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「そっか、じゃあ尻尾が増えただけで特に変わった事はないんだな。良かった」
「ようこ……でしたっけ? 不思議な種族もいるのですね」
朝からドタバタしていた話をフレドさんとエディさんに「こんな事があったんですよ」と報告がてら教えると、二人ともほのぼのとしつつも興味深そうに笑っていた。
確かに、とても気になるよね。
一晩で新しい尻尾が一本増えたわけだけど、どうやって増えたのかとか。後から一本追加されたのなら、もう一本と見分けがつかない毛並みが一晩で生えそろった事になるが、何が起きたのか……とか。
世の中はまだ私の知らない事でいっぱいだ。出来るなら増える所を観察したかったなぁ。
……いや、出来るかもしれない。琥珀は「大人になるにつれて増える」と言っていたけど、これからも増えるなら、今後チャンスと出会える可能性は高い。
でも昨日も予兆みたいなものは何も無く突然起きたから、計画的に観察するのは難しそうだ。寝室に映像記録できるような魔道具を設置する許可を取る訳にもいかないし。
「なに?! 何も変わってないとは何事じゃ! いくらフレドでも聞き捨てならんぞ!」
「いや……ごめんって。でも尻尾が増えた以外背が急に伸びたとか……目に見える変化が無くて。琥珀の種族にとっては大きな事だと思うんだけど……」
私もアンナもそこは思っていた。そうよね……いったい何が「成長」したのかしら。
いや、孤児院の冒険者志望の子達との一件について、心は成長したと思うけど。でもこんなにダイレクトに体に影響が表れるものなの?
でも琥珀は自然に受け入れてるし、これが普通なのだろうけど。琥珀の種族について、文献で存在だけは知っていたけど詳しくは全然分からないから何が正解なのか……悩むだけになってしまう。
「ふふん! 尻尾が二本になった琥珀の力をとくと見せてやろう! フレド、髪の毛を一本寄越せ」
「え、髪の毛?」
「冒険者とあろうものが髪の毛の一本や二本でガタガタ言わんでもいいじゃろ」
「ちょ……何に使うか知らないけど、抜くのはやめてくれ琥珀!」
ソファに座るフレドさんの襟足に手を伸ばした琥珀を慌てて制止している。このままではむしられかねない、と顔色を悪くしたフレドさんが、席を立ってキョロキョロする。机の上に置いてあった、私が新聞のスクラップブックに使ったハサミを見つけると、止める間もなく襟足を一筋切り取って琥珀に渡した。
琥珀を止めつつ「私のもので良ければ差し上げますから!」と半分叫んでたエディさんも、あまりに素早いフレドさんに口を挟む隙も無かったようだ。
「それで何するんだ?」
「大人しく見ておれ。驚かせてやろう」
琥珀の言う「成長」が何の事か全く分からない私も、ただぽかんとしたままそのやり取りを眺めるだけになってしまう。
見てろ、と言った琥珀は私達の見てる前で、摘まんだ髪の毛をおでこにあてて……ぴょんと飛び上がると宙返りをして見せた。
「あれ? おかしいな……たしかこうやって……」
とん、と着地して首を傾げた琥珀はもう一度空中で前転するように、綺麗な宙返りを披露する。
「ちょっと、下の階の人に迷惑でしょ。部屋の中で暴れちゃダメ」
「ちが、違うんじゃ! ただの宙返りがしたいんじゃないのじゃ!」
あまりに思いがけない琥珀の行動に、一瞬止めるのが遅れてしまった。いや、ほんとに、何がしたかったのだろうか。
たしかにすごい身体能力だけど、当然私達は琥珀がそのくらい出来るって知ってるのに。
「琥珀、体を動かしたいなら、午後で良ければ外に連れてってあげるから」
「だから、ちがうのじゃ~。琥珀は、琥珀がすごい事が出来るようになったのを見せてやりたくて……ん、ああそうか、こうじゃな」
腕を掴んだと思ったのに、するりとひねって抜け出されてしまった。……琥珀、やはり強いな。
模擬試合だと私が毎回勝ってるけど、本気を出されたら多分負けそう。
拘束を解かれて呆気に取られてる私の目の前で、琥珀がまたしても宙返りをする。今度は後ろ向きに、体を弓なりに反らせて。くるりと背面向きに飛んだ琥珀のふさふさの尻尾が私の顔をかすめて、思わず目をつむる。
「コラ琥珀、危ないで……しょ……」
「おお、成功したぞ! どうじゃリアナ、琥珀が手に入れた新しい力は。すごいじゃろう?」
