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「琥珀、そんな濡れた指で顔を触るだけじゃなくて、ちゃんと洗わないとダメよ」

「うう……だって水が、水がちべたいのじゃ……」


 琥珀が井戸の横の水場で尻尾を丸めて嘆いていたので、手を止めてそちらを見た。私は先に顔を洗って、今日自分達が使う分として借りている巡礼室に持っていく分の水を汲んでいた。蛇口をひねれば温かいお湯の出る、生活魔道具のある暮らしに慣れ過ぎてしまったようだ。

 冷たい水で顔を洗うとシャッキリ目が覚めるから私は好きなんだけど、「冷たいから」と琥珀に不潔にされては困るな。

 それに、解決する手段があるのにわざわざ無駄に我慢をする必要は無い。


「琥珀の『狐火』で、水を温めればいいじゃない。燃やしたくないものは燃やさない、便利な力なんだから」

「琥珀の狐火をか? 水なんかを燃やそうとしたらドーンッて辺り一面真っ白になって手桶がはじけ飛んでしまうぞ」


 水を目標物にして「燃やす」って認識すると水蒸気爆発になっちゃうのかぁ……。


「……えっと、そこまで高い温度にしないで、加減してお風呂のお湯くらいにすればいいんじゃないかな?」

「むぅ……難しいのじゃ……いや、でも琥珀は天才じゃからな。やってやれん事は無いと思うぞ。よし」

「いや、やっぱりいきなりはやめておこう。練習で教会の桶を壊しちゃったら申し訳ないし」

「でも、好きな時に水をあっためられるのは便利じゃな。そんな事思いつきもしなかったが、狐火の良い練習になりそうじゃし」


 練習はもしもの事があっても周りに影響がない時にして、今回は私がお湯を用意してあげる事にした。


「リアナの火の魔法を水の中に入れるのか?」

「琥珀の狐火と違って、そのままだと桶を絶対焦がさないか不安ね……」


 もちろん、気を付けてやれば大丈夫だと思う。でも何事も「絶対」は無い。

 桶の中の水に手をかざし、自分の魔力をわずかに水に含ませた。その、自分の魔力を含んだ水まで「体の延長」として意識して扱えば、望んだ通り桶の中からポヨンと水球が浮かぶ。


「|火よ(エス=イグニ)」


 もう片方の手をその水球の真下に差し出して、今度は手のひらの中心から火を出す。単詠唱で出した、使った魔力の分だけ燃焼する簡単な魔法である。

 

 あたりの空気は寒く、私が出したお湯からほこほこと白い湯気が出始めた。お風呂にはぬるいけど、顔を洗うならこのくらいでいいだろう、と浮かべていた水球……いやお湯球を桶の中に戻す。


「琥珀がお湯を作る練習をする時も、これなら入れ物が壊れないか心配しなくて済むよ」

「はぁ……リアナ。琥珀がいくら天才とは言っても。そりゃ妖術に関しては天才だけどな、出来ないこともあるんじゃぞ」


 湯気の立つ桶からお湯をすくって、今度こそパシャパシャと琥珀は顔を洗っている。どういう意味だろう。


「え……今、私何か難しいことしてた? だって、どちらも初級の操作系と火の魔法を使っただけじゃない。琥珀だって『狐火』と『狐雨』って火と水の力が両方使えるでしょう?」

「相剋のものを普通は一緒に使えないんじゃぞ」


 私は本気で分からずに尋ねたら、琥珀は「やれやれ」と言ったように肩をすくめてそう言った。

 相克、というのは琥珀の使う術の技術体系で使われる単語で、私達の使う魔法で言うとろろの「反発属性」なる。私も、簡単な事だとは思っていない。親和性の高い属性同士……例えば「火属性の魔法と風属性の魔法を一緒に使って威力を高める」なら一般的に使われているけど……。


「い、いえ、それは一般的にはそう言われてるけど、でも難しいってだけで……」

「難しすぎて、練習したってそんな事出来るようになる魔法使い、そうそうおらんぞ。それに、力任せに水と炎を同時にぶっ放すならともかく、両手でそんな細かい調整しながら全然違う事をするのは琥珀に向いてないのじゃ」


