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「別に……嫌ならいい! ちょっと聞いてみただけじゃ!」
「! ちが……嫌なんかじゃないよ! ……ただちょっと、私も同じ事を聞こうと思ってたから、びっくりしちゃって」
ぱっと身を翻して走り去ってしまいそうになったのを、反射的に手首を掴んで止めてしまった。
咄嗟にしてしまった行動だが、私の手を振り払おうとはせず、掴む手に力は入れてないのに大人しく立ち止まってくれる。
「……お前も、琥珀を弟子にしてくれるつもりだったのか?」
「弟子とはちょっと違うけど……それに近いかもしれない」
弟子なんて具体的なものではないが、私が関わって何か良い方向に変えることができないかと思っていた。そのためにどうするか、まで深く考えていなかったけど。
例え何か起こりそうになっても、私だったらこの子を抑え込めるから。
だったら弟子、と言う形はちょうど良いのかもしれない。
この子は善悪の判断自体が出来ていない。「ムシャクシャしてたから、目についたやつを殴った」なんてタイプとも違うし。だからこそ、私が何かできるんじゃないかとも思ったら、頭から離れなくなってしまった。
弟子、という名目ならそれが出来る。
フレドさんとアンナにも当然相談はするとして……。
でも、弟子とは。正直私が教える事で参考になるのだろうか。私とは全く強みが違う。私は技術でなんとか求められる結果を出してるタイプだが、この子の強さは大部分が天性の才能である。
うーん……体術とか……テクニックの面でなら教えられる事はあるかもしれないけど……。
「琥珀は……『真の強き者』にならなければならないのじゃ」
思いつめたようにそう呟く、うつむく横顔にはなんだか事情を抱えてる様子を察する。
「それが……弟子になりたいって理由……?」
「たくさん魔物を倒したが『真の強き者』には一向になれん。……琥珀より弱いはずのお前にも負けた」
「どうしてその……強くならないといけないの?」
「そう定められておるからじゃ」
どうして強くならなければ「ならない」のか、悲しい事にあまり話術に自信がない私はその理由を上手く聞き出せない。
抽象的すぎる。実際の戦闘能力で言う「強さ」だけで評価するのならとっくに満たしていそうだが……そうではないというなら何を基準にした「強さ」なのだろうか?
それとも「真の強き者」……本当に世界で一番強い存在になりたいのだろうか? さすがにそんな話ではないと思うんだけど。だって本人もその基準を理解していないし。
「だから……琥珀の知らない『強さ』を会得しているお前に教われば、琥珀もいつか『真の強き者』になれるじゃろう」
……発想がいささか飛躍し過ぎとは思うが、この子なりに変わろうと一生懸命考えた形跡は分かる。自分にない技術を持っている者に師事しようというのはまっとうな考えだ。私が教えた程度で、今までなれなかった「真の強き者」にすんなりなれるかどうかは置いておいて。
トノスさんから買ったきりあまり出番のなかった保存食を、とりあえずお腹が減ってて足りない様子の琥珀に与えながら話しを続ける。私から受け取ると喰らいつくように掴んで、包装してある油紙を引きちぎって食べ始めた。
……散らばっちゃったゴミは後で拾いながら「ダメだよ」って教えないとだな。
「私はその……あなたが目指している『強き者』が何なのかは分からないし。だから絶対とは言えないけど、力を貸すことは出来ると思う」
「本当か?!」
「でも、それにはいくつか条件があるの。……私と約束、できる?」
「約束? 何のじゃ?」
ここまでこうして会話は出来たし、話は通じる。私が思っている通りなら、まだ矯正はできるはず。私は数度深呼吸すると、この子が誤解しないように……理解できるように簡潔に、引き換え条件を口にしていった。「私が必要だと判断したら増える」とも言い添えて。
「あらまぁ」
もう一人連れた状態で迎えに行った私を見て、アンナはちょっとびっくりしたようにそう言った。
「アンナ……あの、」
