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失った「幸せな家族」の姿

 

 クロンヘイム国内において、名門アジェット公爵家から王太子に嫁いだアンジェリカにとって、人生とは「自分の大好きなもので満たされている幸せな日々」の事だった。

 裕福で高貴な家に生まれ、家族仲は良好で、夫とも婚約者時代から愛し合っている。

 後々この国で一番尊い女性になる王太子妃と言う身分のかたわら行っている画家としての活動も大成功しており、この美的センスを生かしてデザイナーとして立ち上げたドレスメーカー事業は半年先まで予約待ちの大人気ブランドに成長した。国内外から常に注目されており、ここ数年の社交界の流行を作り上げたのは私だと言っても過言ではない。

 子供の時からその才覚は抜きんでていた自覚がある、多少不得手な事もあるが、上に立つ者としてそれを補う方法はいくらでもある。

 子供達もとても可愛く優秀で、今から将来が楽しみなほど。王太子妃として取り仕切っている事業も全て順調だ。

 なのに。何故……どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 

「アンジェリカ、入るよ」


 侍女も全て下げていた室内に誰かが入って来る。

 いや、名乗らなくても分かる。こうして王太子妃である私の私室に入って来られる者なんて一人しかいない。


「アレク……」

「食事をまたほとんど摂らなかったんだね。体を壊してしまうよ」


 部屋の中、給仕された時からほぼ変わっていないワゴンの上。その昼食だったものを見咎められて優しくたしなめられてしまう。

 アトリエとして使われている城の一室には上手く構想が練れなかった描きかけのキャンバスとスケッチがぽつぽつと散らばり、絵の具の臭いが充満している。私はキャンバスの前で筆を握ったまま、ぼんやりと入口に顔を向けた。


「ルイスとミアもお母様とあまり過ごせないと寂しそうにしていた」

「それは……ごめんなさい。シャディール王国の王太后殿下からの依頼で根を詰めてて……」


 私は、ここしばらく朝餉の時にしか顔を合わせる事が出来ていない可愛い子供達の顔を思い浮かべた。

 二人共まだ幼いのにとても賢く、王族として勤める父と母の事をよくよく理解してくれているが、自分の子供時代と比べて寂しい思いをさせてしまっているのは確かだ。

 明日はせめて午前中だけでも子供達と過ごそう。そのためにはこの絵を何とか今夜中に完成させて……。


「今日はもう寝た方が良い。エカチェーテ王太后殿下からの依頼は、私の……王太子アレクサンドルの名前で延期を願っておいたから……」

「まぁ! どうしてそんな勝手な事を……次の会談で外務官に渡すと約束していたのに……」

「悪いとは思ったが、仕方ないだろう。まだ下絵すら出来上がっていないじゃないか。私は自分では絵は描かないけど、一枚の絵を完成させるのに必要な時間くらいは分かる」


 それは、自分でも分かっていた。

 次のシャディール王国との会談までに持っていくためには明日の朝までには完成させておかないと絵の具を乾燥させるのに間に合わなかった。それに、今更何日か延びてもこの大きなキャンパスを埋める絵を完成させるのは無理だろう。何しろ、何を描くかすら決まっていないのだから。


「体調不良でと説明しておいた。実際偽りではないだろう? それに、リリアーヌ君がいなくなってからずっと絵もスランプじゃないか。一枚も完成させてないし、君のドレスブランドにもデザインを渡していない」

「リリアーヌ……」


 考えないようにしたかったのに、アレクのせいでしっかりと意識してしまってまた涙が溢れた。

 頬を濡らす私を宥めるように、アレクがそっと隣に立って私を抱き寄せる。一番可愛がってた妹をあの養子のせいで失う事になった私に対してほんの少し無神経に感じる言葉だったが、私を労わろうとしてくれる気持ちは素直に受け取った。


「しばらく休むと良い。今受けてる絵の依頼は全部体調不良でと事情を説明して待ってもらって、ドレスブランドも……他にもデザイナーはいるんだろう? しばらく任せて、アンジェリカはアーティストの活動を休んだらどうかな」

「そんな訳にはいかないわ。私の作品を待ち望んでるファンが世界中にいるし……私が目を通していないデザインを商品として世に出す訳にはいかないわ。アーティストとしての『アンジェリカ』じゃないと出来ない仕事もあるのに……」

