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 このパーティーは、私も準備に携わっていたのでどういうものかは分かっている。皇族の籍を外れた第一皇子が中継ぎとして当主になる、そのお披露目だ。

 中立を保っていた歴史あるビスホス家は、これでフレドさん、及びフレドさんが臣下となった若き皇帝クロヴィスを支持するという意思表示をした事になる。

 ホールの扉からは、招待客達を歓迎するための音楽隊の演奏と談笑が漏れ聞こえていた。


「大丈夫?」


 私を窺う声に、頷いて返す。扉の前に立っていた使用人達が、ホールに繋がる階段前の扉を大きく開いた。

 ホールの照明が煌めく、その中を私はフレドさんのエスコートでゆっくりと歩いた。絨毯が敷かれた階段を一歩ずつ降りる。

 ざぁっ、っと品定めするように私達に向けられた視線。怖気付かないよう、私は微笑を浮かべ続けた。ホールには鮮やかなドレスを身に纏った女性達と、正装に身を包んだ男性陣が。軍服を着ている方、魔術師と一目で分かる姿の方もいる。いずれも、今日までに必死で覚え込んだこの国の重要人物達ばかりだ。

 歴史ある侯爵家のタウンハウス、その広いホールを埋め尽くす着飾った人々……圧巻の光景である。

 私達が階段の下に辿り着くのを見計らって、このパーティーの最後の招待客がもう一人階段の上から現れる。この場の誰よりも身分が高い……そう、皇帝に即位する事が決定されている、クロヴィスさんだ。


「楽にせよ」


 頭を下げていたその場の全員が、階段を伝うクロヴィスさんに視線を向けた。普段とは違う、今のクロヴィスさんは威厳を感じて、いつも気軽に喋ってるのが嘘みたいだった。

 私達の隣に並んだ初老の男性が、クロヴィスさんに恭しく挨拶を述べる。そのビスホス侯爵は、招待客達に向けて……フレドさんが療養を終えて健康を取り戻した第一皇子である事を紹介して、そのフレドさんがまだ幼いお孫さんが立派に成人するまで、ビスホス侯爵家としてこの家を支え導いてくれるのだと告げた。

 紹介されたフレドさんが「フレデリック・ユーン・ビスホス」と名乗って貴族らしい口上で挨拶を述べる。この真面目で緊張感の張り詰めた空間に、さっきまでフレドさんの言葉でドキドキして切羽詰まっていた私も流石に冷静になった。

 予定通り、私も「リアナ・ヘルメス」として、事前に考えていた通りの挨拶を行った。……緊張しすぎて、声が奮えるかと思った。何とか堪えられて良かったぁ……。


「フレデリック殿下、御快癒おめでとうございます」

「ありがとう、マリスティーン侯爵」

「この慶事を聞いて妹も喜んでおりました」

「そうか。彼女も幸せになったと聞いている。私も嬉しいよ」


 次々と挨拶に来る貴族達をフレドさんはさばいていく。私も話を振られた時にきちんと受け答えが出来るように、名前と顔と情報を頭の中で一致させながら隣で会話を聞いていた。

 見上げた横顔は、いつもと違う……お手本みたいな「高貴な紳士の笑み」で、温度を感じない。その綺麗な微笑みを浮かべたフレドさん、何だか知らない人みたいに見える。


「まぁ……ヘルメス卿、そのドレスに使われている見た事のない生地について教えていただける? 下の生地がこうも美しく透ける輝く布……こちらが噂に聞く『妖精の羽衣』なのかしら?」

「はい。ミドガランドの社交界に名高いベッラディーン夫人の目に留めていただけて光栄です。この布は私の所有するブランド『クリスタル・リリー』で取り扱いを始める新しい生地でございます」


 次にフレドさんに挨拶に来たご夫婦。その夫人の方が私のドレスに使っている新型のポリムステル生地に目を留めた。既存のポリムステル生地とはまた違い、スライム廃液の処理を少し変える事で、完成した生地はこのように光の加減によって虹色の光沢を見せる。

