崩壊
リリアーヌが戻ってくれば、戻って来さえすれば。また元通りになれると心のどこかで思っていたのは否定しない。確かに養子になったニナが吐いた嘘のせいで、誤解が起きた。しかしあの養子を追い出して、リリが戻ってくれば、幸せな家族の姿を取り戻せると思っていた。
ニナは未成年ながら、起こした事件が悪質だと、厳罰に処して……悪いのはあの養子の魔法使いだと。悪意を見抜けなかった愚か者だと陰口は叩かれるだろうが、それも時間が解決すると……問題はそれだけだと考えていた。
家出したリリアーヌが、ロイエンタール王国にいると情報を聞いた時は耳を疑ったが。事実と分かってからも「どうやってそんな遠い外国に」と驚きは消えなかった。
何しろ私達は、これだけ調べても足取りひとつ見つからないリリアーヌが、何か犯罪に巻き込まれたのか、どこかに捕らえられているのではとすら思っていたから。愛情を求めて拗ねて家出をしたは良いものの何か失敗をして、助けも出せないような状況に陥っているのだと……。
それはとんでもない間違いだったと突き付けられたが、未だにそれを受け入れられない。
まさか遠い外国で手に職を付けて事業を立ち上げて活躍して、何の問題もなく「幸せに暮らしていた」だなんて。
何しろ私は……私達家族は全員「これで迎えに行って、連れて帰ったら解決だな」と思っていたのだ。リリアーヌは家に帰るのだと、何の疑問もなく思い込んでいた。実際にあのリンデメンという街でリリアーヌの話を聞いて、思い違いに頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
あそこまで周到に痕跡を残さず移動した理由が「私達家族の元から逃げるため」だと突き付けられて、私は酷く傷付いていた。そんな風に思われていたなんて。
リリが幼い頃から……彼女に領地の経営センスや執政の才能があると分かって教師と生徒になった時から。「私だけは甘やかさないようにしよう」と心を鬼にして厳しい事を言ってきた。家族が甘やかしているからとずっと我慢していた、リリの頭を撫でようとした手を振り払われた感触が今でも手に残っている。
あそこまで厭われて、家からも逃げ出すような事を私はしたのか?
そんなに褒めて欲しかったのなら言えば良かっただろう。どうして謝罪も受け入れてくれないのか。あの話し合いの場でリリアーヌが叫んだ言葉が響く。「一回でいいから認めて欲しいと言った! でも誰も聞いてくれなかったじゃない!」違うんだ……私にはそんな、リリアーヌを傷付ける気持ちは無かった。
「内心私のためを思っていたら、何を言っても構わないのですか?」
「悪気があってやった事ではないから問題無いと思ってるんでしょう」
「何が理由だったとしても、私にとってはされた事が事実なんです」
強い酒精が喉を焼く。あの日聞いた、一番可愛がって目をかけていた末妹の声が、耳から離れない。
そんな……違う、違う。それでは私達が、あんなに多彩で素晴らしい才能を持って活躍していたリリアーヌの事を、いくら頑張っても一切認めようとしなかった酷い家族みたいではないか……!
……何より、リリアーヌにそう思われていたという事が、耐えられない。
それ以上中身を飲み下すことが出来ず、私は磨き上げられたテーブルにグラスを置いた。
ぼんやりと視線を漂わせる私の目に、炎を再現した魔道具の暖房の優しい光がちらつく。
……どうしてこんな事になってしまったんだろう。私達は……私は、リリの事を思って厳しくしていた。悪意なんてそこには一切なかった。それは断言できる。
「それ、全部ご自分のためですよね?」
「だから、他の家族が甘やかしてばかりいると思っていながらも、それを正そうとしなかった」
なのに、今度はリリの保護者面をしていた冒険者の言葉が浮かんできた。実の兄である私よりも、あんな男を信頼しているようにさえ見えた。
美人で賢いけど世間知らずな所があるから、絶対騙されているに違いない。そう思うのだが、リリは私達の言葉を聞こうとしてくれなかったし、あのフレドという男を遠ざけようとした私達に余計に警戒心を感じてしまったようだ。
自分のためだった? 違う……違う。私はリリのために。
しかし、「リリが将来、唯一自分に厳しくしていた私に感謝する時になって、甘やかし続けた自分を後悔しても遅いですよ」とたしかに思った事があるのだ。私は。
私だけが、正しく、厳しくリリを導いているのだと。
何故家族の行いを正さなかったのか。何故褒めなかったのか。何故リリに「一度でいいから認めて欲しい」と言われても頑なに厳しい言葉をかけ続けたのか……。
その根底にあった「理由」をあのフレドという男に解説されて、愕然としていた。認めたくはない。実際口では否定して見せたけれど、でもあの男が言い当てて見せた事は、全て真実だと自分だからこそ偽れない。……気付きたくなんてなかった。
「もう今夜はお酒はこのくらいになさって」
「システィア……」
