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「リアナちゃん、家族への交渉人にさ、俺の事雇わない?」
クロヴィスさんに、実家から連絡が来た事で今後どう付き合っていくかを話した翌日の夜……フレドさんが私達が暮らしている住居にやってきてそう提案した。
実は……フレドさんが、魔眼を無効化する方法について悩んでいたのを見たので自分の事を相談するのを躊躇してしまったので、まだ話していないのだ。多分、クロヴィスさんがフレドさんに伝えたんだろう。
もちろんフレドさんにも共有する予定だったから問題はないけど、自分の事で悩んでいたであろうフレドさんにまた迷惑を持ち込む形になって申し訳ない気持ちが湧いてきてしまう。
「フレドさん……えっと、そう言ってもらえるのはすごい嬉しいんですけど……フレドさんの方は大丈夫なんですか?」
「そうですよねぇ、忙しそうにしてるのは私達も見てますし……」
夕飯後の時間にやってきたフレドさん達に多少驚きつつも、「フレドさんがこの時間にやってくるなら余程の事なんだろう」と判断したらしいアンナは、とりあえず何も尋ねずに招き入れた。しかしこの提案には多少驚いたようだ。私の隣で目を見開いている。
うん……私贔屓をするアンナも、自分の事で大変なフレドさんの状況を心配してるみたいだ。
「まぁまぁ、二人共俺の説明を聞いてよ。これは俺もすごく助かる話なんだ」
「……フレドさんがそう言うなら」
優しい人だけど、ここで嘘を吐く人ではない。私はフレドさんの目を正面から見た。最近は商会でも竜の咆哮でも、他の人の目がある所では眼鏡型の装具をずっと身に着けている。
何だか久しぶりに感じるフレドさんの素顔に、ほんの少しそわそわしてしまった。
「まず、リアナちゃんが一番気にしてるのは、ご実家が養子にしたって子の事だよね?」
「……はい」
あれからライノルド殿下と、共振器の画面上でのやり取りを二往復行って、私が想像していた以上にニナの置かれている状況が良くないものになってしまっているのを知った私は、フレドさんの優しさにすぐ飛びついてしまいそうになった。
でも……昨日「いつも甘えてばかりだな」と自覚したばかりなのに、またフレドさんに甘える事になってしまうなんて。
「そのニナって子、リアナちゃんが助けたいって思う気持ちは分かるけど……実際問題は起こした訳だから。で、ここまで大きな話になっちゃったら、この話が解決したとしてもクロンヘイムでそのまま生きていくのはかなり難しいと思う」
「そうですよね……」
未だに、「あの時私はどうしてればこんな事になってなかったんだろう」って考えてしまう。
家族に向けて、ちゃんと詳しく説明する手紙を書いていたら良かったかな、とか……でも、あの時は「認めてもらえないだけじゃなくて、信じてもくれないのか」って思ったら頭がぐちゃぐちゃになっちゃって、そんな事を冷静に考える余裕なんて全くなかったから……。
過去の行動を悔いても仕方ない、これからの事を考えるべきだ。そう気合を入れて、意識を戻す。
「その子が成人したら自分でその家を出る……が出来たら一番穏便だけど、これから一年近くこの状況のまま我慢させる……ってのはリアナちゃんが嫌なんだよね」
「……そうです」
私と家族の確執とか、私が家出をしてからたまたま大きな利益を生み出す商品を開発したとか……偶然が重なったとはいえ結果的に貴族のメンツを潰している。かなり過ごしづらい環境になってしまっているだろう。
罪が暴かれて反省して欲しいとは思ったが、必要以上に重い罰を与えたい訳ではない。これは善行ではなく、どうしても私が気にしてしまうから……そう、自分の精神衛生のためだ。
「この……ニナって子をアジェット家から救い出して、外国で彼女が暮らせる環境を用意する……俺を交渉人として雇うなら、このくらいは成果として約束出来るよ。その後、家族との関わり方にも間に入るし。どう?」
「な……⁈」
それを聞いた私は思わず声が出てしまった。このくらい、なんてそんなの……私が一番悩んでた事を、全部解決してしまうのに。
「それ……私に都合が良すぎませんか?」
「うーん、それがねぇ。ポリムステル布と人造魔石で、白翼商会がすごい儲かっちゃってて。その利益の還元って事で十分なんだけど……その顔、納得してくれなさそうだなぁ」
「だ、だって……」
私の顔色を見て、言葉を発する前から私が受け入れるかどうか分かってたらしいフレドさんが苦笑いを浮かべた。
……フレドさん、私の事心配して色々手を貸そうとしてくれるの……嬉しいけど、いつもしてもらってばかりになってしまうのが苦しい。
