大きな変化
その「変化」はある朝突然琥珀に訪れた。いや、起きてきた時にもう「そう」だったのだから、きっと寝ている間に起こっったのだろうけど。
とにかく、いつも通りに起きてきた琥珀の身に、その「変化」は起きていたのだ。
「ぬぅ……おはようなのじゃ……」
「おはようございます、琥珀ちゃん。今日も起こしに行く前に起きて偉いですね。……顔を洗った時に塗れた前髪だけちょっと拭いちゃいますよ」
「うむ」
私達より一時間ほど遅いくらいの時間にいつも琥珀は起きて来る。夜更かしではなく……寝るのも私達より一時間ほど早いので、睡眠時間が長いのだ。
着替えと洗顔、歯磨きなどを含めた朝の仕度は自分で出来るようになったが、まだ寝癖が残ってたり、その辺りはまだ完璧ではない。アンナがいつも琥珀の自尊心を傷つけない形でサッと手直ししている。
あ、普段着にしているワンピースの襟がちょっと折れてる。そっちは私が後でそれとなく直しておこうっと。
眠そうな顔でぽてぽて、と歩いてきた琥珀は、団らんをしていたテーブルの椅子に腰かける。その後ろにアンナが立って髪の毛に手を触れようとした所、ギョッとした顔で手を空中に浮かべたまま固まった。
「こ……琥珀ちゃん、尻尾が……」
「ん? 琥珀の尻尾がどうかしたのか? ふふ……そうじゃな……たまにはモフモフさせてやってもよいぞ」
「違います……! 尻尾が……尻尾が、二つに裂けちゃってますよ!! 琥珀ちゃんの!!」
「ぬぬ?」
おや、アンナや私相手でも耳や尻尾に触るのは嫌がるのに、珍しい事もあるものだ。と思った次の瞬間、アンナの叫んだ内容に、私も新聞から顔を上げて琥珀に視線を向けた。
尻尾が裂けたってどういう……? テーブルを挟んでいるため、肝心の尻尾が見えない。慌てて席を立つと、琥珀の背後へ回る。
「あわわ……琥珀ちゃんの、尻尾が裂けて二つになってる?! ど、どうしましょう……琥珀ちゃんが診てもらえそうなお医者様は……」
「何じゃ? 琥珀の尻尾が裂けてる? どうなってるのだ?」
うろたえるアンナの様子に、どうやらこれはただ事じゃないぞと察したらしい琥珀が席を立つ。たしかに、琥珀の尻尾が二本になっていた。でも怪我などをして裂けた……ようには見えなかった。いつも通りのふかふかの尻尾が、二本に増えているようにしか見えない。
自分の尻尾を見ようと目の前でくるくる回転する琥珀。自分の尻尾を追いかける子犬みたいでちょっと可愛い……なんて考えてる場合ではない。
「だ、大丈夫? 痛くはない?」
「痛くは無いけど……なんじゃ? 裂けてるって……琥珀の尻尾、どうなっちゃってるのじゃ?」
「私にも、何が起きてるのか……とりあえず、尻尾ちょっと見てもいい? 付け根に触るよ」
「う……優しくして欲しいのじゃ……」
くるくる回るのをやめて止まった琥珀が、神妙にお尻を突き出す。私はそっとワンピースの裾をめくって、このふかふかの尻尾の付け根にゆっくり触れた。尻尾は二本とも、私達の尾てい骨のある辺りから生えてるように見える。二股に分かれた骨が尻尾の中に通っているのが確認できた。
神経や筋肉は二本とも同じようについているようだ。どちらも不安げに揺れていて、私が優しく掴むと無意識に嫌がるようにするりと手のひらから抜ける。
どちらかが新しく生えた……と言うよりかは、昨日まで一本だった琥珀の尻尾が、見た通り「二本に増えた」ように見える。
とりあえず、痛みは無いようだが、診療所が開く時間になったらすぐに連れて行くべきだろう。でも琥珀、獣人じゃなくて「妖狐」だって言ってたから……診てくれる病院が果たしてあるのだろうか。
現在この世に一番多いのは「人間」だが、「ヒト」には他にも様々な人種がいる。獣人は人間の次に数が多いので診られる医者も多いし、ドワーフは人間と薬やほとんどの病気や怪我の治療法が共通しているのでリンデメンみたいな大きな街なら何カ所か診療所があるだろう。
けど琥珀の種族は……お医者さんがいるのだろうか。それに、エルフみたいに宗教的な理由で同族の医者にしかかかれないとか、私の知らない事情があるかも。
いや、何にせよ、琥珀の故郷にはいるはず。幸い、痛みはないという事は、せっぱつまった病気の可能性は低い。琥珀の出身地である皇に今すぐ向かえば間に合うはず。
「リアナ、どうだ? 琥珀の尻尾が裂けてたって……痛くはないけど、どうなってるのじゃ……」
「琥珀……落ち着いて聞いてね」
「う、うん……」
「琥珀の尻尾がね、二本に増えてるの。裂けたとかじゃなくて、昨日まで一本だった尻尾が二本になってて。私にも原因が分からないから、とりあえず診療所が開いたらお医者さんに診てもらって、琥珀の種族を診てもらえるお医者さんに心当たりがないか聞こう」
「……ん? 尻尾が二本に? それだけか?」
