非日常の日
「山じゃないくせに、ここいらも結構寒くなるのう」
「ここは平地じゃなくて、周囲を山に囲われてる、大きな盆地だからね。盆地が全部そうって訳じゃないけど……この辺りは山から吹き込む風で夏は暑く、冬は寒くなる、季節の変化が激しい土地なの」
「げぇ。暑いのは嫌いじゃ」
近くの街まで通っている乗合魔導車でやってきた私達は、依頼を受ける村に向かう獣車に揺られていた。週に一度街で市場に参加している方の荷台に、荷物と一緒に乗せてもらえるようにこの依頼を回してくれた冒険者ギルドが手配してくれたのだ。冒険者ギルドの職員の業務には、こういった依頼のサポートも含まれる。いつもお世話になってます。
ガタガタ、土がむき出しの、石畳で舗装されてない道に入って揺れが大きくなる。
こうなるのは大体予想してあったので、衝撃吸収性のクッションを二人分持ち込んでそれに座っているが、これがなかったらどうなっていた事か。
琥珀は最初初めて乗る獣車に興味津々だったが、もう飽きてしまったみたいだ。でも揺れるから眠くもならなくて、ちょっと退屈そうにしている。
リンデメンの街では過去糞害などの問題もあって、馬車や獣車は敬遠されているが街以外だと魔導車を見る方が珍しい。特に、馬よりも頑丈で力の強い、家畜化された魔獣が好まれる状況も多いし。
特にこのボーンカウと呼ばれる魔物は草食で、一応魔物に分類されるが気性が穏やかなのでよく農耕や獣車に使われている。餌は基本植物ならなんでも、木の枝でもいいなど、馬よりも飼育が楽なのも長所だ。
馬車の方が速いとか、そちらはそちらで強みがあるが。
私は振動と揺れが強すぎて、あんまりおしゃべりする気になれずに口数が少なくなっていた。うう、クッションだけでは相殺出来てない……これは改良が必要ね……。獣車の周りを警戒しがてら遠くを見ながら、必死に気を逸らして過ごした。
「やっと着いたのじゃ~」
「乗せていただきありがとうございました」
「……ありがとうなのじゃ」
「おう、良いって事よ。二人とも、うちの村に出る害獣を退治してくれるんだからな」
降りてすぐさま駆け出しそうになった琥珀は、ここまで乗せてくれた商人さんに感謝を告げている私を見るとハッとした顔で立ち止まって、きちんとお礼を口にした。最近、言わなくても、自分を見直してマナーや礼儀を守れる場面が増えたなぁ。
ちなみに、私達の受けた依頼は「最近畑に増えた害獣の駆除」だと勘違いされているが、そのままにしている。本当は「害獣が村まで出てくる原因になった、最近森の奥に居付いた魔物を討伐する」が目的なんだけど、金級冒険者だってあんまり積極的には言いたくないので。
でも私達が原因を排除できれば、縄張りを終われて村まで来てしまう獣もいなくなるだろう。冒険者が魔物以外の普通の動物を討伐しすぎてしまうと、村の狩人達の生計に影響が出てしまうので、今回はなるべく普通の野生動物には手を出したくない。
「じゃあ、教会で巡礼室の鍵を借りたら、暗くなる前に薪になる枝を採って来ないと」
「なんじゃと? 今日拾ってきた薪なんて、部屋の中の竈で使ったら煙たくてかなわんぞ」
「教会で、採ってきた木材と乾燥させてある薪とを取り換えてもらうための奴でしょ。……さては琥珀、魔物のとこ以外ちゃんと読まなかったわね?」
「え、あ。違うぞ。うっかり忘れてただけじゃ。そうじゃそうじゃ、使う薪を交換してもらわないとな」
依頼書そのままではなく、琥珀が分かりやすいように私がまとめ直したものを渡してあったのだが。読んでる所は見たんだけど、この様子だとまた興味のある事しか覚えてないみたいだ。