「足が汚れるからこのまま宿の中に入ったら怒られそうですねぇ。服を買いに行くにもこのままでは……。一度きれいに洗っちゃいましょう」
私が何か言う前に、アンナはてきぱきと琥珀の身嗜みを確認すると動き始めた。琥珀は人見知りをしているのか、私の手を掴んだまま固まっている。尻尾を足の間に挟んで、耳がペタッと寝ていた。
「大きな布か何かでくるんで部屋の浴室まで連れて行きましょうか。リアナ様、何か手ごろなものはお持ちですか?」
「え? あ、あの……何も聞かないの?」
「リアナ様は私が聞かなくても、必要な事はお話してくださるでしょう? 」
もちろんそうするつもりだったけど。改めてアンナから私への信頼が厚くて胸が熱くなった。
部屋に戻るまでの間に一通りいきさつを聞き終わったアンナは、「お嬢様といると驚きが絶えませんねぇ」とからりと笑ってくれた。
相談も無しに話を進めて、後からドキドキしていた私はそれだけで大分救われてしまう。
「さて、それでは丸洗いしましょうか」
家で料理をする時のエプロンを付けたアンナが袖をまくる。私に抱えられて運ばれて、布が解かれたら見知らぬタイル張りの部屋に連れて来られた琥珀は緊張がさらに増しているように見えた。
「こ、琥珀に何するつもりじゃ……?」
「琥珀ちゃん、でしたね? 私はリアナお嬢様の……友人のアンナと申します」
「お、おう……」
よろしくお願いしますね、とにこやかに差し出された手を琥珀は恐る恐る掴んで握手をしている。あ、私が二人を互いに紹介するべきだったのに、アンナにさせてしまった。
「アンナは私が世界で一番信頼してる友達なの……! 私の弟子になったら、アンナの言葉は私の言葉だと思って聞いて欲しい」
不安そうに私を見上げる金色の瞳をまっすぐ見つめる。「そんな事を言っていただけるなんて張り切ってしまいますね……!」と発言するアンナは私の後ろで、上がってから使うタオルなどを用意して袖をまくって、もう準備万端でいた。仕事が早いわ。
「これからあなたをお風呂に入れます」
「……ふろ?」
あ、そうか失念していた。この子は「お風呂」を知らないのかもしれない。風呂とは何かを説明しなおそうとして「何て言えば伝わるかな」と一瞬立ち止まる。
「なんじゃ、びっくりした……風呂かぁ」
「……お風呂、知ってる?」
「琥珀が知ってるのは天井も床も木でできてた。刑場のごとく石でできた部屋で何をされるのかと思ったのじゃ……」
私からすると木でできた浴室の方がなじみが薄いが、そちらを見慣れてるならタイル張りの部屋に陶器で出来た浴槽は何に使うのか戸惑ってしまうかもしれない。
でも少し違和感がある。総木造りの浴室なんて本でしか読んだことが無い。とても高価だし管理にすごく手間がかかるらしいけど、あの子はそれが「当たり前」の世界でかつて生きていたのか? 皇の出身なら、もしかして良家で育ったんじゃないだろうか。
「風呂は好かん。洗剤の匂いは嫌いじゃ」
「私の弟子になるなら、これは絶対に必要な事だから……嫌でもダメ」
「はい、キレイにしましょうね~」
そんなぁ、と分かりやすく耳と尻尾をしなびさせる琥珀をアンナはニコニコしたまま風呂場の隅に追い詰めている。各客室に引かれた源泉が絶え間なく流れてくる湯口からお湯を汲んで、蛇口から水を出して調節した温度を手で確認しながらアンナが私に声をかけた。
「私はこのまま琥珀ちゃんを洗っちゃいますので、リアナ様はこの子の服を用意しておいていただけますか?」
「確かに必要だけど……アンナ一人で平気?」
「大丈夫ですよ。ウィルフレッド様にお付き合いされて泥んこになってたお嬢様を、夫人にバレる前にいつもお風呂に入れてたのは私ですよ?」
「もう、子供の時の話じゃない……!」
備え付けの石鹸を使ったら、丸々一個なくなってしまいそうだったので「ちょうどよかった」とさっき試しに買ったばかりの石鹸を渡す。私は昔の話をされた気恥しさを隠して顔を背けながら浴室を出た。
服と……あと宿泊客が一人増えるって宿に伝えて、差額も払わないとだ。あ、フレドさんももうそろそろ温泉から戻ってるかな……部屋に戻る時に声をかけよう。会う前に話をしておかないと。