「だからだよ」


 どうしてそこで「だからだよ」という言葉に繋がるのか理解できず、私はアレクの胸に抱かれたまま彼の顔を見上げた。……私の作品は、外交に使う武器になると応援してくれたのは貴方なのに……。


「アーティストの『アンジェリカ』として仕事が出来ないなら、王太子妃として仕事をしてくれないかな」


 優しく、いつものような自愛に満ちた微笑みを向けるアレクの言葉に、私は固まってしまった。


「……だって、それは……婚約時代から、私が芸術家として活動して良いって、アレクが……」

「あの時は、政務も出来る優秀なリリアーヌ君が王太子妃の執務をサポートするならという話だったろう? レイナルドの妃となった後に……でももう、あの話の通りに進めるのは流石に出来ないよ、アンジェリカ。分かってるよね?」


 違う、でもそれは、その時は本当に……リリアーヌは家族の中で一番私の事が大好きで、いつも私の背中を追いかけて……アンジェリカお姉様みたいな絵が描けるようになりたい、って……。だから幼馴染のライノルド殿下と結ばれた後も、リリアーヌが私の隣に居るのは当たり前で、喜んで私の補佐についてくれると思っていたからで。

 父と母がちゃんと向き合わなかったせいで反抗期をこじらせてしまい、今では外国にいるけど、こんな事になるはずじゃなかったのに。


「でも、でも……ちゃんと誤解が解けたら、リリアーヌは家に帰って来るはずなの! そしたら今まで通りに……」

「うん、じゃあリリアーヌ君が帰って来るまででいいから、王太子妃の執務をちゃんとアンジェリカが自分でこなせるようになろう。行事や社交の場の最低限の事だけじゃなくて」

「それは……だって、私がそういった事が苦手なの、アレクは知ってるでしょう? 苦手な事を無理にやるより、得意な事で飛びぬけた成果を出せば良いって貴方だって……」


 昔から、「勉強」と名の付く者は全て苦手だった。王族の婚約者として成績優秀な優等生と思われていたけど、学園の試験も実は及第点ギリギリ。

 王太子妃としての振る舞いはきちんと身に着けたが……王妃様のように男に交じって会議に参加しようなんて最初から思っておらず、政治や経済の勉強は最低限しかしていない。

 ライノルド殿下の想いを知って、そういった頭を使う仕事は将来的にリリアーヌに任せられると正直安心した。

 リリアーヌが居た時は、アンジェリカお姉様は唯一無二の作品を生み出すのだから、書類仕事はお手伝いしますねって可愛く笑って……私から絵の指導を受けに来る時に、執務室に溜まっていた書類をサッと半分くらい片付けてくれていたのに。

 同じ事を自分で……? リリアーヌはそういう事は得意だったからいいけど、私がやるなら丸一日、いやそれ以上かかってしまう。

 書類仕事はそれが得意な人に任せて、私は私にしか出来ない、アーティストとして活躍した方がメリットが大きいってアレクも言ってたのに。


「そ、そうだわ。リリの代わりに私の補佐をする人を入れれば……」


 これはとても良いアイディアに思えた。リリアーヌが帰って来るまでの間だけだけど、王太子妃付きの女官になれると聞けばすぐに代わりは見付かるだろう。


「それは……無理だよ。リリアーヌ君は優秀だったんだ。判断に必要な資料も自分で調べて、時には問題点を見つけ出して完璧な代替案まで用意して……彼女の穴を埋められる優秀な人材を今の部署が手放してくれるはずがない。普通の文官なら代わりをするのに何人必要になるか。それに、リリアーヌ君は君の実妹だから、王太子妃の補佐として代わりを任せる事も出来たんだが……」


 そう言われて考える。確かに、血も繋がらない赤の他人を引き抜いてきて王太子妃の名前で仕事をさせるのは難しいのは分かるし、私もそんな真似をさせるのは気が進まない。


「アジェット家の親戚筋の文官を……それか、今いる王太子妃付きの者から教育すれば、」

「アンジェリカ。いずれにせよ時間がかかりすぎる。それに、君の側近は芸術家ばかりだよね? 執務を代行出来る女官にと教育し直すのはやはり難しいと思うよ」


 私が傍に置いているのは、確かに芸術家としての側近ばかりだ。半分弟子のような存在だけではなく、ドレスブランドの経営や私の作品に入る注文を管理するために経理が得意な子もいるけど……信頼は出来るが、王太子妃業務を任せられる能力があるかと問われると肯定は出来ない。


