新しい日常は
私がお酒を飲んでどんな醜態をさらしたのか気にはなるが、詳細を知ってしまったら羞恥心で生きていけなくなる危険があるのでこれ以上触れないでおくことにした。だってこの優しいアンナとフレドさんが口をつぐむって相当な事だと思うの。
何をしたのか、想像すると不安ばかり大きくなる。犯罪について勉強した時に、お酒が入って気が大きくなるのか酔った末の犯行とやらをたくさん見た。服を全て脱いで通りを全力疾走して憲兵に捕まった貴族子息の話とか、ひどく酔っぱらった状態で賭け事をして全財産を失いかけた未亡人の話とか(賭博自体が違法なので遡って無効になったが、違法賭博場に出入りしていた件についてはこの婦人は罰を受けたようだ)
話は逸れたが、事実を知ったらとても恥ずかしい思いはしそうだが、法に触れるような事をしたわけではないと思うの。
それにみんなも私も怪我はしてない。幸い、初めてのお酒で、こんな事になると誰も知らなかった「不幸な事故」なのだからと思ってくれるらしいし。
思いつめかけてたのでとてもありがたかった。だから、二度と繰り返さないようにしようと心に誓いはするけれど、わざわざ触れないようにしてくれてる事を掘り返したくない。
聞くのが怖いという本音が大きいけど。よし、これからお酒には気を付けていきていこう。
往路と違って一人増えた帰り道は楽しい時間として過ごせている。魔導列車が初めてだったらしく、琥珀は大興奮していたけど。あまりにも楽しそうで、思わず微笑ましく見守ってしまった。こうしてると普通の子供にしか見えないな。
まだ、身につけなくてはならない社会生活上のルールはたくさんあるし冷や冷やする場面も多いが、言えば従ってくれるので当初していたほどの心配は必要無くて拍子抜けした感もある。
注意した事を忘れてやってしまってたりもするけど、その時はまた指摘すれば「そういえばそうじゃったな」と素直にやめてくれるし。今のところ大きな問題はない。
……それだけ、琥珀が肉親からまともな教育を受けていなかったという事なので、良い事ではないのだが。
「琥珀ちゃん、寝ちゃいましたねぇ」
「そりゃああれだけ乗る前から大騒ぎしてたらなぁ」
行きと同じように4人用のコンパートメントの席を貸し切りだったので、すんなりと一人分追加してもらうことが出来た。乗り込んでから出発までは少し待ち時間があったのだが、その間、あれだけ車窓から外を眺めるのを楽しみにしていたのにぐっすり眠ってしまってる。一応「楽しみにしてたのに起きてなくていいの?」とは声をかけたのだが。むにゃむにゃ言ったきり隣のアンナに寄りかかったままそれきり寝息を立て始めてしまったので、寝かせておこうという話になった。
フレドさんと並んで座ってる私も、くっついてる側がポカポカあったかくて、なんだか眠くなってしまう。
「リアナちゃんも、寝てていいよ、俺本読んでるから」
うとうとして意識がちゃんと覚醒してない私は、穏やかなその声が聞こえてた時にはもう半分目を閉じかけていたと思う。
旅行は楽しかったけど、慣れない場所で何日も過ごして、一日中楽しくてはしゃいでしまってすごい疲れたかも。
でも疲れたけど、またみんなで行きたいなぁ。
私にとって、生まれて初めての「友達との観光旅行」はとても思い出に残る、楽しいものになった。
「リアナ! 倒したぞ!」
「お疲れ様、琥珀。教えた通り首以外傷付けずに倒せたよ、すごいすごい!」
自慢気な顔をして走り寄ってきた琥珀の頭をワシャワシャと撫でてあげる。冒険者資格を剥奪された琥珀は2週間ほど依頼は受けられなかったが、その間に行った訓練が身についてこうしてルールを少しずつだが覚えられた。
私が受けたような新人講習で習うか、冒険者として生きていくうちに学んでいくような本当に基礎的な事だったけど。それですら琥珀は出来ていない事、知らない事が多すぎた。でもそれが出来るようになっただけで、琥珀に対する世間からの評価はすごく変わったと思う。
