これからの話
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ミドガランド帝国の皇帝は帝位を皇太子クロヴィスに渡し、一人目の妻である王妃マリエラを連れて南部の離宮へと居を移した。
男爵家出身のマリエラとの結婚はミドガランド帝国内で「愛を貫いた結婚」として話題になっていたらしいが、数年後には王妃の浪費と黒い噂、それを御しきれない皇帝に民達は失望する事となる。そのため、その名を国の隅々まで轟かせるほどの優秀さ持つ皇太子クロヴィスへの代替わりの発表を歓迎した。
同時に、ミドガランド国内で多くの貴族家も再編や世代交代が行われている。そのほとんどが「王妃派」と呼ばれる利益を甘受していた家だったため、少し敏い者なら長年の罪に対する粛清が行われた事を察していた。
しかも今回の断罪では、新皇帝クロヴィスの生母の実家であるハルモニア公爵家にもその裁きが及んでいる。国民達はこれにより、クロヴィスが父と違い身内にも厳しい公明正大な皇帝であり、そこまでして国を本気でより良き方向へ導こうとしている事を感じ取った。
現在は正式な戴冠式前から優秀な采配を振るい始めた新皇帝を警戒し協商連合国及びその背景にいるルマン帝国との緊張はほぼ鎮静化してきており、開戦は回避出来る見込みだという。
そして諸々がやっと片付いた今日、私は久しぶりに竜の咆哮のクランマスター室にやってきていた。
「やっとメインが終わった……色々やる事が多すぎて……さすがに僕も疲れたなぁ」
「投獄まで行かなかった王妃の元取り巻き達も『夢から覚めたみたいに』大人しくなったし。内乱も起きなさそうで良かったよ」
国内で反乱が起こっていなかったのは、良識を持った貴族達が次期皇帝であるクロヴィスさんを信頼していてくれたため、血を流してまでの皇帝位簒奪を望まなかったおかげだ。
今回表向きには、王妃は視力を失う病を患い、妻を心から愛していた皇帝は今後の人生を二人で寄り添って生きる共に皇族としての地位を退いたと発表されていた。
「今日話し合いたかったのは式典関係の事だね。共振器で連絡はしたけど、日程がだいぶタイトだからな……」
「仕方ないさ。皇帝位交代の準備を前もって大っぴらにやる訳にいかなかったんだから」
「まぁでも、平時の葬式に伴う譲位より良い事もあるよ。前回の関連式典の担当者達が大体存命だから、予想よりも準備がスムーズなんだよね。問題なく開催出来そうだよ。ははっ」
「は、はは……」
前回の、とはフレドさんとクロヴィスさんのお父様……つまり今回退位した前皇帝が即位した時の事である。フレドさんは引きつった笑顔を浮かべているが、肉親ではない私はどう反応していいか……ここは触れないでおこう。
「僕の戴冠式の準備も大きいけど。兄さんが養子に入るビスホス家の夜会の準備はどんな感じ?」
「ああ。侯爵家の近縁だけじゃなくて、ある程度今後の付き合いを考えて手広く招待する事になったから。体面もあるけど宣伝兼ねて白翼商会からガッツリ介入してそこそこ豪華にやるつもり。で、これが計画書と、招待状出した家のリストね」
フレドさんは病気療養中……という事になっていた時に皇族を抜けているが、こうして他の家を継ぐ事で、完全に皇位継承争いから退いたと内外に向けて示す事になる。
元王妃派も、微罪だった貴族は残っているし、諦めない者もいるかもしれない。しかし、これでほぼ望まない争いを強いる連中は諦めるしかないだろう、と言っていた。
ビスホス侯爵家は、三年前に当主夫妻が亡くなっている。現在は前ビスホス侯爵が再び当主に戻り、遺されたお孫さんを養育しながら執務をしている。マリエラ王妃の増税で大きな影響を受けた領地の一つであり、経営には斜陽が射していた。
しかし、「白翼商会」を所有するフレドさんが次期当主となった事でそれらはすぐ解決するだろう。独占販売する商品達の大規模な工場を建造すると聞いている。
「式典関係は兄さんの正装と意匠を揃えたいな」
「好きにしていいよ。けど俺は臣下になったんだから、まったく同じはダメだぞ」
仲の良い家族でタイに同じ生地を使うとか、カフスボタンのモチーフを揃えたりするらしい。他派閥への兄弟円満アピールにもなる。(実際そうなのだが)
「あ、でもリアナ君のドレスのデザインも確認しておかないとね。じゃないとうっかり三人でお揃いになっちゃう」
「え?」
「……は?」
クロヴィスさんの思わぬ一言に、私もフレドさんも変な声を出したきり固まっていた。
お茶を用意するエディさんが、トポポポ……とカップに紅茶を注ぐ音だけが静かな室内に響く。