「だって、得手不得手があるのは仕方がないじゃない」

「苦手だからと改善する気がないのはおかしいよね。それに、リリアーヌ君はあらゆる分野で天才と呼ばれているけど、幼い頃の彼女が最初から得意だった事なんて一つもなかったよ。どれも努力して習得していた……出来る人がいるから任せてしまうなんて、私も楽な道に賛同してしまったのを後悔している」


 何よ。出来る人に任せるのがどうしていけないの? だって他の人には私のような素晴らしい芸術作品を生み出せないじゃない。

 勉強も音楽も芸術も武術も、確かにあの子は、他の家族と違って生まれつき得意な物なんて一つもなかった。でも、出来るようになったんだから、家族として苦手な事を助けるのは当然じゃない。

 それは、例えば護衛を頼むならウィルフレッドやお父様に話をする……ジェルマンお兄様やアルフォンスには頼まないのと一緒の事で。


「君の武器だったドレスブランドが奮わないのとは別に……ドーベルニュ公爵家が最近力を付け過ぎているんだ。実際、彼らが言うようにリリアーヌ君をこの国から失った事で、我が国は『人造魔石』を発明する素晴らしい才能の持ち主を失ってしまった」

「リリアーヌは戻って来るわ! ……リリアーヌがイミテーションの魔石を作ったくらいで、どうして半年以上も非難され続けなければならないの?」


 ちょっとした家族間のいさかいなのに、他の貴族達の前で議題にするなんて本当に嫌な人達。他に攻撃出来るような失敗が見つからないから仕方がないのだろうけど。


「半年前? ロイエンタールで発表したものとは別物じゃないか、それに偽物ではなくて、三〇等級相当の魔石を人工的に作り出すとんでもない技術だよ。前に説明したし、あんなに話題になってるだろう」

「錬金術は詳しくないからそんな難しい話分からないわ。それに……そのくらいの大きさならクロンヘイムの魔石鉱脈からもよく出て来るじゃない。何がそんなに貴重なのよ」


 我が国の国宝に嵌め込まれているような、八〇等級を超える天然の魔石ならともかく。

 その人造魔石……とやらも少し前に実際に見た。天然の魔石に比べると透明感が劣り、輝きも鈍かった。魔道具などの動力源として価値があるのだと聞いたけど、三〇等級の魔石の値段なんてたかが知れている。

 もちろん、そこそこ高価な物だとは分かっている。でも、他に代替の効かない唯一無二のものではないのに、それが作れるようになった所で何故そんなに騒がれているのか分からない。

 アジェット家の失敗を大きく見せるために、ドーベルニュ公爵家がわざと騒いでいるだけでしょう。

 私がそう言うと、アレクはしばらく黙ってしまった。沈黙が居心地悪くて、つい目を逸らしてしまう。……どうしてそんな、失望したような顔をしているの?

 優しく方に回されていた腕がそっと外される。離れる体温に焦燥感を抱いて、私はキャンバスの前から立ち上がってアレクの腕を取った。


「……アンジェリカの作品達は確かに……外交に使えるくらい魅力的だよ、君のデザインするドレスは貴婦人達の心を掴んでいたからね。けど、リリアーヌ君が外国で生み出した発明の利益がそれを上回っているだけで。それに今はアーティストとして行き詰っているだろう? だからアンジェリカには、改めて王太子妃として学んで隣に立って欲しい」

「でも……」


 だって、私には向いていないから。

 自分の特異分野ではない事で非効率に時間を浪費して、なのにそれで周りから低い評価を付けられるなんて私には耐えられない。

 頑張ると言えない、でも他の良い案も思いつかずに黙り込んでいる私にアレクが少し硬い声色で告げた。

 

「アンジェリカがスランプになって、アンジェ・ロゼが新作のドレスの発表が出来ていなかった間に……新しいブランドが外国から入ってきたんだよ。それがかなり評判になっていて」

「え? 何……それ、聞いてないわ……私」

「最近君は城の外の者と会話する余裕も無くアトリエに籠っていたからね。アンジェリカの側近は……知っていたと思うけど、作品と向き合っている君を邪魔しないようにしていたんじゃないかな」


 何? それ……じゃあ私が気にしかねないから黙っていたって事? そんな……新しいブランドがちょっと売れていると聞いたくらいで嫉妬して作品に影響が出るような器だと思われていたなんて、屈辱だ。

