見える先は明るいだろうか
さっきまでクロンヘイムと繋がっていた通信機をぼんやり眺めながら、私は現実感のないふわふわとした頭で「もう帰ろう」と考えて歩き出した。
帰ると言っても連泊している宿屋の一室だ、私の居場所とは到底言えないけど。
あんなに欲していたのに、「内心では認めつつもリリアーヌが驕らないようにあえて厳しい事を言っていた」「実は家族はリリアーヌの事を外では散々褒めていたのか」と知っても全く嬉しくなかった。
代わりに胸の内から湧いてきたのは目の奥を焦がすほどの熱を持った怒りだ。ジクジクと暴れて、私の頬に涙が零れる。喉が締まるような感覚がした。息を吸うだけで焼けるように痛んで叫びそうになる。
どうして。どうして。私はそんな事のために、ずっとあんな思いをしてしていたの? どうしてあんな思いをしなければならなかったの?
……ああ、そうか。家族はみんな、私が一度でも褒めたら図に乗って手が付けられなくなる、そう思ってたのだから。私を一度も、かけらも認めないのは「正しい事」だったんだ。あの人達にとっては。
家族皆に、いや誰か一人でも良かった。私が頑張ってるって認めてもらえたら。そんな世界を想像する事もあった。いや、いつも夢見ていた。そうなったらいいとあきらめきれずに子供のころからずっと。でも実は知らない所では褒めてたなんて、知っても全然嬉しくなかった。
錬金術師ギルドを出た後、どこをどう歩いて宿屋に戻ったのか記憶に残っていない。その日は顔に枕を押し付けて声を殺して泣き倒した後、気付いたら晩御飯も食べずに眠りに落ちていたようだ。
翌日は逆に思考する事すらおっくうになって、日が高くなるまでベッドで横になったままぼんやりしていた。
ああもうお昼過ぎか、と窓から差し込む光の位置で思ったのと同時に自我が戻ってきた。自分で言うのもおかしいが、さっきまで私は私の中に「無かった」。何かを感じる部分や考える部分が無くなって、ただ呼吸だけをしていた。無気力状態と言うのか、本で読んだ気鬱の病の症状に似た……いや、本当にこの病気で苦しんでる人に失礼だから、例えでもこんな事言ってはいけない。
意識がややはっきりしてくると、同時に空腹を感じてもたもたとベッドから体を起こした。そうだ私の大切な親友がこの街に来るまでに、しっかり稼いで冒険者ランクも上げないと。
身元の保証人になってくれているフレドさんにも迷惑はかけられない。
顔を洗っても誤魔化せない、一晩中泣いて腫れた瞼を隠すように外套のフードを深くかぶると、依頼を受けるために冒険者ギルドに向かった。今はとにかく出来るだけ仕事に没頭していたい。余計な事を考えないように。
「リアナちゃん、採取終わった?」
「はい、指定された量は採れました。あとはカジュドラを探したいのでここから近い水場を順に回りたいと思います」
たった今採取した、芽吹く直前の蕾の根元を傷付けないように注意深く綿に包むとまとめて籠に収めて立ち上がった。このマドリアンの蕾はマジックバッグなどの魔帯空間に入れると価値が落ちてしまう繊細な素材なのだ。
本当だったらこの場で溶媒抽出までしてしまいたいくらいだが、錬金術師と名乗っていない者がするには不自然なのでぐっと思いとどまる。最近の私は注意深く周囲も観察できていて、結構うまく「何の変哲もない冒険者」として活動しているのでは、と私はほんの少し自画自賛をした。
最初のころは新人には不自然な失敗もしていたが、「地元で猟師として活動していた」という設定から大きく逸脱するほどの事はしていないし。
私の護衛役としてギルドによく依頼をされてる彼女達にも、たまに驚かれたりする事はあるけど悪い感情は持たれていないと思う。男の人もいるが荒っぽいタイプではないし、私と会話するのは基本女性二人だけだが、他の皆さんもとても良い人達だ。
その、ちょっと私の想定が甘くて騒がれそうになった時も「猟師として教わった技術なんですが、冒険者では珍しいんですか?」でうまく有耶無耶に出来たと思う。
こうして純粋に褒めてもらえる事が新鮮に感じる。あの家にいた時は「天才の娘」「天才の妹」と期待されてるのが今思うと大分プレッシャーだったのだろう。
それぞれの分野の第一人者、家族には認めてもらえたことが無かった。だから他人に称賛されても、「業界の最高権威が否定してるんだから、適当に言ってるかお世辞に決まってる。私の家族の御機嫌うかがいにおだててるだけ」と喜べなかったし。
私が褒められると、その場に家族がいると必ず「真に受けないように」と毎回お叱りも入るからむしろ周りから褒められるのはできれば遠慮したいといつも思っていた。
でもあの天才の娘、妹って知らなくても「その年にしては優秀」と言ってもらえるんだ。私は初めてそれを知った。お世辞ではないと思う。新人は慎重に仕事をするようにって初心者講習でも教えられてたし、先輩冒険者はお世辞を言って増長したら新人の命が危険にさらされると十分知っている。
