非常識
「あともう少し煮詰めた方が良いかな……」
無事目的にしていた素材も揃ったので、街から離れた風下で火を使う作業をしていた。すごい匂いがするのでこれだけは屋内どころか人のいる場所では出来ないのだ。
くさいだけで毒というわけではないのだが、リンデメンの錬金術師ギルドの貸し作業場には運が悪い事に排気装置のついた作業設備がなかった。作業する自分は防魔防毒マスクがあるから匂いも平気が、あそこで作ったら大変な迷惑になってしまう。
普通の錬金術工房ならどこにでもある設備なので、錬金術師の知り合いがいれば借りる事も可能なのだがあいにくその知り合いがいない。なので街の外の人の迷惑にならない場所で作業をしていた。この放棄された建材用の採石場なら冒険者も近付かない。魔物も出ないし、ここで手に入るものが何もないから。
魔道具作りに必要な、魔導回路を描く塗料は錬金術師ギルドで買うことも出来るが当然割高になる。それに高威力の魔道具にも使える素材は購入時の身分証明など面倒な手続きも多くて面倒なので、私はいつもこうして自分で作っている。
神経を研ぎ澄ませてかきまぜた感触を見つつ、鍋の中に集中する。そのせいで、私に近付いてくる存在に、ギリギリまで気づくことが出来なかった。
あ、誰か来るな、と思った時には視認できる距離まで近づかれてしまっていた。……周りへの警戒を怠ってしまうくらい、気を抜いていたみたいだ。これが戦場ならすぐ殺されてる、とウィルフレッドお兄様が居たら叱責されているだろう。ああ、失敗した。
周りは岩しかないから火事になる心配も無いし、鍋も中身もあきらめてすぐ逃げるべきなんだろうけど……。
私は躊躇してしまった。中身はともかく、錬金鍋を買い直すのは嫌だ。お金はともかく、こういった錬金術に使う道具は伝手が無いと良いものが買えない。その伝手が今の私には無いのだ。同じレベルのものは間違いなく手に入らないだろう。
いや領主様に子供を救ったお礼をしたいと言われてるからそれで望めばいいだろうか? 錬金術師でもあるとは公言してないから不自然かな。それより中身を捨てて、鍋だけ持って逃げようか。ミトンのようなものがあれば熱いけど持てるかな……とゴチャゴチャ考えすぎていたようだ。
行動し始めるのが遅れてしまった私の元に、さっき感知した反応通り、私が背を向けていた方角から数人姿を現した。ああ……迷ってないでさっさと逃げちゃえばよかったかな。
「こんにちはぁ、リアナちゃん。この前のギルドで会ったぶりだね。だめじゃん、せっかく忠告してあげたのに、人目のないところで一人になっちゃ」
「ゴードさん……」
デューク・ゴード。名前で呼んでと言われているけどそれを聞く義理はない。先日トラブルを起こしたばかりの相手の姿に、思わず警戒して一歩後ろに下がってしまう。
フレドさんはあの時先に手を出したからという理由で、罰を受けさせてしまった。私が自分で対処できなかったから。ずっとその事は後悔していた。
今回はフレドさんを巻き込んではいないが、また厄介ごとを起こしてしまった……と確定してどんよりした気持ちになる。
彼の後ろには仲間だろうか、ガラの悪そうな男の人を三人連れていた。全員が、ちょっと不快感を覚える視線で私を見ている。全員が見覚えのない顔だったので、冒険者ではなさそうだ。体格も鍛えている人間のものには見えない。ではあの人達が、脅すように口にしていた「繋がりのある裏社会の人間」だろうか。
私は警戒レベルを引き上げる。更に周囲に意識を巡らせた。……他に、人はいないようだ。人の隠れられる物陰まで魔力探知を一瞬飛ばしたが、何も引っかからない。え、これで全員……? 有利に運ぶためまだ何人か隠れてると思ったんだけど……。