商会の経営がすごく好調なのも私が作った商品のおかげだってフレドさんは言うけど……量産するために必要な、ミミックスライムを含めたスライムの飼育場や、人造魔石を育てるための魔力を含んだ餌として使う岩桂魔魚の生け簀も、土地の確保から建設からそこで働く人達を確保したのも全部フレドさんなのに。
私がやってたら今の百分の一の規模も確保出来る気がしないし、そしたら三〇等級相当以上の人造魔石なんて月に一つ作れるかどうかになっていた。
そしたら、クロヴィスさんを満足させる数の、共振器開発用のペアリング人造魔石を用意する事なんて出来なかったし……。
そもそも、フレドさんがそういった設備や人材を用意してくれたからこそ、ポリムステルを開発する余裕も出来たし、ファッションブランドを立ち上げてたくさんのデザインを描く時間も作れたのに。もちろん立ち上げたブランドのドレス工房や実店舗を持つ時にも、「こういう時のために後援がいるんだよ」とフレドさんとフレドさんが手配した人達がほとんど全部動いてくれた訳で。
その時の私は、私以外のデザイナーやパタンナー、お針子さん達を職人ギルドの紹介から選ぶくらいの事しかしていない。
全部私のおかげなんて、フレドさんは自分の力を見くびり過ぎである。
「で……そこで一つ提案があるんだ。ちょっとこれ見てくれる? クロヴィスから預かってきた資料なんだけど」
フレドさんが取りだしたのは、私が人造魔石を作るにあたって参考にした、皇で行われている神珠の養殖について書かれていた。
かの国では飼育するスライムにキサカイウムギの身を食べさせて、神珠を作る特性を獲得させていたが、その後中々上手くいっていないようだった。神珠に似たものは得られるようになったが、そこまでにかかる費用が釣り合わない、と。
キサカイウムギの身は、ポーションの材料や高級食材としても知られている。とても魅力的な発想だし将来性を感じる研究だが、これには途方もないお金がかかるだろうという事は分かる。
研究とは成果として目に見える形になるまでに年単位で時間がかかるなんてよくある事だが、往々にして後援者は即時性のある結果を求める。神珠の研究者の名前は、皇の名付けの仕来りから推測するにかの国の皇族だろう。初期資金は潤沢だったのかもしれないが……いかに皇族と言えど金が無限に湧き出る泉を持っている訳ではない。
まだ正式な後援者もいないようだし、この研究はそう遠くないうちに研究資金的な苦境に立たされるだろうとクロヴィスさんは予測していた。
資料を見る限り、私もそう思う。論文では全ての情報が開示されている訳ではないので断言はできないが、余程の幸運に恵まれない限り数か月以内に目覚ましい結果を出すのは難しいだろう。
そう考えると私はすごい運が良いよね……。
「で、クロヴィスがリアナちゃんが生み出した、ミミックスライムの情報を利用させて欲しいって提案があったんだ」
「え……? あ、でも確かに、ミミックスライムを使えば、キサカイウムギの特性を持ったスライムを安定して作れる可能性はありますね」
私は、そう言われて初めて思い浮かべた。確かに、この技術は色々な事に流用出来るかもしれない。人造魔石や神珠だけではなく、今まで魔物を討伐しなければ得られなかった魔物素材までも人工的に生み出せるかも。
「なら、クロヴィスさんの……」
「役に立つなら是非自由に使って、なんてもちろん言わないよね? これは大金どころか国家間の交渉のカードになる、とても価値のある情報だ。こんな大事な話を、世話をした恩に着せて無償で受け取ったなんてクロヴィスはしないし……他の錬金術師にも失礼だよ?」
フレドさんは笑顔だった。けど、有無を言わせない圧を感じて……私は続けようとしていた言葉を呑み込んだ。まさに、フレドさんが口にしたような事を言おうとしていたから……。
「で、クロヴィスが皇との交渉に使う情報……その対価として、クロヴィスが俺の時間を買ってリアナちゃんに貸し出す感じかな。ちょっとクロヴィスが俺の値段を高く付け過ぎな気もするけど……」
「言え、正当だと思います」
それなら、フレドさんが私に力を貸す十分な利益がある……ように見える。私が「迷惑だけかけちゃってるな」って思わなくてもいいくらいの。
「あと実は……ちょっとだけ国を出たいんだよね」
「え、他に何か用事があるんですか?」
「いや、ミドガランドに俺がいなかった……って状況にしたい、が正しいかな。せっかく国外に出る理由があるんだし、そのついでにリアナちゃんの実家のトラブルにも首を突っ込もうかなって。それに、元々俺は優秀な人に全部任せて回るようにしてるから、リアナちゃんの人造魔石で作った高性能共振器があれば国外でも動けるんだよね」