 しかしどうして、そんな話題になっていたなら私の耳に入っていなかったのかしら。確かにここしばらくはアトリエに籠っていたけど……。

 そう考えていて、ふと思い当たる事があった。お母様が伏せているからだわ。

 リリアーヌが見つかっても、家に帰らないと宣言して外国で暮らし始めたせいで、ショックを受けたお母様はすっかり心が弱くなってしまい一日の大半を寝室に閉じこもって過ごしている。

 前は社交界などの役立つ話題をお母様が教えてくれていたが、今はそれがない。あれだけ機会を見つけて帰っていた実家に、私もすっかり遠ざかってしまっているし……。

 アレクが言うには、そのブランドが台頭してきた関係で私のデザインしたドレスへの需要が落ちているらしい。そんな……ブランドの経営は人に任せてるから、そんな事が起きてたなんて知らなかった。

 たしかに、しばらくデザインを描いていない……、注文が減っていたからだったなんて……。


「日常使いのデイドレスから夜会まで、庶民向けの余所行きもすごく売れているみたいだよ。メンズ部門もあって王都中、そこがデザインした服で溢れている。アンジェ・ロゼはオートクチュールだけど、これは」

「これは……! ……新作を出していなかったと言い訳も出来なくなるわ。私の作るドレスとは全く違う……けど、どれも同じくらい素敵」

「男の僕から見ても素敵だと思ったけど、やっぱりプロのアンジェリカから見ても素晴らしいデザインなんだね」


 アレクが持ってきたクリスタル・リリーのパンフレットに載っていたデイドレスは、同じデザイナーとして見てもどれもハッと息を呑む程美しい。今までにない斬新さがありつつも、奇抜にはならない洗練された美を感じる。

 カタログでは襟や袖、スカートのデザインにそれぞれ番号が振ってあって、自分の好きな組み合わせで注文出来るようになっていた。そこに色も指定すれば、ほぼ自分だけの一着が気軽に作れる。

 そして、カタログに載っているものは店舗に行けばすぐ買える……こんな注文の仕方をするドレス、初めて見たわ。

 何よりこの……特徴的なデザインと、それに映える見た事のない布。不思議な光沢のある透明な……これはミドガランドで開発された、綿や絹ではない全く新しい素材で作られた布だそうだ。デザイナーとして、強く興味が湧いた。

 ミドガランド国内では布自体も少量発売しているみたいだが……いえ、このブランドのデザイナーに自分のドレス依頼したいと、そう思った。

 素敵なドレスを見て、リリが家出をしてから枯れかけていた創作意欲が再び胸に宿った気がする。

 そうね……今は体調が優れないのも確かだし、病気療養という事でデザイナーの仕事を休んでもいいかもしれない。

 今無理にドレスブランドの仕事を再開させたら、目新しさもあって注目を集めているこのクリスタル・リリーと比べられる事になってしまう。

 確かに良いデザインだと思うけど、だからこそ……ただのタイミングの問題で、審美眼のない素人達にどちらが上だ下だと評価されるのは嫌だ。

 今はデザイナーの仕事をセーブして王太子妃として活躍して、頃合いを見て本来の私の仕事に戻れば良い。

 さっきは勝手な事をと言ってしまったけど、追われていた締め切りがなくなったのだと実感すると晴れ晴れとした気持ちになった。


 このブランドは夜会のドレスよりは普段使いの物の方が得意みたいだから、私のデイドレスを頼んでもいいかもしれない。自分では思いつかないタイプのデザインだし。

 むしろこのレベルのデザインが生み出せる人なら引き抜きたい。私はメンズのデザインは苦手だし、この力を借りられるなら……それにカタログで組み合わせを選んで注文するってとても面白いアイディアだから、アンジェ・ロゼでも取り入れたい。

 でもブランドはこのまま成功しそうだから、引き抜きは流石に無理でしょうね。


「このブランド、リリアーヌ君がミドガランドで立ち上げたそうだよ。これをきっかけに、同じデザイナーとして手紙でも書いてみたらどうかな。一応君達は家族なんだから、人造魔石について我が国といくらか専用の枠を設けるよう頼んでみて欲しいんだけど」


