裏口と餌付け
昨日のフレドさんはなんだか……すごく可愛かった。朝食の時に会ったらすごい恥ずかしそうに「お願いだから昨日のみっともない姿は忘れて欲しい」と言われたけど、無理そうだ。
午後から私の目当ての鉱物たちを探しに職人街の方の市場に向かう事になったので、それまで中途半端だが自由時間という事になった。
午前中からがっつり市場に向かう予定だったのだけど、一般人にも開放されているのは午後からで、午前中はここの職人ギルドに登録している人しか入れないと昨日知ったのだ。たしかに、仕事で使うものを買いに来たのに観光客が大勢いたら邪魔になっちゃうよね。
市場の方で色々美味しいものがあるみたいなので、そっちで食事をする事にしている。アンナはこの短時間でこの宿に知り合いを作ったらしく、従業員用の厨房で料理を教えてもらう約束を取り付けたらしい。い、いつの間に。
フレドさんはちょっと遅い朝風呂に行くのだと言っていた。あのアパートにはシャワーしかないから、たっぷりの湯に浸かる贅沢は確かにここにいる間に出来るだけ味わいたいよね。私も、今日は夕食の前にも入っちゃおうかな。
私は時間を持て余して、宿の中や周りで売っている観光客向けのお土産などを見て歩いた。この温泉地の観光協会が売り出している石鹸が良く売れているようだ。
……そういえば、私は自分で作ってるけど、お土産だし買ってもいいかもしれない。リンデメンでお世話になった人には女性が多いし、これなら時間がたっても悪くならないからお土産に丁度いいな。
アンナにも相談して後で一緒に選ぼう、と目についた石鹸を一つだけ買うと、ちょっと早いがアンナを迎えに宿泊している宿の裏庭の方に向かった。見るものが無いから誰もいないが裏庭は宿泊客も普通に散策で立ち入れるスペースになっていて、この先に従業員用の宿舎があるらしい。
別に約束はしてないんだけど、アンナの用事が終わる頃かな、ってそわそわ迎えに来てしまったのだ。
「あら、また来たの? ……しょうがないわねぇ……ちょっと待ってなさい」
奥の方から聞こえるのはここの従業員の声らしかった。何かに話しかけてるその声に返事は聞こえない。
「ほら。……あんまりしょっちゅうは困るんだけど。今回だけよ」
ややおいて扉の開閉の音の後に聞こえてきた内容から察するに、野良犬とか、何か動物を相手にしているようだ。いやこの宿の敷地は高い塀で囲まれているから、入って来られるとしたら猫だろうか。
猫、と思ったら好奇心がどうにも湧いてきてしまった。さすがに触ったりはしないけど……。
野良猫……いや猫に関わらず。野良動物の餌付けが良い事ではないのは分かっている。目の前に居たら確かに可哀そうと思ってしまうその気持ちはわかる。けどその子の生活全てに責任を負えないのなら、飼えないのなら手を出すべきじゃない、と教わった。それは、正しいんだけど。
「猫」に気を惹かれておいて、餌付けはよくないと口だけ出すのもどうなのかとは思う。それにそれでは何も解決しない。考える程その場から私は立ち去る事も出来なくなっていた。
見なかった振りするのも、違うし……どうしよう、と変に考え込んでいた私はぽつんと浮かんできた「思い付き」を衝動そのまま、足を踏み出してしまっていた。
そこに今来てる子、私が飼えないだろうか。
ちゃんと考えていたわけではない。飼われる事は幸せじゃないかもしれないとか、旅先なのに変な思い付きで行動するなんて、どうやって連れて帰るとか、ちゃんとそこまで思い至ってなかった。でも昨日逃げ出すように関わりを放棄してしまった狐耳のあの子の姿が胸の奥にずっと残っていて。
今度は私が力になれるかもって、思ってしまったのだ。
「あの……ここに猫でもいるんですか?」
私が姿を現すまで「相変わらず愛想ないわねぇ」なんて独り言のように言ってた女性が慌てて立ち上がる。その向かいにいたのは、私が想像していたような野良の動物ではなく……昨日すっきりしない別れ方をしたままの、「琥珀」と呼ばれていた子だったのだ。
「あ……」
「ご、ごめんなさい……! お客さん……ですよね?」
その子は声をかける間もなく、残像だけ残してあっという間に植え込みの中に飛び込んでいった。一瞬見えた顔は驚愕に目を見開いて、尻尾の毛は爆発したようにボンと逆立っていて。野良猫がいるかもとこっそり近付いたため、私に気付かなかった二人とも大分驚かせてしまったらしい。
足元を見てみるが、跳んで逃げて行ったあの子以外に生き物の姿はない。野良猫への餌付けじゃなくて……あの子に食べ物を……?
