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「お邪魔します~」
「いらっしゃいませ、フレドさん。お久しぶりです」
約束していた日、予定通りの時刻にフレドさんがやってきた。もちろんエディさんも一緒で。話が終わった後は一緒に夕飯を食べる事になっている。
「おう、よく来たな二人共。まぁ座ると良い」
「あはは。ありがと」
なんだか偉そうな物言いの琥珀と、それを自然に受け入れてるフレドさんにちょっと笑ってしまう。
久しぶりに会うな……とちょっとそわそわしていたけど、おかげで肩の力が抜けた。お土産にと持ってきてくれたお菓子と一緒に、焼き立てのアップルパイが切り分けられてお茶会が始まる。
「はい、これ三人にお土産。俺とエディから」
「あら、気を遣っていただいてありがとうございます」
「ちょっとしたものですけど、良かったら使ってください」
調べものに行ったのにお土産をもらっちゃうなんて。でも嬉しいし、ありがたく使わせてもらおう。
フレドさん達が訪れた地方の街ではハーブや香料に使う植物の栽培が盛んで、私には入浴剤のセット、アンナには手荒れによく効くハーブの入ったハンドクリームだった。
「琥珀は匂いのきついもんは好かんぞ」
「そうそう、琥珀でも使えそうなものに悩んでね、だからこれ……この街にしか咲かない花の蜂蜜なんだって」
においを確かめるように、瓶の蓋を開けた琥珀が鼻をヒクヒクと動かす。食卓に、ふわりと甘く優しい花の香りが漂った。
「おお、変わった臭いじゃが美味そうなのじゃ」
「クッキーに塗ったり、ホットミルクに入れたり、ああ、紅茶に入れてもいいらしいぞ。砂糖よりも優しい甘さになるってお店の人が言ってた」
「やってみるのじゃ!」
キッチンの方に、新しいスプーンを取りに行く琥珀。
私とアンナも、もらった物の香りを確かめがてらちょっと楽しませてもらう。
「どれもすごく良い匂いで、お風呂の時が楽しみです。ありがとうございます」
「私がいただいたハンドクリームも、爽やかな香りで使い心地が良さそうですね。ありがたく使わせていただきます」
ほのぼのとお土産についての話が終わって、本題に移る。「有用な情報が得られた」という、手紙に書いていた事についてだ。
琥珀はお茶と一緒に出ていたお土産のお菓子を食べた後は退屈そうになっていたので、外に遊びに行く許可を出した。四人になった所で話が再開する。
最初フレドさんは、その特殊な力を持った人が過去にいなかったかや、そんな力を与える神様などの存在について調べていた。文献で探せる限りの神様や精霊の話から、地方のお伽話から言い伝えまで。
聞いていた限り調べ物はかなり難航していたのは知っている。その対象の「異常に人から好かれてしまう能力」っていうのが、フレドさんの事だと人に知られる訳にもいかないので当然だが。
今回の調査も関係がありそうな話を辿ってやっと見つけた手がかりだが、正直現地で調べてみないとどこまで分かるかも分からないと言っていた。でも遠くまで足を運んだかいがあったみたいで良かった。
「そのうちの一人、五十年前に亡くなったドラシェル聖教の聖女が晩年を過ごした修道院を調べて、直接彼女を知る人から話を聞けたんだ」
聖女はドラシェル聖教において「聖女」は神のお告げによって見いだされる、特別な力を持った乙女……とされているらしい。
三百年ほど前までは、旧ミドガラント王家に国家元首を任命し王位に正当性と神秘性を与えていた国教だったが、現在ではそれほどの力はない。
当時政治に介入する力を持ち莫大な富を抱え込んでいたドラシェル聖教の力を削ぐために、当時周辺の国を吸収する形で成り立ったミドガラント帝国の初代皇帝が国教を定めなかったからだと学んだ記憶がある。
それはさておきこの聖女の特別な力とは人によってかなりバラバラで、強い癒しの力を持っていたとされる人もいれば、動物の言葉が分かる人や、かなりの精度で未来の天気が予測できる人など様々な力が記録に残っていたそうだ。
男性については記録にないが、フレドさんとお母様に似た力を持っていた人が居たかもしれない、そう思って調べ始めたのだと言っていた。
「調べた限りでは似た話ってのはなかったんだ。ただドラシェル聖教で聖女は『常に黒いベールを被っている』ってのと『神に見いだされた乙女は一目で分かる』ってされていて……その目印って、この目の事かもしれないって思ったのは正直半分くらい勘だったけど」
この模様入りのピンク色の目が「一目でわかる聖女の証」で、その特徴を隠すように常にベールを被っているのなら確かに辻褄が合う。
フレドさん達の力は「異常に人から好かれる」って事になるのかな。
「本当は聖教の関係者に『聖女の見分け方って、もしかしてこれと同じ目じゃないですか?』って直接確認したかったんだけどね」