再びあおろうとしたグラスをそっと指で押さえて止めたのは、妻のシスティアだった。ふと時計を見ると、思ったより時間が経っていた。もうこんな時間だったのか。
「……そう言えば君は……こうなるのが分かっていたのか?」
「何の事?」
「リリアーヌの事だ。……ロイエンタールに迎えに行くと決めた私に、その前にリリアーヌの意思を確認した方がいいと言ってきただろう?」
まぁ、それを意にも介さず現地に向かって、こうして拒絶されて帰ってきた訳だが。
「分かっていた訳じゃありませんわ。わたくしはあの子と個人的な会話もした事が無い関係ですし」
「そんな……義理とは言え妹だぞ?! よくそんな薄情な事が……」
「だって、いつだって色んな勉強に仕事にと忙しくしていて。ゆっくり話をする時間なんてあの子には無かったじゃないですか」
そう指摘されて、私は言葉に詰まった。勉強に、手掛けてる事業に、あの子が分刻みのスケジュールに追われるような生活を送る原因になったのはお前だろうと言外に責められている気がする。
同じ家で暮らしているのもあって、リリアーヌが家出に至った理由は早い段階から知られてしまっていた。……あんなに各分野で優秀だと有名だったリリアーヌを一度も褒めなかったせいで、それを気に病んで家出されたなんて。このまま家の外にまで知られたらどうすればいいんだ。
あの「人工魔石」を開発したのがリリアーヌだとは、既に広まり始めてしまっている。
当初外国で発明された「人工魔石」について、財務の方が注目しているだけだった。その内その有用性から私の勤務する王太子執務室でも取り上げて。今や様々な分野が注目している。
最初に我が国で取り上げたのは魔導省の錬金術部門の者達らしいが、社交的ではない研究者達がいつから人工魔石の存在を知っていたのかは分からない。
とにかく、膨大な金額となる魔石に使う予算を削減できるのでは、と期待されている。あの時は同等級の天然の魔石と変わらない値段で流通していたが、だからこそ、今まで売値の付かず廃棄されていたクズ魔石に価値が生まれた。錬金術を含めて魔術全般に疎い私だったが、新たな市場を生んだとてつもない発明だという事は理解できる。
その開発者が、行方不明になっていたアジェット公爵令嬢だと水面下で広まってしまっているのだ。実際事実であるため、この件は抑えようがない。経緯をぼかすので精一杯だった。
侯爵家が実子に出奔された上に消息も掴めておらず、ある日突然「素晴らしい発明」の開発者として新聞記事となるだなんて。狩猟会で怪我を負ってから領地で療養していた事にしていた我が家の面目は丸つぶれ、連日各所からバッシングの嵐を浴びていた。特にアジェット家で社交を担当してた母は、外に行かず引きこもるようになっている。
自宅に弟子を呼んでのレッスンは続けているが、リリの事でかなり憔悴しているようだった。おそらく手紙を読んで、出奔の理由をリリの言葉で告げられたからだろう。
錬金術師としての師だったコーネリアも、みすみす富を生む金の卵の発明を外国に逃がしたと言われているが……あいつは社交なんてしないからそんな声は気にならないのかもしれないな。研究室から出ないのは普段からだ。
しかしそのコーネリアから、リリアーヌを連れて帰れなかった事を酷く罵倒された際に、人工魔石の価値を見出せなかった事を指摘して言い合いになってしまった。
なにせ聞けば、コーネリアの研究室でも使っていたものだと言うじゃないか。……こういった事できちんと成果を認めていれば、リリアーヌも家出などしなかったかもしれないのにと思うと、つい。
そのコーネリアも、母以外の他の家族も手紙でリリの本音を知って、今更後悔しているようだった。
ウィルフレッド以外との家族とは少々険悪になってしまっているので、直接本人から聞いた訳ではないが。互いに避けるような過ごし方が続いているので、最近は必要最低限以外の会話をしていなかった。
……リリアーヌを連れて帰れなかったのは、迎えに行った私とウィルフレッドのせいだと殊更に責められては、家族団欒をする気にはなれない。
狩猟会の事件はただのきっかけで、真実この家から出るためにリリが自ら望んだ事だったと受け入れたくなかったみたいで。まるで私達二人が悪いと言うような、現実を見ていない言葉を山ほどかけられてうんざりした。
むしろ、親であるあなた達のせいだろう? 私は兄としては、良い見本になって導いていた。
あの養子を排除して、リリを連れて帰ればすべて解決だと、そう思っていたのは全員同じだったくせに。
リリが直接恨みをつづった手紙を読んで真実を知った。私も、あの子に期待して課していた事を「一流の学びの場を与えてもらった事は感謝していますけど、同級生の子達みたいに学校帰りにカフェでおしゃべりしたりしてみたかった」と書かれていてショックだった。
……他の家族が詰め込んだスケジュールのせいで、そんな時間も無かったなんて知らなかったんだ。
「リリアーヌちゃんの内心は存じ上げませんけど。見ていて『よく我慢しているわ』と感じただけですわ」
だから家を出て行ったのも仕方がないと?