……ど、どうしてそんな事を。まるで、フレドさんと私が意匠を合わせた装いをするみたいな……。
「…………もしかして僕の勘違いかな? 兄さんが、ビスホス侯爵家の当主お披露目とか、戴冠式に一人で参加するように聞こえたんだけど」
「え? いや、普通にそのつもりだけど……」
質問の意図が分からないままだったが、私も静かに頷いた。お披露目会には当然招待はされてるけど……。
私は人造魔石をきっかけとした子爵位の叙爵式の出席もあり、全て違う正装を用意しないとならないため現在急ピッチで作業中だった。
貴族としての見栄もあるが、私は特に服のブランドも持っているので、なおさら適当な物を身に付けられないというのが大きい。全て自分でデザインしたし、何なら……新皇帝クロヴィスの誕生に伴う各種式典関連で国内でのドレス需要が爆発的に高まっており、クリスタル・リリーのテーラーやお針子達も手一杯になってしまってるので一から自分で作っている。もちろん宣伝も兼ねて、ポリムステル素材を使っていて……。
「……はぁ~……?」
私達二人がキョトンとしてると、クロヴィスさんがすこぶる不機嫌そうな顔で、地を這うような声を上げた。
そのあまりの迫力に、フレドさんも私はビクリと肩を揺らしてしまう。
「兄さん、何考えてるの?」
「え……いや、……クロヴィスこそ、リアナちゃんにパートナー頼むんじゃなかったのか?」
「……何それ? そんなことしたら、周りにリアナ君が僕の婚約者候補だって勘違いされちゃうだろ」
まぁ、確かにそんな事をしたらそうなってしまうだろう。クロヴィスさんの立場でパートナーなしで参加するのは少々悪い方に珍しいとはいえ、親族でもないのに私がエスコートされるのはそっちの方が良くないのに。フレドさんはどうしてそんな思い込みしてたんだろう。
話している間に、さらに不機嫌になっていったクロヴィスさんは、困惑しているフレドさんを置き去りにしたまま今度は私の方を向いた。
「リアナ君に不満があるって話じゃないんだ、ごめんね。あんまりに兄さんが不甲斐ないから、つい」
「え、いえ……あの、話が見えないんですけど……」
「うーん、君も大概かな。『人の心が分からない』って陰口叩かれてる僕でさえ見てたら分かるんだけど……。とりあえず……兄さん、これだけは言っておくけど。僕がリアナ君に興味を持ったのは、兄さんが初めて自分から視線を向けてる女性だったからだよ」
「それって。どういう……」
「僕が言っていいの? それとも、本当に違うって言うなら、今も僕の所に山ほど来てる、『錬金術師ヘルメス新子爵』への吊り書きの中から良い条件があったら渡しちゃうけど?」
ヘルメス新子爵とは、私の事だ。儲かりすぎている事業を抱えた平民でいるよりも安全だとか、総合的に判断した結果である。
人造魔石事業がかなり好調だから、繋がりを持ちたがっている人は貴族にも裕福な平民にも山ほどいると聞いていたからきっとその事だろう。けど、クロヴィスさんには以前「望まない縁や婚約からは守る」と言ってもらってるので、これは実際にやらない脅しだ。……何に対する脅しかは分からないけど……。
「マジで……? ずっと俺、勘違いして……?」
ぽかん、とした顔のフレドさんはじわじわと何かが「分かった」ような顔をすると、自分の顔を手の平で覆って天を仰いだ。
え、フレドさんも一連の話が何の事か分かったの? 答えを知ろうとクロヴィスさんと、やはりこちらも分かった顔をしているエディさんを見たけど二人共何も教えてくれない。
「まぁ、変な縁談持ち込まないってリアナ君に約束してるから、今のは例え話だけど。でもいいの? いくら僕が正面から来た話を断っても、このまま彼女を社交界に出したら求婚者があっという間に山ほど出て来るよ」
何の事ですか、とか気軽に聞けない空気が漂う。……式典の礼装の話から、どうしてこんな事なってるんだろうか。この重い雰囲気の中、素知らぬ顔でお茶の用意を完了させたエディさんの動じなさがちょっと羨ましい。
「リアナちゃん」
「……へっ。はい?」
まだ現在の状況が呑み込めてない私は、突然名前を呼ばれて狼狽した。
「クロヴィスに言われたさっきの今でこんな事言うのほんとかっこ悪いんだけど……あの、」
「は、はい……」
「……ビスホス侯爵家の次期党首として主催する夜会と、クロヴィスの戴冠式で……お、俺の……パートナー……として、一緒に参加してくれませんか?」
フレドさんは意を決したような表情で私の前に立つと、深々と頭を下げながら私に握手を求める格好で手を差し出した。
私はと言うと、今何を言われたのか咄嗟に理解出来なくて。数回ゆっくりまばたきするほどの時間を置いて、「ええ⁈」と大声で叫んでいた。