旅行は楽しい
デルールは温泉を資源とした観光地として有名で、様々な趣向を凝らした温泉施設が街中に存在する。
中には子供向けの、温泉の流れるスライダーや水流を発生させた大きな湯舟なんてものもあるそうだ。子供の頃に来て楽しく遊んでみたかったかも、なんてちょっと思った。
どこも入浴用の湯着を貸し出しているが、少数私物らしい水着の人達もいる。きっとよく温泉に来る人が自前で用意してるのだろう。宿泊するホテルのロビーから見える屋外温泉では、たくさんの人がお湯に浸かりながらお酒を楽しんでいた。本では読んでいた通り、湯着はあるが男女混浴なんだ。
実際にこうしてみるととても……開放的すぎてちょっとびっくりしてしまう。リンデメンにも一般市民の利用する公衆浴場はあるけど、湯着はないが男女で厳格に分かれているし。実家には寝室それぞれに浴室がついてたから、世話はされる事はあっても誰かと一緒に入浴するという習慣が無かったから。
アンナは使用人用の浴場を利用していたけど、「こちらにあるような広いお風呂は初めて見ました」と感動していた。
「私とリアナ様の泊まるこの部屋には個室温泉がついているそうですよ……とても良いお部屋ですね」
「温泉を個室に引いてるの? それは……とても贅沢ね」
「そうですね。こればかりは遠くまでお取り寄せする事もかないませんからね」
部屋について一息つくと、私とアンナはホテル内の案内図を覗き込んで館内の施設をひとつひとつ見ていく。エステやマッサージなんてものもあるようだ。エステとマッサージ……いつもお世話になってるからアンナとフレドさんにプレゼントするのもいいかな……。
「男性のいる温泉は湯着があるとはいえちょっと抵抗を感じてしまうので……こちらの女性専用の浴場はいかがでしょうか」
「うん、私もその方がいいな。へぇ……美肌の湯なんてあるんだ……薬草を溶かしてるんだって、何使ってるんだろう。面白そうだね」
そうしてたわいもない、しかし穏やかな時間を過ごしていると、夕食の時間を知らせる従業員の声で「もうこんな時間」と二人で笑い合った。
「色んなお風呂があって、滞在中に全部入るのも大変そうだね~」
「この街で一番大きい施設だそうですからね」
この夕食の時の会話で知ったがフレドさんの部屋は個室温泉がついてないそうだ。なんで私達の部屋と違うんだろうと不思議に思ってると「個室温泉がある部屋は二人部屋以上みたいだから。多分家族でゆっくりする用なんだろうね」と言われて、納得した。
たしかに、一人で来るなんて相当な温泉好きだ。温泉が目当てに決まってるんだから、個室温泉がついた豪華な部屋には需要がないのだろう。
「俺も折角だから大きい浴場周るつもりだし、使わなくて勿体ない事になってたと思う」
「そうですね、私もリアナ様と2人で、ここでしか味わえない温泉を満喫する予定です」
デルール名物の、果物を使った料理を味わいながら旅の楽しい予定を話していく。
鳥肉にオレンジソースを使った料理は食べたことがあるけど、他のお肉と果物もこんなに美味しいのね。
肉料理なのに甘みが強くてびっくりしたけど、酸味の強い濃厚なマグルーの裏漉しソースと蜂蜜が、塩味の強いお肉によく合う。
「食が細めのリアナ様にしてはたくさん召し上がりましたね」
「普段と違って気持ちも高揚してて、食事が進んだみたいなの」
「たしかに、この甘じょっぱさはクセになるなぁ」
食べ慣れない味だけど、それも刺激になって私達は3人ともデルールの料理がとても気に入ってしまった。
「レシピ集などあったら手に入れたいですね。あと再現に必要な、ここでしか買えないスパイスも」
「ほんと? 私……アンナの作った料理が一番好きだから、帰って作ってもらうのが楽しみ」
「リアナ様、なんて嬉しい事を……! これは張り切るしかないですね!」
午前中は私の本来の目的である鉱石を探しに職人街の方の市場を巡る予定だったが、一緒にレシピが載ってる本とデルールの料理に使うスパイスも探そうと予定を立てた。