ガサり、と大きく音を立てたきり静かになった茂みの方向へ視線を向ける。……立ち去ってしまったのだろうか、少なくとも私が認知できる範囲にはいないように思う。
「すいません、ここまで人が来ることなんてなかったので、こんなとこで……」
「いえ、注意しようとかではなくて……喋ってる声が聞こえて。猫でもいるのかなって思ってちょっと覗いちゃったんです。私こそ奥まで来ちゃってごめんなさい」
関係者以外立ち入り禁止、とか区切られていたわけではないけど、明らかにこの辺りは客が立ち入る事は想定されていないのは見て分かる。造園に使う道具が片隅に置いてあったり、後で片付けるつもりなのだろう、掃き集めた落ち葉が山にして積んであったりするから。
「今の子……冒険者ギルドで琥珀って呼ばれてた子……ですよね? お知り合いなんですか?」
「あら、琥珀ちゃんの事知ってるのね。……ええまぁ、知り合いというほどじゃないんだけど。前にうちの娘を……うちの子は街の食事処で働いてるんだけどね。観光客の酔っぱらいに絡まれて乱暴……な事をされかけた時に助けてくれた事があって」
私の登場にびっくりしたせいで、取り落としていったパンを女性が拾い上げる。手にもう一つ持っていたように見えたけど、小さな体とはいえあれだけでは足りないだろうと考えてしまう。
「その時お礼にってご飯あげたら、なんだか懐かれちゃってみたいで。それから、時々どうしようもなくなった時に、あの子食べ物貰いに来るのよ。休憩時間になってここに来るまでずっといるみたいで、しょうがなくね」
「そう……なんですか」
昨日、あの子が働き口を失う場面に立ち会ったせいで「あの様子ではちゃんとご飯とか食べられてるのかな」と勝手に心配していたけど、悲しい事にそれは的中してしまった。
……私が突然ここに現れたせいで、その食事の機会を奪ってしまったのが分かって胸の内に暗い感触が広がる。
「あんまり良くないとは分かってるんだけど……でも根っからの悪人ってわけじゃないから……まぁあたしも、娘の恩がなかったら、こんな事してなかったけど」
それは、私もなんとなく思っていた。悪人ではない、という点についてだ。なんて事をするのか、とは思ったけど。話を聞かずに暴走して、あんな街中で、怪我人も出るところだった。とんでもないトラブルメーカーだと思う。
それは理解してるのに、なんだかあのまま放っておくのに気が引けてしまっている。
従業員の女性は「あたしが言うのもなんだけど、あまり関わらない方が良いよ」と言うとすぐそこの従業員用の出入り口から建物の中に戻っていった。自分の休憩時間もあるから、当然だろう。
あの子の口に入るはずだったパンは回収されてしまった。そうでなくても、地面に落ちたものをそのまま渡そうとは思わないが。
……さっき彼女は「どうしようもなくなると食べ物をもらいに来る」と言っていた。罰金と、怪我をさせた人の治療費も支払ってるだろうし……昨日冒険者資格を剥奪されている事情も合わせると、本当に、実際食べる事にも困っているんだろう。
名前を呼ぼうとして、でも、と声にはならずに喉の奥に残る。自分の事も完璧に出来ないくせに何を、知り合った人全員に同じ事は出来ないのに安易に頭を突っ込むべきではない。この場合の正解は分からないけど、私のこの行動は……少なくとも歓迎される事じゃないのは分かってるのに。
「なぁ、お前」
意を決して琥珀ちゃん、と名前を呼ぼうとして逆に声をかけられて。本気でびっくりして背中が跳ねた。誰もいなかったのに、少なくとも私は「誰もいない」と認識していたのに、誰の存在も感知できなかったのに、そこに呼ぼうとしていた獣耳の人影が立っていた。
「お前みたいに強くなるには、どうしたらいい?」
