この子達が何か……?」
「実は。あの……この子達……森の中で、魔物に襲われそうになっていた所を保護したんです」
「ええ?!」
私の言葉に酷く驚くミエルさん。無理もない。戦う術も持たない子供だけで魔物の出没する区域に立ち入るなんて、何が起きてもおかしくない。
ネロ君は「食べるものが手に入ると思って」「薬草も見つけたし」と弁明をしているが、ミエルさんの怒りは収まりそうにない。
「バカ!! リアナさん達が助けてくれなかったらどうなると思ってたの!! もしも……怪我で済まなかったら……!!」
「ご、ごめんなさい~~」
ボロボロ泣き始めたミエルさんにつられて、決まりの悪そうな顔をしていた子供達もワンワン泣き始めた。それを見て私もなんだかほろりと来てしまう。
やはり私の想像していた通り、お金のためにと思いつめての事だったようだ。その気持ちはとても尊いものだけど……本当に何もなくて良かったと思う。
「リアナさん、ほんとうに……本当にありがとうございました……!」
「いえ。助けたのは私じゃなくて、この子なんですよ。子供の悲鳴に気付いたのも、私より先に駆けつけて魔物を倒したのも」
「そうなのですか! ……琥珀ちゃん……ありがとう。この子達が怪我や、もっと恐ろしい事になる前に守ってくれて、本当に……ありがとうね……!」
涙を流すミエルさんにがっしりと手を掴まれて、琥珀は目に見えてうろたえた。ああそうか。この子、無条件に褒められて甘やかされる環境で育っていたけど……だからこそ、やった事で心から人に感謝された事って無かったんだ。
そのままガバリと抱き着かれても、琥珀はされるがままになっている。
生まれて初めてこんなに強く感謝されて、琥珀は真っ赤になってろくに返事も出来ないでいた。
「う、うう……琥珀は。琥珀はリアナがやれって言ったから……やっただけで……」
「でも実際に助けてくれたのは琥珀ちゃんなんでしょう? 理由なんてきっかけに過ぎないの、助けてくれた事実に私はとっても感謝してるのよ」
ミエルさんに促されて、頭を下げながらお礼を言う子供達にも、反応が鈍い。でも嬉しすぎて固まっているらしいのが一目で分かるからか、ミエルさんは感謝しつつも微笑ましいものを見つめる目を向けている。私も同じ目を向けていると思う。
「申し訳ありません、命を救っていただいたのに、お礼については後日お話をさせていただいてよろしいでしょうか……」
「そんな、大丈夫ですよ! お礼なんて。琥珀だってお礼目当てで助けたんじゃないですから……ね? 琥珀」
「ん? ん……そうじゃな……」
琥珀はまだもじもじしている。生まれて初めて言われた「ありがとう」が命のかかわるこんなに重いものなのだから、その衝撃は私が想像している以上だろうな。
もう孤児院は夕飯の時間だという事なので、これ以上いてはお邪魔になってしまう。あのままでは「せめてものお礼に夕飯をご一緒しないか」と誘われていたかも。それは回避したい。アンナが夕飯を作って待ってるだろうし、経営が厳しそうな様子なのに二人分増えるのは負担になってしまうから。
ちゃんとお礼をしたいので是非後日いらしてください、と言われた。琥珀の心にも良い影響があるだろうからお言葉に甘えてお邪魔したい。けど食事時は避けないとだ。
むしろ、知ってしまったからには食糧の援助なんかもしたいくらい。でも琥珀が命を救っておいて、これ以上受け取るのは……とあちらが遠慮してしまいそう。向こうに気を遣わせなくて済む、何かいい案はないかなぁ、と考えながら帰路についた。
アンナとフレドさんにも相談してみよう。
「琥珀、あの子達が怪我する前に助けられて良かったね。すごいよ、お手柄だね」
「お手柄……」
初対面の人ではなく、私に褒められたからか、やっと素直に喜びを表現できるようになった琥珀の口元がニヨニヨと動く。
「そうか……そんなにすごいか?」
「そうだよ。普通の人にとっては魔物はとっても怖い存在なの。子供だけで森の中に入ってしまったあの子達はたしかに間違ってたけど、でも琥珀のおかげで誰かが怪我する前に助けられた。私はあんなに遠くの悲鳴は察知できないから。駆けつけるのも間に合わなかったと思う。だから……琥珀はあの子達にとって命の恩人で、英雄だよ」
ミエルさんもとっても感謝していたし。デルールでは話を聞かずに暴走して誰かを傷付けたこの子が、見知らぬ人をこうして助ける存在になれたなんて。
たまたまだし、言われてやっただけだとしても、琥珀の誇らしそうな顔に私は称賛をこれでもかと言うほど伝えた。
「そうか。アンナも褒めてくれるかの?」
「もちろんだよ。アンナも、フレドさんもたくさん褒めてくれるよ」
「ふふーん、あやつも琥珀の事を褒めざるをえないって事じゃな!」
なんだか最初から琥珀はフレドさんの事ライバル視してるのよね……。
でも険悪と言うよりかは仲良く喧嘩してる感じで、琥珀にデザート強奪された時も本気では怒ってないので微笑ましいやり取りだと思う。(ちなみにその時は私のプリンを半分フレドさんにあげた)
「リアナ……決めたぞ。琥珀はもっともっと強くなってな、たっくさんの者どもから感謝されて傅かれる、そんな偉大な存在になるのじゃ!」
「動機は不純だけど……まぁ、目指してる内容自体はとても良い事だと思うよ」
感謝される事が目当てだとしても。理由なんてどうでもいい、この子が自分の意志で誰かを助けられるような、そんな存在になりたいと思えるようになったって事だから。