しかしその「神に見いだされた乙女の見分け方」というのは、ドラシェル聖教内でそこそこ高い地位にいないと知らない事らしい。
ただ、身近で世話をしていた立場なら知らず知らずのうちにその特徴を見ていてもおかしくない。
また、五十年前の故人の事なら多少話も聞きやすくなる。そのために現職の聖女の周辺を調べるのは避けて、地方まで足を運んだのだ。
「それで、当時引退した聖女の身の回りの世話をしていたっていう修道女がいて、俺とエディは学者だって名乗って話を聞いて来たんだ。結構詳しく教えてもらえたと思う」
「それじゃぁ……!」
「うん。その修道女……エリシルダさんから世間話のついでに、ピンク色の目をしてたって聞き出せたよ。色の見本を見せて……あ、俺は変装して色眼鏡かけてたからね。その修道女は、それが聖女の見分け方かどうかなんてもちろん知らなかったけど……」
ちなみに、かつてそこにいた聖女は「植物の成長を促し、最適な育て方が分かる」という力を持っていたらしい。だからその地域では、その聖女の協力のお陰でハーブと薬草が有名なのだとか。
「色の見本ねぇ……」
「どうしたんですか? エディさん」
いきさつを説明するフレドさんの横で、やれやれと言った風に首を振るエディさんにアンナが話しかける。ややわざとらしくため息を吐いた後、エディさんはエディさん視点の「フレドさんによる修道女への取材」について話し始めた。
「あからさまな袖の下を渡したんですよ。エリシルダさんだけではなく、そこにいた修道女全員に……可愛らしい包装をされた帝都のお菓子を手渡されて、若い人なんかまたフレデリック様をポーっと見つめたりして……神に嫁いだ女性をたぶらかすなんて、なんて罰当たりなのでしょう」
「まぁ」
「ちょ!! 違うって……聖女の容姿についてそのまま尋ねたらあからさますぎるでしょ? 目の色を聞き出すために、お菓子の包装の色を選んでもらったんだよ。良かったら聖女様に関して思い出深い色で選んでください、とかって誘導して……話が終わった後に、他の人達に余りを配っただけで」
その教会の責任者である、教導師という役職のおじいさんにも渡した、とフレドさんは慌てて釈明する。
「話を聞くために教会自体に結構な額の寄進もしたじゃないですか」
「いやいや、それぞれに渡すああいう小さな贈り物は別だよ。教会への寄進なんて、普段の生活の足しになって、建物の修理して、後は何かの時の備えに……ってなるんだから」
ドラシェル聖教の宗教施設での詳しい生活様式は知らないけど、ああいった場では普通個人の財産は持てない。話を聞いたお礼に、全員にちょっとしたお菓子を配るのがちょうど良かったのだろう。
「と、とりあえず! 本題に戻るとして……その教会の責任者が、教会への寄進に気を良くしてくれて、『研究の資料になるなら』って言ってその聖女様の使ってた装飾だとかを見せてくれたんだよ」
「何か参考になるものがあったんですか?」
「うん……聖女様が常に頭から被ってたっていう黒いベールが残っててね、それを手に取って見る事が出来たんだ」
ごくり……。
私は次に続く言葉を待つ。何かそこに手がかりがあったのだろうか。特に、フレドさんと同じ色の目を、常に隠していたというベールについてはかなり気にしていた。これに何か意味があった可能性が高い。
「貴重なものですねぇ。何か分かった事はありましたか?」
「ううん、さっぱり。普通のベールじゃないのは分かったし、裏側に何か黒っぽい糸で刺繍があったのも見たけど、俺もエディもあまり詳しくなくて」
やっぱり、人造魔石の開発は一旦置いておいて、私もついて行けばよかったな。何か分かる事が一つでも増えたかもしれない。待てよ。見ただけという事は無いはず。
「……その刺繍の図案を模写したりとかは……」
「ううん、他にもリアナちゃんやクロヴィスに見せたら何か分かりそうだなって思ってね。買い取ってきたんだ」
「買い取って……⁈」
続いた言葉のあまりの豪気さに、私は驚いてポカンとした顔を晒してしまった。アンナも「思いきりましたねぇ」と感心している。
「よ、よく売ってくれましたね……」
「うーん、元々あの中の何かしらは売ってくれるつもりだったと思うんだよね。なぁ?」
「そうですね、聖女様が使ってたという食器や、古びた文房具まで並べてた割には礼拝用の水杯や聖書なんかはありませんでしたし。多分、ある程度見栄えのするそれらはもう売り払ってしまっていたのでしょうね」
追加の寄進に加え、教会で必要になる物資を直接寄付する形で色々手配したらとても感謝されて、食器や文房具まで渡されそうになったのでそちらは丁重に断ったらしい。
「ベールが売り払われてなくて良かったよ。正直見物料取るだけで売るつもりは無かったと思うんだけど、そこにつけ込めるくらいお金に困ってたみたいだったからなぁ……」
「善行が積めて良かったじゃないですか」
弱みにつけ込んだ、と落ち込んでいるフレドさんの横でエディさんはあっけらかんと言う。