 だからこそ、自分と対等な存在として評価し始めていたクリスタル・リリーのデザイナーがリリアーヌだと告げられた私は我が耳を疑った。


「……何それ? このブランドのデザイナーがリリアーヌだなんて、何かの冗談?」

「ああ。魔石を人工的に生み出す技術を発表しただけじゃなく、素晴らしいデザイナーだったんだね。アンジェリカもいつも彼女の作品を自慢していたし」

「嘘よ、だってそんな話私は聞いてなんて……ブランドの名前だってリリに何も関係がないモチーフだし。あの子だったら白薔薇に関連した名前を付けたはずよ」


 そう、あの子はいつも白薔薇をを取り入れた装いをしていた。ドレスの意匠やアクセサリー、ファブリックの柄や日常使いの小物まで。

 だから、リリのはずがない。しかし確信をもって断言した私の事を、アレクは否定した。


「え……? 彼女は百合の花が好きだったじゃないか。それも、珍しい水晶百合が」

「そんな訳ないじゃない。あの子はいつも白薔薇を身に着けていたわ」

「……白薔薇は……君がリリアーヌ君に似合うと好んでデザインに入れていたからだろう? リリアーヌ君は、モチーフの指定がない時は度々水晶百合を描いていた。森の中にしか生えない、摘み取ったら一刻程で透明な花びらが白く濁るから私も本物を見た事はないが……わざわざ実物もないのに描いているなんてよほど好きなんだなと、私でも覚えていたのに」


 アレクが示したのはリリアーヌが残していった最後の作品になる、描きかけのキャンパスだった。私と子供達が遊ぶ王宮の中庭の花壇の中……アレクが指さす場所に、確かに見覚えのない花が咲いていた。宝石のように輝く花びらの……これの事?


 じゃあブランド名のクリスタル・リリーとは、本当に……リリアーヌの好きな花の名前から取った、リリアーヌの作ったブランドだと言うの?


「ほら、このカタログのドレスもさ。前にリリアーヌ君が描いていた挿絵でお姫様が着ていた物に似てるよ」

「…………あ、」


 言われて初めて気が付いた。見た事のない素材が使われた布に意識が行っていたが……確かに、このデザインはアルフォンスが自分の本の挿絵としてリリアーヌに描かせたヒロインが着ていたものとよく似ている。

 アルフォンスから、「評判が良いからこれと同じドレスを作って売りたい」と相談されたのを思い出した。「アルフォンスの書いたお話が良いからヒロインの着ているドレスが素敵に見えるだけで、このドレスを売り物にしても絶対売れないわよ」と断言した……その時のドレスとそっくりだった。


「……別に、このブランドをリリアーヌが作ったからって何なの? 大衆に迎合した、芸術とは言えない半分量産品の服じゃない。私の作品とは比べるものではないわ。奇抜で目は引くけど、それだけね」

「なに、を急に……さっきまでここのデザインを好意的に見ていたじゃないか。リリアーヌ君が作ったものだと知った途端にこんな……」

「ち、違うわ。見てるうちに……そう、よく見たら欠点が出て来たの。……アレク、何か言いたい事でもあるの?」


 さっきの魔石のイミテーションの時と同じ。どうして私がそんな目で夫から見らなきゃいけないの。


「おかしいよ、君の態度……」

「何が? 違うわ、勘違いしてる。身内だからこそ、厳しい目で評価してるだけ。……そ、その辺のデザイナーならともかく……私の弟子ならもっと上を目指してもらわないと」

「いや、たしかにリリアーヌ君にだけおかしい。普段私達の前では褒めているけど本人には厳しい言葉をかけてる所しか見た事がないし。私も……今気付いたけど……自覚してないのか?」


 だからその目をやめて!

 何でそんな事を言われなきゃいけないの。リリが、家族から一度も褒められなかった事を苦に家を出たと言っていた事は伝えてないのに、どうして。

 いや、違う。私だけは違う、本当にリリのためを思って厳しくしていたけど、他の家族達が正当に評価しなかったから……そのせいでこうして家族がバラバラになってしまっただけで。


「違う……私はリリのためを思って……」

「いや、今見ていて確信したよ。前にも違和感があったんだ、他の貴族からリリアーヌ君が褒められた時、『いずれはアンジェリカ妃をしのぐ芸術家になれるかもしれませんね』と世間話の一環として言われた時。無理だありえないと強く否定していたよね」