接近にまったく気づかず不意打ちで声をかけられるなんて何年ぶりだろう……?! ウィルフレッドお兄様の気配ですら気付けるようになってたのに。想定外のアクシデントにバクバク跳ねる心臓を何とか落ち着かせていた私が尋ねられた事は、なんとも反応しがたい問いだった。
……私みたいに強く……? いや、だって……私は全然強くないと思うんだけど……。
頭の上に盛大に疑問符を浮かべている私の目の前に、茂みからぴょんと飛び出てきて音もなく目の前に立つ。私はそれを視線で追いながら、やっとの思いで口を開いた。
「そもそも……あなたの方が強いと思うんだけど……?」
「じ、自分でそんな事を言うのか?!」
「だって、本当のことだし……」
「でも……琥珀の方が強い、それは分かるのに、昨日は手も足も出なかった。膂力も、霊力も、術も琥珀の方が……なのに」
それは確かにそうなんだけど。でもまっとうな力比べでは勝てないのも、強力な攻撃手段を持っているのもすぐ分かったから自分の出来る最善を尽くして立ち回っただけだ。
れいりょく、は耳なじみがなく一瞬何の事かと考えそうになったがぼんやりと思い出した。皇で言うところの魔力の事だ。正確には魔力とまったく同じものではないのだけど、と自分の頭の中でまで注釈を入れてしまう。我ながらなんてめんどくさい奴なんだろう。
「そうね……実力で言うならあなたに勝てる事は何一つないと思う」
「……な、なにひとつと言う事はなかろう」
「ううん。私は全然強くなんて無いし、突出した強みも何もない……だからこそ、それでも勝てるように常に考えて動いているから。私は強くはないけど、あなたが何故負けたのかって質問なら……『戦い方が私より下手だから』……かな」
バサバサになった艶の無い前髪の隙間から、ショックを受けた金色の瞳が私を見上げる。尻尾も獣耳も力をなくして垂れさがり、それは見ているとなんとも罪悪感を誘った。もう少し優しく言った方が良かっただろうか、と思ってしまうほどに。
「琥珀があんな簡単に負けたお前が、全然強くないじゃと……?」
「そうね。実際私を鍛えた戦闘技術の師は、私の事を一度も褒めなかったし……一人前とは認めてもらえなかったわ」
あ……家族からわざと評価されなかったのをまた忘れていた。無意識を満たすほど染みついてるから、すぐ忘れそうになっちゃう。でも「これが本物の戦場だったら5回は死んでる」という評価だったのだから、その分上に修正しても一人前にはならないだろう。なら誤りではないよね。
「下手だなんて、初めて言われたのじゃ……琥珀のする事に文句を付けて来る連中も、琥珀が強いって事だけは、認めておったのに……」
「実際……君は強いと思うけど」
これは慰めではなく、本音だ。私が見たような問題を度々引き起こす子が、それでも金級冒険者でいたのなら……余程腕が良かったのだろう。欠点を覆い隠すくらいにこの子が強かったという何よりの証拠だ。
ただ、その素晴らしい力の使い方が、下手だった……というだけ。
話が逸れてしまった。いやこの話も大事な内容ではあるのだけど。私がこの子を呼び止めようとした本来の用事はこれではない。
どう伝えたらこの子に分かってもらえるだろうか。本当ならフレドさんとアンナに相談してからにしたかったけど、今を逃したらこの子ともう会えないような気がして、焦っていた。言葉数が減って、むっつり口を閉じてうつむく様子に勝手にそんな事を思ってしまう。
何て言う? どうやって聞くのが正解だろう。考えれば考える程言葉が出てこない。
そもそも、本当に声をかけて良いのか、すらまだ自分の中で結論に辿り着いていなかったのに。
「なあ!!」
私がぐるぐる悩んでいる最中、叩きつけるような大声で気まずい沈黙が打ち破られた。は、と顔を上げて、眼下から私に視線を向ける声の主を見る。
「琥珀を……琥珀をお前の弟子にして欲しい!」
その内容に、まさに今私が「何と言おう」と迷っていた事に、一瞬理解が追い付かず瞬きも忘れて固まってしまっていた。




