「 」
どうしよう。どうしよう。どうすればいい。
「フ、フレドさん、どうしてこの船に? トノスさんの依頼がまだあったはずじゃ、だってあの後ビグアナイルに向かうって……」
私の中で、「商売になること以外には態度の悪い音楽家」の顔と「人当たりの良い錬金術師」として作った顔がぐちゃぐちゃに入り混じる。
なんて言えばいい、どうすれば不自然じゃない。目立つつもりは無かったのに、失敗した、失敗した。
私が明らかに動揺しているのを見て、ただ思いもよらない再会に驚いていただけのフレドさんが何かに気付いた様子で人だかりを抜け出て私の前に立った。
「ああ、そうだね! いやぁ~こんな偶然あるんだぁ。びっくりしたよ。そうだ再会を祝して俺がお昼ご飯おごるよ! ちょうどお昼だ、なぁ観客の皆さんもいいだろう? 若くて将来優秀な音楽家に休憩をあげよう」
フレドさんはそう言って私と親し気に肩を組むと、少し強引に人込みを抜けた。背中に「なんだ横から急に」「バカあの男銀級の冒険者だぞ、それに知り合いみたいだ」「でも確かにもう昼だし俺らも飯に行くか」「飯のあと戻ってくるかな」と声が飛んでくる。
「フレドさん、あの、」
「久しぶりだからって慌てるなよ、話は食事をしながらゆっくりしよう」
ごく自然に笑う彼の顔を見上げて、私は、不用意に前の偽名を使っていた時に関わった事を喋りすぎていたのをそこでやっと気づいた。トノスという人からの依頼で関わった、銀級のフレドという冒険者で、次の行き先がビグアナイルだったらしい。そこで知り合った。調べようと考えたらすぐできる。そんな私をフレドさんが、私の事情を極力話さないようにしながらあそこから助け出してくれたのも。
銀級の冒険者プレートを首から下げた彼が、空気を読まずに知り合いを連れ出した風を装って悪者になってくれた。
「……レストランでいいかな? 壁際の席なら声も漏れにくいと思うけど」
「あの……僕、上には行けないんです、三等客室なんで……」
三等客室を利用している人用の食堂と二等、一等の人達が使うレストランも当然分かれている。豪華客船ではないのでレストランもそこまで格式高いものではないからこの服でも止められはしないだろうが、上層とをつなぐ階段には警備がいる。裕福な客が宿泊するフロアに三等客室の者を入れないようにするためだ。
全員の顔と名前をちゃんと憶えてはいないだろうが、万が一にも不審者として調べられるわけにはいかない。
「え?! リ……君が三等客室って、あの、いくら男の子でも、君が雑魚寝はまずいよ! ちょ、ちょっと昨日大丈夫だった?! 何もなかった?!」
私の身を案じてくれているのにも、名前すら口にするのはまずいかもと気を遣って伏せて話してくれているのにも私は気付いていない。気付けていない。
どうしよう、と気が急く中、私は三等客室に向かう階段を逃げるように駆け足で降りる。解決策が何も浮かばなかったのだ。
「何もないです、大丈夫です、さっきはフレドさんの依頼中に関わる話を人前でしそうになってすいませんでした」
「いや、そんな事は全然気にしてないから。うん、ねぇ何か事情があるなら話だけでも聞かせてよ。とりあえず今はここじゃなくて人のいない場所の方がいいんじゃない? コンパートメントだけど俺の部屋は個室だから、良かったらそっちで話をしよう」
どうしよう、どうしたらいい? 何と答えるか、誰として応えるのが正解か分からなくなって、言葉が発せなくなっている。隠し事がバレたとそれだけで頭がいっぱいになって、疚しさしかない私は顔をうつむけて、どうやってこの場から逃げるか、自分自身を必要以上に追い詰めてしまっていた。
ただ「そうなんです音楽もちょっとかじってるので、旅しながら小銭を稼いでるんですよ」で良かったのに。周りからは珍しいとは思われるだろうが、訳アリなのを察して道中あえてこちらの事情を極力聞かないようにしてくれていたフレドさんならそれで話を合わせてくれただろう。