 この夜会での私のドレスが初お披露目で、こうして目を付けた高位貴族夫人から広めようと宣伝のために使ったのだ。この生地が映えるデザインを考えたかいがあった。

 夫人はそのままクリスタル・リリーのドレスに興味を示してくれたので、後日屋敷に訪問する事を約束する。

 ……よしよし、人造魔石で経済界に人脈は築いたのに続いて、貴族夫人にも味方を増やせそうだ。


「殿下。ではこちらの美しきご令嬢が、新しい婚約者であらせられる――……」


 そして急に私に跳んでくる会話の矛先。その内容も思わず声が出てしまいそうになるもので、私は窺うように再度フレドさんの顔を見上げた。


「いいえ。実は婚約者ではないんです」

「では――」

「……まだ、そうではないのです。私はとても奥手なもので、中々思いを伝えられずにいまして。ただ近い未来、そうなったら良いと願ってはいますが」


 フレドさんの答えに、礼を失して会話に割って入ってでも、という気迫と圧を周囲から感じた。

 しかしその否定をすぐに塗り替えるような言葉に、一斉に周囲から、ジリッと突き刺すような視線が私に向けられる。

 声にならない悲鳴が聞こえた気がした。同時に、さっきまで好奇だけだったものに、煮えたぎるような嫉妬の感情が混じる。

 小心者の私は、平時だったらこんな目を向けられて、まともに立っていられずうつむいていたかもしれない。でも今の私は、フレドさんが口にした言葉のせいで全くそれ所ではなかったのだ。


 い、今。今……婚約者になりたいって言った? 私と……? か、勘違い……違う? そう言ったよね? 私の勘違いじゃなければ……。

 何とか微笑を崩さずに堪えたものの、もう少しで悲鳴を上げていた所だった。

 話を振られて何とか受け答えをしているものの、私の頭の中には嵐が吹き荒れている。真意をフレドさんに求めようとまた隣を見上げると、いつもみたいに優しく微笑みつつも、なんだかちょっと申し訳なさそうな顔をしていた。


 ……あ、もしかしてフレドさん自身の面倒避けのために……って事……なのかな?

 そう考えればしっくりくる。でもそう考えたら、何だか……それは悲しいな、って感情が湧いてきた。

 婚約者にしたい、って言われた時にすごく困惑した。でも最初に私は「嬉しい」って思っていた。今、「言い寄られるのを防ぐための方便かも」と思ったら、「悲しい」って思っている。

 ……ずっと、ずっとこの気持ちに付ける名前が分からなかった。どうしてフレドさんが「他の女の人と結婚するのか」って考えたらお腹の奥が重くなるのかなって……そっか、私。フレドさんの事、好きなんだ……。


 こんな逃げ場のない状況で自覚して、私はこのホールに入る前と同じくらい……いや、更に一杯一杯になっていた。

 しかもこの状況で、ビスホス侯爵から合図が入る。そう、今日は舞踏会なので……この後、フレドさんと踊らなければならないのだ。この感情を抱えたまま。


「ヘルメス嬢、お手を」

「ええ」


 フレドさんに「リアナちゃん」以外で呼ばれるの、慣れないな。頭の中の冷静な部分がそんな事を言っていてる。

 手を引かれて移動したホールの中央で、向かい合う。

(わぁ……)

 背中に回ったフレドさんの手。その感触を意識してしまった。今日のために何回か練習はした。その時はちょっと照れ臭いけど普通に出来たのに、自覚してしまったせいでもうダメだった。


「……緊張してる?」

「へ……」

「顔が赤いから」


 背景音楽を奏でていた楽団が自然と演奏を切り替えて、一曲目に相応しいゆったりしたテンポの曲が流れる。周囲に聞こえない音量でフレドさんが囁く。ダンスのために向かい合っていた私の耳のすぐ近くでそんな事をされたせいで、驚きに体が跳ねる所だった。

 私の頭は真っ白になっていたが、むしろそのおかげか、固まらずに足は教え込まれたステップを踏んでいく。


「ごめん、びっくりさせちゃって。あんな事急に言って、驚いたよね」

「……あの、」

「この後、少し落ち着いたら庭園に一緒に来てくれないかな。さっき言った言葉も……控室で言いたかった事についても、話をさせて欲しい」


 背中に置かれたフレドさんの手のひらが熱い。私は、声で返事をする事が出来ずにただ頷いていた。至近距離で見上げたピンク色の瞳が、いつも見ていたはずなのに新鮮に感じてドキドキしてしまう。