魔物の急所や弱点はすぐ覚えられるんだけど、討伐証明部位はあやふやだし。別に完璧に覚えなくても依頼書を確認してその度必要な情報を見ればいいのだが、琥珀はそれも結構おろそかだからなぁ……。
パーティーでは役割分担があって、得意な人がやれば良いとは思うけど、それでも最低限の事は自分で出来ないと困るのは琥珀だからね。
その夜、ホテル暮らしにすっかり慣れ切ってしまっている琥珀は寒い寒いと騒ぎ立てて、私の寝床に潜り込んできた。
「琥珀はもっと寒い国から来たんじゃないの?」
「動いてる時は寒さは感じないのもあるが、琥珀の郷は今使ってるホテルみたいに屋敷の中に入ればぬくくて薄着になれたし、布団だってもっと厚くて柔らかかったのじゃ。なんじゃここは。家の中なのにこんなに寒いなんて」
正直、私も隙間風はあるし部屋の中なのに寒いなと思っていたので、ちょっとお行儀が悪いけど琥珀の提案に賛成した。しかし残念な事に二人でくっついてもまだ寒かったので、寝台の上に、本来は使う予定のなかった野営用の寝袋を出してその中で寝る事にした。
だって、寝具も薄くて……あのまま寝たら体調を崩しそうだったから。こうなると分かっていたら、寝袋を干しておいたんだけど。
ここには二泊する予定なので、明日も琥珀を湯たんぽにして寝るのは決定だな。野営を教えるのはまだ先だと思っていたけど、今回みたいに設備の整った宿を使えない依頼もあるだろうし、早急に琥珀用の寝袋を作らないと。
私はそんな事を考えながら、冷たい空気が頬を撫でるのを気にしないようにして眠った。
ふわ、ふわ……。
何だろう、この極上のふわもこは……?
私は自分の頬を撫でる柔らかい感触に引き上げられるように、目を覚ました。
うっすら目を開けた先に映る、寒くて薄暗い室内に見覚えのない天井。何処、と思いかけてふと我に帰る。ああそうだ、泊まりがけの依頼に来ているんだった。
しかしここで、目が覚めてからも消えないふわふわの感触に気付く。視界の端に映っているのは黒っぽい何かだが……眠くてぼんやりした頭のまま、顔の近くにあるそのふわもこに手を伸ばす。
既視感のあるさわり心地に、その正体がやっと分かった。琥珀の尻尾だ。私の顔に触れてるのは先端の黒い毛皮のところか。
何回か触った事はあるけど、頬ずりした事は無いので感触で分からなかったようだ。
「んぅ……」
寝袋の口からもぞもぞと出る。何故琥珀の尻尾が私の顔に当たるのか……と不思議だったが、それもそのはず、琥珀は中で上下逆さまになっていたのだ。
すごい寝相だ……どうやったらこの狭い寝袋の中で器用に逆さまになれるのか。さらに言うと、よくそれで起きなかったなぁ……と自分にも感心してしまった、
「琥珀、朝だよ。今日は朝から依頼に行くんだって張り切ってたでしょ」
「う~ん……むにゃむにゃ……」
「琥珀~」
「……もう食べられないのじゃ……」
寝袋の奥から聞こえるくぐもった声。全然起きそうにない琥珀に諦めて、ちょっと強引な手段を取る事にした。寝袋の口から見えている琥珀の足を掴んで、中からずるずる引っ張り出す。
「おはよう、琥珀。顔洗いに行くよ」
「うう……寒いのじゃ……」
やっと覚醒した琥珀がのそのそと体を起こす。
寒かったせいとは言え、朝早くに自分で起きられたので達成感があるな。いつもアンナに呆れられるくらい寝起きが悪い私だけど、自分が率先してしっかりしなきゃいけない状況だときちんと起きられるのね。
……あれ、という事はつまり、私普段はアンナに甘えているって事?
ちょっと都合の悪い真実に気付きかけたが、私はその事実に知らんぷりをしたまま、まだ眠そうな琥珀を促して、教会の裏手にある井戸に向かったのだった。