それが分からなかった私は、溺れそうになって自ら水深が深い方に向かってしまい、取り返しがつかない状況に陥っていく。さっきデッキで目立っていた少年だと、私を目で追う人がたくさんいたのも視界に入っていない。
「ねぇ! リアナお姉ちゃんさっき歌うたってたでしょ! やっぱりすごい上手だったね!」
だから三等客室の部屋には、私が女だって知っている人がいるのがすっかり頭から抜けて逃げてきてしまったのだ。
お姉ちゃんと、そう呼ばれて「あ、また嘘がバレた」と背中をざらりと冷たいものが撫でる。もうどうしたらいいか、人目のないところに走って逃げて、外套を被った上で隠蔽の魔術を全力でかけて港に着くまで暗がりで震えているくらいしか思い浮かばない。
「……あー……」
その一言と私の反応で、名前も経歴も性別も全部全部嘘をついていたのが分かってしまったんだろう、フレドさんが気まずそうな声を漏らした。
お世話になったのに、顔すら見れずに私は部屋の入り口で硬直している。
今朝の事でまだ気付いていなかったらしい人もいたみたいなのに、「あの子女の子だったのか」なんて言っているのが聞こえた。いや、でも、デッキで目立ってた私を話題にして、ここの部屋の人が話すかもしれない。そしたら同じことだ。寝ぼけて不用意なことを言った私の自業自得だもの。
失敗を後悔する私の耳に、「ああ、たしかに、坊主にしちゃケツが丸いな」って、そんな下品な声が聞こえて。私は思わず赤くなってぎゅっと目をつぶった。ミスばかり。家出したのに全然上手くいかない。やっぱり私なんかが……逃げて幸せになりたいなんて思っちゃダメだったんだ。
「……よーし! 君の名前は何て言うのかな?!」
「えっ?! ……スハク……だよ……」
突然、すとんと床に膝をついて目線を合わせたフレドさんは、スハクと名乗った子供の顔を覗き込むように話し始めた。私も母親との会話で一応名前は知っていたけど、親しくしないようにしていたので昨日から一度も口に出して呼んだことはない。
「スハク君。あのねぇ、ほんとは違うって知ってても、それを隠してる人のことをそうやって言っちゃだめだよ。このリアナさんは女の子って事を隠してたんだから」
「……嘘つくのは悪いことだもん!」
「悪いことをしたのを隠すために嘘をつくのは悪いことだけど、この人は何もしてないだろう? 自分を守るために、ほんとの事を言ってなかっただけだ」
男の子はフレドさんと、私から強引に目を逸らすようにそっぽを向いた。横顔は不機嫌そうに見える。
「スハク君も内緒にしてる秘密をばらされちゃったら悲しいよね?」
「僕そんなのないもん」
「でも人が隠してる事を勝手にしゃべるのは、今度からしないほうが良いよ。次からできるね」
話をそれで終わらせたフレドさんは、立ち上がると私の方を向いた。「荷物は?」と聞かれて、私が使っていたベッドに目を向けると、そこには何もなかった。
……拡張鞄を使っていると悟られないようにするためだけの偽装用なので、なくなっても何も困らないけど。この部屋にずっと居ただろうこの子の母親に聞けば犯人の顔くらい見てるだろうが、尋ねる気は起きない。
「大丈夫です。なくなって困るものは身に着けてたので」
「あー……ん、なるほど。じゃあ約束通りお昼ご飯食べに行こう」
私が視線を向けたベッドの上に何も無いのを見て悟ったらしいフレドさんに手を引かれて、私は三等客室のある薄暗い階層から連れ出されていた。未だ「失敗した」と頭の中で渦巻いている私に、「悪いようにしないからちょっと任せて」と耳元で囁いた声についすがってしまう。
流されるままにデッキを通り過ぎて。この船に乗ってから一度も入っていない、上等な客室の存在する階に向かっているのに途中で気付いて一瞬身がすくんだ。
「大丈夫だよ、このくらいの船だったら身なりで判断するからいちいち探ったりしない」
階段のところに哨戒に立っていた船員の前を、わざと「いやぁ同じ船に乗ってただなんて知らなかった! 奇遇だな!」とわざと知り合いだとアピールしながら通ってくれる。