「何この匂い……罠に使うって言う毒ってやつ?」
「毒ではないですけど、……いえ、そのようなものです」
「え? 何、聞こえないよ。その変なマスク外して」
ああ、マスクのことを忘れたまま喋っていた。でも彼らと意思疎通をする必要性も感じないから別にいいかな。
「まったく、大変だったんだよあれから……フレドに怪我させられて……ギルドからも俺だけ理不尽に処分受けるしさぁ、もう散々だったな」
この人は度々女性冒険者との人間トラブルを起こしていたとは聞いた。私の事件がきっかけになって色々問題が発覚して、謹慎とランク降格の処分を受けていると聞いた。まだ謹慎期間のはずだが。
自分が起こしたことが原因で、当然の罰を受けただけなのになんて言い草を、と私はひそかに怒りを感じた。完全な逆恨みで言いがかりをつけられている。
フレドさんには勝てないから私が一人でいるところを狙って囲みに来たのだろう。なんて人だ。
言い返してやりたくなったが言葉を飲み込む。あの人は降格したとはいえ実力は銀級冒険者のままだ。しかし今も一見……体重移動から姿勢、視線の運び方にいたるまで、私が簡単に勝ててしまいそうにしか思えないがそれが逆に怖い。
「リアナちゃんは怖すぎて何もしゃべれないのかな……くくく、失敗したねぇ、今日はフレドと別行動で」
「顔分かんねぇけど、本当に美人なんだろうな?」
「大丈夫だって、かなりの上玉だから」
連れてきた人達も、まったく脅威を感じなくて困惑する。最悪の事態……実力を隠しているかもと考えると四対一で抵抗する気はなかった。だって、あまりに無防備すぎる。油断させる策に違いない……と思い至った私はまともに敵対する事を避けて、目の前の男達の会話を最後まで聞かずに地面を蹴った。
「な……っ、一瞬でどこに消えた?!」
「……今の魔法か? デューク」
「いや、呪文は何も聞こえなかった……魔道具だろうな」
私は切り出されたまま放置されていた石材のひとつの後ろで一旦息をひそめて様子を窺っていた。盛大に頭の中に疑問符を浮かべながら。
採石場の跡地であるここは周りは同じような光景が広がっていて、壁のように展開した「幻影」の魔術で岩壁を映して一応簡単に姿を隠す事が出来る。しかし私の予想では、そんな子供だましの方法を使って逃げた私に反応して、「油断させるための無能な冒険者の演技」が剥がれて素が見られるのでは……と思ったのだが。
それに私は、何も唱えていない。隠密行動時で使う事を想定している魔法・魔術は全て無詠唱で使えるよう習得するのは当たり前だと教わったけど、冒険者では違うのだろうか。
人が起こした魔法現象と魔道具で発生した魔法現象も、魔力場の発生とかまったく違うのに……どうして間違えたのだろう。
「フレドの親戚だが良いとこのお嬢様だって話だ、きっとこういった時のために身を守る魔道具のひとつやふたつ、親から持たされてたんだろう」
「は? なんだよそれ……どうするんだよ、弱味握る前に逃げられちまって」
「うるさいな、黙ってろよ……俺と違って名前割れてねぇだろお前らは! ああクソ……」
おかしい……ウィルフレッドお兄様は私の斥候技術に対して「戦場では真っ先に死ぬ、話にならない」と評していた。あれがわざと褒めずに貶めていたと考えて評価を上方修正しても、「ギリギリ実践で使えるレベル」だと思うのだが。
まさかゴルドさんはその「ギリギリ実践で使えるレベル」の私の魔術に欺かれてしまったの? 私がこの程度も出来ないと見くびっていたから思いつきもしないだけ? ううん……
うっかり混乱しかけたが、もし、もし本当に今のが見抜けないなら、錬金鍋を回収したい。
火を通し過ぎたから多分中身は使い物にならなくなっちゃってると思うけど、その鍋は絶対に必要なものなので!