顔を上げた、そこに立っていたのは……なんと、フレドさんだった。
いやおかしい、私の後ろに立っていたはず。と振り返るとそちらにもフレドさんが。アンナも、エディさんも一緒に、口をぽかんと開けて……フレドさんの姿をして、琥珀の口調で喋る謎の人物を見つめていた。
「琥珀……なの?」
「そうじゃ! 驚いたろう? 本物のフレドと見分けがつかないじゃろう」
琥珀が? 琥珀が姿を変えてフレドさんになったという事? 得意満面、という表情を浮かべるフレドさん……の姿をした琥珀を、ひたすらびっくりして見上げるしか出来ない。
確かに……完全にフレドさんの姿だった。ただ、頭の上に琥珀と同じふさふさの狐耳がぴょこんと立っているのを除けば……だが。
「耳は琥珀だけど……確かに、それ以外はほんとに、フレドさんにしか見えない……これ、幻とかではなくて? ほんとに体が変わってる……」
「何? 耳が……うぬぅ。ここは化けそこなったか。尻尾みたいにあるか無しかのやつは簡単にフレドのまんまに出来たんじゃがのう」
ダメだ。「フレドさんの外見なのに中身が完全に琥珀」なの、違和感がすごすぎて頭がくらくらしてくる。
でも確かに、尻尾はなかった。……服装まで変化している中で、あのボリュームのある尻尾が二本も残ってたら服が破れたり大変な事になっている所だった。
「でも最初の変化の術からこんなにそっくりに化けられるとは、さすがは琥珀じゃと思わんか?」
「そうね……ほんとに……とてもすごいと思う」
「琥珀さん、少々頭に触れても良いですか?」
「良いぞ」
「すごい……フレド様の耳の後ろの黒子も再現されてる……これは……あの、どういった原理で姿を変えているのですか?」
「髪の毛を一筋持ってな、ぎゅうっと腹に力を込めてギュルルッとして爪先からパッとやると姿が変わるのじゃ」
「……なるほど、私や他の人には絶対に無理そうですね」
その「変化の術」とやらの「普通」がどこにあるか分からないが。「変化の術」自体がとてもすごい。何、これ……「狐火」も十分、私の知る「魔法」からすると常識外れだったけど、これはもっととんでもない。
幻ではなくて、体が変わっている? 琥珀の頭があったはずの位置には人間の胴体の感触しかなくて、琥珀の頭上を空ぶるはずの位置には髪の毛と顔がある。
それとも、幻覚を見せた上で、感触まで錯覚させてる?
エディさんが口にしたように、見えない位置の黒子なんてものまで再現されてるのはすこい。
いずれにせよ、何らかの魔法で同じ事をしようと思ったら、どうやったら出来るのかすら想像も出来ないような技術だ。体そのものがこんなに大きく変わってしまう方法なんて知らない。
ちょっとした姿を変える魔法は私も知ってるけど……それとも違う。何より、それでは身長や体格を大きく変えるのは無理だし、出来たとしても見せかけで触ると分かるようなもので。
何より、今の琥珀の体からは何らかの魔法を使ってる気配が全くないのだ。
私が逃走時に化粧などを使って物理的な変装をしたのはそのためだ。ちょっと魔法に詳しい人にはすぐバレてしまうから。
ほっぺたも、琥珀の柔らかくもちもちとした手触りではない。私の肌とも違う、少し固い手触りがした。こんな、私が知らなかった事まで再現出来てるなんて、すごい。
「リ、リアナちゃん……琥珀だけど、俺と同じ顔をそうやって触られると……ちょっと恥ずかしいな……」
「……?! ご、ごめんなさい!! 琥珀の体が身長も体格変わりすぎて、不思議だなって思ったらつい……」
私は、中身が琥珀だからと無遠慮に触っていた手を慌てて離した。
そうなのだ。フレドさんなのに。フレドさんと同じ顔で同じ姿の琥珀にべたべた触るなんて、私はなんてはしたない真似をしていたんだろう。
真っ赤になる私とフレドさんの横で、琥珀が不満げな声を上げた。琥珀の無邪気さが今はありがたい。
「もっと褒めても良いのだぞ。最初の変化で、こうして服まで変えられるのがどれだけすごい事かおぬし達は分かっとらんじゃろ」
「……ちょっと待って?! じゃあ、琥珀の力が足りなかったら……『女児用のワンピース姿の俺』に変身してたかもしれないって事か?!」
本人にとってはとんでもない問題なのだが……フレドさんのその悲痛な叫びに、思わず想像しかけてグッと喉を詰まらせてしまった。