「で、今日はリアナちゃんにもそのベールを見て欲しくて持ってきたんだけど、大分古いものだし、食事をする場所で広げたくないから場所を移動しようか」
「なら玄関の横の作業部屋に行きましょうか」
この家に住んでいたのは冒険者の夫を持つ家族で、その旦那さんが帰ってきて装備を外して保管しておく物置を兼ねた作業部屋がある。そこで武器防具の整備をしたり、時にはちょっとした大工仕事も出来るような。
今は私と琥珀の野営道具などが置いてある。
「それでは……この作業台の上に広げますね」
美術品を扱うように、白い手袋をしたエディさんが取りだした薄い木箱の中から、畳まれた黒い布地を広げる。畳まれた時の縁が格子状に色が薄くなっていて、わずかに倉庫みたいな古い臭いが立ち上がった。
ベールと呼ぶには厚い、結構しっかりした布地だ。縁にはささやかだが上品なレースが縫い付けられている。色褪せて茶色になっているが、多分元はベールと同じ黒い色味だったのだろう。
「……これ、被ったら全然見えなくなっちゃうんじゃないですか?」
「一応、光がさしてる方向と……明るい場所だとシルエットくらいは見えると思うんだけど、まぁ貴婦人のファッション用のベールって訳じゃなさそうだよね」
聖女の容姿を隠すとか、神秘性のためにやるにしては不都合が多すぎるように見える。
確かに、このベールに何かあるかも……と感じる。多少の無理をしてでも買い取った理由もよく分かる。
エディさんが持ち上げたベールは、室内を照らす明かりが透けて見えるくらいで、多分被ってしまうと目の前の人の顔の判別も難しくなるだろうな、と感じた。
「そうそう、それで……裏側に変な刺繍があるんだよね。被ったら顔に来るあたりかな? 魔法陣とかには見えないんだけど、リアナちゃんの意見を聞きたくて」
どれどれ……と覗き込むと、確かに裏側には、布地と同じような黒っぽい糸で刺繍がされていた。しかしそれは私の目には何かの図案には見えず、ただ縫い目をびっしりと隙間なく並べているだけに見える。
顔を近付けて見ていた私は、ある事に気付いてちょっと身を引いてしまった。
「……フレドさん、これ糸じゃないですよ……」
「え? 何かの素材って事?」
「魔術的要素があるとも言えますね……これ、人の髪の毛です……」
「………えっ!!」
フレドさんの声を合図にしたように、私達三人はベールから思わず距離を取っていた。
広げるように持っていたエディさんも、そっと作業台に置いて手を離す。二人とも気付いていなかったようだ。
「……フレデリック様、試しに被ってみようかとおっしゃってましたが……」
「え……フレドさん、これをもしかして……⁈」
「被ってない! アンナさん、誤解です。何か分かるならと思って口にしたけど、未遂ですから!」
ちょっとびっくりしたけど、ただの髪の毛だ。持ち主を設定する古い魔道具でもたまに使われている。私は自分にそう言い聞かせて気を取り直すと、ルーペを持ってきてじっくり観察を始めた。
「……黒い糸と撚り合わせた髪の毛を縫い付けてるみたいですね。表面がちょっと白っぽくなってますけど……」
という事は、この髪の毛の持ち主は黒髪。
聖女自身の髪だろうか? そうするとフレドさんと同じ色の目に、同じ色の髪。偶然だと片付けるにはちょっと不自然過ぎる。
でもこの黒い布にこんなに一面刺繍してしまったら、本当に前なんて見えなかっただろうな。
「この縫い目については私も、何の意味があるかはちょっと分からないですね……」
「そっかぁ。ありがとう。とりあえず見てすぐ分かるようなものじゃないって分かったから、調べ方を変えてみるよ。縫い目だけ書き写すか……」
髪の毛、と言われてちょっと後ずさっていたアンナだったが、もう平気になったのか、ベールをまじまじと眺めていた。何か気になる事でもあったのかなと意見を聞いてみる。
「いえいえ。素人考えですが……刺繍と言うよりかは、ダーニングみたいだな、と思って」
「ダーニング?」
「ああ、お二人は繕った服を着る機会がないですもんね。糸を細かく縫い付けて、肘とか膝などの薄くなった生地を補修する技術があるんですよ。平民はそうやって服を長く使うんです」
そう聞いて、私も「たしかに」と思う。知識として知っていたけど、それは思い浮かばなかったな。
裁縫仕事が得意なアンナが手振りを交えて二人に説明しているのを聞きながら、私はふと思った事を口にしていた。
「もしかしたらこれも、縫い目の形に意味はなくて……補強というか、この髪の毛を撚った糸でこうして覆う事自体が目的なのかもしれないですね」
私がアンナの言葉を元に何気なく口にしたこの言葉がたまたまきっかけとなって、この後フレドさんの「目の不思議な力を封じ込める」という研究は一気に進捗を見せるのだった。
「無自覚な天才少女は気付かない」5巻が10/2にアース・スタールナさんから発売されます!
5巻発売日まで毎日投稿になりますー