「我慢なんて……していたなら、話してくれれば」
「まぁ。家族全員に否定されて育った子が、そんな自己主張を出来るとお思いですか?」
否定だけしていたなんて……そんな言い方。私は知らなかったのだと言ったのに。
黙り込んだ私を見て、
「きっかけが何であれ……彼女が自分から望んで離れたのなら、離れて暮らす事も選択肢に入るのではと思いましたの」
「リリアーヌについて何か気付いていたのなら、」
言ってくれれば良かったのに。そう言いかけて、言葉を飲み込む。「リリアーヌちゃんに厳しすぎませんこと?」とシスティアには聞かれた事があった。あったんだ。私はいつも通り……リリアーヌへの接し方を見ている部下に指摘された時と同じように「あの子のためを思って、リリなら出来ると知っているから厳しくしているんだ」と答えたのだった。
あの時の私は、他の家族も厳しくしていたなんて、知らなかったから。
私が過去のやり取りを思い出して俯いていると、ため息を吐いたシスティアが立ち上がる。
「もう寝た方がよろしいですわ。酷い顔色……。ねぇ、ジェルマン様」
「……何だ?」
「ステファノには、接し方を間違えないでくださいませね」
そう言い残して、システィアは私が晩酌をしていた書斎から出て行った。
ステファノに……私の息子には? 接し方を……なら私は、リリに対しては「間違っていた」と言うのか?
リンデメンの街でリリに言われた言葉がまた蘇る。「私がアジェット家を出てきたのは、幸せになるためです」そんな……それではまるで、この家に居たら幸せになれないと言っているようではないか。
家族で過ごした幸せな日常が遠い日のように感じる。こんな事になる前は、いつも和気あいあいとした家族の団欒があったのに。思い返すと、いつも話題の中心はリリの事だった。家族で競うようにリリアーヌの事を自慢して……ああ、クソ。
どうして、誤解が原因だったと分かっているのにリリアーヌは私達を拒絶するんだ。
酒精が入っているせいで、抑えつけていた本音が出てきてしまう。ロイエンタールから帰ってきた時、他の家族にも散々言われた。「どうしてこんな、たったひとつのすれ違いがあっただけで」「何故誤解が解けたのに許してくれないんだ」特に母からの罵倒は応えた。
……リリアーヌが戻ってきたら、戻って来さえすれば、また元通りの幸せな家族になれたのに。
あの子が家を出てから、我が家は壊れてしまった。……いや、違う。あの養子の魔法使いのせいだ。ニナ……子供とはいえど、報いを受けさせないとならないだろう。
酔って焦点がややぼやけた視線の先に、テーブルの端に追いやった書面が映る。リリアーヌの立ち上げた人工魔石事業に関する調査書面だった。
最初に見た時は、もっと儲ける余地があるのに、甘い運営をしているなと思った。会ったらアドバイスをしてやらないとな……と考えていたのだが。ロイエンタールに向かう道中、ウィルフレッドに指摘されて知った。あの「需要に応えきれていない」と思っていた計画が、まさか近隣の魔物の生息数を考えての計算されたものだったなんて。
魔物の生態について詳しくない私は気付かなかった。私が考えていたような増産体制では、生息する魔物の捕食バランスが崩れて、餌を求めて人里までやってくる魔物が出るなどの問題が起きてしまうだなんて。
もちろん、私が事業を行うとしても、クズ魔石の確保について実際に試算する時など、どこかで専門家の指摘があって気付いていただろう。
ただ、リリアーヌはこれを自分で考えて最初から運営していたのだなと思うと、胸に穴が開いたような気持ちになった。
そもそも私だったら。異国で、元手や後ろ盾がない状況で事業を立ち上げて同じ事が出来たのだろうかとも考えてしまう。
経営についてはまだまだだと……私が見てやらないとダメだな、なんて思っていたのだけどな。