忙しいのに無理では、と思っていたけどこのタイミングでここを離れる目的がちゃんとあるんだ。
詳細を語るとややこしい話になってしまうが、フレドさんはミドガランドに帰って来てからまだ血縁上のご両親と顔を合わせていない。これは意図があっての事で、わざと「療養していた第一皇子が回復して社交界に戻って来る」事も公にしていない。
しかし、多少調べものが出来る家なら新進気鋭の白翼商会のオーナーがフレデリック皇子だという事に気付ける。
最近はさすがにしびれを切らした王妃とその周辺がフレドさんに接触しようとしているので、それから逃れる意図があるそうだ。今はまだはっきりと拒絶せずにかわしておきたいらしい。
「リアナちゃんは気がかりだった実家の養子を救い出せる、クロヴィスは外交に使う有力なカードを手に入れる、俺は周りに見える形で皇太子に貸しを作れる。全員得をする取引だ」
「たしかに、そうですね」
「でしょ? お買い得だよ」
おどけたように笑うフレドさんに、私は適わないな、と思った。
……本当は、何の見返りもなく手を貸してくれようとしたんだろう。
でも、アンナを連れてきてくれた時みたいに、私が気に病まないような理由を作ってくれて……。
「俺を雇わないなら、ちゃんとした形の褒章を渡すことになるって。ただ……すぐ動かせるものがないから、未だと爵位になっちゃうみたいだけど、どうする?」
「しゃ、爵位はちょっと。ふふ……じゃあ、フレドさん。フレドさんの事、雇っても良いですか?」
「ああ、喜んで」
その後は、クロンヘイムにどうやって向かうか。日程や準備などを確認していく。
表向き、フレドさんは人造魔石を開発委した錬金術師の後援者として営業に訪れる形だ。私は開発者として帯同する。
実家がミドガランド帝国に直接連絡をしたのにはびっくりしたけど、クロンヘイムからは元々人造魔石について問い合わせが来ていた。ライノルド殿下とは直接やり取りしていたのと別に、国家間の話として。
人造魔石の生産設備一式をクロンヘイムにも作らないか……という提案で、似たような話は他にもいくつか来ていた。名目上は、その検討をしに行く事になっている。
「でもさっきは冗談みたいに言っちゃったけど、実際あると思うよ、爵位」
「え……ちょっと、遠慮するのは難しいですかね……?」
私がそう答えると、フレドさんは斜め上に視線を向けて一瞬考える素振りをした。
「人造魔石にも、ポリムステル布に被服産業……生み出した利益が大きすぎるからなぁ。まだ成長するだろうし……『評価しない』のは難しいと思うけど、リアナちゃんが本気で嫌ならクロヴィスも無理強いはしないよ」
「良かった……」
「でも、貴族からの無茶ぶりを防ぐって意味では自分が爵位持っちゃうの、俺はアリだと思うよ。高位貴族が後援についてる平民よりも、高位貴族が後援についてる貴族の方が身は守りやすいし」
「……そっか、そういうメリットもありますね」
爵位、と聞くと「とても大変なもの」というイメージがまずあって、それに伴う責任が真っ先に思い浮かぶ。けど功績を上げた平民を守る盾にもなるのだと思い出した。
え、でも私ってまだ、クロンヘイムに貴族籍が残ってる? ……せっかく帰るんだし、一度確認しておこう。受けるかどうかはまだ決めないとしても。
「ああでも、爵位持ったらリアナちゃんに……縁談がすごい来ちゃうと思うな」
「……リアナ様なら、爵位などなくても釣り書きが山ほど来るに違いないと思うんですが」
「ちょっとアンナ、変な所に反論しないでよ」
突然そんな事を言われたのもあって、私はなんだか頬が熱くなってしまった。でも結婚……学園にいた頃も、同級生には婚約者がいる子の方も多かった。貴族では、卒業後すぐに結婚をする事が決まってた人も結構いたし。
でもお兄様達を見てると、好きな事に夢中になって、自分から望まない限り婚約の話も出なかったので、私にはどこか遠い世界の話用に感じていたから……。
「いやいや、アンナさん。ミドガランドは貴族間でしか結婚出来ないんですよ。だから爵位を持った途端に申し込みが殺到しそうで……まぁ、クロヴィスも俺も、リアナちゃんが望まない話は持ち込みませんから安心してください」
「そうですね……そこは信頼してます」
……そっか、クロンヘイムとは法律とかも色々違うんだよね。
アンナとフレドさんのやり取りを聞きながら、私は「ミドガランドの貴族にならないと、ミドガランドの貴族の人とは結婚出来ないんだ」とぼんやり考えていた。