親し気に振る舞ってくれるフレドさんが、自分の体で、不自然に顔をうつむけている私をさりげなく隠してくれた事に気付いたのは個室の中に入ってからだった。
嘘がバレたとパニックになって、すごく失礼な態度をとってしまった。あの場から連れ出して、私の代わりに子供に注意してくれて、墓穴を掘った私をフォローするように立ち回って極力庇って、私に不利益があれ以上起きないようにしてくれてたのに。
「まぁここに座っ……あっ!」
四人乗りの馬車の中くらいのコンパクトな部屋の中。フレドさんは座席兼ベッドに置いてあった自分の荷物を床に降ろした途端に「今気付いた」というような声を上げた。私はそれにびくりと肩を揺らして反応してしまう。
「……あの、ほんとごめん。そんなつもりまったくなかったんだけど、……君がその、男の子だって意識が強くて。あれ以上あの場にいたら余計君が望まない事態になりそうだなって思って、ここの方がマシだろうって考えたんだけど……部屋に連れ込もうとか、そんな気は……」
「……え?」
何を言われるのか一瞬身構えてしまった私は、その内容が予想外過ぎてとっさに理解できなかった。でもじわじわゆっくりと、その言葉の意味が分かると、「たくさん嘘をついてた上に、あんな失礼な態度をとってしまったのに、まだ気遣ってもらってる」事が理解できて。
申し訳なさといたたまれなさで、目も合わせられなくなってしまう。
「まぁ、あの部屋にいたおっさんよりかは百倍安全だし、そこは信用してくれていいよ。……何て呼べばいい?」
「……リアナって、そう呼んでください」
本当の名前を問わずに、そう尋ねてくれた優しさにまた甘えてしまった。
でも恩知らずな私は、嘘をついていた事情をどう話そうか、いや誤魔化そうかって。それだけがぐるぐる頭を駆け巡っている。
「……っあの、ごめんなさい! フレドさん……」
「え、どうして謝ってるの?」
だって、と続けようとした私をフレドさんがさえぎって止めた。
「リアナちゃんは悪意があったわけじゃないでしょう? 俺だって面倒よけにちょっとした身分詐称した覚えなんて数えきれないほどあるよ。まぁ何か事情がありそうだなとは思ってたけど……」
「……嘘ついてたの、怒ってないんですか……?」
「なんで怒るの?」
心底不思議そうな様子のその言葉に、勝手に許してもらった気持ちになってしまった私は堰を切ったようにあっという間にこらえ切れなくなって泣いてしまっていた。
困らせているのが分かっているのに、止められない。申し訳ない気持ちばかり強くなって焦るだけで、声が漏れないように唇を固く閉じるしか出来なかった。
「えーと、……そうだ。俺お昼ご飯買ってくるね」
泣き出して止まる様子のない私にひとしきりオロオロして声をかけてくれたフレドさんは、自分の部屋なのに出ていこうとしていた。きっと一人にした方が良さそうだってまた気を遣ってくれているんだろうけど、私はそれがひどく寂しくて。でも声を出したら嗚咽が零れてしまうと咄嗟に子供みたいにフレドさんの服の裾を掴んでいた。
そのささやかな拘束に気付いたフレドさんは、でもそれを解くような事はしないで私と少し距離を離したベッドに腰を下ろしてくれる。
「じゃあ、さっき説明できなかったから勝手に話しちゃうね。まず俺が何でトノスさんが予定してたビグアナイルに向かわずにこの船に乗ってたかってとこからなんだけど……」
まだ泣き止まない私を気遣うように、フレドさんは明るい声色で話を始めた。その内容は確かに、さっき観衆が大勢いた前で話をしていたら間違いなく面倒事になっていた。あの時点からもう庇ってもらっていたのかとまた気付いて、申し訳なさで地面に埋まりたいと思うくらいに。
なんとなくサブタイトルを付けてきたんですが、この話のサブタイトルがまったく浮かばないまま本文書き上げた状態で15分経過したので諦めます