「……何が? 私は事実を言っただけよ。それに、褒める時はちゃんと……リリの才能をきちんと他家にアピールする場では、褒めていたわ」


 そ、う……私は、今のレベルで満足して欲しくなかっただけ。師としては当然の事だ。

 それに、あの子が私の上を行く芸術家になれないのもただの事実でしかない。

 その場だけお世辞でも肯定するような発言をしてしまって、後から何かのきっかけでリリの耳に入ってしまう方が残酷じゃない。

 そうきちんと説明しただけの私に、アレクは呆然とした表情で言葉を続けた。


「……優秀な妹として自慢したいけど、自分より下じゃないと許せないって……それは、十分おかしいよ」

「何言ってるの、私はそんな事……」


 違う、と言いたかった。けど反射的に言葉が出てこなかった。

 指摘されたその言葉が、あまりにしっくりきすぎていて。

 私は言葉にならない声を出そうと、せめてはくはくと唇を震わせる。


「……思ってないって本当に言える? クリスタル・リリーは既に、わが国だけでも去年度のアンジェ・ロゼの売り上げを超えている。そのくらい成功したブランドを作ったリリアーヌ君に称賛の言葉を送ろうよ」

「あんな‼ 庶民向けのドレスをメインに数だけ売りさばいていれば儲かるけど、お金じゃない! 私が作ってるドレスは作品なの! 芸術よ! 一緒にしないで!」

「ほら」


 量産品と芸術を比べるなと言っただけなのに、アレクからの失望の色は濃くなった。

 私が触れていた腕をそっと解かれて、アレクは数歩離れた所に立つと私と向かい合った。


「私も優秀な弟を持つ身だから、気持ちは少し分かるよ。私が勝ってる事もあるけど、全体で見ればライノルドの方が優秀だと断ずる者の方が多いだろう。王族には必要ないと言えど、特に私は武術はからっきしだったから……誇らしいけど、妬む気持ちもある」

「何を……言ってるの?」

「ずっと同じ、私達の家族の話だよ」


 いつの間にか、体調を優れない妻を気遣う優しい夫の声は、冷たく硬くなっていた。

 もう、そんな顔やめて、と明るく言いたかったけどその場の空気が重すぎて口が開けない。


「だけど私はそんな……劣等感の裏返しで弟につらく当たったりはしない」

「は……私がいつ、リリアーヌに劣等感なんて……」

「勉学では常に学年主席、研究者として発明もして、魔術師としても優秀で、剣術大会でも同い年の男よりも強くて、音楽の才能にも恵まれている。全てにおいて優秀なリリアーヌ君に、唯一勝てる事で必死に優位を保とうとしてわざと認めないようにしか見えない」


 違う……違う、私はそんな理由でリリアーヌの事を褒めなかったわけじゃなくて。


「彼女が家を出た原因が少し見えたよ。養子が起こした事件は、ただのきっかけだったんじゃないかな」

「そんな訳ない!」

「じゃあどうしてリリアーヌ君は、所在が明らかになったのに今も一時的な帰国すら拒否するんだ?」


 それだけは違う。

 違う、私達は……私は悪くない。あの子は昔から気難しい所があったから。実際同性の友達も全然いなかったし。

 父はミドガランドは実力主義と言う名の下でかなりの無茶をしているから、利用されているのではと言っていた。向こうで洗脳されているのではないかとも。

 私もそうなのではと思うけど、今それを言ったら予感がするので口をつぐむ。


「……アジェット家は天才の集まりだと言われているけど、本当に優秀なのはリリアーヌ君だけだったな。飛びぬけた長所があるのは素晴らしい事だが、それ以外で出来ない事が多すぎる」

「何よそれ……」

「貴族では確かに芸術も必要な教養のひとつだけど、絵の良し悪しが分からなくても優秀な者なんて溢れる程いるのに……。君は芸術について要求する基準に達しない者を全て下に見るよね。今後そんな傲慢な基準で評価を下すさないように」


 結婚して城に来た当初、センスがないからと王太子妃周りの使用人や女官をかなり入れ替えた。その時は王妃様からも苦言を呈されたけど……まだ根に持っていたのかしら。

 その後も家族間のことについて的外れな事を言われて、私が否定しても聞いてくれない。

 最後は諦めたように「頭を冷やして一晩考えてくれ」と言い残して私のアトリエを出て行って、アレクはその晩私達夫婦の寝室にも現れる事はなかった。

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