 琥珀にそう言われて、「確かに……」と納得してしまった。琥珀の方が自分どころか私の能力をきちんと認識して「それは普通は難しいんだぞ」なんて言われてしまうなんて、ちょっとショックだ。

 とりあえず、入れ物を壊さずお湯を作る件は、魔物をキレイに倒すための手加減に生かせるから、と周りに人が居ない所で空いた時間で練習する事になった。



 冬だから、葉が落ちて身を隠しづらくなってるなぁ。

 落ち葉を踏んで足音を立てないように気を払いながら森を歩く。先導は琥珀だ。森を歩くのは上手いし、身長差があるので、私が後ろの方が視野的に都合が良い。


 常緑樹は残ってるけど、身をひそめるのに都合の良い低木や茂みは無い。今回討伐するのは最近奥の方からやってきて森の浅部に出没している熊タイプの魔物なので、こちらが先に視認して、気付かれないまま初撃でどれだけダメージを与えるかが大事になって来る。こんな大きくて力の強い魔物とまともに向かい合って戦うのは得策ではない。まず、浅部とはいえこの広大な森の中、その魔物を探すところから始めるのだ。

 情報提供者はこの村の猟師で、遠目で視認して接触しないように風下からすぐに逃げたので、熊型の魔物のどれか……までは分かっていない。毛皮が黒かった事と、一応過去の例を見る限りアビサル・ベアじゃないかと冒険者ギルドは言っていたが。


 一応、そのさらに上位種の魔物であっても対応できるように持ち物は整えてきた。自分でも「そんな上位の魔物が縄張り争いに負けてこんな人里の近くまで来るわけない」とは頭では分かっているのだが、様々な事を想定した用意をしてないと落ち着かなくて。


 少し離れた所、樹の皮に爪とぎ跡があるのが見えて足を止めた。熊型の魔物の爪痕だ。琥珀も気付いていたようで、立ち止まっている。

 爪痕を付けているという事は、ここを縄張りと認識している事になる。熊型の魔物は日中獲物を探して縄張り内をぐるぐる移動するので、爪痕を辿って足取りを追いかけた。

 こういう時、新しい痕跡かどうかを臭いで素早く正確に判断できる琥珀の存在はとても有難い。


 樹に付けられた爪痕を追っていた私達は、少し地面が湿り気を帯びてきた一帯に差し掛かった頃に、目当ての巨体を見つけた。やはりアビサル・ベアか。

 ほぼ無風だが、アビサル・ベアのいる方角が風上。丁度何かを捕食しているみたいで、周りへの警戒がおろそかになっている。最近奥から出てきたなら、この森の浅い所では敵になるような魔物と出会っていないからだろうな。

 私は声を出さずに、ハンドサインで指示を出して琥珀と別れる。あらかじめ、どう行動するかは決めていた。


 琥珀も、アビサル・ベアを挟むような位置取りに移動が完了したのを確認して、強襲のタイミングを見計らう。取り出した矢の矢じりには、魔物に効く麻痺毒を溝に仕込んである。当然人にも猛毒なので、扱いには注意を要するが、何倍もの体格の魔物すら相手に出来る文明の利器だ。

 私は毒を仕込んだ矢を弓につがい、ゆっくりと引き絞った。無駄な力が入らないように背中で支えて、腕は標準を合わせるために使う。

 矢の威力を上げる風魔法をゆっくり、糸を編むように丁寧に構築する。

 息は止めず、細く静かな呼吸だけ残して狙う先を見つめる。……狙いを定める時にいつも思う。自分の脈ってなんて大きいんだろう。


「……ッグアァアア!!」


 顔の横の空気がヒュンと鳴る。捕食中の獲物に夢中になって頭を垂れていたアビサル・ベアの首に矢が一本生えた。突然の痛みに呻いて体をひねり、顎が上がったところでもう一射。先ほどは側面から狙えなかった腹を狙う。もう一本の矢が深々と突き刺さった。