「アンナ、魔導列車の駅がある街までの車を確保してもらっていい? あと皇までの行き方も調べて欲しいの。そうだ私は、この街に色んな種族に明るいお医者さんがいるかホテルの人に聞いてくる。戻ってきたらそのまま受診させるね。琥珀、ちょっと部屋でこのまま待っててくれる?」
「かしこまりました」
「ちょちょ、ちょっと待てい!! 琥珀のこの尻尾は変な病気などではない!! のじゃ!!」
バタバタ、と部屋から走り出ようとしていたところに、琥珀からストップがかかる。
二人そろって琥珀の方を振り返ると、スカートの中に手を突っ込んで自分のお尻に手をやった琥珀が両手に尻尾を掴んで、気の抜けたような顔をしていた。
「アンナが『裂けてる』なんて言ってたから、びっくりしてしまったではないか……」
「で、でも琥珀ちゃん……突然尻尾が一本増えてたなんて、大変ですよ。人間で言ったら、その……朝起きたら足が三本になってたような事なんですから、痛くなくてもお医者様には診てもらわないと……」
「違うと言ったら違うのじゃ。なんと言ったらいいか……とりあえず、お腹が減ったから、続きを説明するのは朝ご飯を頼んでからでいいかの?」
いつものようにルームサービスのメニューを手に真剣な目で朝食を選び始めた琥珀に、私達は気が削がれて顔を見合わせた。緊急事態だと慌てたのだが、どうやら琥珀はこの尻尾について何か知ってるらしいし。
落ち着いた私達も朝食を選んで、伝声管を使って注文すると改めて琥珀と向かい合った。
「これは、琥珀が大人になった証なんじゃ」
「大人に……? 身長とかは……全然変わってるように見えないけど……」
琥珀の着ているワンピースに視線を落とす。背が伸びてるなら丈が変わっているはずだが、それはない。あと身長以外のこう……中身というか、そういったところも昨日と大きく変わってるような感じもしないし。
私とアンナは琥珀の背後でフリフリと揺れる、二本になった尻尾に視線を向けた。
「違う! それに背はこれから伸びるのじゃ! ともかく、妖狐の一族は、大人になるにつれて尻尾が増える……これは琥珀が大人になった……なり始めた証なのじゃ」
誇らしい……と言いたげに胸を張る琥珀が微笑ましくてつい笑顔になってしまう。「大人になった」と言ってるのに、その様子が可愛くて。
でも言うとややこしくなりそうだから、私は話を先に進める事にした。
「その、尻尾が増えるって言うのは……例えば人間の男の人が声変わりする、みたいな成長と共に訪れる普通の事なの?」
「そうじゃな。だから病気や怪我では無いし、痛くも痒くもない。お主らが『裂けてる』ってあんまりに言うもんだから、尻尾がどうにかなってしまったんだと思って慌てたぞ」
その言葉を聞いて私もアンナもホッとした。
そうか……私達が知らなかっただけで、琥珀の種族では何の変哲もない光景だったのか。胸を撫でおろした私達は、その後の朝食もいつも通りまったりと摂る事が出来た。
いや、顔見知りの従業員の人が琥珀の後ろで揺れる二本の尻尾を見て驚いていたけど。「琥珀の種族は大きくなると尻尾が増えるらしいんですよ」と言うと「そんな事もあるのね」と納得してくれたが。
琥珀は珍しい獣人、と思われてるようだが……別に詳細は説明しなくてもいいだろう。
あ、フレドさん達には話しておかないとね。
「尻尾が増えた以外に何か変わった事はある? 体質とか……私達が知っておいて、気を付けた方がいいような事で」
尻尾が増えてバランス感覚が変わったからしばらく前と同じようには動けないかもとか、そういった事を警戒していたのだが、琥珀から帰って来たのは思いもよらない言葉だった。
「!! そうじゃな……人参が食べられなくなったし、おやつを含めて一日四回プリンを食べなきゃいけない体になったような気がするぞ。あと風呂は三日に一回でいいような気もする」
「……リアナ様、琥珀ちゃんの体調に変化はまっっったく無いようですね」
「そうみたいね」
「?! 何故じゃ?! 何故すぐ分かってしまったのじゃ?!」
私達が「妖狐」という種族について無知なのを良い事に、好き放題自分の都合の良い話を吹き込もうとした琥珀のたくらみは一瞬で見抜かれてしまった。まぁ当然だが。
「琥珀ちゃん、体を動かして汗もかくんだから、毎日清潔にしなきゃダメですよ」
「う~~……あったかいお湯に浸かるのは好きじゃが、頭を濡らすのは嫌いなのじゃ……」
「あと琥珀、好き嫌いはダメからね」
「むぅ」
耳に水が入るのがことのほか苦手らしい琥珀の弱音に苦笑しつつ、楽しい朝食の時間は終わる。
そうして食後のお茶を飲みながら、「フレドさんとエディさんを驚かせないように、琥珀の尻尾が増えたって……何て説明したらいいかなぁ」とちょっと頭を悩ませるのだった。