でもこうして楽しい時間を過ごしていても、昼にギルドであった騒動を思い出して何だか胸の奥に引っかかるものを感じてしまっていた。
巻き込まれただけの他人なのに、とは思うのだが。あそこで自ら関わっていたら何か出来たのでは、とつい考えてしまう。
我ながら、なんておこがましい。「自分はこんなに幸せなのに」と、勝手に罪悪感が湧きそうになっている。
「……私もすごく楽しみ」
心からの言葉を口にしながら、そこを見ないふりをした。
「はぁ……ちょっとのぼせちゃった……」
普段しないような長風呂をして、頭まで茹だったようにぼんやりする。温泉を使っていろいろな湯船が作ってあって、ついつい入り比べたりしてしまった。
アンナはまだ元気にしていたけど、限界の来た私だけ先に部屋に戻る事になったのだ。湯着を脱いで服に着替えるだけでなんだかすごく時間がかかってしまった気がする。
部屋に戻ったら髪もちゃんと乾かさないと。
「あれ……フレドさん?」
「ぁやー、リアナちゃん、こんばんは」
女の人が集まって、チラチラ興味深そうに視線を送る先に何があるのかと私もそちらを見るとフレドさんが半分崩れかかった体勢でベンチに座っていた。
彼もさっきまで温泉に入っていたらしく、髪から雫がポタポタ垂れている。服はちゃんと身につけてなくて、なんだかものすごく……色っぽい感じになってしまっていた。冒険者ギルドでは半裸でウロウロしてる男の人なんてたくさんいたのに、フレドさんがこんな格好してると、なんだかいけないものを見たような……ドキドキしてしまう。
「こんばんは……お酒飲んでます?」
「お湯に浸かってお酒飲めるサービスがあってさぁ、なんか流れでつい……」
女性専用の浴室にはなかったが、混浴の方はもっと娯楽の色が強い様々なものがあったらしい。
フレドさんは湯船のふちにタイルで作られた戦盤で、その場にいた他のお客の男性と勝負をするうちに「負けたら一杯飲む」という観光地らしいゲームルールに従い、気付いたらこうなっていたそうだ。
夕食の時にお酒を飲んでる事はあったが、こんなにデロデロになったフレドさんは初めて見た。顔も真っ赤だ。
「いや、俺もそこそこ勝ってはいたんだよ……そこそこ……うーん、むしろ俺が優勢だったと思う」
「たくさん飲んだみたいですね……歩けなくなるまで飲むなんて……」
「いやそんな……そんなにはにょ……飲んでないんだよ~そこそこで」
「湯船に浸かりながら飲んだから酒精の周りが強くなったみたいですね。冷たいお水持ってきましょうか?」
「……おねが〜い……」
勝負には勝っていたが(強調された)のぼせてしまったため仕方なく湯船を出ることにしたのだそう。言い訳するように「温泉の中じゃなければ俺が勝ってた」と言いはるフレドさんが、普段の大人っぽい一歩引いた顔とは違ってて、笑ってしまった。
戦盤というと盤も駒も木で作られたものが一般的だけど、水場で使う専用のタイルと石で出来たものがあるなんて面白い。
完全にのぼせる前に湯船は出たけど、部屋に戻る前にお酒が回りすぎて一休みしたら立てなくなってしまったらしい。
汗もかいてるだろうし、ただの水とは別に柑橘系のジュースも持っていってあげよう。塩が少し入ってるこれを現地では昔から温泉上がりに飲むのだと書いてあったが、きっと昔から伝わる知恵なんだろうな。
「う~……ありがと……」
「?! フレドさんこぼしてますよ!」
「ん〜大丈夫大丈夫」
「大丈夫じゃないんで拭きますね」
水の入ったコップを渡したフレドさんは、口の端から結構な量をこぼしながら飲み始めて、慌てて待ってたタオルで顔を拭いてしまった。……私が使ったタオルだけど、今の状況はしょうがなかったよね。
いつもは私が頼りっぱなしなのに、今は自分の事もちゃんと出来ないくらいふにゃふにゃになっちゃってて。何だか私はその姿を見てドキドキしてしまった。