「ガァ、ガウァアアアアッ! グウッ?!」

「|火よ(エス=イグニ)!」


 アビサル・ベアは敵がいる、と判断してすぐさま私が身をひそめる倒木に向かって走り出した。これも想定通り。その勢いを殺すために鼻先に向かって小さな火の塊をぶつけて一瞬視界を奪う。

 こんな小さな魔法では毛皮に焦げ目すら付けられないのは承知の上、目を眩ませた隙に弓を倒木の影に置いたまま横に飛んで、樹を盾にして更に距離を取る。

 私を追わせて方向転換を誘った事で、体勢が崩れた所に琥珀が背後から攻撃を仕掛けた。


「背中が……がら空きじゃ!」

「ッグルルル……!! グゥ、グアァ……!」


 あ、また無駄に掛け声なんか付けて。これはまた後で注意しなければ。

 後ろ脚の腱を切られて地面に倒れ伏したアビサル・ベアは、自分を傷付けた存在が目の前の奴らだと理解しているようで、怒り狂って歯をむき出しにしながら前脚で地面を押して首を持ち上げてようとしていた。

 しかし、最初に撃ち込んだ毒が全身に回って来たみたいで、どんどんのたうつ動きも緩慢になっていく。そのうち呼吸も浅くなり、大量に涎を垂らして動けなくなった。


「毒なんて使わなくても、琥珀一人でも余裕で勝てるのにの~」

「油断しないの。血の臭いに誘われて、他の魔物や動物が寄って来ないか警戒も忘れずにね」

「はいはーいなのじゃ」


 一撃で仕事が終わったのが大層不満らしい琥珀はそう口にした。

 確かに琥珀の実力を考えるとそれが出来るとも思うけど、でも何かミスをすれば怪我をしかねない相手でもある。安全に倒せるのに、わざわざ危険を冒す必要は無い。

 ちゃんと依頼を受ける前に話し合って決めた事なので、琥珀のこの愚痴は単なる甘えだと私も分かってるけどね。


「じゃあ、討伐証明部位と、魔石に素材をいくつか回収するから、周囲の警戒はお願いね」

「任されたぞ」


 完全に動けなくなったのを確認してから近付いて、安全に止めを刺してからすぐさま解体に取り掛かる。アビサル・ベアは討伐適正ランク金級の強い魔物だが、貴重な錬金術の素材にもなる。魔法薬ではこのアビサル・ベアの胆のうが無いと作れない薬もあるくらいだ。

 あと、魔物の血は錬金術の素材としてはいくらあっても困るものじゃないから、ちょっと持って帰ろう。

 それにしても、この個体はオスで良かった。メスだったらこの時期は出産してておかしくないから。この広い森から巣を探さないとならない所だったし。

 実は毛皮も結構高値で売れるのだけど、このままだと私達の拡張鞄には入らないし、そのまま持って帰るのは無理だし、そもそも苦労して持って帰った割には「裕福な人が床などに敷いて装飾として楽しむ」くらいなので、捨てていく事にした。

 実際、討伐報酬と魔石で十分利益は出るし。


 アビサル・ベアの喉元に刺した管と繋がったボトルに触れる。普通の動物とは違う、魔物特融の真っ黒な血液が溜まっていた。



「悲鳴じゃ」


 解体する私の代わりに周囲を警戒していた琥珀が呟いた言葉に、私は反射的に顔を上げた。どこからか、一人か複数か、声に出して思わず尋ねそうになったのを堪える。琥珀が耳を澄ませて聞いている遠くの音をかき消してしまわないように。


「あっちじゃ。金属の音はしないな。声は男が三人」


 という事は、武器を使った打ち合いは起きてない。人相手……犯罪ではない可能性が高い。


「村じゃないね。穀倉地帯の方に向かう街道の方か……」

「先に向かっとるぞ」

「琥珀、」

「分かっておる。魔物でも人でも、琥珀が手こずりそうな相手だったら引き返す。まぁ万が一にもないじゃろうがな。人命優先、自分の身はもっと優先、じゃろ?」


 私に言われずとも、教えた事を覚えてて復唱して見せた琥珀。私は琥珀なら大丈夫だ、と確信して先に行かせた。私も解体で使った道具を手早く片付けて、後を追いかけよるため駆け出した。

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