デルールでは「とても強いけどとんでもないトラブルメーカー」としか見られていなかった。たしかにあの状況では、その通りだったと思う。
あの時も「売り物にならない倒し方をして」と臨時パーティーでもめていた。でもひとつひとつ教えて、なぜなのか理由も話したらどんどん改善出来た。
リンデメンに戻ってきたばかりのやり取りを思い出す。まだ2週間しか経ってないのに、琥珀は随分成長したな。
弟子と言っても何を教えていいか分からなくて。あの時はとりあえず森に連れて行った。日常生活のルールも大事だが、なるべく早くこの子が強い力を制御できるようにしないとここでも問題が起きてしまうと思って。
「魔物はなるべく素材の事を考えて倒さないと。この魔物の場合は肝臓と眼玉ね」
「何でそんなめんどくさい事するのじゃ? 琥珀なら小手先の技を使わんでもバーンと一発で倒せるし、その方が楽なのじゃ」
「……琥珀はメメルク通りのパン屋さん好きだよね?」
「!! 大好きなのじゃ! なんじゃ、今日の帰りに買ってくれるのか?」
甘いクリームの入ったふわふわのパンを幸せそうに食べる顔を思い出して、話に食いついてくれた事に内心「よし」と思いながら会話を続ける。
「でもあのパンを買うにはお金が必要よね」
「そうじゃな」
最低限。ほんとに最低限レベルの善悪だけなら琥珀は認識していた。でも「物を盗んではいけない」「人を傷付けたり殺してはいけない」とか、そのくらいの話だけだが。
お金について言及された琥珀の獣耳と尻尾がしょんぼりと垂れる。
「今琥珀が全身丸焦げにして倒した魔物はね、討伐したら『この魔物に畑を荒らされて困ってたんです、ありがとうございます』ってお礼がもらえるの。そのお金でご飯を一回食べられるけど、クリームパンは買えないね」
「じゃあもっと強い魔物を倒すのじゃ!」
「でも魔物を探すところから始めなきゃだし、強い魔物は人里から遠いところにいるし。そしたらクリームパンを買うまでまた時間がかかっちゃうよ」
「ううむ……」
「でもね、この魔物一匹倒しただけで、さらにクリームパンを買うお金を手に入れる方法があるの」
「?! 何?! 何をすればいいのじゃ?!」
「それはね。『討伐部位と素材の回収』って技なんだけど……」
少しずつ話をするたびに状況が見えてきた。琥珀は最初「討伐部位を持ち帰る」なんて事も知らなかったのだ。魔物を確かに倒したという証拠なので普通はまず最初に覚えるものなんだけど。琥珀は最近、やっとこの近辺に出る魔物の討伐部位は覚えた所だ。
今までは依頼を受けて、依頼の通りに魔物を倒すだけ。でも証拠を何も持ち帰らないので討伐の確認のために冒険者ギルドが別のパーティーを派遣する事になる……その余分な依頼の分琥珀の報酬は減る。パーティーが着くころには素材なんかもダメになってしまっていただろうな。
「やったのにお金をもらえなかった事もあるのじゃ」と本人が言っていたが、あまり脅威度の高くない魔物ではわざわざ確認のために派遣もできなかったからこれは仕方ないだろう。それを知っていて、琥珀が倒した魔物から討伐部位だけ奪ってた存在も居たかもしれないが……。
ギルドの方も「素材はこっちも諦めるから討伐部位は持ち帰れ」って何度も注意してたみたいなんだけど。今みたいに「何でそんなめんどくさい事しなきゃなんないのじゃ?」と返されて職員も説明を諦めたり、魔物ごとに違う討伐部位を琥珀が把握してないせいで「耳を切って持って帰れとお前らが言ったんじゃぞ!」などと行き違いを起こしていくうちに誰も注意しなくなってしまったみたい。
素材の切り取りもしない、それほど効率の悪い事を続けていたのに冒険者としてやっていけてたのは、それを上回るほど琥珀が強かったからだけど。もう少し何かが違えば琥珀もあんな状況になって孤立してなかったと思う。これは琥珀が悪いんだけど、ちゃんと説明を聞けていればなぁ。単純で世間知らずだけどとっても強い、頼りになる冒険者として活躍してただろうに。