悪意があっておだてる人はいるかもしれないが、これだけ色々な人から褒められるのだからきっとお世辞ではないはず。
ああ、でも、実際はお母様もお父様も、お兄様お姉様達も皆私の事を褒めていたんだっけ。それは私がずっと過ごしていた「常識」と矛盾する。家族について考えようとすると耳鳴りがして、私は意識的に思考をやめた。不自然にならない程度に軽く頭を振って、切り替える。
……そう、次の採取物について考えよう。
カジュドラ……これはキノコの一種で、私のいた国ではセンネンタケという名前の方が有名だった。また別の言語圏では似たものも含めてリスノコシカケとひとくくりに呼ばれている。
成長に魔力と瘴気が必要だが、この大陸の比較的広範囲に分布している。珍しいキノコで、そのままでも薬になるが生活習慣病の魔法薬の材料になると知られてからは需要がさらに高まり市場価格も年々上がっている。つまり裕福な層の需要があるので高くても良く売れるのだ。
ただ、外見がよく似たキノコも多く、またカジュドラでも薬効成分を持っていない個体もあるためきちんと選別する必要がある。幸い私はそれを見分ける知識をたまたま持っていた。
正しく評価して、私の知識にどのくらいの価値があるのかまだ全然分からない。だから周囲を観察して、「これはやってる人が何人もいたから貴重な技術じゃない、大丈夫」と確信してから使うようにしている。
気にすることなく全力を出せるならもっとやり方はあるのだが、「目立たない」という使命のためにはこうして手探りしていくしかない。……またご迷惑をかけてしまうけど、フレドさんが戻ってきたら一対一で指導してもらおう。
こういった状況でどんな魔術を使うと非常識か、普通の冒険者は何をするのか。細かく聞きたい。そうだ、依頼として出したら受け取るしかないだろう。報酬で直接の支払いの他に晩御飯を奢ると書いてもいいかもしれない。
明るい計画を思いついた私はほんの少し唇の端を持ち上げる。
そうして次の目的地である水場の手前、倒木の陰に目当てのキノコを見つけた私は周りを警戒しながら歩いていた4人に声をかけてから地面にかがんだ。
全て順調だ。
買い取りリストに並んでいた品目から、私はその中でも特にお金になる採取を選りすぐって何を採るか・どの順番でどこを回るか一番効率良くなるように依頼を受けている。この分では、今回の依頼の納品で緑札に上がれるだろう。
こんなに早くにアンナを呼べると思ってなかった。フレドさん、本当にありがとうございます。
このカジュドラは腐りかけの倒木と場所も良かったためすくすくと育っているようだ、随分と状態が良い。カサが大振りのものの中から選んで、菌核を傷付けないように注意深く切り取る。
「あれ、全部とらないの?」
「はい……これは放っておくとまた増えるので、全部は採らないでおきます」
「へえ~そんなことまで考えられるなんて、リアナちゃんはやっぱりしっかりしてるね」
「あ、ありがとうございます」
不意に褒められるとやっぱり挙動不審になってしまう。普通に答えられただろうか。
カサの縁に黒い斑点が出ているもの以外は、目的の薬効成分をまだ十分に蓄えてないと言うだけでもあるが。もう少し成熟すれば採取できるだろう。
「こっちにもあるよ」
「ああ、それは。似てるけど別のキノコなんです」
「えぇ……、そうなの? 俺には見分けつかないなぁ」
縁のまるみやカサ表面の微妙な質感の違いもあるが、微量の魔力を流した時の反発の感触で容易に判別できる。キノコ全般の鑑別はプロでも難しく間違う事があるが、私が知ってる成分だったらこれで鑑別が可能だ。誰でもやっていると思って知らずに使っていたがどうやらこれはちょっと珍しい技術らしくこの街で出来る人は誰も見ていないので、内緒にしている。
「討伐依頼ガンガン受けるようなタイプじゃないからまだ目立ってないけど、リアナちゃんすごい優秀だよね」
「今日の依頼で緑札に上がりそうなんだっけ?」
「早いなぁ、私達は冒険者始めてから何カ月後だったっけ」
「そ、そんな……褒めすぎですよ。でも嬉しいです、ありがとうございます」
順調すぎて、怖いくらいだ。ずっと私の味方でいてくれたアンナとまた一緒に過ごせる。事情を知った上で力になってくれるフレドさんもいる。
ここではお世辞抜きに認めてもらえて、頑張ったら頑張っただけ評価されて、こうして冒険者ランクという目に見える形を与えてもらって。お兄様が関わっていた商会でも利益は出していたけど、こうして実際稼いで得た報酬の方が重く感じた。
私が確かに認められて手にしたものだと実感できている。
ここでなら、家族達とは関係ない新しい生活を築いて幸せになれそう。