すでに心は遠い
ロイタールと王都を結ぶ街道を進む人たちとすれ違う。こっちからロイタールに向かう人がいないなと思いかけたが、当然だ。スタートが王都なら、徒歩で魔導車より先を進んでいるわけがないのに。私はそんな事にも気付かなかった自分がおかしくて少し笑ってしまう。
「おーい! フレド!」
そうやって私を助手席に乗せたトノスさんとしばらく当たり障りのない世間話をしていると、速度を緩めた魔導車の窓を開けて道を歩いていた男性の一人に声をかけていた。
きっとあの人が護衛兼屋台の店員だというフレドさんなんだろう。
「えっ……あれ?! なんで?! 故障してなかった?!」
「それがなぁ、偶然錬金術師が通りかかってよ。道具も持ってたからササッと修理してくれたんだ」
「いや。いやいやそんな……道具があるからってさっと直せるレベルじゃなかったと思うけど……」
口元をひきつらせたフレドさんは、冒険者らしいがっしりした体つきに簡素な防具を身に着けた黒髪の男性だった。年は20代前半というところだろうか。挨拶のために車から降りた私は同じ高さに立って簡単に自己紹介をし合った。
「いやぁ通りがかってくれてありがとう、腕がいいんだな。俺はフレド。冒険者登録をしてるけど聞いての通り護衛から店員までわりと何でもやる便利屋みたいなもんだよ」
「僕はリオ。錬金術師の卵ですけど……腕がいいなんて、そんな。お世辞でも嬉しいです」
まだ1、2年目の駆け出し冒険者のつもりだったが、トノスさんはそう思ってるみたいなので便乗して錬金術師見習いだと名乗っておく。
技術職は呼ばれて街を移動することもわりとあるので不自然な言い訳にはならないだろう。私は頭の中で、聞かれた時に答えるための架空の「どこにでもいそうな14歳の錬金術師の卵、リオ少年」のカバーストーリーを組み立てていく。
別に詳細である必要はない、私が国境を超えるまで問題が起こらない程度でいい。
フレドさんの顔は、長くてボリュームのある前髪で目元はほぼ隠れているが輪郭や鼻と口元からすると整った顔をしているのではないかと思う。また姿勢や体重移動の仕方を見るとなるほど確かに護衛の仕事を受けるくらい強いんだなとはっきり分かった。警戒はされていないようだが、強い人は勘も良いので不審に思われないように細心の注意を払わねば。
「リオ君は謙虚だねぇ」
ほがらかに笑うフレドさんの雰囲気と口元を見て、私はプーリーという牧羊犬をつい思い出してしまった。毛足が長くて目が隠れている犬種である。犬に似てるなんて失礼だから本人に言ったりはしないけど。
ロイタールへはスムーズにたどり着き、商人ギルドで仕事があると言っていたトノスさん達はまた魔導車を走らせていった。計画通り、知り合いを装ってまともな宿屋に身分証を使わず部屋を取ることが出来て良かった。
何かの縁だし夕食はぜひ一緒に摂ろうと誘われて、私はそれを快諾した。夕食までにフードを外せるようにしておかないと。
幸い今はまだ認識阻害の効果で、私の顔も思い出せないどころかずっとフードをかぶったままでいる事にも違和感すら抱いていないように見えるが、接触する回数と時間が増えればいつかは解けてしまう。私が自分で作ったこの外套に付与した程度の機能ならそれはずっと早く訪れるだろう。その前に軟着陸させないと。
コーネリアお姉様が作ってくれた、私がいると大抵の人には認識すらされないような高性能な外套も持っていたがあんな高価で、もし見破られたら逆に目立つものを家出先で使うわけにはいかなかったのだ。当然家に置いてきている。
さて、と私は鞄の中から錬金術に使う素材を出すと、くくっていた髪の毛を編んで束のまま少しずつ切り落としていった。少年のふりをするのに髪は邪魔だし、貴族令嬢でないなら伸ばす必要もない。
それに、これだけの量なら使い道もある。私はこれで家族の追跡を少しでもかわすつもりだった。
長い髪束を切り落とした後は、自分で適当に鋏を入れて見苦しくない程度に整える。個室でシャワールームを兼ねたトイレはあるが備え付けの鏡は小さすぎたので、自分で水鏡を魔法で出してそれを見ながら散髪した。
きっと男性が1人で泊まる事しか想定されていない宿だからだろう。ベッドは小さく室内にも装飾は無い。髭剃りならこの大きさの鏡でも十分だしね。
家出した貴族令嬢である事を隠している私には好都合だ。
シャワースペースの床のタイルに耐熱パネルをひくと、小型の錬金竈と鍋を設置して頭の中に思い浮かべた材料を刻んだりすりつぶしたりしつつ加えていく。あまり元の銀髪から大きく色を変えると発色が不自然になるから暗めの灰色くらいにしておこうか。
私はそれを髪の毛にムラなく塗ると、色を定着させるために蒸しタオルで巻いた上から熱くない程度に加熱し続けた。タオルは染まってダメになってしまうので当然私物を使っている。
着色が終わるまでにこっちを作業しておこう。バッグの中から裁縫道具と、弓術の時に下着の上に使う布製の胸押さえを取り出すと着用した時に「少年の胸板」に見えるように立体を考えながら手直しをした。