現に、この時必要性を説いたら、討伐部位や素材の事をちゃんと考えられるようになったし。……考えるようにはなったけど、まだ「これから成長したらお金になる素材の切り取りもできるようになるだろう」というところだが。着実に成長はしている。
討伐部位を乱暴にもぎ取ったり、素材も傷付けて買取価格を大幅に下げたりしてしまっているが。何も出来なかった琥珀が、「討伐部位の回収と素材の切り取りを学んでいる」ってだけですごい成長だもの。
周りじゃなくて、以前の琥珀自身と比べて、出来るようになったら褒めてあげたい。いや、頑張ってるだけで十分偉いと思う。変わろうとしてるって事だから。
現実では結果にならないと評価はされないけど、がんばったねって、努力を知ってる私は褒めてあげたいの。
本来あるべきだった他人との交流の経験がないせいで、問題を起こしてばかりだったんだな。強さを見込まれて臨時パーティーを組んでも同じようにトラブルになってたのだろうと感じる。私達は「こういう口のきき方をしちゃう子だから」と分かってはいるけど……。
そういった齟齬が今後起きないように、尋ね方にも気を付けられるように教えている最中でもある。
琥珀が何を知らないのか分からなくて手探りだったこの2週間を振り返る。「こんな事も知らないの?!」とびっくりしそうになるたびに、琥珀の育った環境を思い返して言葉を尽くして説明するにとどめた。
何をするか不安なとこがあったから一人で行動させないだけじゃなくて、街の人と接触もしないようにしていたけど。この分なら、そろそろ冒険者に再登録してもいいかもしれない。
琥珀用にと作った冒険者活動用の服も問題無いようで、良かった。初めて服をデザインしたが、誰かのためにものを作るってやっぱり好き。デザインも、動きの邪魔にならない上に琥珀自身の馴染みのある皇の伝統の意匠を取り入れた素敵な服にできたんじゃないかと自画自賛しそうになる。
尻尾のある人種用の子供服を探して、思ったようなものが見つからずちょっと困った時に、いっそ一から作る事にしてよかった。
それにしてもオーダーのはずが、私がデザインする事になるとは思ってなかったな。「こんな感じにして欲しい」とちょっと絵を描いたのを見せただけなのに、何故か気が付いたら私がデザインを描く事になってて驚いたけど。琥珀が着心地も、祖国のテイストを取り入れたデザインも喜んでるから、良かったのかな。
それにしても、「服のデザイナーになる気はない?!」なんて言われてしまってびっくりしたなぁ。自分でも、初めてにしては良く出来たんじゃないかって思ってたから、お世辞だと分かってるけどそう言われて嬉しかった。
その私の作った服を身にまとった琥珀は、私が教えた事を守って、内臓も頭も傷付けずに首を狙って倒せて魔物を前に得意げな顔で私を見上げている。この短期間での成長を感じてなんだか感慨深くなってしまった。
育った環境では無条件に褒められていたから、叱りつけた私が特別な存在に感じただけでは……? と最初思っていたけど、ちょっと違った。何をやっても行動が評価されること自体が無かった琥珀は、正当に成長を認めてもらうのがすごく嬉しいみたいで。どんなに小さなことでも褒めるとすごく熱心に学ぶし、教えた事をグングン覚えていくようになった。
アンナは特に、実家にいた時の私の心をずっと支えてくれただけあってすごく褒め上手なので、アンナに褒められたい琥珀は日常生活のお手伝いもすごく率先して行う。とても良い変化だと思う。
「最初は芯まで黒焦げにしちゃってたのに、キレイに倒せるようになったね」
「そうじゃろう?!」
「そうだね、すごいよ。この魔物は畑を荒らすし人も襲うから、倒したおかげで助かる人がたくさんいるよ。じゃあこの魔物の素材も持って帰ろうか」
「よし! 琥珀のクリームパンのため糧となってもらうぞ」
まだキレイに素材の切り取りは出来ないけど、やらなければ上達もしない。ちょっと危なっかしい手つきの琥珀を怪我しないように見守りながら、周囲に別の魔物が近寄って来ないか警戒を続けた。
 