「……あ?! はは……残念だったな。姿を消す魔道具の効き目が切れちまったみたいで」
また幻影の魔術を一旦使って、放置していた鍋の元に戻った私に的外れな言葉がかけられる。……私が向こうの岩の陰と行き来してたのも気付いてないの?
だって、何年も活動してる冒険者なのに? こんな事も見抜けないの? これが演技ならどうしようかと思うけど、一向に隠していた本気を出す様子はない。もしかして本当に見た通りの実力なのだろうか。
「どうした、ブルっちゃって声も出ないかな?」
火を消して鍋を竈から降ろす私に、ゴードさんはさっきと打って変わって楽しそうに声をかけて来る。
会話をする気はないけど、何だろう……彼の、ちょっとズレた発言を聞いてると、居た堪れない気持ちになって来る。恥ずかしい、とは似てるけどちょっと違う。
いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない。
「ぷは……ふぅ。あの、危害を加えようとするなら反撃します。それ以上近付いたら害意があると判断しますよ」
「ははは! なんだ、言ったらやめてくれると思ってるの? 可愛いね。あ~~楽しみだな、フレドが、リアナちゃんが何されたか知って絶望する顔想像するだけで今夜の酒が旨くなりそうだよ」
風を生み出して匂いを散らして、ガスマスクを外した私にジークさんの後ろの三人組が何やら色めき立つ。正当防衛を成立させるために一応聞かせたが、もうこれだけで嫌な気持ちになってしまった。
「やった、マジでデュークの言う通り上玉じゃん」
「良いとこのお嬢様なんだろ? 撮影したら親脅すのもよくね?」
彼らの言葉から察するに、何か弱味になる映像を手に持ってる魔道具で記録に残して、脅そうという魂胆らしい。……やり口が慣れてるように感じる。余罪もありそうだ、これはきちんと調べてもらわないといけない。
「……警告は、しましたよ」
「おお、威勢いいじゃ、ん……?」
地面を蹴って、ゴードさんの横を飛び越える。その背後で、映像記録を残す魔道具を手にしていた男の目の前に踏み込むと、その勢いのまま「ならず者」といった風体の男の顎を掌底で打ち抜いた。
かくん、と膝の力が抜けて、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる男の手から魔道具を抜き取る。
やっぱり、遠目で見たけど記録媒体を取り外せないタイプだ。犯罪の証拠が入ってるかもしれないし、変に撮影されて暴力事件の加害者に仕立て上げられても困る。これは私が直接ギルドに持ち込んで通報しよう。
「おい……今、そいつに何をした?」
「?? ……えっと、見ての通りですけど」
私は、何を聞かれてるか分からず純粋に問答に答えてしまった。
「まだ隠し持ってる護身用の魔道具があるのか……?」
「いえ、ほんとに特別な事は何も……ただ素早く動いて、一撃で意識を奪っただけです」
幻影の魔術だけじゃなくて……今のも見えなかったの? えっと……銀級でしたよね? それとも私の言ってる事がおかしいのだろうか。
「あの……本気で言ってます? 別に、身体強化も使ってないし、縮地も発動させてないんですけど……」
「はぁ?! 何が言いたいんだよ!!」
ゴードさんは突然余裕を失ったようにイライラして、大声を上げ始めた。残りの「ならず者」二人はオロオロしてるだけで、何かしてこようとする様子はない。私と、倒れた仲間とを交互に見てひたすら冷や汗を流しているだけだ。
「投降する気、ありますか? ……出来るなら乱暴な手段は使いたくないなって思って……」
「ふざけてんじゃねぇよ!!」
どうやら説得には失敗したらしい。きっとフレドさんなら上手い事やるんだろうけど、逆上させてしまったみたいだ。
失敗を悟ったものの、何がまずかったのか分からない。とりあえず、「過剰防衛にならないようにしよう」と、それだけ気を付けてこの場を収める事にした。