 何の話だろう、とか何を言われるんだろう、って考えていたら、その一曲はあっという間に終わってしまった。

 ……何とか、フレドさんの足を一回も踏まずに、ステップも間違えずに踊れた。私達がホールの中央からどくと、数組の男女が代わりに出て来る。間もなく二曲目が始まった。

 一旦ダンスが終わった後もフレドさんへの挨拶待ちの列は続く。一通り挨拶が終わる頃には、フレドさんも私もすっかり気疲れしていた。


「ビスホス侯爵、少々庭園に出てもいいでしょうか」

「ああ、この場は任せなさい」


 目じりに皺を浮かべて微笑んだ侯爵が快く送り出してくれる。

 そんな中まだ「何を言われるんだろう」って緊張していた私は、ダンスが終わってから、さっきまで社交の最中も手を繋ぎっぱなしな事を意識をする余裕がないくらいには混乱していた。

 優雅にスカートの翻るホールの脇を通って、フレドさんに手を引かれた私はすっかり陽の落ちた庭園に向かう。


「まぁ、フレデリック皇子。お久しぶりでございます」

「御快癒おめでとうございます」

「わたくし達、皇子が療養のために突然姿を消して、心の底から心配しておりましたのよ」

「ええ、本当に」

「……ああ……久しぶり。私も健康を取り戻せて嬉しく思う」


 ホールの壁の一面に並ぶガラス扉。その一部が開け放たれ、庭園に繋がるレンガ造りの広場が見えている。そこに出てすぐ、三人の令嬢に声をかけられた。……いや、髪型やドレスの意匠から、既婚者だと分かる。なら三人の夫人、と呼ぶのが正しいか。

 一応、私もこれで貴族令嬢だった。三人の立ち位置と目配せの様子から、何となく力関係と悪意を感じ取って警戒を始めた。一応、とはいえパートナーの私がいるのにこちらに挨拶もせずにフレドさんと会話を始めるのは本来ならマナー違反だし。

 フレドさんは顔見知りのようだし、私は話しかけられていないので対応を任せる事にした。


「でも、驚きましたわ。御快癒したと同時にもう婚約者候補を連れて帰って来るなんて」

「婚約者だったイザベラ様とは全く違ったタイプの御令嬢ですのね」


 三人の目配せで、中心にいる美女の名前がイザベラ様なのだと察する。居心地の悪い視線が私に向けられた。


「フレデリック皇子はかつても婚約者がいたにも関わらず令嬢達の視線を攫っていましたから、ねぇ、お嬢さんはとっても頑張らないといけませんわよ」


 三人で顔を見合わせてころころと笑う。扇で隠された口元に、何だか嫌な感じの笑みが浮かんでいた。

 ……わ。あからさますぎる悪意に、むしろ私は冷静になっていた。……あ、そう言えば。こんな時こそ私が前に出なければいけないのではないだろうか。そう、クロヴィスさんにも「兄さんに変な女が寄ってこないように、リアナ君、頼んだよ」と言われてるし。よし。


「ねぇ、フレデリック皇子……わたくしは既に嫁入りした勤めを果たし、嫡男と長女を授かっておりますのよ。殿下さえ望めば大人同志の……政略ではない、真実の愛を……」

「結構だ。ガドゥール夫人、私が貴女の望みに応える事は永遠にない」


 すす、と私が立つ反対側に身を寄せようとした一人を、フレドさんは手の甲で押しのけながらきっぱりと宣言した。

 ……私が前に出るまでもなかった。

 ちらりと窺ったフレドさんの顔は、リンデメンの冒険者ギルドで私が絡まれていたのを助けてくれた時みたいに、びっくりするくらい冷たい表情をしていた。思わず横顔を見つめた私だったが、それに気付いたようで、フレドさんが私に視線を向けて、目が合った。

 途端、いつもみたいにふにゃっと笑う……その顔が可愛くて、何だか私も笑ってしまった。


「不愉快な話だな……この件は抗議させてもらう」

「なっ……!」

「話がそれだけなら失礼する」


 さりげなく、三人から私を遠ざける格好で横を通って庭園に下りる。

 煉瓦で舗装された遊歩道が魔導灯の明かりに照らされている、私はそこをフレドさんのエスコートでゆっくりと歩いていった。


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