少年のふりをずっと続けなきゃいけないならもっとちゃんとしたものを作らなければいけないがとりあえずはこれでいいだろう。お母様やアンジェリカお姉様と違ってスレンダーな体型が役に立ったと思っておく。
顔は覚えられたくないが夕食の席まで外套を着ているわけにもいかない。ライノルド殿下の城下の査察に同行するために使っていたような変装用の魔道具が使えればいいのだが、あれもコーネリアお姉様製の最高級品だ。当然家に置いてきた。
変装のためにずっと魔法を発動させるのも難しいし、何かのきっかけで術が解けた時に一気に怪しい人物になり果ててしまう。
色が定着した短い髪の毛を温風を出して乾かすと、物理的に見た目を変えることにした私は化粧品を取り出した。
意地悪そうに見えると言われたこの目を気持ち垂れ気味に描いて、ああまつ毛と眉が銀で髪の毛と色がずれてるからこっちは上から塗っておかないと。あとはそばかすを描いておけば私の元々の顔からはかなり印象が離れるだろう。
服はもともと野外活動用に男性物を着ていたので問題ない。持ち出したのもズボンばかりだし。
男装がバレても「女の一人旅は面倒だから隠してただけ」で言い訳としては不自然ではないだろう。この街を離れるまでは、「商売をしている3人組」として周りの目をごまかせそうでありがたい。
私は自分の変装の出来にそこそこ満足すると、夕食にと約束した時間までまだあるのを確認してからベッドにそのまま仰向けになった。
ちょっと家から離れたと、ホッとしたところですごい眠気が襲ってきたのだ。当たり前ね、夜通し起きててそのまま街道をずっと歩いて来たんだもの。体も精神も疲れ果てていたのだろう。傷はふさがっているけど怪我も治りきっていないし。
私は体が求めるままに眠りについた。
「リオ君が不自然だって? まぁたしかにあのくらいの年にしては腕がいいみたいだけど」
「いやいやおっさん! それじゃすまないんだって! 不自然も通り越して異常だよ、異常」
「そんなにか」
買い付けに同行しているフレドがトノスに熱心に説明する。フレドは興奮気味だが、トノスはいまひとつ共感していないようだった。
「錬金術師ってのは専門があるんだよ。どんな働きを持たせるか付与する機能を設計したり、魔道具を実際に動かす魔導回路を生み出したり、魔道具の構造自体を作ったりいじったり、その上で色々な分野に分かれる。少なく見積もっても4等級以上のマジックバッグを作ることが出来る上に魔導車まで修理できる錬金術師なんてその辺にいないんだってば。あの年で、天才だよ」
「すごい子ってのは分かるが俺にとってはどっちも『すごい』ってことしか分からんからなぁ」
フレドの熱量に押されるもトノスはピンと来ていない様子で、次の目的地に持っていく商品のリストを見ながら商人向けの卸売業者の並ぶ商会場をプラプラ歩いている。ここで見本を確認して、後で車まで運んでもらうのだ。その車はリオが念を押したようにロイタールで営業する魔導車整備工場に預けてあるので一旦取りに行かないとならないが。
「商人で言うなら、新商品の開発と商品の目利きと、店の経営と接客と全部違う才能が必要って言うとイメージ出来るか? マジックバッグと魔導車なんて、平民向けの商売と貴族向けの商売くらいに違うぞ」
「ええ? そんなにか?」
同じ言葉だが、今度は込められた驚きの強さを感じ取ってフレドはやっと留飲を下げた。重たい前髪で顔の全体は見えないが、その口元は「ようやく理解したか」とでも言いたげに満足そうに弧を描く。
「何でそんな天才が一人でフラフラしてるんだ」
「絶対に訳アリだってことは分かるけど……」
フレドはいくつかの可能性を口にした。錬金術なら師匠がいたはずだから、そこからあの年で出る羽目になる何かかがあったのか、目的地があって向かう途中なのか。就職先のあてがあるにしては若すぎるが。
口ぶりからすると彼の師匠はもっと腕がいいらしくて、リオ自身はまだまだだと謙遜ではなく本気で思っているようだ。なら師匠も天才か。
天才なら突飛な事をする可能性もあるし、本当に気分で旅に出たのかもしれない。態度からは悲壮感はなかったから師匠に追い出されたとかそういった話ではないだろうとは思うが……本当のところはわからない。
「まぁそうだろうな。……悪人じゃないのは分かるから、野暮なことは聞かないでおくか」
たまたま道中を一緒にしただけの少年に対して、困ってもいなさそうだしと商人はそこまで深入りせず軽く流した。
フレドもそれに特に反応しなかった。期間契約の仕事中に知り合った「将来の大物」にほえーと感嘆しただけで。
「余ってる魔道具で冒険者にウケそうなのがあれば売って欲しいな~」
「向こうも旅費は必要だろうし聞いてみたらどうだ?」
魔道具なら自分も簡単な目利きは出来るしと軽く勧めてみると、トノスは夕飯を奢るのをダシに提案しようと乗り気になっていた。
次回は「一方そのころ」みたいな同時刻の視点を挟みたいです